「このごろ考えること」
小田実さん
9条ピースフェスタinヒロシマ 2006年11月3日
兼:「ひろしま医療人・九条の会」結成総会 記念講演

「九条の会」のパンフレットにある「憲法九条はいまこそ旬」は、私が言い出したことです。今、土井たか子さんと同じ西宮市に住んでおり、阪神淡路大震災もそこで受けました。2年ほど前に西宮の市民が主催し、土井さんたちと一緒に憲法の集会を開きました。たくさんの市民が参加してよい集会だったのですが、会場に掲げてある横断幕を見たら、「憲法は今でも旬」と書いてありました。「今でも旬」とは、「古いけれど、今でもいけまっせ」ということです。これはおかしい、憲法は「今こそが旬だ」という話をしたのです。憲法は古くはなく、「今こそ旬だ」という話をします。

「9.11」事件後、アメリカは世界制覇を目指し、アフガニスタンをやっつけ、イラクをやっつけ、あちこちに手を伸ばしていました。初め武力による制圧を狙ったのですが、それがだんだん行き詰り、ここにきて平和的交渉でしか動かないことがだんだん分かってきました。日本国憲法は、問題を武力で解決しようとするのはやめようじゃないか。武力を使わず、粘り強い交渉、平和的手段しかないと言っています。

 私たちは殺し、焼き、奪ってきた歴史を持っています。そして最後は殺され、焼かれ、奪われました。大阪生まれの私は戦時中、空襲を経験しました。そして、この戦争の最後は原爆でした。殺され、焼かれ、奪われたあとで、戦争したらダメだということを知ったのです。われわれは侵略戦争をし、アメリカのように「正義の戦争」を振り回すほうも、原爆を落としたのです。その結果、「正義の戦争」なんてないという認識を持ったのです。戦争のための軍備がない国をつくる、世界をそのように変えようではないかという基本的な立場で作られたのが憲法で、過去の歴史、過ちの歴史に終止符を打とうとしたのです。最後に戦争をしていたのはアメリカと日本です。最後の戦争をしたわれわれだからと、究極のところで考えたのが、「戦争をしたらおしまいだ」ということです。戦争のない世の中を作るということが基本にあるのです。

 今の状況を見ると、アメリカがゴリ押しで、戦争をして回っている。その結果、ニッチもサッチも行かなくなっています。2年前に西宮で話した「今こそ旬だ」は、憲法について、そういう考え方を持とうではないかということだったのです。2年が経ちましたが、今はもっとそれがぴったりの状況になっています。イラクでは何も解決していません。ベトナム戦争の末期と同じようになってきました。アメリカの中間選挙で民主党が復活するのではないかと報道されています。恐らくそうなるでしょう。強圧的にイラク政府を打倒したが、そのあとはどうなりましたか。何も解決していません。アフガニスタンもイラクも騒乱の巷になっています。アメリカはどうしていいか分からないところに来ているのです。

アメリカはベトナム戦争の最中も、「トンネルの出口が見えてきた」と何度も繰り返していました。「泥沼から出るんだ」と。しかし、ベトナム戦争でも、出口から出られませんでした。最後にはすごすごとベトナムから引き上げました。イラクはそういう状況です。アメリカは今、われわれの憲法の道をたどらざるを得ないところに来ています。その意味で、アメリカにとっても世界にとっても、これしかないという広がりを持っているのが私たちの憲法です。

 日本は、アメリカの尻馬に乗ってこれを変えようとしています。小泉政権に続き、安倍政権がやろうとしていることは本当に愚かなことです。間違っているという以上に、愚かです。国の将来だけでなく、世界全体の将来を誤る。大変なことになるでしょう。アメリカの将来にも影響します。だから、今日の、この集会は、非常に大事な一歩ではないかと思うのです。愚かなことは、悲惨なことを招くのだということを忘れてはいけません。戦争に正義はありません。私たちは正義の戦争はないことを痛感しました。そのことを繰り返し考えないといけないのです。だから、「今こそ旬」なのです。

