[緩和ケアとホスピス]

[日本緩和医療学会][日本ホスピス在宅ケア研究会]
[緩和ケアの定義(WHO)][ホスピスのめざすもの]
[チームアプローチ]
[希望と共存]
[ホスピスで働くスタッフの資質]

[癌の痛みの治療:WHO方式の三段階癌疼痛治療法で痛みはとれる]

[スキルス胃癌(胃全摘後)の末期状態にモルヒネは有効か?尊厳死とは?]
[胃癌(進行癌):無理な手術は受けずにホスピスへ行きたい]
[ホスピスの定着はまず実践から] 葛井康子 1998年12月12日 朝日新聞・論壇
[ホスピスの現実を問い直そう]  早坂裕子 1998年11月6日 朝日新聞・論壇

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日本緩和医療学会

緩和医療を考える

国立がんセンター総長垣添忠生
日本緩和医療学会ニューズレター第19号 巻頭言 2003年5月

がんは永い間、完治が難しい病気と考えられてきた。しかし、最近の基礎研究の成果により、がんは遺伝子の傷が集積した結果発生する、慢性の疾患であること、遺伝子の傷をつける要因の多くが私達の日常生活、生活習慣と深く関係することがわかってきた。この理解は、がんの診断にも、治療にも、予防にも重要である。最近になって、ようやくがんになった人の約半数は治せるようになってきた。それでも、残念ながら、半数の方は亡くなる訳である。だから、がん患者の約半数に起こりうる終末期をいかに充実した生として過ごしてもらえるか、を真剣に考える学問が生まれてきた。がん緩和医療学である。

1989年、世界保健機構(WHO)は、がんの緩和医療とは、診断から終末期までの全過程におけるQOLを重視した医療、という捉え方を提唱した。必ずしも終末期医療のみに限定するのではなく、がん診療の全過程を対象として考える。この考え方が、緩和医療のみでなく、今や医療の世界全般に行きわたってきた。考え方の枠組みの変化といえよう。

この枠組みの変化は重要である。キーワードで考えただけでも、がん患者さん、その家族、QOL、意思疎通の技術、告知のあり方、告知後のサポート、悪いニュースの伝え方、がんやがん医療に関する情報提供体制、患者さんのアドボカシー、落痛、呼吸困難、消化器症状などに関するさまざまな終焉末期医療のあり方、亡くなった後の家族のケア…。従来の医療があまり重視してこなかった、ほとんど無際限ともいえるような多彩な問題が浮び上がってくる。

他の関連学会との密接な連携が重要だが、一義的には日本緩和医療学会が主体的に取り組まなければならない課題ばかりである。この学会の特徴は、がん患者さん、家族を中心に捉え、医師、看護師、薬剤師、技師、臨床心理士、ソーシャルワーカーなど、の医療従事者、サイコオンコロシスト、呼吸や疹痛、薬理などに関する研究者、ボランティアなど、実に多様な職種の人々が集まっていることにある。がん患者さん、家族を支えるために成し遂げなければならない問題は数多い。困難も多々ある。しかし、困難は克服されるためにある。本学会が総力をあげてこうした課題の解決に取り組み、大きな成果をあげることを願っている。それは即、がん患者さんのためになる。素晴らしい事だ。また、私自身もその一員として全力を尽くしたい。

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特定非営利活動法人 日本ホスピス・在宅ケア研究会

日本ホスピス・在宅ケア研究会は1992年に設立され、ホスピスケアや在宅ケアの理念と実践を広めることを主な目的としています。活動の対象は、末期がん患者や痴呆、高年齢者・障害者などの社会的弱者、及び彼らを支える人々です。ホスピスケアや在宅ケアの理念、より豊かな「生・老病・死」を目指して、さまざまな方向から医療・介護・福祉専門職、各界研究者、その他の専門的立場の者と者・市民が集い連携して、それらの課題に取り組んでいます。全国各地の施設や在宅におけるホスピスケアや在宅ケアの実践者が一同につどうのが全国大会です。


「ホスピスケアとは」

あなたが世を去る時まで、快適な状態の中で、あなた自身の選択で生き抜くことができるために。

この理念に基づいたケアであれば、どのようなところでケアがなされたとしても、それはホスピスケアと言えるでしょうし、この理念に基づいていないケアは、それがホスピスと言われているところでなされているケアであったとしても、ホスピスケアとは言えないだろうと私は考えています。

