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七月五日(土)酷暑の河口湖へ
「音楽の友」の取材でベルリン・フィルのヴァルトビューネ河口湖@ステラシアターへ。面白かったけど暑かった。
富士急が特別列車ヴァルトビューネ号を出すというので、鉄者ではないが話の種に乗ってみることに。新宿から「かいじ」で大月、そこからヴァルトビューネ号で河口湖駅、そこからバスでステラシアターへ。開演二時間以上前に着いたので、暑いなか水分の摂取に気をつけつつ場内をぶらぶらし、開演前に客席で弁当。
七時半過ぎ、アンコール終了と同時に雨がポツポツという、見事なタイミング。帰路はご親切な同業の方の車に乗せていただき、河口湖畔で上がる花火を眺めながら、楽々帰宅。途中の大月から八王子あたりで凄い豪雨になったし、夜は各電車の乗り継ぎにもさらに無駄な時間がかかるので、ほんとうに助かった。
七月十一日(金)死ぬことは怖くない
濱田芳通&アントネッロの第十九回定期公演「Bach Cantatas with Recorder!」を聴きに東京文化会館小ホールへ。このホールでアントネッロを聴くのも新鮮な感じ。
詳しくは「音楽の友」に書くが、厳粛なゴシックという印象の強い教会カンタータが、アントネッロの手にかかると朗らかなバロックになるのが鮮やかで気持ちよし。
「死ぬことは怖くないんだよ、と思ってもらうために宗教はあるんです」と言っていたお坊さんがいたのを思い出す。
挿み込みのチラシには次回定期の案内が。なんと「カルミナ・ブラーナ」。もちろんオルフではなく十三世紀のオリジナルに基づくもの。十二月十一日みなとみらい小ホール。昼夜二回公演というのもありがたい。何が飛び出すのか、こちらも今から楽しみ。
七月十六日(水)読響右近読響
火曜夜から水曜夜にかけては、読響演奏会で歌舞伎をサンドイッチする、読響右近読響。
十五日の読響のラヴェル版の《展覧会の絵》は、先日ヘンリー・ウッド版でも聴いたばかり。十六日夜の《大地の歌》の室内楽編曲版は、八月に同じオケがオリジナルを演奏する。さまざまな異化の聴きくらべが脳を刺激し、作品の姿をより明快に、彫りの深いものにしてくれる面白さ。
十六日昼の歌舞伎は、浅草公会堂で尾上右近自主公演第九回「研の會」。右近は梨園の御曹司ではないが、六代目尾上菊五郎を曾祖父に持つ次代のホープ。自主公演を十年かけて九回続け、今回は大阪の国立文楽劇場と東京の浅草公会堂で各二日間四回、八回もの自主公演を中規模の劇場で行えるというのだから、人気が既にとても高いことがよくわかる。最終回は完売。
前半は山本有三の戯曲『盲目の弟』。六代目菊五郎が弟の十三代目守田勘弥と主役の兄弟を演じ、昭和五(一九三〇)年に初演したもの。幼時に弟を失明させた罪の意識から「一生弟の杖になる」と決めた兄が右近。弟は右近と同学年の中村種之助。
無意味な悪意が人のコンプレックスを刺激し、僻みが邪推となり、悲劇を生んでいく。言葉にならぬままに渦巻く感情を、一人の人間の力で大空間に広げ、共有させる、歌舞伎役者ならではの力。
後半は舞踊の『弥生の花浅草祭』。右近と種之助が四役早変わりで一時間踊りづめの大熱演。動きのキレと大きさ、姿の美しさは人気の高さを裏付けるもの。
開演前と幕間のアナウンスが本人だったり、グッズをガンガン本人が宣伝したり、最後にカーテンコールで撮影タイムがあったりするあたりは自主公演なればこそで、じつに今風。
右近という存在を知ったのは二〇一五年九月八日、サントリーホールで行なわれた、山田和樹指揮日本フィルの「とっておき アフタヌーン」で《春の祭典》を舞ったときだった。それからちょうど十年。
三十代前半の世代は、クラシック界の葵トリオそのほかに能の関根祥丸など、輝かしい才能がたくさん。これからがみな楽しみで、老人には大きな喜び。
七月十八日(金)梅雨明け
朝、東京体育館でひとっプール泳いでから、大江戸線で浜離宮朝日ホールに行き、上野通明と北村朋幹の若きデュオでベートーヴェン、メンデルスゾーン、シュトラウスの若き日の作品を聴く。気持ちよし。
