アルフォンス・デーケンさん
死生学者
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「第三の人生への6つの課題」
サライ・インタビュー(サライ 1997年第15号)
[正月恋し故郷は日本、生きがい探求充実した日々] 朝日新聞夕刊(東京) 2005年3月30日

→◆アルフォンス・デーケン先生の「死への準備教育」
[日本の人々へ
 生と死、自らの価値観持て] [「死生観」培う教育を どう伝える命の重さ、少年事件に思う]

→◆デーケン教授のミニ講義 欧州ホスピス視察研修講義録1997年
(1)「ホスピス・ボランティアとは」ホスピスの理念について(2)「生と死を考える日」提案(3)「死への準備教育の試み」試練直視、よりよい生を(4)「老年期の生きがい」(5)「公認されていない悲嘆」(6)「音楽療法(music therapy)」「音楽のふしぎな力」(7)「ドイツの最新ホスピス事情」(8)「米の学会に参加して」成熟度深めたホスピス運動、現代文化に地歩築く(9)「ユーモア感覚のすすめ」原点は周囲の人々を思いやる心(10)「死に対する恐怖」(11)「死への準備教育を」自分の最期考え、選択(12)「死ー永遠の生命への希望」
びんご・生と死を考える会 市民公開講座 デーケン先生「人生の危機への挑戦」1999年1月

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[正月恋し故郷は日本、生きがい探求充実した日々]
朝日新聞夕刊(東京) 2005年3月30日

日ごろから死について考える「死への準備教育」を日本に広めた上智大学名誉教授アルフォンス・デーケンさん(72)が、定年後の故郷ドイツでの「充電」から戻り、講演活動を再開した。充電中、「スピリチュアリティー」について調べた。「霊性と訳されることが多いが、私は生きがいの探求ととらえています」。周囲の人と「ゆるし、ゆるされる関係」を持ち、存在する意味を感じて人生を送るにはどうしたらいいか、を探る。こうした心のケアがホスピスなどで死を前にした人たちに必要とされ、注目が集まっている。「病気のときだけでなく、ふだんから考えておけば充実した日々を送れる。子どもから高齢者まで人生のいろいろな段階で応用できるように、スピリチュアリティーの考え方を浸透させたい」ドイツでは日本の正月が恋しく里心がついた。「ふるさとは日本、心は日本人、骨をうずめるつもりです」(荒香帆里)

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サライ・インタビュー(サライ 1997年第15号)

アルフォンス・デーケン(ALFONS DEEKEN)64歳。1932年ドイツ生まれ。米国のフォーダム大学大学院で哲学博士の学位取得。'59年来日。現在、上智大学教授として「人間学」「死の哲学」などの講義を担当。また「生と死を考える会」会長として講演や執筆活動を精力的にこなしている。'91年に全米死生学財団賞および第39回菊池寛賞受賞。著書に「死とどう向き合うか」(NHK出版)、「ユーモアは老いと死の妙薬(講談社)、「第三の人生」(南窓社)他。
来日37年。哲学や人間学をベースに死生学を展開。日本で初めて「死への準備教育」の必要性を説く。死とどう向き合うかが終生のテーマだ。

「第三の人生」は収穫期。定年後に何を持つかではなく、どんな人間であるかが大切です。
危機はチャンス。病気や老いの危機は自分の人生を考え直す絶好の機会なんです。
ユーモアと笑い。これは中年期の健康管理の上からもとても大切なことです。
「ユーモアと笑いは高齢社会にとっての妙薬」

日本における死生学の第一人者でいらっしやいますが、そもそも死生学とは?

「英語ではサナトロジー。ギリシア語で〃死〃を意味する〃サナトス〃からきている学間です。最初は私自身、〃死学〃と翻訳したのですが、その後、死について勉強すればするほど生きること、生についての勉強になるものですから、〃死生学〃という言葉のほうがより内容にふさわしいと考えたのです。生と死についてのテーマを、哲学、医学、心理学、文学、宗教といったいろんな立場から研究する広い領域の学間。こういうと、たいていの人は額にしわを寄せて考え込むのですが、決して難しい学間ではありません。老いも死も、生命体の必然的な自然現象です。毎日の生活をあるがままに楽しみながら、生と死について、悠々と考えてゆきたいというのが持論です」

死生学をライフ・ワークに選ばれたきっかけは、どんなことだつたのでしよう?