(「ホスピス通信」、山崎章郎「ホスピスの理念を求めて」より)


[緩和ケアの定義(WHO)]

WHOのPalliative Careの定義によると、「Palliative Careとは治癒を目的にした治療に反応しなくなった患者に対する積極的で全人的なケアであり、痛みや他の症状コントロール、精神的ケア、社会的、霊的な問題のケアを優先する。Palliative Careは疾患の初期的段階においても、癌治療の過程においても適用される。」とあります。

今まで、緩和ケアはこれ以上治療の見込みがないとされていた患者のみのものと考えられていましたが、発病初期からその考え方が適用され、例えどのステージにおいてもつらい症状を我慢させることなく、検査や処置が施されます。そして、その病状が進むにつれその割合が増えていくものと考えます。


[ホスピスのめざすもの]

ホスピス病棟(ここでいうホスピスは認可基準を満たす緩和ケア病棟を意味します)は今のところ、癌とAIDSしか入院できません。しかし、癌で亡くなるのも、肺炎で亡くなるのも同じ人間に変わりはなく、同じように扱われてよいと考えています。ある人にとっては大切な親であり、家族に起こりうる悲しみは同じです。癌の人だけが、特別に悲しみが大きいとは限りません。ホスピスにきて感じたことは、なぜ癌の人だけホスピス病棟に入れるのであろうか? といった疑 問でした。

亡くなる人が全てホスピスで亡くなるわけではありません。多くは一般病棟でお別れをしなくてはならないでしょう。ホスピスはチーム医療として、各専門職が力を合わせて、患者さんのみならず、その家族を対象としてケアを展開していきます。これは何も癌の末期患者さんだけに必要とされることではないと考えます。おそらく全ての病気で苦しむ患者さんとその家族にあてはまる共通のことと考えます。ホスピスだけが特別な場所であってはいけないと思います。ホスピスが目指すものは、患者さん・家族を中心としたチーム 医療の考え方をホスピス病棟固有のものとせず、多く の一般病棟でも実践可能なものとするべく働きかけていくことと思います。

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[チームアプローチ]

以前は医師が一番上でその下に看護婦さん、さらにその下にパラメディカル、そして一番下に患者さんと家族といった構造がありました。それは封建的で閉鎖的な環境であり、患者さんや家族の意見を治療に活かすには不適切でした。ホスピスではそのような構造を変え、本当のチームとしてそれぞれの専門を活かすよう工夫がなされますそして、多くの職種が一つになりよりよいサービスを行うために次の3つを常に意識しております。

1.情報の共有:一人だけが知っているのではなく、皆が理解できるために、記録の工夫がなされます。情報の共有がなくては、真のチーム医療は達成できないと思います。

2.合意の形成:一人の医師が全てを決定するのではなく、少なくても複数のスタッフの合意が必要と考えます。みんなで合意の形成を行うことで、そこで働くスタッフの参加意識が高まります。

3.next step:チームは万能ではありません。ある特殊技能をもった他のセクションを必要とするときには声をかけ、参加してもらいます。リハビリ、薬剤師、栄養士、ボランティアなど、常に病棟には常駐していない職種に声をかけていきます。

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[希望と共存]

「私は死にませんよね?」 ホスピスに入院していても、ときどきこのような質問をされることがあります。ある時には、悪い話をしなくてはならないときがあります。しかし、どんなときにも必ず希望を持った話を心がけます。しかし、悪い話を希望を失わずに話すことは大変難しいことです。そのようなときには、病気との共存の話をします。「ここでは、病気を治すことはできませんが、病気との共存ならば可能であると思います。」と話します。痛みを抑えることや、夜眠れることは、病気と共存するために大事なことです。そして、穏やかな気持ちで生活を続けることができたときには、病気が退縮することも経験します。ある統計によると、穏やかな性格の人の方が、イライラする性格の人より癌になっても長生きができるとの報告があります。いつかはお別れをしなくてはいけないことはわかっていても、どんなときにも希望はあると信じています。

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[ホスピスで働くスタッフの資質]

以下に紹介するホスピスで働くスタッフの資質の5項目は、96年12月に行われた、第二回臨床死生学会シンポジウムで淀川キリスト教病院ホスピス病棟長恒藤暁先生の発表から引用させて頂いたものです。

