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一月一日(金)謹賀新年
明けましておめでとうございます
皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます

 今年の聴き初めは、クレンペラー指揮による《ヴォータンの告別と魔の炎の音楽》。あと数日で六十三歳になります。一九六三年生まれで六十三、個人的には節目、というか一区切りの年と思っておりまして、年来の課題いくつかに年内でけりをつけ、ここ数年よりも動きのある年にしたいと考えております。
 本年もよろしくお願いいたします。

一月三日(土)シモン初演版
 年始に聴いたオペラ全曲盤二種。まずはボダンツキー指揮の一九三五年メトの《ローエングリン》。四十年来愛聴している演奏を久々に。メルヒオール、ロッテ・レーマン、マージョリー・ローレンス、フリードリヒ・ショル、エマヌエル・リストの磐石の布陣と、俊敏に息づくボダンツキーの圧倒的な指揮。
 もう一つはそれから八十九年後の二〇二四年録音で、エルダー指揮の《シモン・ボッカネグラ》一八五七年初演版。昨年のムーティのアカデミーで一八八一年改訂版を深彫りしてもらえたことで、作品そのものをより深く知りたくなった。そこでこれを聴いてみたが、とても有益な聴き比べだった。
 最も異なるのは第一幕後半の第十場以降で、ヴェネツィアと講和してイタリア全体の協力を主張し、貴族と平民に宥和を訴える場面と、その一方でアメーリアを誘拐して対立を煽り、私利を貪ろうとした黒幕(パオロ)を激しく嫌悪し、自ら呪わせていく場面のすべてが、ボイトの詞による改変で生まれている。
 これにより、シモンの強固な平和主義が無知と臆病によるものではなく、深い叡智と悲しみに裏打ちされた、情熱的な人間愛によるものだということが明確になるあたりが、ボイトの作劇センスの高さ。ムーティが愛する「そして私は叫ぼう 平和を! そして私は叫ぼう 愛を!」は、もちろんこの部分にある。
 さらにシモンが毒を飲んでしまう場面とパオロの破滅の過程も追加して、ドラマの筋道をより明快に。ただ、二幕の半ばで飲んだ毒が三幕に入ってから効いてくるという、ずいぶんと遅効性の毒になってしまったのは、後からの追加なので仕方がなかったのだろう。
 納得のいく改訂で近代性が高いが、それだけに初演版の部分の古さとはちぐはぐがある。しかしその元の部分にも、ムーティが我が最愛の二重唱と言った三幕のシモンとフィエスコの二重唱など、優れて魅力的な音楽がたくさんある。これらを忘れられたままにするのは惜しい、なんとかしたい、とヴェルディとボイトが思わざるを得なかったことは、この初演版を聴いてとてもよく納得できた。
 不安だったエルダーの指揮も聴きやすいものだったし、アメーリア役の中村恵理はじめ、歌手もしっかりした人たち。

一月十日(土)通い初めは国立へ
 二〇二六年のコンサート通い初めは、国立でのマーラーの交響曲第九番。
 演奏は国立マーラー楽友協会、指揮は齊藤栄一。一九八三年十二月二十四日の第一回以来、毎年の年初か年末にマーラーの交響曲第九番だけを、国立の一橋大学兼松講堂を主会場として、入場料無料で演奏し続けているという驚きの団体。
 一九九〇年代には休んだ時期もあったが、二〇〇六年からはコロナ禍の二〇二一年をのぞいて二十年以上、毎年演奏会を続けているそう。一橋大学管弦楽団の現役主体にOBOGを加え、対向配置の第一&第二ヴァイオリンは各十六人、総計百人のオーケストラが舞台にぎっしり。斉藤は第一回からずっと指揮されているそうだから、ここだけで三十五回前後はマーラーの交響曲第九番を指揮していることになる。この曲でこれだけの実演経験を持っている指揮者は、世界にも少ないのでは。
 演奏は尻上がりにコンディションと一体感を高め、第三楽章と第四楽章の熱演は心を打ち、この名曲の名曲たる所以を実感させてくれるもの。空調を切った寒冷な空間に響く終楽章には説得力があった。
 何年も前から聴きに来たいと思いながら、一月上旬の土日は他のコンサートなどに重なることが多くて来られなかったが、今年はうまくあいた。せっかくなのでそこまでの演奏会通いをすべて休むことにし、マーラーの九番を聴き初めにした。その甲斐あった演奏会。
 名古屋の実業界に加えてアマオケ界でも大活躍の一橋OB高橋広さんにもうまくご挨拶でき(開演前のトイレで!)、舞台ではストバイ最後列から煽るその雄姿を拝見した。

