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九月二日(火)そして私は叫ぼう
E vo gridando: pace! E vo gridando: amor!
そして私は叫ぼう 平和を! そして私は叫ぼう 愛を!
いよいよ始まったムーティの「イタリア・オペラ・アカデミーin東京vol.5《シモン・ボッカネグラ》」
この日は東京音大の中目黒校舎でムーティによる作品解説。解説といってもここ数年は、最初に作品について少し話したあと、オーケストラと日本人歌手を指揮して、レッスンしつつ作品の聞きどころを演奏するスタイルをとっている。
プログラムを見ると、タイトルは日本語では「作品解説」とあるが、英語では「コンサート‐レッスン(ウィズ・ジ・オーケストラ・アンド・シンガーズ」とある。コンサート‐レッスン。このほうが当日の内容を的確に表現している。
ムーティはこれまでこの作品についてわずかしか語っていないが、今回のアカデミーではたっぷり聞けそうで楽しみ。
特に印象に残ったことをいくつか。
・初版はイタリアの再統一が始まる前の1857年の時点で、あえてイタリア全体のまとまりを訴えるものだった。つまりとても危険な、勇気ある作品であったこと。平和と愛を希求するオペラ。
・美しい音楽に満ちた作品であるのに、肝心の主役シモン=総督にはアリアがない。この役はモンテヴェルディの歌劇の登場人物のように、朗唱されるものであること。ここでモンテヴェルディの名が出るあたり、思わず膝を打つ。
・導入部やアメーリアのアリアの前の音楽は、海そのものを描いていること。前者冒頭のコントラバスは、海底の潮の流れのように。後者冒頭のピッコロは、波のきらめき。そのほか、特にチェロ、そしてヴィオラのパートを重視。
・ヴァイオリンには「歌って! イン・テンポで!」。歌ってもテンポを遅くしてはいけない。また歌手の歌い終わりでの、楽譜にないリタルダンドやクレッシェンドを厳しくたしなめる。
・一幕のアメーリアと総督の二重唱、総督の最後の「フィーリア!」はファルセットで歌うこと。
・終幕の総督とフィエスコの二重唱は、ヴェルディが書いた百を超すさまざまな二重唱のなかで、この低い男声による二重唱こそが、最も美しいものだと思っていること。ここでの木管は、男の涙。
とにかく、指揮しているうちにこんこんとわきだす、無限のエネルギーと、音楽への情熱と愛の強さに圧倒される(アカデミーが毎年始まるたびに!)。オーケストラも歌手も聴衆も、そのパッションに巻き込まれていくだけ。
そして、ヴェルディの書いたオーケストラがどれほど生彩に富んだものであるかが、耳と脳にたたき込まれてくる。しかもこれはオーケストラとの初顔合わせに過ぎない。これから二週間で、オーケストラが見違えるような「ヴェルディの音」を出すようになる、そのさまに今年も立ち会える喜び。
フィエスコがアブドラザコフからペルトゥージに交代のニュース。残念ではあるけれど、代役がペルトゥージというのは、また別の楽しみ。
それにしても、この「ムーティの二週間」のまっただなかに、高関健指揮東京シティ・フィルの《ドン・カルロ》演奏会形式と、藤原歌劇団の阿部加奈子指揮《椿姫》があって、九月前半はさながらヴェルディ週間。
去年も、ムーティの《アッティラ》とチョン・ミョンフンの《マクベス》が重なったヴェルディ週間で、好悪の問題とは別に、ヴェルディの作風の変化や演奏スタイルについて、すごく考えさせられた。今年もそうなるか……。
九月七日(日)ムーティ怒る
昼は五日に続き雑司ヶ谷の東京音大のムーティのアカデミーを聴講。
