[市場原理と医療、米国の失敗から学ぶ] 第一回
李 啓充 医師/作家(前ハーバード大学医学部助教授)
「どうする日本の医療」第26回日本医学会総会ポストコングレス公開シンポジウム(第2回東京)より
日本医師会・日医ニュース 第1049号 2005年5月20日

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「市場原理を導入して、患者の選択の幅を広げよう」という、耳ざわりの良いキーワードを使って、アメリカ型の医療をまねしようという勢力がある。先進国のなかで、医療を市場原理に委ねているのは、アメリカだけである。アメリカの医療に詳しい李氏が、その問題点を指摘した。

日本の医療制度改革の論議のなかで、主に二つの勢力が声を強めている。一つは、ビジネスチャンスの創出を目指す規制改革・民間開放推進会議に代表される勢力による動き。そのなかで市場原理の導入、株式会社による病院経営、混合診療の解禁などが主張されている。もう一つのグループは、医療費抑制が最優先であると主張する財務省あるいは財界である。

民間企業に支配された医療保険

アメリカは、医療を市場原理で行っているため、民間の保険会社が販売する医療保険が主流となっている。ところが、市場原理で物事を運営すると、力の弱い人、お金のない人がシステムから排除されてしまう。その典型例が高齢者である。有病率が高い高齢者を対象に民間の保険会社が医療保険を設定すると、どうしても保険料が高くなる。すると、年金で暮らしている高齢者は、保険料が高いために保険に加入できないということになる。

1965年まで高齢者の医療保険もすべて民間企業が運営していたが、ジョンソン大統領(当時)が、高齢者のために「メディケア」、低所得者のために「メディケイド」という公的医療保険をつくった。市場原理から落ちこぼれた人々への救済制度である、この二つの保険には、国家総予算の16%という巨額の税金が投入されている。それでも救い切れずに、無保険者が四千万人以上いる。これがアメリカの医療保険制度の実情なのである(表)。

表 アメリカの医療保険制度

民間医療保険(市場原理で運営) 1億7,130万人
公的医療保険(市場原理から落ちこぼれた人々への救済制度)
メディケア(高齢者・障害者) 4,050万人
メディケイド(低所得者) 2,910万人
無保険者 4,060万人

さらに、市場原理で医療保険を運営すると、非常にお金がかかる。民間の医療保険会社は利潤を上げないと株価が下がるので、保険料を集めても、医療費を抑えることが美徳だとされている。アメリカの保険会社は、集めた保険料を百とすると、平均では八十一しか医療に還元していない。結果として、国民一人当たりの医療費支出は五千ドルを超え、日本と比較すると非常に高いのである。

アメリカの一人当たり医療費支出のうち、二千三百六ドルを税金が占めている。この金額は、日本人一人当たりの医療費総額よりも高い。アメリカが使っている税金だけで、日本の医療費はお釣りがくるということになる。ポイントは二点。日本が極端に医療費を切り詰めていること。そして、アメリカは医療費を賛沢に使ってはいるが、医療を市場原理に委ねており、社会全体としては非常に効率が悪くなってしまっていることである。

市場原理による医療の問題点

市場原理にリードされた医療には四つの問題点がある。第一に、力の弱い人が排除されてしまうこと。民間の保険会社が利益を優先させるために病人などを加入させなくなり、社会に無保険者が増加し続ける。

第二に、力の弱い人、病気の人ほど負担が重くのしかかる、という負担の逆進性が挙げられる。大口顧客である民間保険加入者には、病院が医療費をディスカウントするが、値引き交渉をする術のない無保険者には高額を請求している事実がある。無保険者が病院を利用すると、病院に莫大な借金をすることになり、それが複利で膨らんでいく。さらに、この借金に対して、取り立て会社が持ち家に抵当権を設定し、債務者に対して逮捕状を請求する。こういった裁判の手続きや弁護士の費用までも次々と借金に加算されていくという、地獄のような制度なのである。現実に、医療費負債による個人破産が急増しており、非営利病院までもが、このような過酷な借金取り立てを行うので、無保険者にとって非常に厳しい社会ができ上がっている。

第三の問題は、非営利病院が営利病院の経営手段を模倣しないと生き残れない、「バンパイア効果」。社会から、良心的経営をする医療機関が消えてしまう危険がある。

第四に、市場原理を導入しても、医療費が下がる保証がない。アメリカでは、薬剤が非常に高い価格で販売されており、世界一高価な薬を患者は買わされている。「官製市場けしからん」といわれているが、医療を「民」に委ねてしまうと、このように恐ろしいことが起こるのである。

