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八月一日(金)嗚呼蒲田駅
東急多摩川線の矢口渡駅付近から京急線の京急蒲田駅付近までの〇・八kmをつなぐ「新空港線」計画。矢口渡駅と蒲田駅の間で地下に潜って、京急蒲田駅まで行く(東急と京急は線路幅が違うために羽田までの直通化は無理)。
東急の蒲田駅と京急の蒲田駅は、JRの蒲田駅を合間にはさんで、けっこう距離がある。自分は小学生の頃、京急手前の商店街のアーケード内にあった模型屋が好きだった。家の近所では売っていない、ロコというオーストリアの模型メーカー製の戦車などを扱っていたからだ。土日に一人で買いに行くとき、東急蒲田駅から歩いていくのが楽しみだった。子供の足ではけっこうあったが、モノに釣られているからなんとも思わなかった。
この二つの駅を結ぶ八百メートルの超ミニ新線といいながら、多摩川線の様子は大きく変わる。東急蒲田駅は地下化して大型化されるのだろうから、現在の櫛形ホームはとうとう消滅。「蒲蒲線」ならぬ「新空港線」は東横線にも乗り入れて、それは八両編成になるという(三両編成と併用)。
昔ながらののんびりした三両編成の東急線は、いよいよ池上線だけになる。まあ開業は十五年ぐらい先が目標というから、自分が電車に乗って動いている間は今のままだろう。
八月二日(土)軍歌とドリフ
旧東京音楽学校奏楽堂にて、洋楽文化史研究会の創立25周年記念演奏会「見よ東海の空明けて‐敗戦80年に問う戦時期の音楽‐」。
日中戦争からアジア・太平洋戦争にかけての戦時に日本で歌われた、さまざまな音楽。《見よ東海の空明けて》《暁に祈る》《英霊讃歌‐山本元帥に捧ぐ》など、当時の録音でも聴けるが、生の歌として聴くことは、やはり特別の意味と力がある。《月月火水木金金》とか《空の新兵》とか《轟沈》とか、自分が子供のころさんざん聴いて歌っていた、いわゆる「軍歌」も懐かしかった。
一方、こうした威勢のいい「建前」ではない、銃後の「本音」がかいま見える浪曲《唄入り観音経》、さらに《軍隊小唄》や《海軍小唄》のような、内務省警保局が名づけるところの「不穏歌謡」も取りあげられた。
詳しくは某誌に書く予定だが、それとは別にごく個人的なこととして、《軍隊小唄》や《海軍小唄》のような「不穏歌謡」に自分が昔から親しんでいるのは、いったいなぜなのかと考えてみたら、初期のザ・ドリフターズが得意にしていたナンバーだったからだと思い出した。
《ズンドコ節(海軍小唄)》や《ほんとにほんとにご苦労さん(軍隊小唄)》とか《可愛いスーチャン》とか。このへんはテレビでも長く歌っていたはず。
ドリフの源流としての「不穏歌謡」。新作を歌うクレイジーキャッツの都会的カラーに対し、おなじみの旋律の替え歌を得意とし、祭りの装束が似合っていたドリフ。このテーマは、いろいろ広がっていきそうな気もして、退屈の虫が騒ぎだす感じもする(笑)、
八月六日(水)カレーは飲み物
おかげさまで六十有余年、首から下はきわめて健康に過ごさせていただいているのだが、頭と目と歯は、子供の頃からかなり悪い。
で、ここ数日歯が痛い。かかりつけの先生が春に廃業してしまったので、どこか新たに探すにしても痛みが少し治まってからにしようと我慢していたが、レタスやキャベツを噛むだけでも響くので、なかなか食べ物に苦労。
こういうとき、つくづく納得するのが「カレーは飲み物」。
カレーなら流し込める。まあ丸呑みは胃腸に悪いので、口の中でできるだけ味わってから。
八月七日(木)三~四度の差
フェスタミューザで太田弦指揮九州交響楽団演奏会。詳しくは「音楽の友」に書くが、とても気持のいいコンサート。まだ三十一歳のこの指揮者は、いつも幸せな気持にしてくれる。
