[死への準備教育]

[不安・焦燥感・虚無感を感じていて人が臨終の時をどのように過ごしているか知りたい]
[余命3か月の期間も過ぎて、今はいわばロスタイムを生かされているようなものです]

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[不安・焦燥感・虚無感を感じていて人が臨終の時をどのように過ごしているか知りたい]

(相談)1999.10.3
末期癌の患者さん本人のご覧になる掲示板を探しておりましたが、適切なものが見つけられませんでした。こちらの相談欄に載せていただくことはできませんでしょうか。又は「ここは?」というサイトを教えていただくことはできませんでしょうか。父はあと1ヶ月ほどではないかと思われます。あまり時間がありませんので失礼とは思いましたが、メールを送らせていただきます。以下が掲載希望文です。

癌であることを告知され、残りわずかであることを知っている人にお尋ねしたいのです。当方66才男性です。「臨終の時」をどのように過ごされていらっしゃいますでしょうか。不安感や「こんなことをしていていいのか。なにか最後にやるべき事はないのか。」という焦燥感、何ができるのかという虚無感を感じています。皆さんはそれらをどのように考え、過ごされていらしゃいますか。ご意見、お考えをお知らせください。

なにとぞお力をお貸しくださいますよう、お願い申し上げます。

(答え)1999.10.4
メイルありがとうございました。状況がわかりませんが、父上はなぜあと1ヶ月ほどではないかと思われるのでしょうか。医者から見放された末期癌でも、治ると信じて自分で治した人たちもいます。一度、川竹さんのホームページを見てください。さて、私のホームページにはご覧の通り「掲示板」はありません。一冊の本とデーケン先生の言葉を紹介しておきましょう。

まず本は、鹿児島でホスピスを作って、末期癌の人たちのケアをしている医師が書いた本です。堂園晴彦著「それぞれの風景 人は生きたように死んでゆく」(日本教文社刊1524円)

デーケン先生の「人生の危機への挑戦」と題した講演(1999年1月31日、びんご・生と死を考える会主催の市民公開講座)から引用します。

死ぬ前にしておくべき五つの課題があります。
第一に、執着から自由になるための手放す態度(何を持つかということより、いかにあるべきかということが大切)
第二に、自分自身をより豊かにできる許し
第三に、感謝すること
第四に、さようならを告げること
第五に、自分自身の葬儀の準備をしておくことです。

ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)1999.10.5
お返事ありがとうございました。堂園晴彦先生のご本、探してみます。川竹さんのホームページ拝見しました。正直に申しますと、「直るかもしれない」と思ってだめであったときが私は怖いのです。

「自分自身をより豊かにできる許し」
豊かにできる許しとは何でしょう。私には充分理解することは出来ませんが父に伝えさせていただきます。

一つひとつの言葉をよく考えてみたいと思います。ありがとうございました。

(答え)1999.10.5
お答えします。「だめであったときが私は怖い」というだけではなく、ご本人がどうかということを考えるべきです。少しでも希望をもって、生きる時間を持つことが出来れば、どのような結果になろうともきっと満足されると思います。死ぬことを考えずに、生きることを考えればよいと思います。

「自分自身をより豊かにできる許し」というのは、今まで、憎んだり、争ったりしてきた人を許すことによって、自分も救われ、豊かな人間性を持つことが出来るということです。

ではまたいつでもメイルをください。

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[余命3か月の期間も過ぎて、今はいわばロスタイムを生かされているようなものです]
ロス・タイムを生きる「畢竟依」終刊によせて
末期癌の福山・崇興寺住職・枝広昭見さん48歳、1997年12月16日

ドーハの悲劇から四年、一時は絶望的と思われていたサッカーのワールド・カップ・フランス大会出場の希望が見えてきて、低迷していたJリーグ人気が、復活してきたようです。と同時に、ロス・タイムと言う言葉もすっかり有名になりました。ロス・タイムというのは、前後半各四十五分の正式試合時間内に、試合の中断などで延びたわずかの時間を、四十五分間の後に引き続き試合を続行する、その時間のことで、本当にわずかの時間で、しかも、それが何分あるのかは主審のみ知るで、もちろん選手には全く分かりません。

二月に、腹腔鏡による胆のう摘出手術を受けた時の病理検査で、悪性腫瘍が発見されました。相当に進行しており、すでに転移している可能性が高いということでした。三月に国立病院で精密検査を受けたところ根治手術が成功する可能性があるということで、思い切って手術をうけました。手術時間が十一時間に及ぶ大手術でしたが、残念ながら、腹膜転移があり、再発は必至の状態でした。それでも、術後の経過は良好で、四月下旬には元気に退院しました。六月下旬になると黄疸症状があらわれ、身体全体に強い倦怠感が感じられるようになりました。腫瘍の再発で、肝内胆管(肝臓内の胆管)がつまり、胆汁が流れなくなったからでした。応急の処置として、肝臓に管を通し、体外に胆汁を排出する処置をしていただきました。七月上旬のことです。その時の医師の話では、「この処置をしたからといって、半年も一年も延命できるものではない。夏を越すのもなかなか厳しい。」ということでした。この話から、余命はせいぜい三ヶ月だなと覚悟を決めました。そのぎりぎりの期間内に、坊守の教師(住職)資格取得の研修(京都)と、長男慶樹の修学旅行があり、それが終わるまでは何とか生きていたいと、頑張ってきたっもりです。

