遠藤順子さん

[夫婦の絆ありてこそ] 崩れゆく日本の家族生命尊重ニュース 小さな生命を守るために」2006年7月1日
[小さな命1円で救いたい] 妊娠中絶を思い悩む母親支援 NPO法人円ブリオ基金センター理事長 遠藤順子さん
「死」と「医療」と「キリスト教」 周作氏夫人・遠藤順子さんへのインタビュ−
[愛語は廻転の力あり] 作家・遠藤周作夫人 遠藤順子
[あなたと話がしたくって] 内藤いづみ対談集
[失われた命の尊さ]
 NPO法人用ブリオ基金センター理事長 遠藤順子

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[夫婦の絆ありてこそ]
崩れゆく日本の家族

生命尊重ニュース 小さな生命を守るために」Vol.23 No.258 2006年7月1日
遠藤 順子(えんどう・じゅんこ)

実業家・岡田幸三郎の長女として東京に生まれる。
慶庵義塾大学仏文科卒業。1955年、遠藤周作氏と結婚。
夫の死後、その遺志を受け継ぎ、種々の活動に精力的に取り組んでいる。
2003年、NPO法人円ブリオ基金センター理事長就任。

胎児も"親族"の一員

「胎児は保険加入者と同居する親族と見なせるから保険金が支払われる」と3月28日、最高裁第三法廷は初の判断を示し、その上で保険金約一億四千万円の支払いを命じた名古屋高裁金沢支部の判決を支持し三井住友海上火災保険の上告を棄却したと3月29日付の読売新聞は報じています。

ことのおこりは交通事故にあった夫婦の胎児が重度障害を負って生まれたのに、相手のドライバーが任意保険に加入しておらず賠償金を受け取れない場合、夫婦側の任意保険の方から保険金が支払われるかという争いからはじまります。夫妻側はこのような場合を予想して相手が任意保険未加入の場合にも自己の保険から保険金が支払われるという特約をつけていました。

「胎児も保険加入者と同居する親族と見なせる」という最高裁の判決が出たという事実は誠に重大な意味を持つものでありましょう。この記事を読んで私はドイツの憲法裁判所から出された「胎児にも生命権がある」という判決にも匹敵する快挙と言いたい位、嬉しいニュースだと思いました。子供は授かりものという考え方は私共日本人の遺伝子の中に組み込まれている考えではないでしょうか。赤ん坊が生まれてきて世界一幸せな国と、戦前日本へ来たことがある外国人の多くは、子供を大切に思い優しい気遣いの数々をつくして子育てをしていたその頃の日本人や日本の家庭に対して称賛を惜しみませんでした。当時、先進国と思われていた欧米人が手本にしたいと

まで思っていた日本の親子や夫婦の固い絆は今やどうなってしまったのでしょうか。テレビや新聞で子供が親を殺した話、親が吾が子を殺した話が報道されない日があるでしょうか。このような報道が毎日毎日くりかえされていれば、それを見たり聞いたりする方も段々おかしくなってしまうのではないかとおそろしい気がしています。

昨年、本を書くので調べたら〇五年の統計によると、何と日本では一分五十一秒に一組の夫婦が離婚していると判って驚きました。今年は二分に一組位の数字となるから離婚は一分五十一秒から二分になったのでやや減っているそうです。減っているといったところで数秒の違いです。この中には婚姻届を出していない人や出会い系サイトで一、二ヶ月同棲していた等という人は無論含まれていないでしょうから、そういうカップルまで含めるとしたら、秒単位で離婚が成立していることになるかも知れません。折角、最高裁で胎児も親族の一員という判決が出たというのに何ということかと口惜しくなります。

今年やや離婚が減ったのは、もう数年すると年金の仕組みが変わって主婦のとり分が多くなるから、それを待って離婚をしようとしているからだとまことしやかな話まで聞こえてきます。それまでの間の時間かせぎの為か今はセパレート・ライフとやらが流行と聞いては開いた口がふさがりません。いつ寝首をかかれるか判らぬ女房と一つ屋根の下でセパレート・ライフをやっているご亭主も堪まったものではないだろうと、私などはご主人が可哀想と気の毒な気がします。そもそも好きな人が出来て、その人と一分一秒でも一緒に居たいから結婚したいと思ったのではないのでしょうか。結婚するときに何を目指して一緒になったのでしょうか。お互いの価値観とか人生観などを真面目に十分確かめず、表面的な見てくれ等に目が眩んで結婚を決めてしまったのではないかと、驚くばかりです。