それにしても、最高気温が三十六度から三十三度あるいは三十二度になるだけで、こんなに生きるのが楽になるのか。日が陰った夕方なら、長袖シャツにジャケット姿で川崎までなんてことなく行けた(五日夜のトッパンホールはとても無理だった)。昔は三十三度なんて、聞いただけでゲンナリしていたのに。
川崎のほうが空気が重くないという差があるにせよ、三~四度の差が体感的にこんなに大きいなら、逆にそのぶん増えた四十度以上とかは、いったいどんな生活環境なのか……。
八月八日(金)なんと鮮らかな日没
午後は観世能楽堂で、能 狂言『日出処の天子』。
『鬼滅の刃』を新作「能 狂言」として舞台化し、大成功している野村萬斎。新たに挑んだのが、山岸凉子の往年の名作マンガ『日出処の天子』の舞台化。
『鬼滅の刃』の舞台は映画同様に若いファンが殺到してとても買えそうにないし、原作も未読なので観る気にならなかった。しかし山岸凉子は昔から大好きな漫画家で、この作品も一九八〇年代後半に愛読したものだから、萬斎の現在の挑戦がどんなものなのかを知るにはちょうどよいかもと、申し込んでみた。
四日間七公演が即完売という人気ぶりは『鬼滅の刃』同様だが、競争率は『鬼滅の刃』よりは高くないはずと考え、ダメ元で先行抽選に応募したら、運良く当たった(外れた知人も多かったので、競争率は低くはなかったようだ)。イマドキの転売防止策で、発券するまで席の場所もわからないというものだったが、脇正面ながら橋掛りの直近という、素晴らしい席。ラッキーだった。
舞台は中央に建屋風の作り物。夢殿を半分に切ったような半透明の衝立があって、スクリーンの役をする。原作での夢殿の役割を思い出してニヤリ。
ストーリーは原作全体を二時間にコンパクトにまとめたもの。多数の場面を迅速な転換で無駄なく簡素に進めていくあたりは、シェイクスピア時代のイギリスの劇場の上演法を想わせる。そこに狂言や能の約束事をうまく仕込んでいる。簡単にいえば狂言方は狂言方、シテ方はシテ方、ワキ方はワキ方、囃子方は囃子方の方法論で演じていて、たしかにこれは「能 狂言」。
その一方、通常の能の地謡やツレではなく、コロスとしているのが萬斎流の新工夫。地謡だと舞台の外にいて演技には参加できないし、ツレが地謡になることはできないが、コロスならどちらも兼ねられる。このあたりは室町~戦国期までは適当にやりくりしていたはずで、萬斎の試みは、能楽を徳川時代の固定された「武家の式楽」より前の、もっと自由で現場主義的な芝居だった時代に戻すという意義も持っているのかもしれない。
第一線で活躍している能楽師ばかりだから、基本を踏み外すことはない。それでいて、能楽に馴れない人にも親しめるように、きっかけになるように作ってある。好評の理由がよくわかった。
原作を最後に読んだのは三十年以上前なので、「そういえば、たしかにこんな場面あったなあ…」と細部を思いだしながら観ていた。ところが面白いことにラストが近づくにつれ、この公演では扱われていない原作の続篇、『馬屋古女王』(うまやこのひめみこ)の物語世界が自分の脳内にぐんぐん甦ってきて、二重写しのように舞台に重なった。
厩戸王子役の萬斎には馬屋古女王の狂気の影が重なり、蘇我毛人役の福王和幸には山背大兄王の虚無の影が重なり、舞台があの頽廃的で滅びの予感に満ちた、炎のような夕陽に照らされた斑鳩宮のように見えてくる。
最後は、ここにはいない蘇我入鹿の、「なんと鮮らかな日没」という、物語全体をしめくくる見事なセリフを、自分のなかで勝手に聴いていた。この二作のつながりを、台本の見崎可奈も構成・演出の萬斎も意識しているからなのだろう、きっと。
十二月の再演も既に完売という。上から目線でないものねだりやあら探しをするのは簡単だろうが、自分はそういうことに興味がない。新作歌舞伎の中で再演を重ねる作品が出てきているように、能楽にも出てきてほしい。萬斎の挑戦をこれからも見たい(あくまでも、チケットが首尾よく買えたときは、の話だが)。
八月十二日(火)慰霊堂のレクイエム
十一時から横網の東京都慰霊堂で