病院の株式会社化がもたらすもの

株式会社による病院経営を展開している国は、世界中でアメリカのみである。その営利病院の実態は、どうなのだろうか。百十三の病院、二万八千床を所有する、テネット社というアメリカ第二位の病院チェーンは、2002年の売り上げが一兆七千億円・前年比15%増、税引き後の利益が千二百億円・前年比51%増という、非常に優良な経営を展開している。

どのように利益を維持していくかというと、まず、強引な手法で市場を寡占し、競争相手をつぶして、言い値で商売ができる状況をつくり上げる。次に、合理化と称し、ベテラン看護師の解雇、不採算部門の切り捨て、患者に対する高額請求などを実行する。そして、大病院チェーンはこのようなあこぎな経営を続けた揚げ句、ほぼ例外なく、組織的診療報酬不正請求などの違法行為を犯すのである。

テネット社は、2002年10月に診療報酬の不正請求の発覚により、株価が暴落している。さらに、健康な人に心臓手術を多数行い、FBIが強制捜査に入ったこともある。他にも、年商二兆二千億円というアメリカ最大の病院チェーンであるHCA社は、2000年に診療報酬の不正請求で九百七十億円を連邦政府に支払い、示談成立。2002年12月にも千九十億円、同様の事例で示談を成立させている。株式会社のチェーン病院では、往々にしてこのような事件が起こる。

患者への高額請求の例として、入院して胸部のレントゲンを撮ると、非営利病院では一万二千円のところを、テネット社の病院では十五万円が、また、赤血球、白血球数の測定は、非営利病院で五千円、テネット社の病院では五万四千円が請求される。このように、民間保険加入者はディスカウントがきくが、無保険者は全額請求されている。同様に、血液生化学検査は一万円弱に対して十七万円、頭部CTは十万円弱に対して六十六万円。このような商売をすることで利益を維持しているのである。

では、日本は大丈夫なのだろうか。在日のアメリカ商工会、あるいは駐日アメリカ公使が、「株式会社による病院経営を早く認可せよ」と日本政府に働きかけている。もし、前述のような企業が強大な資本力とともに日本の医療市場に進出してきたら、どうなるのか。空恐ろしい思いをしているのは私だけであろうか。

さらに、病院が株式会社になると、死亡率が増えるとのデータもある。非営利から営利に変わると、入院後の死亡率が0.27から0.39に、約50%増加。反対に、営利から非営利に転換すると、死亡率は若干減少。患者一人当たりの入院費は、営利に変わると20%増え、非営利に変わっても、さほど変化しない。全体の傾向としても株式会社の方が医療の質が悪く、コストも高くづいていることをデータは示しているのである。

[市場原理と医療、米国の失敗から学ぶ] 第二回
李 啓充 医師/作家(前ハーバード大学医学部助教授)
日本医師会・日医ニュース 第1050号 2005年6月5日

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混合診療の禁止というのは、「保険診療と自由診療の混合を認めない」という日本の医療保険制度のルールである。オリックスグループのCEO(最高経営責任者)であり、規制改革・民間開放推進会議の議長を務めている宮内義彦氏は、混合診療が目指す姿を、「国民がもっとさまざまな医療を受けたければ、『健康保険はここまでですよ』、後は『自分でお払いください』というかたちです。金持ち優遇だと批判されますが、金持ちでなくとも、高度医療を受けたければ、家を売ってでも受けるという選択をする人もいるでしょう」(週刊東洋経済2002年1月26日号)と説明している。これが、彼らの「選択」という言葉の中身なのである。私たち普通の医師には、「家を売れ」という台詞は口が裂けてもいえない。

混合診療解禁がもたらす問題

混合診療を全面的に解禁すると、四つの大きな問題が発生することが予見できる。まず一つは、お金があるかないかで、医療に対するアクセスが差別されること。公的医療保険で保険が給付されている限り、自己負担分だけ支払えばよいのだが、混合診療が認められて自由診療になってしまうと、供給側の言い値で商売ができるようになるので、裕福な人だけが高度な治療にアクセスできるという図式が生じるのである。

二番目は、えせ医療が横行する危険をはらんでいること。医薬品は安全性と有効性が確認されたもののみ承認する、という制度ができあがっているが、もし、混合診療が全面解禁されてしまうと、未承認の怪しげな薬による治療が蔓延する恐れがある。

三番目の問題は、医療保険本体がアビューズ(悪用)されること。例えば、美容整形手術が目的なのに、保険病名をつけて入院させるというようなことが起こると、保険診療本体のお金を無駄遣いされてしまうことになる。

最後に、保険医療が空洞化することが挙げられる。承認制度をバイパスして薬を使用することが可能になると、供給側の裁量でおいしい商売ができるようになってしまう。保険診療と自由診療の二本立ての制度が実現すると、承認を得るために高いコストをかけて臨床試験を行う製薬会社が存在しなくなり、最終的には、「保険診療は時代遅れ」といわれることになるだろう。