「子供時代に体験した身近な人の死が大きく影響し、それが出発点になっています。私が家庭で死を初めて体験したのは、母国ドイツで8歳のときでした。8人兄弟でしたが、すぐ下の妹が4歳のとき、治る見込みのない病気になったのです。死が避けられないとわかったとき、私たちは最後の数週間を病院ではなく、自宅で過ごせるように妹を退院させ、家族で一生懸命介護しました。もちろんそのときはまだホスピスという言葉はありませんでしたが、文字通りの在宅ケア、ホスピスケアでした。そして妹は、天国でまた会いましょうと言って静かに死を迎えたのです。
この体験を通じて家族としての絆が強くなり、幼い私たちにとっては、とても素晴らしい〃死への準佛教育〃になりました。両親がこのとき私たち子供にきちんと相談してくれて、人間らしい死に方を学ばせてくれたと同時に、死んでいく妹が非常に貴重な、本で学ぶことはできないことを教えてくれたのです」

先生の死生観の原点になったのですね。

「ミュンヘンでの大学時代、病院でポランティアとして働いたときも貴重な体験をしました。ある晩、当直の医師から、30代の末期がん患者を臨終までの3時間、看取るように頼まれました。その男性は東欧からの亡命者で、当時の西ドイツ国内には誰ひとり身寄りがいなかった。私の人生で一番長い3時間でした。まだ意識のはっきりしている患者のそばに座った私は、死を目前にしたその人と何を話題にしたらいいか、困り果てました。スポーツも天気も政治の話も、彼にはもう何の意味もない。そのとき、人間同士のコミユニケーションで本当に重大なことは何なのか、何が真に永続的な価値を持つのかなど、さまざまな疑問が湧き上がってきました。結局私は彼と共に祈ることで、かろうじて自分自身を支えることができたのです。そしてこの3時間で私は自分の人生の使命を発見し、終生、死生学を勉強しようと決心しました。そしてこれは、死にゆく患者からの貴重なプレゼントだと、そのとき感じましたね」

来日以来37年になられます。なぜ日本を選ばれたのですか?

「初めて日本に興昧を抱いたのは、12歳のときです。ボランティアをしていた教会の付属図書館で、長崎の26聖人殉教者について書かれた本を見つけたのです秀吉のキリシタン迫害によって処刑されたその26人の伝記中、最年少のルドヴィコ茨木に強く魅せられた私は、いつか必ず、こんな偉大な人物を生んだ日本という国に行こうと誓いました。ルドヴィコはそのときの私と同じ12歳で十字架にかけられたのですが、想像を絶する苦痛の中でさえ、心の自由と喜びを失わず、聖歌を歌いながら殉教を遂げた少年でした」

来日される前は、どちらで勉強されたのですか?

「ドイツ、ランス、スイスなど12か国で学び、27歳で来日。その後、ニューヨークのフォーダム大学大学院へ行きました。しかし、現在は日本に骨を埋める覚悟を固めています。上智大学で〃死の哲学〃の群座を始めたのは'75年。まだ死をタブー視する風潮が強くて、長い間孤独の道を歩きました。しかし、10年ほど前から日本では死はタブーではなくなりつつあります」

ご自身で、死を意識されたことは?

「あります。私はずっと前から、死とどう向き合うかというテーマを勉強し、講義したり本を書いたりしてきましたが、一昨年の春、初めて本当に実存的な危機を体験しました。生と死が表裏一体であることを切実に思い知らされたのです。がんの告知と手術、それに続く1か月の入院。この間約4か月の初体験は、私自身の生の有限性を、頭のレペルではなく実感できた得がたい機会だったと思っています。今まで自分の健康にはかなり自信を持っていましたから、がんと言われたときは正直いってショックでしたが、同時に限られている時間の尊さ、生きていることの素晴らしさを再発見したことは確かです。そして、このことは大きな危機であるとともに、得がたい挑戦の機会でもあると感しました」

危機が人生の挑戦にもなると?