 それにしても、一橋大学にはこれまでとんと縁がなく、国立駅に降りたのも一九八五年頃、つまり国立マーラー楽友協会設立と同時期で、約四十年ぶり。行きは中央線特快で国立駅へ。いい機会なので中央線のグリーン席を買ってみることにした。代金は五十キロまでスイカだと七百五十円均一なので、長く乗るときこそ役に立つ。
 グリーン車は二階建てで、車内は自由席。車内販売が飲み物などを売りに回っている。座った席の天井部のスイカマークにスイカをタッチすると緑ランプとなり、席を確保したことになる。混んでいたら座れないし、荷物棚もないので、空いている時間帯でないと心理的に使いにくそう。
 最初の左側の席は日差しがきつくて失敗。右側に移る。移動後に上部のスイカマークに再びタッチすれば、席を移動できたことになる。乗り心地は揺れが少なくきわめて快適で、たまのことならグリーン車に限る。
 国分寺駅で普通に乗り換えて、国立まで二駅だけ乗る。乗り換えのときは降車前にスイカマークにタッチして赤ランプに戻してから、乗り換えた方のスイカマークにタッチしなおす。
 国立駅到着。駅舎はモダンに建て直され、有名な三角屋根の旧駅舎は駅前に移築復元されている。前にきたときはもちろん旧駅舎。一九八五年頃は、まだチケットぴあのようなオンライン発券サービスは始まったばかりで、プレイガイドなどでは手元にある現物のチケットを売っていた。ジャパン・アーツでバイトしていた自分の仕事の一つが、都内各地にいくつもある各種プレイガイドに、二日がかりでチケットを配布することだった。そのなかで最も遠くて他と飛び離れているのが国立のレコード店「アポロ」だった。お昼前後について近くのレストランで昼を食い、帰りがけに駅前のディスクユニオンに寄り道して市ヶ谷の事務所に戻るというパターン。「アポロ」は健在らしいので、次回は訪れてみたい。
 立川方面の線路沿いには、木造四階建ての駅ビルのnonowa国立SOUTHとマンションが建つ。このnonowaのあたりに、平屋のディスクユニオンがあったように記憶する。
 国立の象徴、一橋大学までの幅広い直線道路は昔のままで懐かしい。初めて南下して一橋大学へ。広闊なキャンパス。どういうわけか、二十世紀中の自分の知り合いには、この大学に行った人が皆無だった。そのため場所にも人にも縁がなかった。
 会場の兼松講堂は昭和二(一九二七)年落成というから、今年は九十九周年。兼松講堂と同じ敷地にある大学図書館も立派。一橋の校舎はおおむね昭和初期、一九二〇年代後半に建ったらしい。どれも純西洋式で、一九三〇年ごろから増えるアジア風の混在はまったくない。
 それにしても広い敷地。一橋時代の田中康夫がスケボーでキャンパスを移動したというのも納得の広さ。兼松講堂はちょっとバイロイトっぽい。
 帰路は国分寺まで普通車に乗ったが、けっこう混んでいて揺れるので、乗り換えてグリーン車二階席へ。快適。

一月十八日(日)山形の蝶々さん
 山形交響楽団がやまぎん県民ホールで行った《蝶々夫人》の演奏会形式上演を観るべく、一泊で山形へ。行きはつばさで、自分はなんとなく仙台駅まで行って山形に入ると思い込んでいたが、福島から米沢に入るルートだった。米沢の手前から雪景色になるが。山形市に入ると消える。
 山形駅に直結するやまぎん県民ホールは二千人収容、ちょっと高崎芸術劇場の内部と似ている。公演は素晴らしいものだった。阪哲朗の引き締まった指揮、蝶々夫人の森谷真理、ピンカートンの宮里直樹、シャープレスの大西宇宙など、現在の日本オペラ界のトップが集った歌手陣もお見事。
 そして太田麻衣子の演出も、簡素ながら的確に主張するもの。昨年四月の「東京・春・音楽祭」に続き、《蝶々夫人》の演奏会形式上演を二回続けて観るという面白い体験ができたが、西洋人の指揮者と主役たちが自らの考えで演じた東京春祭版が、あくまでイタリア・オペラの《マダム・バタフライ》だったのに対して、日本人だけの山形版はヤマドリの造型を典型として、日本的美意識の光と影のニュアンスが加わる(敗戦までの古い日本社会のありかたを象徴する存在としてのヤマドリの位置づけについては、二〇一七年二月に笈田ヨシの演出を観たときに「可変日記」に書いた。今回の太田演出も同様の精神)。
 山形まで一泊で行った甲斐があった。そのまま仙台に回って、父や祖父母の墓参りも久々に。山形の町を見る余裕がなかったのが心残りだが、来年は二月にヴェルディの《仮面舞踏会》をやるそうなので、そのときは。
 阪さんは三月にはびわ湖で《トゥーランドット》を指揮するので、それもますます楽しみに。また山響の毎年六月の東京公演も今年はサントリーホールで、阪さんとバボラークが登場する豪華版だそうで(後半がブラ一ということは、それもバボラークが吹いてくれるのか?)、これも行きたい。
 しかしよく日程をよく見ると、山響東京公演の十七日は、青薔薇で小菅優たちによるシュトイアーマン編曲の《浄夜》ピアノ三重奏版がある日。偏愛するこれも聴きたいが、でも大ホールではモーツァルトの協奏交響曲変ホ長調のバボラーク版をやるから、身体が二つ欲しい日。山響はいっそ山形まで行って十三日か十四日に聴く手もあるが、東京では十三日にアントネッロの《時と悟りの勝利》とエベーヌのベートーヴェンがあり、十四日には喜正の能『羅生門』と小菅優プロデュースの音楽朗読劇があって、これらも聴き逃せない。いやはや……。

一月二十日(火)N響アーカイブ
 NHK交響楽団がサイトに「演奏記録アーカイブ」と「資料アーカイブ」を公開。かつて公開されていたN響の演奏記録は十年毎のPDFだったが、数年前のサイト・リニューアルのさいに削除されたままでした。百周年を期にデータベース形式で復活。ありがたい。

一月二十四日(土)新刊
 三月六日とまだ再来月の話だが、九年ぶりに新刊が出る。『巨匠指揮者列伝 名盤でたどる88人』と題して、[ア~セ]と[タ~ワ]の全二巻。
 元は二〇〇九年から二三年まで「モーストリー・クラシック」誌に百六十六回連載した『巨匠「名盤」列伝』。「ちょっと直すだけですむから、すぐに原稿送れますよ」と、きわめていい加減なことを担当の青野さんに言ってから三年。とにかくここまでこぎつけられて、よかったよかった……。


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