(1)誠実  (2)感性  (3)忍耐  (4)謙虚  (5) 愛  

特に大事なこととして、5番目にあげた愛を強調されておりました。すなわち、どんなに誠実で、感性があり、忍耐強く、謙虚であっても、愛がなければ全ては負に作用します。チームで働くホスピスでは、もしどんなに優秀なスタッフ達であってもお互いにいがみ合い、足をひっぱっていては、よいサービスは生まれません。しかし、愛がそこにあれば、全てが正に働きます。

(横浜甦生病院ホスピス病棟の小澤竹俊先生のホームページから引用させて頂きました)

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[癌の痛みの治療:WHO方式の三段階癌疼痛治療法で痛みはとれる]

[癌の痛みの治療]

癌の痛み(疼痛)に対する治療法ですが、これに関してはマニュアルがあります。WHOが出している世界的なマニュアルです。WHO方式癌疼痛治療法(WHO三段階治療法)といってもう10年以上前に出たもので、内容はごく常識的な考え方です。まず麻薬以外の鎮痛剤から始めて、痛みが治まらない場合には弱い麻薬を使い、それでも治まらない場合には強い麻薬を使います。麻薬だけでは痛みが治まらない場合には他の薬(鎮痛補助薬)を組み合わせて使います。麻薬と言っても「MSコンチン」(モルヒネ)だけではありません。モルヒネが体質的に合わない人やモルヒネでは痛みが十分取れない人もいます。これらの人を「モルヒネ不耐症」といいます。約30%の人は「モルヒネ不耐症」と言われています。その場合にはフェンタニルなどを使います。

なお、モルヒネには必ず起きる副作用があります。吐き気と便秘です。モルヒネを使う場合には、必ず予防的に吐き気止めと下剤を使います。これをしないと「モルヒネがあわない」といわれて、「モルヒネ不耐症」に間違われることがあります。モルヒネといってもMSコンチンだけではなく、水薬もあれば注射や座薬もあります(他の薬も同様です)。吐き気が止まらない時や口から物が取れない時には座薬を使います。知識があって、熱心に治療すれば、癌末期の痛みはほとんど取ることができるというのが、世界の常識です。

[モルヒネの使い方]

モルヒネでも錠剤、水薬、座薬、注射などと、患者さんの状況に応じてうまく使わなければいけません。モルヒネには必ず起きる副作用もあります。吐き気と便秘です。前以て予防的にこれらの症状を防ぐ薬を同時に使わなければいけません。また、モルヒネも万能ではなく、30%位の人は他の薬を併用するか、他の薬(フェンタニールなど)でないと苦痛が取れないこともあります。かなりの知識と技術を必要とします。

病気の治療は、ほとんどの場合「対症療法」ですが、末期癌の疼痛除去は技術的にかなり難しいこともあります。痛みが十分取れない場合は、三つの場合が考えられます。まず、「モルヒネ不耐症」といって、10人のうち3人くらいの人はモルヒネでは痛みが十分取れず、副作用ばかりが出ます。その場合は、他の鎮痛剤を使います。次に、モルヒネだけででなく、他の薬を併用しなくては取れない痛みもあります。そして、モルヒネの使い方が適切でない場合です。特に吐き気が強い場合には錠剤だけでなく座薬を使うとか、水薬を使うとか、注射にするとか色々工夫してみます。初歩的な誤りは、モルヒネの量の不足です。原則的には、モルヒネの量は、痛みが十分取れるまで、増やしていきます。毎日増やします。緩和ケアにある程度詳しい医師でなければ、知らないと思います。現在、日本には40ケ所のホスピス・緩和ケア病棟しかありません。同じように不適切な治療が、全国で毎日繰り返されています。医者が熱心でないからです。医療制度にも問題があります。

[腸閉塞の危険?]

(相談)
モルヒネの副作用か、便がなかなかでません。主治医の話ではこのまま便が出ないと「腸閉塞」をおこす危険があるとのことです。もし,そうなったらどのような処置をとられるのでしょうか?