チェロが六人のうち四人しか来ていないことにムーティが途中で気がついた。「今日は休みです」と首席が答えると、運営に対して「なぜ事前に教えない!」と怒りだした。「ベルゴーニャ!(恥を知れ!)」なんて言葉は、トスカニーニのリハーサル録音でしか聞いたことがなかったので驚いた。
「真剣にやっているのか。自分は八十過ぎでもう二十歳じゃない。こんなことでは困る」。
今年は人数の確保が難しかったようだが、ひとつながりのリハーサルと思ってムーティは教えているのに、人が変わったり抜けたりでは意味がない。
こんなに怒ったムーティを見たのは、昔自分がやったインタビューで、「リハではトスカニーニみたいに怒鳴ったりしないんですね」と軽い気持で聞いたら、「トスカニーニが怒るのは正当な理由があるときだけだ。無意味に怒鳴るわけじゃない」と目の色が変わった瞬間以来。あのときの恐怖が自分のなかで甦って、懐かしいというかなんというか(笑)。
やがてアカデミーを再会したものの、「チェロが足りないなら、チェロが強調されるときは他の弦は音を抑えなきゃいけない。そんなことをわざわざ言わなければならないなんて、六十年間やってきて初めてだ」などと、感情を抑えかねた言葉が次々に出る。
できないことをやらせようとして、理不尽に怒る人ではない。できるのにやらないことを嫌う。まさしく「怒るのは正当な理由があるときだけ」だった。
九月十一日(金)来年の日本フィル
杉並公会堂で、日本フィルの七十周年記者懇談会。新理事長の挨拶、来年六月の七十周年記念特別演奏会《千人の交響曲》など来年度の内容発表ほか。
いま、在京オーケストラのなかでも一番ノッているように思える日本フィル。その状態のよさを証明するように、来シーズンは首席のカーチュン・ウォンはじめ、これまでゆかりの深い人を中心に、興味深い指揮者たちが顔を揃え、多数の興味深い曲目を取りあげる。
カーチュンはマーラー編曲版《合唱》に《千人》、中国の民族楽器を加えた自身編曲の《展覧会の絵》、ブル八など。他に自ら強く希望したというフルトヴェングラーの二番を振るパパ・ヤルヴィ、ラザレフ、インキネン、コバケン、広上にヤマカズ、沖澤、阪哲朗などなど。
自分が生まれて初めて聴いた《千人》は一九八一年の渡邉暁雄指揮日本フィルだったので、それから四十五年ぶりということになる。それにしても十一月の群響、二月の都響と合わせて、七か月に三千人。
帰りは中央線に一駅だけ乗って阿佐ヶ谷で降り、駅前から南に伸びる商店街、パールセンターを歩く。大学一年と二年の夏、ここの有名な七夕祭りの警備のバイトをしたのだった。アーケードは昔のままだし、建物は四十四年前と同じものもけっこう残っているが、テナントはかなり変わっている。長い商店街を南に五百メートル行くと青梅街道にぶつかり、丸ノ内線の南阿佐ケ谷駅から帰宅。
晴れていたのに、帰り着いたらとたんに土砂降り。運がよかった。生まれ故郷の緑が丘と自由が丘駅付近が凄まじい雨で、子供のころから通っていたおもちゃ屋マミーが浸水したらしい。驚き。
夜は東京音大で若者たちの《シモン・ボッカネグラ》を聴くべく、副都心線の雑司ヶ谷へ。
行きは少し遅れている程度だったが、帰りは西早稲田駅に着いたところで、渋谷から先の東横線が渋滞のため、ここで二十分ほど停車。空いていて座れたし、人の多い駅ではないからストレスはなかったけれど、混んでいる駅ならきつかったろう。副都心線は私鉄との接続距離が長いだけに、影響が出やすい。どうにか帰宅。
九月十二日(金)八十六年前
午後はすみだトリフォニーで、スピノジ指揮新日本フィル。スピノジは二〇一〇年から二〇一五年まで、毎年のように客演するのを聴いて楽しんでいたが、その後は機会がなく、十年ぶりの実演。