「危機という日本語自体が、そのことを示しています。機はチャンスですから。病気の危機や老いの危機にさらされたときは、自分の人生を考え直すひとつのチャンスなのです。私自身この危機のおかげで、たとえば「新約聖書」を読んでも、今まで気が付かなかった発見をしました。新しい目、新しい耳をもらったような、新鮮な驚きというのでしょうか。多くの人がさらされる中年期の危機も、そういう意味で価値観の見直しと再評価のきっかけとして捉えてはどうでしよう」

中年期の危機は、深刻な問題です。

「喪失体験。これがとくに中年期の代表的な苦しみだと思います。ほとんどの人が中年期になるとひとつずつ、何かを失っていきます。共通なのは肉体的な若さの喪失。足腰の衰え、視力や聴力の衰え。それまで誇っていた健康や生きがいや、情熱の喪失感にうろたえる人はとても多い。そして、もうひとつの大きな苦しみが、人生はもう半分以上過ぎ去ったという時間意織の危機です。その結果、若いときの夢と現在の人生とのギャップに悩んで、パニック状態に陥る人もいます」

どう対処すればいいのでしよう?

「発想をちょっと変えてみることです。たとえば何かを失ったことで、より深く優しくなれたプラス面での自分を発見する。私の場合、がんの手術と入院生活の体験のおかげで、動けない人や寝たきり状態でいる人と、より共感できるようになったという恵みがありました。また、残された時間についても、限りがあるからこそ、今までより有意義に集中的に使うようにし、精一杯自分らしく生き抜こうという積極的な気持ちになれたのです」

中年期には、役割意識の危機もあります。

「足年退職する日を意識した場合、仕事だけを生きがいにしてきた男性の役割意識の危機は、相当根深いものです。そのために、かなり早い時期から、定年退職後の生きがいの探求をしておくことが必要ですね。サラリーマンの場合、50歳の坂を越えると、生活全般について急に自信を失うことが多いのです。その頃、若い世代に冷たく扱われたりすると、不安や妬みが募って、ますます内心穏やかでなくなるようです。もう自分は会社や家庭の中で、全く存在価値がなくなってしまったのではないかというひがみ心も強くなります」

この落とし穴に落ちないためには?

「価値観もこれだけ多様化してきた現代です。勇気を持って新しい役割を求め、新しい生きがいを見つけて、その達成を目指すことです。そのためには、まず人生の見直しと再許価のためのチェックをしてみること。具体的な方法としては、自分が大切だと思うことを10項目くらい挙げて、優先順位をつけてみるのはどうでしょう。俺康、家族、仕事、趣味、愛……。失いたくないものに順番をつけてみるのです。そして次に、その大切に思うことやもののために、この1週間どれだけ時間を使ったかをチェックしてみるのです。その結果、もし自分にとって価値あることのためにそれほど時間を使わず、何も実践していなかったことが判明した場合、これまでの生活様式を変更する必要があるでしょう。たとえば、優先順位の1番に家族との団らんを挙げていながら、生活はまるで違っていたとしたら、これからどう変えてゆくべきか、答えはわかっているはずですね」

年に何回か、自分の価値観を見面す必要がありそうですね。

「中年期以降は、このことがとくに大切です。そして、ここで要求されるのは、ひとつの大きな方向転換です。私が提案したいのは、豊かな「第三の人生」への準備として中年期からの過ごし方を見直すことです。人の一生は、大きく3つの段階に分けられます。第一の青少年期は、自己を確立するとき。第二の中年期は、自分の生活を築き上げるとき。つまり働く時期です。そして第三の人生は、定年退職後の時期です。日本人はこの第三の人生のために、経済面では随分熱心に準備しますが、心の準備がおろそかになっているのではないでしょうか」

外国ではどんな心の準備を?

「ドイツの大学には〃第三の人生大学〃という一般人向けの講座があります。イギリスでは、全国にサード・エイジ(第三の人生)大学があり、3万人以上の定年退職後の人たちが学んでいます。第三の人生は、人生の収穫期であると同時に、自分の限界と不完全さを悟り、再び旅人として歩き出すときでもあります。だからこそ、心の準備が必要なのです」

新たな目標の設定で大事なことは?