(答え)
モルヒネの主な副作用は、吐き気と便秘です。吐き気は次第に治まりますが、便秘は続きます。吐き気が治まれば、吐き気止めは止めることができますが、便秘は続きますので下剤は必ず続けます。下剤も必ず便を出すのに十分なだけ使用しなくてはいけません。下剤にも色々な種類があります。いよいよ便が出にくくなってからでは、薬も効きにくくなります。ラキソベロンという水薬の下剤が最も強力だとは思いますが、本当に腸閉塞を起こしている場合には使えません。もし主治医のいうように、物理的に腸が詰まるためにおきる「腸閉塞」の場合には、手術をするか、鼻から腸まで「イレウス管」という管を入れて腸の内容を抜きます。少しでも便が出ているようなら、下剤や浣腸で何とか便が出るようにしてあげます。

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[スキルス胃癌(胃全摘後)の末期状態にモルヒネは有効か?尊厳死とは?]

(相談)1999.9.29
はじめまして。胃癌の末期の父の事で御相談があります。スキルスで4期と診断され昨年の6月に胃の全摘をしました。5月迄もたないといわれながらも家で点滴を行い現在にいたりましたがとうとう入院となりました。入院後1週間といわれながらもう3週間がたちます。一時は意識ももうろうとしてたのですが、ここ1週間がぜん元気になり車椅子に乗ったり、口調もしっかりしてびっくりしています。現状は片側の腎臓は停止していて、便ももう3週間も出ないので癒着していると思います。肺に水が溜まっていて1.5リットル程抜きました。何より24時間続く咳と淡に本人は悩まされています。先日「我が命、これまでにしよう」といいモルヒネの投与を要望しました。(実は1日50ミリ位はもう入っています)モルヒネに関する記事を調べた所、量を増やしたからといって死が早まるわけではないらしいですが、担当医もやたら重たく受け止めている様で、家族の全員の承諾が無いと出来ないと言ってます。実は父は外科医でしたので自分の状況を充分に理解していると思いますし、肺の水も自分でレントゲンを見て治療を指示している程です。モルヒネは本当に死を早める起爆剤となるのでしょうか。私には”モヒ”という言葉が隠語で実は殺してくれを意味している医学用語の様なものなのかなとも思います。彼の冷静な判断でもう頑張れないというのは理解出来るので私としては反対出来ませんが、実際にモルヒネを使用するとどうなるか、またモルヒネは肺水には効かないとか、便秘になるとか書いてありましたが肺に水が溜まっていて,3週間便も出ない父に有効なのかどうかまた尊厳死にはどの様な方法があるか教えて頂けませんでしょうか。父と先生は医者同士の会話をするので私は何をはなしているかさっぱりわかりません。是非アドバイスをお願い致します

(答え)1999.9.30
お答えします。大変ご心配のことと思います。癌末期の痛みや苦痛、咳には、モルヒネを使用するのが一般的な治療方法です。副作用としては、便秘が必ず起きますので、必ず下剤と一緒に使います。また使い始めには吐き気が起きることがありますので、吐き気止めも一緒に使います。使い方さえ誤らなければ、最も安全で、最も良く効く薬ですが、胸水の治療にはなりません。尊厳死というのは、今の医学では治せない状態になり、死期が迫ってきたときは、いたずらに死期をひきのばす措置はしない。ただし、苦痛を和らげるための医療は、最大限に行う。という場合と、数ケ月以上、意識が回復せず植物状態に陥って、回復の望みがないときには、一切の生命維持措置をやめるという場合とがあります。いずれも本人の意志で決めることです。ではまたいつでもメイルをください。

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[胃癌(進行癌):無理な手術は受けずにホスピスへ行きたい]

(相談)東京1998.2.9
75歳の祖母が胃癌であると6日に判明しました。症状は、胃が既にぼこぼこで、もう少し経つと胃がふさがって何も食べられなくなると言われました。肝臓にも転移しており、2センチ大の腫瘍が2ヶ所あります。下血もしているようですが、痛みは全く無く、たまに吐くことがあるだけです。現在、岡山県の市内の○○病院に入院しています。13日に、胃を全摘出すると先生は言っていますが、それほど寿命は延ぴず、祖母がしんどい思いをするだけではないかと心配しています。先生は、切れば半年から2年は生きられると言われますが、寝たきりで過ごす日々は、不要だと祖母は言っています。岡山には、なるべくきらない方向で考え、ホスピスのようなところで死を迎えさせてくれる病院は無いのでしょうか。どうか、治療法や、病院について教えて下さい。