余命三ヶ月の期間も過ぎて、今は、いわばロス・タイムを生きているようなものです。いつタイム・アップのホォイッスルが鳴っても不思議ではありません。そんな状態の中で、一日一日を大切にしながら、報恩講を迎えることができたら、と思っているこの頃です。私の場合は、現在の医学の常識では、生きているのが不思議なくらいで、今夜、病状が悪化して、急逝しても、おかしくないという、最末期ガンですから、文字通り、ロス・タイムといえますが、よくよく考えてみれば、人が人生を生きるということは、生まれたその瞬間からが、ロス・タイムです。なんとなく、平均寿命までは生きられると、錯覚して、つまり、平均寿命までが、サッカーでいえば、前後半の九十分で、それを過ぎてからが、ロス・タイムになると思い込んでいるのではないでしょうか。他人はともかく、この自分だけは、生きることができると、たかをくくっているのではないでしょうか。いえ、この私が、今年の二月まで、そのように思っていたのですから、仏教の無常を説きながら、釈尊の真意を少しも理解していなかったことです。(仏教の無常は、空しい、儚いという消極的な意味合いでだけではなく、今まで何度も「畢竟依」に書いてきたように、積極的な側面もあります)釈尊の根本仏教の立場、親鸞聖人の浄土真宗の教えを聴聞して、ありがたい報恩講と前坊守七回忌法会に偶いたいと思っています。今の体調では、本堂での勤行と長時間の聴聞は、とても無理で、居間に引いてあるスピーカーでの聞法になります。それにくわえて、門信徒有志のご好意で長年続いている100%手作りの精進料理のお斎も楽しみにしています。どうぞお誘い合わせて、ご参拝ください。11月14日記

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「命ある限り法座続けたい」
末期がん 福山・崇興寺の枝広住職、車いすで説法 門徒感銘
中国新聞1997年12月16日

「ロスタイムを生かされている。一カ月単位で目標を目指して頑張りたい」ー福山市東川口町三丁目、浄土真宗本願寺派崇興寺の枝広昭見住職(四八)は、末期の転移性肝臓がんを押して先週、車いすで寺の定例法座に立った。真宗僧侶(りょ)の気骨をにじませてしゃんとした姿勢で病状や心境を語リ、参拝者たちに感銘を与えた。

枝広住職は昨年末までは医者知らずの健康体で、毎月のように献血もしていた。二月の診断で胆のうがんと分かった。三月に手術を受けたが「あと半年だろう」と言われた。腹膜転移があって再発し、肝臓に管を通す処置を夏に受けた時「あと三カ月」と覚悟した。その後入退院を繰り返したが、自宅療養を決断して毎月の定例法座日である九日退院した。

数日前に二昼夜昏睡を続けて回復したばかリという枝広住職は病院から自坊に帰ると、車いすで門徒七十人の待つ本堂に向かった。肝臓から管を通して胆汁を体外に排出するバッグを付けたままだ。背筋を真っすぐ伸ばし、目には精気がある。やや力はないもののよく通る声でゆっくり語リ継いだ。坊守の教師(住職)資格取得や長男の修学旅行の予定があった九月までは生きたいと思っていたこと、その通りになって、次は寺の最大行事である十一月二十三日の報恩講までと望んで実現したこと…。「気力でがんばっていけるんだなあと思いました。一カ月先くらいに目標を設定して、それまでは生きようと思うようになった。目標を持っておれば生きてゆけるという精神で、定例法座にもかかわれるように頑張ろうと思ってきたわけです」。門徒の中には「子供さんたちはこれからなのに」と中学三年を頭とする三男一女や住職の心中を案じたり、涙をぬぐう姿があちこちに見られた。

一時間以上に及ぶ話を終えると、枝広住職は少し休んで「釈尊の根本仏教と親鷺聖人の浄土真宗に聞く」と題して家族や門徒総代らを前に「親鷺聖人の話を中心に教化させていただいてきたが、釈尊の根本仏教こそが親鶯聖人の浄土真宗につながっていることを述べさせてください」と講話。夜席でもその続きを一時間半にわたり話した。僧侶の勤めをなし終えて自室に戻ってもベッドに腰かけたままで、疲れた様子も見せず、気力の充実ぶりをうかがわせた。「新年一月の定例法座にも、また立つことができればありがたい」と、広島大文学部卒業後、大阪市内で高校教師生活を続け、十三年前に寺に帰ってから始まった定例法座に思いをはせた。日曜学校を開き、月刊寺報「畢寛依」(ひっきょうえ=究極のよりどころの意)を発刊するなど活躍して四年前に父重言師(七五)から住職を継いだ。

その寺報は病気で中断したが、約半年ぶり十一月中旬に出した百七十九号で「余命三カ月の期間も過ぎて、今はいわばロスタイムを生きているようなものです」と、命の不思議についての感慨をつづっている。坊守の敏子さん(四〇)は「長い物に巻かれない、と信じる道を歩んできた人ですから、長い物に巻かれずに済みそうで良かったね、と話し合ったりしています。病気だろうと健康だろうと、命には全く差はありません。いただいた命のある限り生き抜いてほしい」と話した。

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