十年前同様に楽しかった。いろいろと仕掛けたヴィヴァルディの《四季》に始まり、ロッシーニ、ベッリーニ、ヴェルディ、プッチーニと、フレンチの華やかさをまぶしたイタリアン。ヴェルディ週間の合間に聴けたので、いろいろと考えさせられるところもあり。これも「東京勝手にツィクルス」の面白さ。
帰宅後は予習も兼ねて、パニッツァ指揮メトの《シモン・ボッカネグラ》。一九三九年録音。トスカニーニもムーティも録音していないので、「トスカニーニ・スクール」の指揮者の演奏は、このパニッツァ盤だけ。
キャストも当時のメトのスターが勢ぞろい。ティベット、ピンツァ、レートベルク、マルティネッリ。パオロを若き日のウォレンが歌っているのも楽しい(十年ほど後にはかれがシモンを歌う)。さすがに千両役者ばかりの歌。終幕のティベットとピンツァの二重唱なんて、本当にお見事。ティベットの「そして私は叫ぼう 平和を!」も、ゾクゾクするような迫力。
このオールスター・キャストにひかれて、ロココのLPを一九八二年頃買ったのが、パニッツァとの邂逅だった。「知らない指揮者なのに、なんかすごくいい指揮のような気がする」と思ったのが、今に続く始まり。四十年後の今、髪が真っ白になってから聴いても、その絶妙の呼吸感とドラマ、やはり変わらずに素晴らしい。
ムーティが師と仰ぐヴォット、そのヴォットをスカラ座のスタッフに加えるようにトスカニーニに推挙したのがパニッツァだったという。こうして人と人が、はるかにつながっている。
CDは手元に二種あるが、MYTO盤が断然素晴らしい。MELODRAM盤は音が割れて騒々しい上に、盤面切り替えの隙間みたいな無音がたくさんある。MYTO盤ははるかに聴きやすく、主役が同じ一九三五年ライヴの一部(全曲も存在するはず)があるのもありがたい。これが三九年録音よりも柔らかく俊敏な演奏で、別の魅力があるのが嬉しい。
一九三九年の今を生きる人々の録音を楽しんでから、二〇二五年の今を生きる人々の公演へ。それぞれの時空とともにある幸福。ともあれ十五日が楽しみ。
九月十三日(土)どうでもいい話
マエストロに耳からたたき込まれたため、《シモン・ボッカネグラ》の「エ・ヴォ・グリダ~ンド、パ~チェ…」の音型が何度も脳内で反復され、気がつくと口ずさんでいたりする。困るのはいつのまにか「エンツォ・グリマ~ルド、パ~チェ…」と歌っていたりすること。
それはポンキエッリの《ラ・ジョコンダ》や!と自分でノリツッコミしつつ、シモンのあの部分がボーイトの改作ならば、両方ともボーイトが書いたものになるなあ、ボーイトはこういう調子の響きが好きだったのかも、などと考える。
九月十四日(日)ここにHMVありき
十一時から東京芸術劇場でサラダ音楽祭のコンサート「OK!オーケストラ〜〇歳から入場OK!」。
サラダ音楽祭のメインコンサートは毎年のように聴いているが、こちらは来たことがなかったので聴いてみたかった。大野和士指揮の東京都交響楽団が、コンサートマスターの矢部達哉以下ベストメンバーをそろえて、〇歳からの子供たちと保護者たちの前で、泣き声やらイヤイヤ期の絶叫やらが客席のあちこちから響くなか、一時間本気で演奏するもの。
客席から選ばれた二人の子供がラデツキーを指揮したりする部分もある。どんなに豪華な体験をしたか、大人になってから気がつくといいなあ、などと思いながら楽しむ。
改修を終えた芸劇は去年の九月以来、まさに一年ぶり。鮮明になった気はするが、それほど印象は変わらない。これからはここに来る機会がまた増える。上野が休館したら、特にそうなりそう。
