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十二月二日(月)
はや師走。星乃珈琲ではブルマンの提供開始が、冬の到来を告げる。
十二月最初の演奏会はオペラシティで原田慶太楼指揮の東京交響楽団。
・グリーグ:ペール・ギュント第一組曲
・グリーグ:ピアノ協奏曲(小林愛実)
・芥川也寸志:交響曲第一番
前半のグリーグもよかったが、偏愛する芥川の一番が素晴らしかった。原田のこの曲は昨年も高崎で群響を指揮したものを聴いたが(前半がティボー・ガルシア独奏のアランフエスという、最高の組み合わせだった)、より彫琢を深めた、確信に満ちた演奏。生誕百年の芥川イヤーを締めくくるにふさわしい快演。
そして今月は、ノットが音楽監督として東響を指揮する最後の月。東響のプログラムの十二月号にはノット指揮の第九の解説に加えて、ノットとのこれまでをふり返ったり、首席奏者たちが最も記憶に残るノットとの公演を挙げるコーナーがある。ここに自分が八月に日経新聞に書いた小文を転載して、東響のお客さんたちの目にも触れるようにしていただけたのは、ほんとうにありがたいこと。
十二月八日(月)
「音楽の友」誌のために、指揮者の坂入健司郎さんにインタビュー。テーマは芥川也寸志の音楽。《響》をはじめとするその楽曲のこと、手塩にかけた新交響楽団のこと、そして世界初録音となった弦楽四重奏曲についてなど、指揮者ならではの視点での素晴らしいお話をうかがえて、あっというまの一時間。
十二月九日(火)
前橋汀子さんに、年明け一月に名古屋で演奏されるブラームスのヴァイオリン協奏曲についてお話しをうかがう。
気楽に、直感的にお話しされているようでいて、六十年を超す演奏活動や、出会ってきた多くの偉大な人々から得たものなどの経験が積み重なって、洞察と深い叡智の泉となっている。あとで文章にまとめながら、ああ俺は本当にかけがえのない時間を与えてもらったのだなと、心から思う。演奏会そのものを聴けないのは残念だが、二月の浜離宮朝日ホールでのブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲リサイタルを聴いてみるつもり。
十二月十日(水)
八月のNHKEテレ「音楽はかつて“軍需品”だった〜幻の楽譜に描かれた戦争〜」では部分的にしか放映されなかった戦時楽曲は、実際には全曲演奏・収録されていた。全曲が十二月十三日のNHK‐FMの「クラシックの迷宮」で、片山杜秀さんの解説つきで放送される。
山田耕筰の《沖縄絶唱譜》には、作曲者の真摯な思いが(あくまで当時の本州内で一般国民が知り得た情報の範囲内であるにしても)込められていると個人的には感じたので、ぜひ聴いてみたい。他の曲の作曲者・作詞者もさすがの人選。
「全体の気分」に踊らされること、加担すること、協力させられること、我に返ること。受動と能動の境界があやふやになる状況の恐ろしさと虚しさ。
十二月後半のクラシック界はほぼ第九一色となることが多いが、今年は新宿付近で他のものがあって、楽しみ。
まずは十七~二十一日の「音楽劇 三文オペラ 歌舞伎町の絞首台」。プロデュース・音楽監督が湯山玲子、演出は劇団「地点」の三浦基、演奏・編曲はバッファロー・ドーターの大野由美子、聖児セミョーノフと秋吉久美子ほかの出演で、会場はトー横広場に面するSHINJUKU FACE。普段はプロレスを主にやっている五百席の歌舞伎町の会場というのが魅力の一つ。
偶然に並行するのが十一~二十一日の新国立劇場小劇場での、三島由紀夫生誕百周年記念の『わが友ヒットラー』と朗読劇『近代能楽集』。『三文オペラ』と『わが友ヒットラー』が重なるという、なんとも素晴らしい偶然。同じ日に続けて観ることも考えたが、さすがに頭がクラクラしそうなので、ずらして観る。
さらに、これはノット東響の第九とバッティングして行けないのがものすごく悔しいが、二十八日は東京オペラシティのリサイタルホールで、アンサンブル・ノマドがヴィクトル・ウルマンが強制収容所で書き遺した歌劇《アトランティスの皇帝》と弦楽四重奏曲第三番をやる。
ワイマール期と「長いナイフの夜」の二つのベルリンから、テレージエンシュタットとアウシュヴィッツへと向かう、年の瀬の歌舞伎町と初台。
十二月十一日(木)
みなとみらい小ホールで、濱田芳通&アントネッロによる《カルミナ・ブラーナ》(中世ブラヌス写本)。