 日本の憲法は大きな特色を持っています。戦争を始める人は、政府や財界の大立者です。しかし、実際に戦争をするのはわれわれです。狩り出されるのは、あなたのような、私のような「小さな人間」です。小さな人間がいない限り、戦争はできません。

 ベトナム戦争はアメリカの、まさに「小さな人間」を狩り出しました。私はこの戦争のなかでアメリカ軍の脱走兵を助ける活動をしました。否応なく大勢の米兵と付き合いました。米軍の中に反戦兵士の会ができ、岩国の海兵隊基地では大きな動きがありました。最大の基地の中で反戦兵士の運動が起こったのです。私たちは、兵士の運動とつながりながら、脱走兵を助ける運動を展開しました。小さな人間が動かない限り、戦争はうまくいきません。小さな人間が「ノー」と言ったら、戦争はできないということがよく分かりました。最終段階で兵士たちは「ノー」と言いました。反戦運動の世界的な広がりとともに、兵隊たちのやる気がなくなりました。これでは戦争はできません。結局、アメリカは戦争をやめることになりました。イラクは今、そういう状態に差し掛かっています。 

 アメリカはベトナムのような戦争に懲りて、精鋭部隊を作るため志願兵の制度を作りました。徴兵した連中は何をするか分からないというわけです。しかし、それでは兵士が足りないのです。イラク戦争で死んでいるのは、正規の軍隊ではなく大部分は州兵です。州兵は各州がそれぞれ持っている兵士で、広島県が持っている兵士のようなものです。これらの兵士は普通の人に近い人で、「まさかこうなる」と思っていない人たちです。正規の軍隊である志願兵を置いて、州兵を使い出したのはベトナムと全く同じです。イラク戦争に反対する動きがもっと出てくるでしょう。マスメディアは深く分析していませんが、この戦争は何のためにやっているか、分からなくなってきています。仕方がないから、ブッシュも和平工作をしていますが、追い込まれています。これはベトナムの再来です。

 当局者にとっては嫌なことですが、ベトナム戦争はアメリカ人にとってマイナスのイメージがあります。日本人はのんきで、ベトナム戦争は勝ったか負けたか分からないような世論が強いのですが、アメリカでは「すべきでなかった戦争」「間違った戦争」ということになっています。推進役のマクナマラ元国防長官の名前を取って、ベトナム戦争は「マクナマラ戦争」と呼ばれましたが、彼の回顧録で「間違った戦争、すべきでなかった戦争」と言っています。また、ブッシュ政権の国務長官だったコリン・パウエルをご存知でしょう。自分でも余り信じていない顔をして、イラクに大量破壊兵器があると言った人です。彼もかつて「ベトナム戦争は間違っていた」といった一人です。アメリカ人は「すべきでなかった戦争」だとしているのです。同じようなことが今、イラクですすんでいる。 

 輝きを増してくるのは、問題解決を平和交渉でやるということです。安倍さんはポチみたいな人ですが、日米同盟を言うなら、もっとアメリカに主張すべきです。世界情勢を見たとき、この憲法は大事だということを、みなさんは目を見開いて見てほしい。日本にとってだけでなく、世界にとってもアメリカにとっても大事なのだということを、もう一度考えてほしい。

 もう一つ大事なことは、小さな人間のことを考えて作ったのが、この憲法です。その意味で世界に冠たる憲法です。この憲法は、世界全体の平和を考えると同時に、小さな人間を考えています。政治の権力者ではなく、財界の大立者ではなく、金儲けする人でもない、私のような、皆さんのような、戦争に狩り出され、戦争で被害を受ける人のことです。この憲法は3つの特徴を持っています。

 一つは前文です。前文は日本の未来だけでない。世界を変えようと宣言しています。見事です。この前の戦争で最後に残ったのは日本だ。世界を相手に戦い、悪いことをした国が、堂々と宣言したのです。「われわれは前非を悔いる。間違ったことをした。しかし、世界全体はおかしいじゃないか。これを変えよう」と高らかに宣言した。そして、これを実行しようじゃないかと力説している。広く、大きなことを言っているのです。