夫婦の絆の賜もの

私の主人は病弱な人で何回も入院を繰り返していましたから、いやでも色々な病人の家庭事情を垣間みることになりました。人は生きたように死んでゆくという話がありますが、この御夫婦はどうしてこうなってしまったのか、この年になる迄の間に修復の機会は何度もあった筈なのに、今となってはもう時間がないという時まで何でお互いが努力をしなかったのかと、人様のことでも口惜しくなりました。相手が死の床についてしまってから後悔して夫婦のつみ重ねをしようと思ってももう遅いのです。元気な方が死の床にいる片方のあるがままの状態を受け入れるしかありません。夫婦の絆も若い時から努力して双方から一つ一つお互いに積み重ねていかなければ、一方通行では決して絆を強いものには出来ません。二十、三十、四十、五十と生きて来て人間は人生の折り返し点を迎えます。つまり後半は五十、六十、七十、八十です。ですから五十代は要の年代となります。どうか五十才になったら、人生の後半に備え健康チェックは無論のことですが、吾が家では癌の告知をするかしないか、自分が口がきけなくなったり脳が駄目になり判断力を失った場合、人工呼吸器の着装や取り外しの可否を誰に任せるかというような危機管理と共に夫婦の絆もチェックしてください。まだ五十才なら間に合います。"死に支度いたせいたせと桜かな"という一茶の句があります。桜は毎年咲きますから、桜の咲く時期になったらこの句を思い出して、自分の家の夫婦のあり方をチェックして下さい。

私は主人と四十一年間一緒に暮らしましたが、その中でこれこそ夫婦の絆の賜物と感謝したことが二回ありました。一回目はまだ主人が元気で、仕事も一番脂ののっている時でした。その頃、町田市の玉川学園に住んでいましたが、別に地下鉄の代々木公園の近くに仕事場を持っていました。朝は私が車で仕事場に主人を送り、夕方また迎えに行きますが、仕事で夜が遅くなると玉川学園には帰らず代々木公園の仕事場に主人一人泊まる習慣でした。その日も代々木泊りということで、私は夜遅くまで好きな読書をしてから風呂に入り髪も洗って、寝巻に着替えベッドに入る直前でした。「こっちへ来ないか?」と主人からの電話でした。どう考えてもそれからまた、着替え直して一時間も車を運転して東京まで行く状態ではありません。「今夜はやめるわ」と一度は断ったものの、どうも何となく胸騒ぎがするのです。今考えると私についている守護の天使が耳もとで何事かを囁いてくれたとしか思えません。こんなに心配なら行った方がましと思い、十分後にはもう東京に向かって車を運転していました。そのおかげで仕事場へ着くやいなや、台所で薬缶が真っ赤になっているのを発見しました。ガスレンジのまわりがタイル作りだったので助かりました。ほっとして寝たのも束の間、その日は明け方かなりの大きな地震がありました。地震があると管理人がすぐガスの大元栓をしめ、地震がおさまると又大元栓をあける習慣でした。もし私が来なければガス漏れやガス爆発も起こったかもしれません。本当に危機一髪のところで火事やガス漏れによる大惨事を回避することが出来ました。朝日に向かって思わず手を合わせ、助けて頂いた御礼を申しました。

死は終わりではない

もう一回は主人の臨終の時のことです。人工呼吸器がはずされ、改めて主人を見たら鼻からも口からも管が出ていていわゆるスパゲティ状態でした。私はこんなひしゃげた顔のまま主人を天国へ送ることは出来ないと思い、「せめてこの鼻や口に入っている管を全部抜いて下さい」と申しました。一、二分ですべての管が抜けたと同時に主人は嬉しそうな極上の笑顔となり、握っていた手や顔の表情、そしてボディ・ランゲージを通じて、「もう光の中に入ったこと、主人が一番逢いたいと思っていた母や兄に逢えたこと、そして死は終わりではないこと、お前とも必ず再会出来る」というメッセージを送ってくれました。一瞬の出来事でした。私はそのメッセージを受け取ることが出来たおかげで立ち直ることが出来ました。最後の一年間位は口がきけなくなっていましたが、おそらく意識下の意識の中で主人の方も「三年半も看病させて、いくら俺が口をきくことができないといっても、何も言わないでこのま、逝ってしまうわけにはいかない」という気持ちがあったのでしょう。その気持ちを何となく察知できたればこそ「鼻や口に入っている管を抜いて下さい」と私も言えたのだと思います。もし管が入ったままひしゃげた顔のままで臨終を迎えたら、あの「死は終わりではない」というメッセージはおそらく伝わらなかったと思います。