「After80~すみだ発 平和の橋を音楽で繋ぐプロジェクト すみだ平和祈念音楽祭2025 東京都慰霊堂特別演奏会」
佐渡裕と新日本フィル、栗友会合唱団などがフォーレのレクイエムを演奏。
東京都慰霊堂のある横網町公園は、かつて「被服廠跡」と呼ばれた場所。一九二三年の関東大震災でここに避難していた人々が火災旋風に襲われ、三万八千人が死亡したという。五万八千柱の身元不明の遺骨を納めて、七年後に建てられたのが震災記念堂。
外観は仏教風だが、講堂内部は西洋のバシリカ様式、後方の三重の塔は唐・天竺風になっている。東京大空襲を耐え抜き、一九四八年に東京都慰霊堂と改称。空襲で亡くなった身元不明の遺骨も加えて、現在は十六万三千柱が安置されているという。
一九四五年から八十年。東京西郊に育った自分は、今まで訪れたことがなかった。入ると香炉があるので線香をたてて合掌。このあたりは仏教式で、聴く音楽はキリスト教のレクイエム。奇妙といえば奇妙だが、排他的独善による宗教や宗派の対立がどれほどの不幸を人類にもたらしているかを思えば、この真剣ないい加減さこそが大切に思える。
今夏のレクイエムは、七月のブリテンの戦争レクイエムに続いて二曲目だが、空襲で破壊された大聖堂の再建を記念するあの曲が、少なくとも半分、ひょっとしたら全曲が〈怒りの日〉でてできているみたいな感じがあるのに対し、フォーレは〈怒りの日〉を省略している。〈リベラ・メ〉のなかで予感のように響くだけ。それが、震災や空襲で名前を奪われたままの死者たちを祀る慰霊堂に響く。
日差しを恐れて十四時ではなく十一時開演を選び、JRよりも近い大江戸線の両国駅から行ったが、意外にも曇り空で歩きやすい気候。
帰路はJRの駅に向かうことにし、安田庭園(かつてはその一角に両国公会堂があった)や、一九二九年落成、築九十六年のJRの駅舎を見て帰る。
八月十五日(金)SF地獄篇
新国立劇場で観た《ナターシャ》について、今の日本なら「SNS地獄」が加わるだろうし、数年後にはきっと「AI地獄」も出現するのだろうなどとあれこれ考えつつ、『インフェルノ‐SF地獄篇‐』(ラリー・ニーヴン&ジェリー・パーネル/小隅黎訳/創元推理文庫)を四十年ぶりぐらいに読みかえす。
原著が一九七六年刊で邦訳は七八年。現代(今から半世紀前)のアメリカのSF作家が、ダンテが描いたのとよく似た地獄を降りていくという小説。当然《ナターシャ》と響きあう要素がある。
初めて読んだのは高一か高二か。面白くて何度も読みかえした。加藤直之が描いたドレの版画風の表紙にも惹かれた。二月に閉店した自由が丘の不二屋書店で一九七八年に買ったもの。
八月二十日(水)夏の夜の夢
松本のOMFでブリテンの歌劇《夏の夜の夢》。歌手、舞台、オケ、三拍子そろった楽しくて素晴らしい公演。大傑作のメンデルスゾーンの劇音楽の向こうを張って、あえてオペラ化に挑んだブリテンの、意気に感じたような公演。
イギリス人がシェイクスピアをオペラ化するのは、ドイツ人がゲーテをオペラ化するのと同じくらい難しいのかもしれない。それを果敢にやってのけた。ちょうどアルフレッド・デラーの出現でカウンターテナーが復活したこととか、いろんなことが霊感をもたらしたのだろうなどと考える。
没後五十年を来年に控え、前夜祭のようにブリテンのよい公演が続く。五月の新国立劇場の《オペラを作ろう──小さな煙突掃除》、七月のノット東響の《戦争レクイエム》、そしてこのオペラと、みな児童合唱が活躍するのが面白い。
公演の前にはおきな堂で昼食。昨年、隣のみゆき堂で食べたケーキが絶品だったので、今年もデザートはそちらにするつもりだったが、あいにく水曜定休日。ということでおきな堂で「ブルーベリーのバニラアイス」を食したが、これも美味。松本はFIVEHORN(料理も素晴らしかったのに、パルコ閉店でお菓子のみになってしまった)とか、デザートが美味しい店が多いので困る(笑)。