「第二の人生、つまり中年期までは私たちは外に向かって、肩書とか業績とか財産とかのために努力してきました。しかし、第三の人生に向かうときは、目標を次第に自分の内面へと移す必要があります。すなわち、これからは何を持つかではなく、どんな人間であるかが大切になってきます。新たに見いだすべき内面的価値としては、平常心、忍耐、聞き上手、寛大さ、試実さ、希望、人々への思いやりなどが挙げられます。ひとつだけ挙げるなら、第三の人生を豊かに過ごすためのキーワードは希望。未来に向かって積極的な態度を取ることが、心理年齢を若々しくしてくれます。暦によって決められる生活年齢は80歳90歳でも、心の持ちようで、瑞々しい心理年齢を保っている人を私はたくさん知っています」

現在、日本でも死生学への関心が高まってきています。

「86年に「死への準備教育」という本を出したのですが、びっくりするほどの反響がありました。生と死について学びたいと、ときには1日に5つの講演の依頼が来るようになりました。後から考えると、皆、そのときが来るのを待っていたんじゃないでしょうか。医学の進歩とともに、あまりにも人間らしくない死に方が急速に増え、そのことへの疑問がふくれ上がってましたから。欧米では中学枚から高等学枚まで"死への準備教育"のための教科書がたくさんあり、早いところでは70年代の半ばから熱心に教育されています」

日本はその教育が遅れているのですね。

「人間らしい死を迎えるための土台は教育です。死をタブー視したままの環境では、がん告知をすることもできません。やはり、前もっての心の準備が必要なのです。また、自分自身の死と並ぶ人生の大きな試練は、愛する人の死に直面すること。残された人々は、ほとんど〃悲嘆のプロセス〃と呼ばれる一連の情緒的反応を経験します。典型的な悲喚のプロセスを順に挙げると、(1)精神的打撃と麻痺状態、(2)否認、(3)パニック、(4)怒りと不当感、(5)敵意とうらみ、(6)罪意識、(7)空想形成、幻想、(8)孤独感と抑うつ、(9)精神的混乱と無関心、(10)あきらめ−受容、(11)新しい希望−ユーモアと笑いの再発見、(12)立ち直りの段階−新しいアイデンティティの誕生」

この順序通りに進行するのですか?

「もちろん個人差があり、全ての人がこれらの段階を通過するわけではありません。が、これを上手に乗り切れなかった場合、心身の健康を損なう危険性が非常に高いということを知っておくべきです。予防医学の観点からいっても、この知識の普及は極めて重要な課題だと思います。たとえば、ユーモアと笑いの再発見は、中年期の健康管理の上からもとても大切。一緒に笑うことができればストレスはかなり緩和され、温かい環境を作ることができます。このことは、中年期以降の夫婦関係を円滑に保つためにも貢献するはずです」

中年期からは、配偶者と死別する危機にも備える必要がありますね。

「高齢社会では、配偶者を失う前の教育がとても重要です。まず日頃から、配偶者の死に伴って起こりそうな問題点を具体的なチェック・リストにして、お互いに検討することをお勧めしたい。(1)経済・法律上の問題点はないか。これは遺言状の確認やお年寄りの世話、愛人や隠し子が現れたときの対処法など諸々あります。(2)日常生活での不便はないか。(3)健康管理の問題で支障はないか。基本的にはこの3本柱でチェックし合ってみてはいかがでしょう。愛情の再碓認にもなります」

ご自身の健康チェックと、死の望ましい迎え方について教えてください。

「私は毎朝、大学のプールで20分間泳いだ後、必ず大きな声で3つ歌を歌います。毎日泳ぐとプラス6年、毎日歌うとプラス4年は平均寿命より長生きするそうで、その他いろいろ合わせると137歳まで生きる予定(笑)。最後のときは、神に感謝の祈りを捧げて、マーラーの第2交響曲「復活」を聴きながら天国に行くのが夢です」

※「生と死を考える会」は、死について学ぶ市民の集まりとして'82年に誕生。月1回の定例会のほか、セミナーや学習・研究会も行なっている。詳しくは、同事務局まで。〒160束京都新宿区四谷2-5-3木村ビル2-101 電話03-5361-8719

→デーケン教授のミニ講義 「老年期の生きがい」 「公認されていない悲嘆」
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