 にもかかわらず、小さな人間の立場を出している憲法です。それを立証しているのが24条と25条です。ここに集まっているみなさんのような小さな人間の立場に立って考えようとしているのがこの憲法であり、非常に特異な憲法です。世界の憲法には、基本的人権尊重するとか、言論の自由などを書いていますが、こと細かに書いているのはこの憲法しかありません。

 25条では、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。こんなに具体的に書かれているほかに憲法ありません。25条第2項では、「国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とあります。国がすべきだといっている。憲法は権力者に守らせるためにある。総理大臣以下、天皇もこれを守れと書いてある。国民が守れとは書いてない。権力者はこの憲法を守れといっている。これが大事なのです。25条は、国はやらなければいけない。「国民がやれ」ではないのです。

 26条は国民の教育です。「すべて国民は法律の定めるところにより、その能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有する」。「権利」ですから、私は義務教育という言葉をやめて、権利教育という言葉を使っています。私たちは明日、芦屋で市民集会を開きます。われわれの立場から、教育の問題を徹底的に論議しようではないかというものです。われわれにとって、どういう教育が望ましいかを議論する集会です。ところが、26条の2項は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う」とある。1項で権利があるといいながら、2項では義務に転化しています。権利だから国はその手立てを取らなければならないのに、義務に転化しています。これはおかしい。このカラクリに、もっと注意を向ける必要があります。

 24条は婚姻の自由、家庭の問題です。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」。第2項では、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならい」とあります。これも、国がやらなければやらないといっています。24条と25条は際立っています。ところがいつのまにか、26条では国民の義務に転化している。このことは、考えなければならないところです。 24条では、両性が性を維持することを国がやらなければならないのに、国はやっていない。ごまかしていることがはっきりしています。このように小さな人間の権利を見事に書いている憲法は全世界にありません。24条を作ったのはアメリカの若い女性で、ベアテ・シロタ・ゴードンです。この人のお父さんは有名なピアニストで、戦争中日本に住んでいました。娘のベアテさんは日本語ができて、日本語を良く知っている人です。この人が、24条に小さな人間の権利を入れたのです。小さな人間がこれからどうやって生きていったらいいか、ということを書いている。憲法は遥かかなたの問題ではなく、自分たちのことなのです。

 大事なことは戦争が起これば、大きな人間は逃げていくが、小さな人間は殺される側、殺す側に回る。そういう関係に立つ限り、小さな人間の人生はダメになる。だから、24条、25条は9条に「接続」するのです。憲法9条を守れば、この国はすばらしい憲法を守ることになる。前文は、世界の変革に寄与しようと訴えている。世界の変革までつながるのです。バカな政権はこれを変えようとしている。われわれは今、大事なところに立っています。小さな人間から出発して、憲法9条になる。さらに、9条と結びついて前文になる。先ほど松元ヒロさんが高らかに宣言したように、前文は、世界の問題として考えようではないかと言っているのです。

 前文だけ見ると抽象的ですが、24条、25条から出発し、連結して考えている憲法は世界にありません。私たちはすごい憲法を持っている。その立場から考えていただきたい。小さな人間の人生から、大きな問題まで行くんだということ。大きな問題までいかないと、世界は救われないこと。そのことを考えてほしい。世界が救われないから、ロクでもないことが今、起こっているのです。今の憲法の重要性はお分かりかと思います。

 次に今、起こっている状況について話してみます。今年の5月3日、NHKラジオに引っ張りだされました。憲法討論会です。ラジオで静かにしゃべるということで引き受けました。討論の相手は寺島実郎と松本健一という人です。二人とも改憲論者です。松本さんは「現実はこうだ。だから変えないといけない」と言う。「現実には、世界が戦争しているではないか、北朝鮮のこともある。だから、対応しなければならない」ということです。寺島さんも同じ意見であり、NHKの司会者も同じような意見でした。「9条の戦争否定の第1項は置いておく。侵略戦争はしないということだ。第2項は、戦争全体を否定するのではなく、自衛のための戦争はあり得る。交戦権はあるのだ。どこかが攻めてきたらどうするかを考えないといかん」と、二人は言っていました。

