[澄んでも汚い海 諫早湾干拓「閉め切り」10年]
魚類は激減「生活できん」
環境エコロジー 朝日新聞 2007年5月31日

→見出しページへ


諫早湾を閉め切って作った調整池。有明海(奥)との色の違いが鮮明=4月5日、長崎県諫早市で、本社へりから、溝脇正撮影

諌早湾干拓事業
農林水産省が農業と防災の目的で、諫早湾を長さ約7キロの潮受け堤防で閉め切り、干拓地と調整池を造る総額約2500億円の事業。01年に事業を見直し、干拓地の造成面積は半減した。今夏、工事を終える予定。満潮時には海水を外側にとどめ、千潮時に調整池の水を海へ出す。

長崎・諫早湾が、97年に「ギロチン」を思わせるような鋼板で閉め切られて10年。こうしてできた潮受け堤防は、「有明海の子宮」と呼ばれた干潟を消滅させた。堤防の外、有明海では漁の稼ぎが減り、陸に上がる漁民が目立つ。堤防の内側にできた調整池も茶色く濁る。諫早湾干拓事業は、全国有数の豊かな海の姿を、大きく変えてしまった。(岡田玄、佐々木英輔)

「もう何人が陸にあがったか。仲間が減っていくのは寂しか」。長崎県島原市の漁師松本正明さん(55)は、諫早湾から有明海に出たあたりを漁場とする。今春、イイダコ漁の水揚げは、潮受け堤防を閉め切る前の3分の1ほどだった。閉め切り後、取れなくなった魚種が目立つ。「チヌ、コウイカ、シログチ、フグ、コノシロ、コハダ、シロェビ……。きりがなか。増えたのはボラぐらいじゃなかですか」。諫早湾北岸にある小長井町漁協の理事、諌早市の松永秀則さん(53)は、ヘドロまみれの定置網を引き揚げながら言った。以前は、高級なすしネタの二枚貝、タイラギで稼いでいた。一冬で2千万円近く。それが、干拓工事が始まった直後の93年からは休漁続きだ。海に潜ると砂の上にヘドロが積もり、小さなタイラギが無数に死んでいた。タイラギがわずかに生育したのは、短期の開門調査をした02年と翌03年だけだ。

干拓では諫早湾にあった約2900ヘクタールの干潟が消えた。代わりに約700ヘクタールの農地と農業用水をためる調整池ができた。池の水は、水質の悪さを示す化学的酸素要求量(COD)が7.9ppm(06年)。県の定めた基準値5ppmを上回る。その水が月に数回、潮受け堤防の南北にある排水門から諫早湾に放出される。水門は今のところ、それ以外に開ける計画はない。松永さんは語した。「閉め切り前のような海に戻らないと、漁師はもう生活できんとですよ」

潮流弱まり赤潮広がる?

有明海では00年度、名産のノリが大凶作となり、干拓事業の湾外への影響が改めて論議となった。熊本県立大の堤裕昭教授は、98年以降に赤潮の発生日数や面積が有明海奥部で増え、同じ気象条件でも規模が拡大する傾向があると指摘する。「河川から入る窒素やリンの量に変化はない。潮流の減少が影響している可能性が高い」有明海の変化は、「濁っているけれどもきれいな海」が「澄んでいるけれども汚い海」になった、と例えられる。有明海は干満の差が最大6メートルと大きく、その潮流が泥や砂を巻き上げて、海を濁らせる。だが閉め切り後、あまり濁らなくなったようだ。干拓で奥行きが詰まり、潮流が弱まったためと指摘される。濁りは太陽光を遮るため、赤潮につながるプランクトンの増殖を抑えてきたと考えられている。

諫早湾や有明海奥部では、海底近くの酸素が減る貧酸素水塊も観測されている。上下のかき混ぜが滅り、赤潮などで底に有機物が増えたためとみられる。有明海の漁獲高は、80年代から減る傾向が続く=グラフ。長崎大の最近の堆積物の研究では、奥部で大規模干拓があった60年代後半〜70年代から海の富栄養化は進んでいたことが分かった。一方、最近は底に住む魚の滅少が目立つ。「諫早湾干拓が最後の一押しをした恐れがある」と同大の中田英昭教授はいう。海の変化には、様々な要素が絡む。諫早湾の干拓が有明海にどれほどの影響を及ほしたか、その度合いについては研究者によって見解が異なる。閉め切り前のデータが少ないことが一因となっている。

→見出しページへ