夫婦の絆がよい家庭をつくる

患者もその家族も医学について精通しているわけではありません。癌とか脳梗塞とか名前を聞いている病気でも、その病気にかかった場合、いかなる経過を経て死に至るのか、よく判っている家族などいる筈もありません。まして大抵の場合は生まれてはじめて聞く病名である場合も応々にしてあります。遠藤のように前以って、わずか二、三日の延命治療の為に無駄な苦しみをさせないで安らかに死なせてほしいと、担当医にも院長にも看護スタッフにも繰り返し頼んでおいてすら、そのような患者や家族の意思を全く無視して、病院の経営にとっておいしい治療がスケジュール通りに行われて死に送られる場合もあります。夫婦が未だ心身共に健全な時に互いによく話し合ってこうあってほしいと決意したリビングウィルを、第三者の医療側が「当院ではこのようなことは受け入れられません」等と拒否する権利があるとどうして思えるのでしょうか。

人間の死には第一人称の死(本人)、第二人称の死(周りの親族)、そして第三人称の死(医療者側からみた患者の死)があると思います。自分の利益を代行し、自分が病に倒れ口がきけなくなった場合、自分の命を守ってくれるのはまず第一に夫婦のどちらかです。次いで子供とか兄弟など肉親でしょう。夫婦仲がよく夫婦の絆がしっかりしているような家庭なら子供達も家の中に自分の居場所が確保されていますから、親子の絆も自然に深めることが出来まずし、例えば父親が病に倒れたとなれば、母親を助け親子の絆の強さを見せてくれることでしょう。一家の大事が起こってからでは間に合わないのです。セパレート・ライフとやらを楽しんでいる場合ではないのでは?

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[小さな命1円で救いたい] 妊娠中絶を思い悩む母親支援
NPO法人円ブリオ基金センター理事長 遠藤順子さん(78)
読売新聞 2006年1月31日「支・え・る きもち

「私たちは先祖から命のバトンを受け継いでいる。胎児をおろしてしまえば、それが途切れるんです」

!:円ブリオ基金センターでは、平日午前10時〜午後5時、フリーダイヤル0120・70・8852で、無料相談を受け付けている。
  寄付は郵便口座
00150-9-415477 特定非営利活動法人円ブリオ基金センター。

◎出産への支援:国は2004年度から、不妊治療の費用を一部助成。子どもが生まれた世帯に支給される30万円の出産育児一時金は、今年10月から35万円に引き上げられる。センターのような妊娠かっとう相談については、熊本県や石川県などの自治体が電話の相談窓口を設けている。

「内輪にみても、第2次世界大戦後の日本の妊娠中絶者数は6700万人」2002年の秋。NPO法人の認証を受けたばかりの「円ブリオ基金センター」から、理事長就任を要請された。突然の申し出に戸惑いながらも、総人口の半分以上に相当する中絶数の重さに衝撃を受け、中絶に悩む母親への支援活動の顔になることを引き受けた。

センターは1993年から、妊娠中絶を思い悩む女性の電話相談を受け付け、出産や妊産婦健康診査の費用などを、市民の募金で援助してきた・円ブリオという会の名称は、募金が1口1円になっているのと、8週までの胎児をさす英語「エンブリオ」の語呂合わせ。これまでに112人の赤ちゃんの命を救った。「最初は、胎児を助ければいいと単純に思っていた。しかし、すぐに、援助交際などで10代の女の子が望まない妊娠をしてしまう背景には、親が子どもをきちんとケアしていない現実があると気づいた」

『沈黙』や『深い河』で知られる夫の作家、遠藤周作氏が亡くなったのは1996年。以来、遠藤氏がライフワークにしていた、安心して終末期を過ごすことのできる「心あたたかな医療」などの活動を広めることを自らの"宿題"に課し、講演や執筆活動に力を注いでいた。「本当は、宿題を優先しないと。でも、この数字から逃げるわけにいかない。いと小さき者のために、何か手伝わなくっちゃと思った」状況は深刻だった。世間体から、親にも教師にも「まだ、子どもを産むには若い」と反対された高校生、妊娠8か月目に恋人から出産を拒否された女性、夫がリストラにあい貯金も底をついた主婦……。生命の軽視、家族の崩壊、格差社会といった日本の病理が、問題の根つこにあった。