このような事態を避けるために、保険診療と自由診療との混合を認める、いわゆる混合診療を全面解禁するという過ちは、決して犯してはならないのである。

すり替えられてしまった論点

実は、混合診療解禁の論議では、巧妙に論点のすり替えが行われている。本当の問題は、必要な治療が保険診療に含まれていないという点にあり、混合診療が認められていないことではない。アメリカの高齢者救済のための公的医療保険「メディケア」では、「ある治療に保険を適用してほしい」という申請を、製薬会社・医療機関・患者の三者それぞれが行うことができる。このような制度を日本にも取り入れることができれば、「混合診療が必要だ」などという議論は起こらないはずである。

必要な治療、適切な治療は、保険で給付する。そのために、保険診療が時代遅れにならないような制度をつくる。そういったことこそ議論すべきなのであって、混合診療の解禁が是か非かなどという馬鹿げた論争は、もういいかげんに終わりにしてほしいものである。

市場原理導入後の医療の姿

「市場原理、競争原理の導入」という言葉は耳ざわりの良いキーワードだが、これを医療で実現したとしても、資本力の強い者が市場を制圧するということしか起こらない(表1)。医療の質の向上は保証されていないのである。そもそも医療というのは、言葉は悪いが、人の命をかたにとってお金をいただくという、非常に危うい生業である。それゆえ、医療の倫理というものを厳しく守ることに同意した者のみが、サービスにあずかることを許されているのだが、そこに市場原理が介入し、命が惜しければ金を出せとか、家を売る選択もあるだろうとか、そういうことをいわれても本末転倒なのである。

表1 医療制度改革を巡る議論でのキーワード=「幻想」

市場原理・競争原理の導入(官製市場の打破)
資本力の強い者が市場を制圧する
質の向上を保証しない
医療とは「人の命をかたにとる」商売

「公」を減らして「民」を増やす(二階建ての医療保険制度)
所得格差に基づく医療差別の制度化
「公」と「民」による「つけの押し付け合い」

患者の選択の幅を広げる
市場原理の下では、逆に患者の選択の幅は狭まる
医療における「選択」:時間的・物理的条件が限られている
社会全体の医療の質を上げる努力をすることが本筋

さらに、「公」を減らして「民」を増やすという、混合診療解禁がもたらす公的保険と民間保険の二階建ての医療保険制度は、「民」を増やすことによって、所得格差に基づく医療差別が制度化される、ということに他ならない。

「患者の選択の幅を広げる」と規制改革・民間開放推進会議などは主張しているが、市場原理の下では、選択の幅は逆に狭まってしまうのである。市場原理が医療保険を支配し、無保険者が四千万人にも及んでいるアメリカの現状を紹介すると、民間保険加入者の場合、自分が加入している保険会社に指定医療機関として認められている病院か否か、無保険者の場合、無保険でも受け入れてくれる病院か否かということで、非常にアクセスが限られている。

患者の権利と医療の質の向上を目指して

近ごろ日本で、手術成績や、独自に点数をつけるなどして病院を選ぼうとする動きがあるが、急に重篤な状態に陥って救急車に乗せられた患者さんに、そのような点数を調べて病院を選ぶ時間的余裕はない。

今、一番必要なのは、社会全体の医療の水準を同等に上げる努力をすることである。救急車でどこの病院に連れていかれても、安心して手術を受けることができるという医療制度を確立しなければならない。医療倫理の四原則は、@患者の自律性を尊重するA患者に害をなさないB患者の利益を追求するC正義・公正に基づいた医療を行うーである(表2)。

表2 理想とする21世紀の医療のあり方

医療原理の4原則

(1)Respect for Autonomy (患者の自律性の尊重)
(2)Nonmaleficence (患者に害をなさない)
(3)Beneficence (患者の利益の追求)
(4)Justice (正義・公正)

医療の公共政策もこの4原則の実現を図るものでなければならない

患者の権利保障(法制化)
医療の質の向上(医療過誤対策も含まれる)

医療の質を向上させるための直接の施策が必要
診療報酬支払い方式の変更で質の改善は達成されない
公正な医療資源の配分
医療を市場原理に委ねることの危機:公正な配分を破壊
コスト削減からコスト効率改善への発想の転換

実は、医療におけるパブリックポリシー(公共政策)というものは、この四原則にのっとった医療を実現させるための制度をつくることを目標とするべきなのだが、なぜか日本では、残念なことに、コスト抑制やビジネスチャンスの創出といった、まったく関係のないところで議論が行われている。日本の医療保険制度改革の議論は、市場原理の側面からではなく、患者の権利と医療の質の向上という観点から始めるべきであると思う。

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