午後の上野での二期会の《さまよえるオランダ人》まで時間があったので、メトロポリタンプラザ六階の、かつてHMV池袋店のクラシック売場があったところに行ってみようと思いたつ。
ところがメトロポリタンプラザそのものがない。二〇一〇年にルミネに変わっていたのだ。そこには二〇一五年までHMVがあったから、消えてもう十年たっていることになる。六階だがエスカレーターでもあっというまに着く。フロアの高さが意外なくらいに低いため。
奥のエービーシーマートとタリーズコーヒーが今あるあたりだと思うが、あまり面影はない。それよりも、その脇のビショップというブティックの売場の角が三角形に切り欠かれているのを見て、そうだ、HMVも角が欠けていて、そこに入口があったと思い出した。
脇の通路を歩きながら、奥のオペラ売場は一段高くなっていたっけ、などと考える。一九九二年にオープンしてから数年間、毎週のようにここを訪れたのだった。CDの袋を抱え、金井さんに見送られて店を出、前のエレベーターの前に立ったときに何度も味わった、一仕事終わったような感覚が鼻の奥によみがえる。店内で初めてイベントをやらせてもらったのは、三十年前くらいか。一介の客にきっかけをくれた場所。
ここにHMVありき。
二〇〇六年にリニューアルしたときの案内が、HMVのサイトに残っていた。
https://www.hmv.co.jp/news/article/609080059/
九月十五日(月)ムーティの魔法
「ぞんざいに一息に飲んだ。飲んでから、ひどく苦かったような気がした。誰も知るように、栄光の味は苦い」(三島由紀夫『午後の曳航』)
東京春祭《シモン・ボッカネグラ》、圧倒的な公演。
すべての音がドラマを語る。導入部のコントラバス、まさしく海底の潮の流れのように響いて、高音部の波のうねりを明快に支える。毒を飲んだシモンの第三幕の歌の背後には、潮風のそよぎと青い海の波のきらめきが見えるよう。そしてラスト、同じヴェルディのレクイエムの最後に通じる、死者の安息を祈る暗鬱の響き。
ときに衝撃的に、激烈な感情を噴出させながらも、けっして音が汚く割れずに鳴りわたって、いさぎよく消え去る。叩きつけず、俊敏に跳ねる響き。これこそトスカニーニ・スクールのヴェルディの響き(ムーティは今回も、肘ではなく手首で小さく円を描くことでリズムを示すトスカニーニのやり方を、若い指揮者たちに教えようとしていた)。
ヒョイッ、とヴィオラに合図を出すと信じられないほど鮮明に、ヴィオラ・パートの響きが立って浮かびあがる。こういう魔法のような指揮は、演奏会形式だからこそよく見えて、よくわかる。
歌手たちはもちろん、合唱もオケも素晴らしい演奏。例年より頼りなかったオーケストラが、本番ではここまでの音を出すとは、あきれるほど。
こういう演奏を聴くと、作品の姿により触れることができたような気がしてきて、さらにさらに、よく知りたくなる。とりわけ、一八五七年の初演版はどんなものだったのか。ちょうどエルダー指揮の新録音が出たばかりなので、近々に聴いてみるつもり。
去年の《アッティラ》のときも、続けて聴いた東フィルの《マクベス》改訂版との相違が気になり、ビオンディ指揮の《マクベス》の初演版の録音をあらためて聴いてみると、《アッティラ》との類似性がとてもよくわかると同時に、改訂版との相違がより鮮明になって、とても面白かった。
それにしてもシモンの高潔な寛容は、近代的であると同時に、キリスト教の愛の精神そのもののようでもあり。
それは《ドン・カルロ》のロドリーゴにも共通する。しかしそこでは、中世の教会の暗黒面が、崩れゆく肉体の最後の力をふりしぼる。神の正義の名の下に、死神の大鎌を無慈悲に振りまわす大審問官の、老醜と腐臭。
九月二十三日(水)息づく静止