昨年5月、参議院の少子高齢社会に関する調査会に参考人として出席、センターの活動を報告した。しかし、妊娠中絶は、コンドームやピルによる避妊教育の問題ととらえる、ほかの参考人の意見にうなずく議員も多かった。「そもそも、少子化というと、将来の年金の支え手がいなくなるといった目先の数字合わせでとらえられがち。本当は命の問題なのに……」と、もどかしそうに振り返る。

ドイツでは、国が決めた相談員に助言を受け、証明書をもらわないと中絶はできない。首都ベルリンでは2000年に約1万5000件の相談があり、約6分の1に当たる約2500件が中絶を回避した。厚生労働省によると、03年度の日本の中絶は約32万件で、ドイツにならえば5万人の赤ちゃんが生まれていたことになるが、日本の少子化対策は事実上、出産後しかカバーしていない。「昨年は1万人の差で人口減社会になったけど、安心して産みなさいという社会にすれば、赤ちゃんは増えるはず」

月に3、4回の講演をこなし、昨年は、センターの活動をつづった、7冊目の著書も出版した。天国のご主人は、宿題帳を見て、なんて言いますかと問うと、「こりゃあかんて、全部ばつを付けられたりして」と、狐狸庵先生(遠藤周作氏のニックネーム)ばりのユーモアが返ってきた。(阿部文彦)

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[失われた命の尊さ]
NPO法人用ブリオ基金センター理事長 遠藤順子
生命尊重ニュース 小さな命を守るために 巻頭言2004年9月号 Vol.21 No.236

今さら改めて命の尊さについて申し述べねばならぬ事態が到来するとは五十九年前、日本人の誰が想像したでしょうか? 中国とのあの無謀な戦争が始まって以来、すでに我々は沢山のかけがえのない命を失って来ていました。それだけでも充分過ぎるほどの喪失であった上に、太平洋戦争の最終段階では、アメリカ軍による原爆投下の犠牲になって、広島で十四万人、長崎で九万人の方々が亡くなりました。戦争が終わって辛くも死を逃れ生き残った人々は誰しも、やっと平和が来て己の命が助かった陰には、沢山の犠牲があったことを自覚していました。失われた命の尊さを噛みしめ、その方々の分まで頑張って懸命に生きて日本を復興せねばと、心のどこかでは何時もそう思っていた気がします。

結婚して出産する若いカップルは、妊娠が判った段階から新しい命を授かったことを神仏に感謝し、無事出産を祈り、授かった命を守り育てる為に心を籠めて子育てをしてきました。しかし日本経済の高度成長にともない、すべてが効率化する中で、個々の人間性は無視され、夫婦親子の情愛なども組織の歯車を効率よく回転させる為には、むしろ有害なものとして排除される傾向が続いたのではないでしょうか。あれ程命の大切さを戦後痛切に記憶していた筈の日本人が、今や一年に(厚生労働省記録三十五万人)推定実数百万人の胎児の命を妊娠中絶によって奪っています。終戦から二〇〇〇年迄の五十五年間に、実に六千七百万人もの胎児達が与えられた生涯を一日も生きること無く葬られてしまったのです。失われてしまったその夥しい命の中には優れた才能や頭脳を持った人間も多数いた筈です。もしその人々が現在生きていたとしたら、日本の国力はもっと増強されていた事でしょう。

しかし残念ながら現在わが国では妊娠中絶数は増加の一途を辿り、年齢層も年々低年齢化しています。一九七五年には三・○%だった十代の中絶率は二十九年経った今日では何と四倍以上の十三%にまで達しています。六月号の生命尊重ニュースに記載された北海道に於ける性体験調査によると、中学生で十%から二十%、高校生では三十五%から七十%が性体験をしていると報告されています。ある産婦人科医によると十代の妊娠の場合、親には相談せず親友同志が互いに援助交際をして中絶費用をカンパしあう傾向の由。中には小学生で性体験のある子もあり性体験の低年齢化に伴い、性感染症も急激に当然年々増加しています。生まれた赤ちゃんの肥立ちが悪い為に検査を行った結果、HIVに感染していたと判明したが余りに相手が複数である為、感染源がわからなかったと言う事例も聞いています。

一人の人間の身体の中には六十兆に及ぶ細胞があり、その一つ一つの細胞の核の部分には一人一人異なる三十五億の遺伝子情報が微細な螺旋状のテープの上に記載されている事が今や判明しています。しかも量的な差異はあるにせよ、この原則はすべての生物に当てはまります。世界中の科学者が集まっても微生物の命すら作れないのが事実とすれば、まして胎児の命について人間はもっと謙虚であるべきではないでしょうか。

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