オペラは十七時からで、休憩は十八時半過ぎ。外に出てみると大好きな「信州の夕暮れ」だったので、これも嬉しかった。夕闇迫る空を、西から来たたくさんの鳥たちが東の山へと、鳴きながら飛んで帰ってゆく。こういう場面は現代の東京ではなかなか見られないので、感動しました。そして舞台に戻ればまた、青い月の照らす夜の世界。
八月二十一日(木)姨捨山から
松本泊の翌日は早起きして、長野駅に向かう篠ノ井線の鈍行に乗る。姨捨駅で途中下車して、次の長野行きまでの一時間に駅周辺を見学。この駅は北川景子主演の四月期の連ドラ『あなたを奪ったその日から』の最終回に登場したので、駅舎には北川と大森南朋の直筆サインが。
自分も偶然その場面を見ていたが、それに触発されて来たのではない(笑)。この駅に来るほとんどの旅行客はスイッチバック見学が目的の鉄者だが、自分はそれでもない。
能の傑作『姨捨』の舞台なので、景色をゆっくり見たかった。いわゆる「姥捨山」の話と、古今集の「わが心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」の古歌を組み合わせたもの。
姥が岩に転じたという姥石も見に行きたかったが、かなり山をくだらねばならず、酷暑の昼間なので断念。
しかし周辺の見当はついたので、今度は午後の公演のあとにでも、夜来るようにしたい。そして千曲川沿いの夜景(駅舎に写真があった)と、棚田それぞれに月が映るという、水面と天空の月を見ながら、自分の心をもてあましてみたい。
ただ、最近は人里まで熊が出没するのが日本のどこでも当然なので、駅舎内にいないと危険そう。
昼前に長野駅へ着いたので野菜天ぷら蕎麦を食い、新幹線で大宮へ。トレインデスクという仕事や読書優先で静かに、私語は控えるという車両を選んでみた。騒ぐ酔漢や子供がいなくて快適。
……と思ったのも束の間、後方のおっさんが世にも汚い響きでいびきをかきはじめた。私語のない静かな車内に、いびきだけがバカでかく、いぎたなく響く。みんな無言で、じっと聞いている。いびきというのも私語の一種なんじゃないかとか、そんなことを考えながら耐える。高崎で降りてくれて助かった。
十四時過ぎに自宅に帰り着くと、大急ぎでシャワーを浴びて着替えて、浜離宮朝日ホールでヴァイオリンの佐藤俊介さんにインタビュー。
いちど話を伺ってみたかったので楽しかった。十月のベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲チクルスもますます楽しみ。
そのあとは夕飯を食べながら時間をつぶし、夜はサントリーホールで「落合陽一×日本フィルプロジェクトVOL.9 東京公演《null²する音楽会》」へ。
今回は万博での公演も控えているためか、式に広上淳一が登場する豪華版。音楽的な充実度がグンと上がった。曲目は大半が日本の作曲家の作品。前半は團伊玖磨の祝典行進曲に始まり、武満徹、林光、菅野祐悟、久石譲、坂本龍一が映画やテレビのために書いた曲が続く。
この音楽会では、生成AIを駆使した映像が生演奏と組み合わされるのが特徴になっている。第一回ではステージ上に吊るされた小さいスクリーンに、抽象的な映像が映るだけだったが、最近の猛烈な技術的革新と普及により、スクリーンはかなりの大型となり、映像もより具体的で、凄まじい情報量を持っている。
しかしそれだけに、ある種の気味悪さというか、ノリきれないものを感じた。
ご成婚を祝うための祝典行進曲には、昭和の高度成長を象徴するように、テレビに冷蔵庫、洗濯機の「三種の神器」などの家電製品をモノクロで映す映像がつく。当時の家電のCMはメーカーごとに特定の男性司会者が「顔」になっていたが、そのうちのナショナルの泉大介らしき顔や、はしゃぐ女性や子供の顔なども映る。