セルリアンタワー能楽堂の定期能。
・能『半蔀(はじとみ)』 関根祥丸
『半蔀』は、一九六〇年に初来日したジャン・ルイ・バローとその一座のために、観世寿夫が舞ったことで知られる作品。
前年に来日したフランス文化使節団が二世梅若万三郎の『熊野』を観たさい、メンバーの彫刻家のザツキンが「死ぬほど退屈した」と発言し話題になった(現代の日本人の大半もそうだろうが)。
そのすぐ翌年の話なので、もっと動きのある能をやりたくなるところだが、寿夫は「せっかくだから、とりわけ動きの少ない『半蔀』をやってやろう」とあえてこの曲を舞った。するとバローは逆に「能の静止は息づいている。死ぬほど感動した」と語って大喜び。寿夫が2年後に第1回日仏演劇交換留学生としてフランスに渡るきっかけとなった。
そんな「ドラマチック」とは対極にある作品らしいので、よほどのシテ方の演能でないと寝てしまうだろうと思い、これまでは機会があっても見送ってきた。そして昨日の祥丸。長く待った甲斐があったと納得できる「静止の美」だった。
九月二十四日(水)コンサート二毛作
今日は昼と夜のコンサート二毛作。浜離宮朝日ホールと王子ホール、歩いて行けるぐらいしか離れていないのだが、十一時半開始と十九時開始、時間が離れているので途中帰宅で二往復。
浜離宮朝日ホールは、意外にもホール初登場の葵トリオ。ドビュッシーのピアノ三重奏曲とチャイコフスキーのピアノ三重奏曲《偉大な芸術家の思い出に》。一見関係なさそうだが、作曲年は二年違いと近く、しかもある女性を通じて間接的につながっているという、じつにうまいプログラム。優美と悲痛というコントラストもいい。特に後者は久しぶりの演奏だそうだが、生の喜びと死の悲嘆、その落差を見事に表現。プログラム解説をやらせていただいたが、その二曲が素晴らしく響いて、快なり快なり。
コンサートの前には、前から気になっていた、浜離宮朝日ホール前にある喫茶店、パンケーキ&フルーツの店「コリント」に入ってみる。フルーツパンケーキを食す。昔風のパンケーキで、口に入れた瞬間に、懐かしさで涙が出そうになった(笑)。次の機会にはサンドイッチを頼んでみよう。
出直した夜は、王子ホールでケラスの無伴奏リサイタル。コダーイがもう、圧倒的な名演。昼夜と、耳もお腹も美味三昧の幸せ。日曜にはパユ、ルサージュとのトリオもあるので、こちらも楽しみ。
九月二十七日(土)東海道四谷往来
二十一~二十七日、ノット東響に始まってノット東響に終わる「東海道オーケストラ勝手にツィクルス週間」。
二十一日、十一時からミューザで東響のモーツァルト・マチネー。今季を十二年間の任期のrevisitと位置づけるノットのリゲティとモーツァルト。前者の微分音をミューザの明快な音響で味わいつつ、これまでノットが聴かせてくれたリゲティ作品を想起。
後半の《ジュピター》も始まってすぐに、オペラの一場面のように雄弁にしゃべる木管群(モーツァルトのオーケストレーションはほんとうに神の恩寵)を聴いて、あの楽しかったダ・ポンテ三部作の上演を思い出す。反復をすべて行なう長い演奏だが、微妙に表情を変えたり間をとったり、反復をやる必然性と必要性をあらためて教えてくれる快演。古典派の作品がこんなに面白いなんて、半世紀前には想像もつかなかった(笑)。
終演後、昼食をとってみなとみらいへ行き、十四時開演のケント・ナガノ指揮読売日本交響楽団演奏会。川崎~横浜だと移動が楽。《グレイト》が響きだした瞬間、そのハーモニーと立体的な骨格の響きに、指揮者の格の高さを思い知る。