最高に愉しい一夜。オルフのカンタータの元になった、中世十三世紀の写本にある詩歌に込められたゴリアルドゥス(放浪学生)たちの姿が、音楽とともに生き生きと甦る。見ることも聴くことも珍しい中世楽器の活気にみちたアンサンブルは、その多彩な響きゆえに、アンサンブルというよりオーケストラと呼びたい感じ。
神への、女性たちへの、友人への、酒への、サイコロの目への、聖俗霊肉取り混ぜた、さまざまな愛の歌。そしてその背後の自虐と虚無の影。AIではない、生身あるかぎり変わらぬ人間の、弱さゆえの気高さ。
アントネッロの客はとにかくノリがいい。クラオタにありがちな斜に構えた態度ではなく、素直に楽しみ、反応し、笑い、歌う。
寸劇、大阪夫婦漫才、いかさま外人神父の説教、ロック・コンサートでの舞台と客席のコール・アンド・レスポンスのパロディ(We say! You say! 中世!)などが、きわめて自然にラテン語歌詞の歌につながっていく。最後はまるで《こうもり》の第二幕みたいだった。
みなとみらいの小ホールという空間もとても気持ちよかった。アントネッロの重要な拠点、川口リリア(改修中)の音楽ホールと同規模の五百席くらいで、木質の内装も含めて雰囲気が似ている。リリアで何度も味わった、アントネッロならではの親密な心地よさと、ここでひさびさに再会できた感じ。
NHKのカメラが入っていたので、放映が楽しみ。
十二月十四日(日)
池袋で「東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ」の《ファウストの劫罰》。チラシのデザインは読響の定期公演みたいだが、二期会の公演。
面白くて、さまざまに刺激を受ける公演。マルグリートの池田香織、ファウストの山本耕平、メフィストフェレスの友清崇、ブランデルの水島正樹と歌手もそろい、マキシム・パスカル指揮の読売日本交響楽団、二期会合唱団、NHK東京児童合唱団が俊敏雄弁な響きで、作品の特質をとてもよくわからせてくれる。
上田大樹の映像も面白かった。舞台上方のメインスクリーンの他、正面と左右の壁面いっぱいに映像を投影する。インスタやライン風の映像が示すのは、現代日本における身近な悪魔と地獄は、SNSと生成AIのなかということ。
一見すると天使と天国だし、うまくつきあえばそのままでいてくれるけれど、深入りすればするほど近づいてくるのは地獄の門。映像の情報量が過多なのも、まさに地獄の阿鼻叫喚。
オペラをコンサートホールで上演するこのコンチェルタンテ・シリーズでは、早くから映像を書き割りの代りに使っていたが、ここまで積極的な役割を持たせたのは初めてと思う。この作品はオペラでも劇的交響曲でもなく、「劇的物語」という、なんだかよくわからないジャンル名になっているものなのだから、こういうやり方は大いにありだと自分は思った。せっかくパスカルが指揮するのだから、このくらいやってほしい。
この作品は二十世紀の早い段階からオペラ風の舞台上演がされてきたし、以前二期会もやったが、この華麗で多彩なオーケストラをピットに入れてしまうのはもったいない気がするし、シェークスピア風に場面が次々と迅速に変化し、イメージも幻想化・巨大化していくものだから、なまなかな舞台上演ではその速度と大きさに対応しきれないと思う。だから今回の手法は作品と作曲家の想像力にふさわしい。映像の使用もかなり安価で手軽になった。AIという電気お化けは、うまく用いれば素晴らしい使い魔。手間ひまをかけて作られた舞台空間の凄さとかけがえのなさも忘れてはいけないが、このスタイルにはたくさんの可能性がある。パスカルはほんとうに才人。そしてあくまで主役は音楽と演奏であって、けっして映像の伴奏にはならなかった。
それにしても、ベルリオーズはゲーテの原作を好きなように翻案したとあらためて感じ、グノーの歌劇はこの作品なしではありえなかったことも、あらためて思う。
来年のこのシリーズは、シューマンの《ファウストからの情景》。二期会は前にも《サロメ》と《エロディアード》を近接して取りあげたことがあったし、ライン川を挟んでの面白い対比をやってくれる。さらにマーラーの《千人》も都響と日フィルがやるから、ここでの「地獄の合唱」と、原作第二部ラストそのままの「神秘の合唱」二種、三つ巴の対比を楽しめる。
そしてその前に、下旬のパスカル指揮読響の「第九」もとても楽しみ。
夜は二十日に東京文化会館小ホールで行われる、ブラームスの《マゲローネのロマンス》歌劇版について、演出・構成の岩田達宗さん、バリトンの小森輝彦さん、振付・ダンスの山本裕さんのお三方にオンラインでインタビュー。