帰宅後、東京文化会館で二期会の《イオランタ/くるみ割り人形》へ。二本立てとしてチャイコフスキーが構想した二作のうち、前者をメインにし、後者のバレエを部分的に挿入してイオランタの心象風景とし、舞台映えするようにしたもの。パスカルの指揮が爽快で、東フィルも《くるみ割り人形》はやりなれているだけにとても上手。
幕間の夕焼けがきれい。梅雨明け。
七月十九日(土)戦争レクイエム
東京交響楽団の「ノット・ラスト・シーズン」もいよいよ後半戦。今日はミューザで目玉の一つ、戦争レクイエム。キリスト教における永遠の生命は「怒りの日」の大破壊と大殺戮の向こうでしか与えられないということを実感させる作品と演奏。それまでの、束の間の安息。
ミューザの空間を大いに活用し、合唱はP席、ソプラノ歌手はその上のオルガン下手。テノールとバリトン、小オーケストラは舞台上手手前にいて、視覚的にも音響的にもメインオケと画然と区別。児童合唱は四階R1席の外の廊下あたりから神秘的に降ってくる。ミューザの澄んで豊かな音響が今日も威力を発揮。
七月二十日(日)芥川也寸志生誕百年
強い日差しの中、投票を先週すませておいてよかったとあらためて思いつつ、王子の北とぴあへ。オーケストラ・トリプティーク主催の「芥川也寸志生誕100年記念コンサート」。
交響管絃楽のための前奏曲(一九四七)
交響管絃楽のための音楽(一九五〇)
交響三章(トリニタ・シンフォニカ)(一九四八)
『いのち』(一九八八)
映画版組曲『八つ墓村』より(一九七七)
アレグロ・オスティナート(一九八六・交響組曲「東京」 より)
指揮:藤岡幸夫
演奏:オーケストラ・トリプティーク
混声合唱:生誕100年記念合唱団
昭和と同い年の芥川(三島由紀夫と一緒、ちなみに明治と同い年がトスカニーニ)の、前半は敗戦後、占領下の時代の初期オーケストラ曲、後半は昭和末期の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時期の作品からなる。中間の高度成長から赤軍派暴走にかけての時代、前衛音楽全盛期が抜けているのが興味深い。
上野時代の習作で生前には演奏されることなく、プロオケによる演奏は今回が初めてという前奏曲、第二作となる交響三章、出世作となった『交響管絃楽のための音楽』、いずれも伊福部昭の影響が濃厚。藤岡の見事なドライヴで三曲とも最後が強烈に盛りあがる。
しかし後半の『八つ墓村』を聴くと、語法も音色もはるかに多彩で、豊かさと深みを増していることを痛感。進駐軍時代の三曲はいかにもモノクロームで、当時の日本のオケの音、あるいはSPやラジオの音が、書法そのものに反映されていたように思う。
『八つ墓村』は本人が「自分の映画音楽における総決算」と述べたというにふさわしい充実ぶりで、もっとも感銘を受けた。「惨劇・32人殺し」の陰惨な迫力、「道行のテーマ」のロマン。「落武者のテーマ」は、燃える多治見家を山の稜線から見下ろして笑う、落武者たちの亡霊が見えるような。
遺作となった《いのち》は、日蓮宗系の本門佛立宗の委嘱によるもの。戦後昭和の宗教法人の力を思い出す。
FM東京の委嘱で外山、三枝、石井眞木と共作した交響組曲《東京》終楽章 は、せわしなくけたたましい、まさにエコノミック・アニマルがウサギ小屋に住んで休みなく働き、銀座や赤坂で飲み食いしていた時代の東京という感じ。まさしく昭和の空気とともにあった人だと、あらためて。
この企画を実現、失われていた『八つ墓村』の自筆譜を見つけ出し、音として聴かせてくれた、企画プロデューサーの西耕一さんに、深く感謝。
七月二十七日(日)《ルクレツィア》
新国立劇場の中劇場で、オペラストゥディオ(オペラ研修所)のサマー・リサイタル。
ヴォルフ=フェラーリの《スザンナの秘密》とレスピーギの《ルクレツィア》という、二十世紀の一時間ほどの一幕物を二本立てにしたもの。
一九三七年初演のレスピーギの遺作、《ルクレツィア》は知らなかったので、ピアノ伴奏でも嬉しかった。『ローマ建国史』によるもので、題材と物語は一九四六年初演のブリテンの歌劇《ルクレティアの陵辱》と同じ。ブリテンは一九三一年初演のアンドレ・オベイ作のフランスの戯曲に基づいているそうだが、あるいはレスピーギも同じか。
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