しかしその製品も人の顔も、いかにも本物のモノクロ写真のようで、しかし現実には存在しない作り物。著作権侵害を避けるために、AIが巧妙にでっち上げたものなのだ。それを見ているうちに、とても居心地が悪くなった。
あくまで個人の感想で一般論ではないが、絵画やマンガのような絵なら作り物でも気にならないのに、リアルな写真風の偽物というのは、なぜか気味が悪い。
後半の藤倉大の新作《Water Mirror》は、狂言の『御田』と能の『野守』にオーケストラで音を加えるというもの。
この『野守』に出てくるのは、天界と地獄の幻影を映し出す鏡である。落合がこの曲をわざわざ選んだというあたり、AI映像の善悪の両面性を象徴させているようで、興味深い。何かを創ると同時に何かを壊す。何かをもたらすと同時に何かを奪う。もちろん、あらゆるテクノロジーがそうなのだが、AIは人間の精神活動に直に入り込む。
AIの便利さはそのまま地獄になる。さまざまな意味の地獄。《ナターシャ》にあるべき現代の地獄。
初期の抽象的な映像は、なんとかわいいものだったことか。どんどん怪物化しつつあるAIと、それが稼働するための莫大な電力。それらが、基本的に人力だけで音楽を奏でるオーケストラと協働しているのが、この音楽会の面白さ。
八月三十一日(日)挑戦と継承
国立能楽堂で「亀井忠雄三回忌追善 第十一回 広忠の会」を観る。
葛野流大鼓方十五世家元の亀井広忠主催の会で、二年前の六月に亡くなった広忠の父、人間国宝の忠雄の追善公演。忠雄は大鼓方の名実ともに頂点に立つ人だっただけに、シテ方の観世流を中心に、日本を代表する能楽師たちが顔をそろえる。もちろん完売。
観世清和の『江口 平調返 流八頭』と観世喜正の『道成寺』という能二番を柱として、大槻文藏などの一調七番と友枝昭世の舞囃子。休憩二回を含めて六時間強の長丁場だったが、中身が充実しているからか、不思議と疲れない。
とりわけ、喜正の『道成寺』が素晴らしかった。追善の意味を強く込めた『江口』に対し、働き盛りと次代を担う若手によるこちらは、プログラムに広忠が書くとおり「師父への挑戦と継承」。
喜正のこの能を観るのは五年ぶり二度目。今回も舞台に惹きつける凝集力が圧倒的。乱拍子もその前後も、手に汗にぎらせる緊張感。
今回のシテは、妄執にとらわれていることを自覚しながらどうすることもできず、妄執の炎で自らを焼いて苦しむ、哀しい女だった。
小走りに入ってきた橋掛りで立ち止まり、視界に入ってきた「あの鐘」をじっと見つめるその姿、その横顔。
鐘の中の暗闇にたどりついたとき、彼女は自らが愛し、殺した男のことを思い出していたのだろうか。
鐘が上がって現れた彼女の姿は、恐ろしいよりも哀しく、痛々しい。おぞましいのは外見ではなく、自らの心の炎。僧たちと争いながら、彼女は何度も何度も「あの鐘」を見上げ、ついに力尽き、去っていく。
それにしても、世阿弥的な複式夢幻能の美学や芸術性とはまったく別の世界なのに、しかし能でしかありえない魅力に満ち満ちた『道成寺』というのは、ほんとうに異形の傑作だと、今回も納得。
広忠はもちろんのこと、シテ以外もみな気魄にみちて、素晴らしかった。少なくとも一年に一回は『道成寺』をナマで観たいと思いながら、今年も無理かもと思っていたが、運良くこの舞台に気がついた。ほんとうによかった。
二年前の六月、観世能楽堂に大槻文藏の『頼政』を観に行ったら、「亀井忠雄休演、広忠が代役」とあった。なぜかひどく重苦しい、暗い影に包んだような舞台だなあと思った数日後、その前日に忠雄が亡くなっていたというニュースで、あの影の正体を知った。そのときのことはよく覚えている。文字どおりの「ザ・ショウ・マスト・ゴー・オン」だったのだが、どうにもならなかったのだろう。
あれから二年。「師父への挑戦と継承」をくり返して、能は明日へと生き続ける。そう感じさせてくれた一日。
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