(答え)1998.2.10
岡山は医療に関する文化レベルが日本でも高いところです。今、入院中の病院でも、ちゃんと本人の希望を伝えれば、無理な手術はしないと思います。岡山済生会病院・外科の木村秀幸先生は、緩和医療の専門家ですし、昨年ホスピス病棟が認可されています。かとう内科・並木通り病院はホスピス專門の病院です。本人が希望される医療を選択してあげてください。では、これで失礼します。

(返礼)1998.2.23
先日は、早々にお返事くださり、ありがとうございました。祖母は、○○病院で、手術を受けました。希望通り最小限の手術にしていただけました。岡山済生会病院のホスピス病棟は、8月にならないと、建設が終わらないとの事だったので転院しませんでした。痛みが出るようになったり、日常の生活がままならなくなってきたら、紹介して頂いた、かとう内科・並木通り病院、もしくは岡山済生会病院にと考えさせて頂いています。本当に、ありがとうこざいました。失礼いたします。

(早期癌の人へ)
「癌」という病気は「絶対」ということが言えません。手遅れの人でも、治る人がいれば、早期の人でもごくわずかの確率で、再発転移する人がいます。安心されて結構ですが、くれぐれもご用心を。病院での定期的な、診察を忘れないようにしてください。

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[ホスピスの定着はまず実践から]
愛知国際病院ホスピスボランティアグループ紫苑会長・葛井康子
1998年12月12日 朝日新聞・論壇

「ホスピスの現実を問い直そう」という11月6日の論壇で、早坂裕子・東北福祉大助教授が「生から死への生命の流れや人格の変化とは別に、最期の瞬間だけを切りとった医療は望ましいのだろうか」「欧米とは異なる日本の社会や文化に、欧米での実践を導入するにあたっての課題を放置したまま患者を受け入れるため、問題が生じている」と様々な問題を指摘した。私はホスピスボランティアとして日々、緩和ケア病棟で患者と接している立場から、これらの問題を改めて考えてみたい。

第一に「ホスピスケアより在宅ケアの方が生活満足度が高い」という点だ。これは末期患者のケアを、ホスピスか在宅かという二者択一で考えると、誤解が生じてしまう。在宅ケアを望む患者が多いのは事実である。しかし、現実の問題として在宅ケアをまっとうするのは並大抵のことではない。まず、患者を支える医療チームが身近にいなければならない。そして介護する家族に人手と固い決心があること、住宅環境を整えられることなど、クリアしなければならない条件が多い。ホスピスケアと在宅ケアは切り離して考えるのではなく、必要に応じて使い分けることが大切である。

第二は、インフォームド・コンセントの問題である。「ホスピスにいる患者に、がん告知が十分行われていない」という指摘は事実である。告知は通常、家族に対してまずおこなわれる。そのため、家族が本人に知らせることに反対すれば、告知はされない。告知は「個人の知る権利を尊重し、自分の生に責任をもつ」という欧米の考え方を基盤としている。それ故、日本古来の「悪いことは知らない方が本人のため」という考えとは真っ向から対立する。

しかし、「真実を知らせなければ真の医療はできない」とする考えのもとで現在、体や心の不安に襲われる患者の肉体的・心的ケア、患者を支える家族のケアをおこなう重要性は多くの人に理解され始め、徐々に告知が多くなりつつある。とはいえ、告知は微妙な問題を含む。日本の精神風土を考えれば、「正しい事は早くする」という考えは、逆の結果を生みだす恐れもある。

第三は、「ホスピスはそれまで宗教に無縁だった人々に宗教を押し付けるのでは」という懸念である。宗教に無縁とは、特定の宗教を持たなかったという意味であろう。だが、人間は大なり小なり生まれながらにして、「大いなるもの」つまり神や仏に畏敬(いけい)の念を持っている。そして人が限りある命の終わりを知った時に、今まで意識しなかった「大いなるもの」が、あぶり出しのように意識上に浮かんでくるのではないか。「超絶者」への畏敬の念とは人間が生まれつき持つという意味で、日常的なものではなかろうか。キリスト教や仏教を理念とするホスピスの意味と役割はここにある。