ケラスに関根祥丸、葵トリオを聴いているうちに三日が過ぎ、オーケストラとの再会は二十五日、サントリーホールでナガノ指揮読響のマーラー七番。ここでも響きの立派さに感服。一方で、二~四楽章の音型と響きには、《子供の不思議な角笛》歌曲のそれが濃厚に木霊していることをナガノに教えてもらう。これは五、六番や八番以降には感じない要素に思える。この不思議な交響曲をひもとく鍵なのかもしれない。
二十六日、ユロフスキ指揮バイエルン国立管弦楽団。オペラなしのオーケストラ単独での来日は、一九八六年のカルロス・クライバー公演以来なのではあるまいか。《ばらの騎士》組曲で俄然目が覚めたみたいに鳴り出すのを聴いて、やはり歌劇場のオケだなあと思う。ホルンの響きとか、技術の巧拙とは無関係に、日本のオケではまだまだ出せないシュトラウスの音。
二十七日、まず十四時からNHKホールでバンクロフト指揮NHK交響楽団。これはハンプソンが歌う《角笛》歌曲がなんといっても目あて。七十歳の歌手がニュアンスを聴かせるには、NHKホールはあまりにも巨大すぎる。しかし、自分にとってはバーンスタイン指揮イスラエル・フィルのマーラー九番の思い出がいまも強烈なこのホールで、バーンスタインとマーラーの歌曲集を共演・録音した歌手をいま聴けるというのは、格別の感慨あり。バーンスタインと共演した経験をもつ現役の歌手はもうほとんどいないだろう。
そしてバーンスタインと録音した《亡き子》や《さすらう若人》や《リュッケルト》ではなく、録音していない、主催者にとっては売りにくそうな《角笛》をあえてやるというのも興味深い。選曲と曲順はさらに興味深い。
遠くの恋人が戻ることを願う娘が主人公の《ラインの伝説》、戦死した兵士の幽霊が遠くの恋人の家を訪ねる《トランペットが美しく鳴り響くところ》、子供が飢えて死ぬ《浮世の生活》、悲惨な死に方をした聖人たちが幸福な死後を送る《天上の生活》、苦難の中にかすかな神の光を求める《原光》。
二曲目と四曲目が、それぞれ一曲目と三曲目への返歌になっている。戦争と飢餓の悲惨と、ひたすらな祈り。否応なく現代世界の状況を連想させる、古い歌。改宗ユダヤ人が作った歌。アンコールはずばり、《誰がこの歌を作ったの?》。
バーンスタインがいま生きていたら、アメリカとイスラエルとウクライナ(母国と先祖の地と父の出身地)に対して何を思うのだろう、などとも考える。
続いて十八時からはサントリーホールでノット東響によるマタイ受難曲。《天上の生活》からさかのぼってこの曲へ行くという玄妙さ。約五十人のオケと百二十人の合唱。
大編成のモダン・オケで聴くのは、東京芸術劇場での二〇一六年のトマス教会合唱団とゲヴァントハウス管以来だと、聴きながら気づく。その後はBCJとアントネッロ、合計で三十~五十人のピリオド演奏でしか聴いていない。
そうだ、大編成だとマタイはこんな感じになるんだ、と甦ってきた記憶と今が重なる。集中力の高い、キビキビと引き締まった親密なドラマの代りに、より壮大に音が伸びて広がり、そのぶん小回りが利かず長く感じる、大集団の音楽。精鋭の小集団ではなく、プロとアマチュアが混ざった、近代市民社会型の大オラトリオ(暗譜で歌いきった東響コーラスは素晴らしい)。
休憩抜きで百八十分以上かかったが、プログラムの演奏時間は百三十一分。計算ミスなのか、かなりのカットをする気だったのか。この編成だとそのくらいに刈り込んだ方が効果的だったかもという気もするし、いやそれでも全曲でこそ意味があるという気もする。
その意味で、来年三月に読響が鈴木優人指揮でやる、カットの多いメンデルスゾーン編曲版(近代市民社会向け)がどんな感じになるのか、聴き比べが今から楽しみ。
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