オンラインで三人に話を聞くのは、均等に話をしてもらえるよう、ものすごく頭を使うのでたいへんなのだが、岩田さんの無茶振りに応えて、通常は歌手と俳優が分担する歌と語りを一人でやってのける小森さん、主役ペーターを踊る山本さん、活気に満ちたお話がみごとに連繋して、楽しいインタビューとなった。生憎行けないが、とても面白そうな公演。
十二月十八日(木)
「音楽劇 三文オペラ 歌舞伎町の絞首台」。楽しい舞台。日本語訳詞でキーボードやドラムスなど電気・電子楽器に編曲した四人編成のバンドだが、楽曲は省略なし。初演前にカットされた〈ルーシーのアリア〉も入れ、ストーリーは改変なしに、きちんとやっている(ここ大事)。サウンドも多彩で面白い。
普段はプロレスのリングがある場所に十字型の桟橋が組まれて、演技も歌もその狭い通路上だけで行う。中心はあるが正面は存在しない全方位型。至近距離で見ている親密な一体感がいい。
それにしても、こんな場所がトー横広場(シネシティ広場、というか八〇年代の早大生にとっては、早慶戦の後に泳ぎに行く池と噴水があった場所)に面したビルの七階にあることが楽しい。外へ一歩出れば、欲望渦巻く東洋一の歓楽街。
こんな至近距離で見るプロレスというのは、どんな感じなのだろう。ちょっと見てみたくなった。それから男子トイレの、増設に増設を重ねた、異様な数の小便器も強烈に印象的だった。
十二月二十一日(日)
今日は新国立劇場小劇場で、劇団CEDARの『我が友ヒットラー』。やはり戯曲は実演で見てこその緊迫感。そして『三文オペラ 歌舞伎町の絞首台』と合わせて、「東京勝手にツィクルス」で観ることができた意味は大きかった。
「赤いベルリン」と、「褐色のベルリン」。前者の無法者メッキー・メッサーと警視総監のタイガー・ブラウン、後者のヒトラーとレーム、どちらも第一次世界大戦の塹壕で強く結ばれた、理屈を超えた戦友同士。その強い絆には、BL的な匂いも漂う。
レームがブラウンのようだったり、ヒトラーがブラウンのようだったり。その相似が揺れ動くのが面白い。さらにクルップとシュトラッサーを交えた四人の男たち(戯曲はこの四人しか台詞がない)は、《ファウストの劫罰》を観たあとだと、その時々で互いにファウストになったりメフィストフェレスになったりと、立場が複雑に入れ代わるように思えて、これも面白い。
こうなると、ますます《アトランティスの皇帝》が観たくなるが、それはまた次の機会に。
帰宅後、三島由紀夫全集第四十一巻を探す。CD七枚組で、三島自身による一九六八年の『我が友ヒットラー』読み合わせ用朗読や、『英霊の声』朗読と《盾の会の歌》のEP盤復刻など。『我が友ヒットラー』のレームは筋骨隆々たる英雄で、突撃隊は明らかに盾の会的だったりするので、その相似を意識しつつ「時代の聲」を聴きかえしてみようと思う。
十二月三十一日(水)
例年大晦日は締切の過ぎた仕事をまだやっていて、慌ただしい上に世間さまに顔向けできない状況なのだが、今年は二十七日に年内の分がすべて終わってしまい、年賀状までその日の内に出せてしまうという、椿事出来。
おかげで年内最後の二公演、ノット&東響の二十八日の第九と三十一日のジルヴェスターは、どこのどんな編集者に会っても謝る必要がなく、心おきなく楽しめる状況に。仕事でもないのでただ聴いていればいい。しかしかえって慣れないので落ち着かない(笑)。
ジルヴェスターはノットのサンダーバード愛にみちた前半と、年の瀬にふさわしい《くるみ割り人形》。ノットが信頼していた東響コーラスとも最後に共演できた(女声だけとはいえ)のが素敵。さらに、北村朋幹がオケ内のチェレスタとピアノを弾いたのは嬉しい驚き。さすがのハッとするような美しい響きだった。左右の第一&第二ヴァイオリンが各十五人のうち十人ずつだけで、あとの計十人がチェロとヴィオラの間の中央にいるという配置も面白かった(最初はヴィオラだけ二十人ぐらいいるのかと思ってびっくりした)。
最後は《花のワルツ》で大団円かと思ったら、あえてそれはやらずに、「涙がこぼれないように」の《上を向いて歩こう》で締め。坂本九が川崎出身という縁らしい。そういえば、今年はそして御巣鷹山からちょうど四十年。
「音楽の友」恒例のコンサートベストテンのために集計した、昨年十二月から今年十一月までに通った公演は、オーケストラ百十一、室内楽&リサイタル六十八、オペラ三十三、ほかに能楽など二十三で、去年より二増えて計二百三十五。
去年は三十日の井上道義引退演奏会で締め、今年はノットの音楽監督最後の指揮で締め。
Time goes on.
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