自民党の憲法草案を見ても、第1項はそのままにして、第2項を変えろといっている。「自衛隊を自衛軍にし、憲法の枠組みを定め、今のようにイラクに派兵するようなめちゃくちゃなことはできないようにする。そのためには憲法の枠組みをちゃんとはめるんだ。第2項を変えるんだ」という主張が今、強力に出てきています。2項を変えたら戦争をすることになります。自衛の戦争は否定していないのです。北朝鮮がどれくらい恐ろしいか、恐ろしくないかというような議論はやめて、どこの国が来ようが戦争していいのかという問題を話してほしい。

 私は戦争中の人間で空襲体験を持っています。松本さんや寺島さんは夢想家で、夢を見ていると思います。戦争中の体験から言うと、近代的な兵器を持っていても、ガソリンがないと戦争はできません。飛行機は飛ばないし、戦車は動かない。戦争中、飛行機は飛ばなかった。空襲を受けても戦闘機は飛ばなかった。松根油では飛ぶはずがないのです。もう一つ大事なことは食料がなかった。私も飢えた子どもだった。配給切符はもらったが、配給切符に見合う食料はありませんでした。あの戦争がもう6ヵ月続いたら、多くの人が餓死していたでしょう。少なくとも大都会の人はそうです。今、日本の食料の自給率は40パーセント。あの時よりも、もっと低くなっています。食料自給率が40%の国が戦争できますか。アメリカも、ドイツもフランスも持っている。日本にはないのです。石油も食料もない国が、どう生きていくか。平和憲法を作って、これが一番いいのだということになった。戦争のない、軍備がない世界を作っていこうと書いてあるのが憲法前文です。きわめて現実的です。

 これを変えるのは幻想で、おとぎばなしです。もっとリアリストに徹してほしい。理想を追求することだ。理想を追求することが一番の現実的なのです。いろんなことに幻惑されないようにしたい。「平和憲法なんか夢想だ」という人こそが夢想なのです。リアリズムに徹してほしい。そのことを忘れてはいけません。防衛庁の幕僚長をしていた竹岡勝美さんという人が個人的に一生懸命キャンペーンをしているることがあります。彼は、日本海沿岸にずらりと並ぶ原子力発電所をやめればいい、と言っています。原子力発電所がミサイルの一番の対象になり、ミサイルが打ち込まれれば、凄い惨禍が起こる、と。こういった根本的な意見を誰も言わない。そういう意見を言う人はテレビに出て来ない。竹岡さんは防衛庁の高級官僚だった人です。「本当に脅威を感じるなら、原子力発電所をやめなければいけない。原発をやめないと防衛できない」といっているのです。そういうことをカッと目を見開いて考えないといけない。集まって「憲法九条を守れ」というだけではなく、一人ひとりが勉強し、研究し、そして自由な発想をしていくことが大事ではないでしょうか。

 べ平連の運動などをしてくる中で、「小田さんたちは虫瞰図だ」とよく言われました。地上を這っている虫の目でモノを見ている、と。鳥瞰図は空から見る見方であり、対照的な見方です。虫瞰図で見ることは、リアリズムでモノを見ることです。「この国は戦争できない国だ」というリアリズムが必要なのです。虫は空を見ます。空は自由です。安倍さんなど鳥瞰図の人は上から見ている。鳥は永遠には飛べない。だから、地上を見ないといけない。どこに下りるかをいつも探し回っているのです。虫のほうが自由な発想ができる。虫に徹していくこと、そういう発想の転換が今、必要になっています。われわれに必要なのは認識と思考です。認識は「虫瞰」に徹し、思考は自由にする。虫の発想で大きく見る。世界の変革まで考えることです。もう、そこまできていると思う。小さな人間の視点で見ることです。その意味で、この集会がすばらしい出発点になることを期待しています。