第四は「末期医療のみにかかわると「死」に慣れる」との指摘である。医療者が「病気のみ」を診つづけると死に慣れるかもしれないが、「人間を観る」医療者は死に慣れることはない。木来ホスピスケアとは、人間を観るために存在するのである。また、ホスピスケアを「人間の最期だけを切り取った医療行為」ということができるのだろうか。ホスピスに来た患者は、今までの人生すべてを持って来たのである。そこで織りなされる苦しさ、悲しみ、うれしさのすべてに、人生の集約があるのではなかろうか。

ホスピスが日本に入ってきて、約二十年。もろもろの問題点を改善しながら欧米直輸入のホスピスが日本の精神風土と社会に合った日本風ホスピスになっていくのは、まだこれからであろう。欧米の精神風土の中で培われた理念が、やすやすと日本に根をおろすとは思われない。しかし、理想論をかざして議論するだけでは徒労に終わってしまう。現実に苦しんでいる患者がいる時、まず良いと思えることを実践していかなけれはならない。「理想」を「目標」に置きかえて、問題点は実践の中で考え、変革していくことこそが大事なのである。理念と現実の間で、末期を迎えた患者が真に願っていることは何であろうかという根源的な問い掛けを念頭におきながら、進んでいきたい。

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[ホスピスの現実を問い直そう]
東北福祉大学助教授 早坂 裕子
1998年11月6日 朝日新聞・論壇

積極的な治療を中心とする病院で、末期患者が死の直前まで過剰な医療を施され、人間としての尊厳を損なっているとの反省から、日本でも、延命治療より終末期の苦痛緩和を主眼とするホスピス施設・病棟が増えている。しかし、生から死への生命の流れや人格の変化とは別に、最期の瞬間だけを切りとった医療は果たして望ましいのだろうか。

ホスピスについてのこのような根源的な問題や、欧米とは異なる日本の社会や文化に、欧米での実践を導入するにあたっての課題を放置したまま患者を受け入れているため、次のような問題が生じている。

第一に、死の領域の過度な専門化・施設化である。ホスピスは1960年代に英国で生まれ、がん末期の症状に対する医療枝術の改善や精神的なケアの必要性など、末期患者の人間性の尊重を主張し、発展してきた。背景には、医療を自分で選ぶ権利に目覚めた人々による、過度の医療化や医療の専門化へのアンチテーゼとしての運動があった。ホスピスは、死を医療の新たな専門領域とするために登場したわけではない。

現代ホスピス運動の創始者である英国のソンダース博士は、私の質問に対して、死の専門化の是非については明言を避けたが、医師が個々の患者にできるのは非常にシンプルなことが多いと語った。また、施設での死については、独り暮らしの患者のため施設自体は必要だが、患者を自宅でみとることは重要であり、自ら在宅での末期ケアを推進してきたと述べている。実際、英国では在宅ケアを受けた患者は痛みが多少あっても、生活満足度が高いことは、調査などで明かになっている。

第二は、患者への情報提供や意志の尊重の問題である。ホスピスの患者にはインフォームド・コンセントが十分に行われず、ホスピスがどのような場所か理解しないまま、他者の説得で入院した人も少なくない。東北地方に今年開設されたホスピスでもインフォームド・コンセントはもとより、がん末期であることさえ告知されていない患者がいる。このような状態で、患者の人間性を尊重しているといえるのだろうか。

問題の第三は非日常性だ。宗教を押し付けはしないが、一般的にはキリスト教が理念の根底にあり、多くは施設内に礼拝堂がある。ホスピスで讃美歌を歌い、祈ることも、それを望む人々には意義があるだろろ。だが、それまで宗教に無縁だった人々にとって、そのような非日常的なことが本当に望ましいだろうか。

第四の問題は、マスコミの報道の仕方である。ホスピスを末期患者の理想郷のように報じ、医師と思者の関係を美談としているが、そこに潜む問題まで掘り下げてはいない。

私は英国のニカ所のホスピスでボランティア活動をし、また十年余の末期ケアの研究を通して、末期患者の多くが、死までの日々をできる限り、従来の生活の延長線上で過ごしたいと願っていることを、繰り返し学んできた。その願いをかなえるには、どうすればよいのだろうか。

まず、どのような末期ケアが望ましいかの議論が必要だ。かかりつけ医の制度化などの医療体制をはじめ家族の負担や住宅問題、また独り暮らしの人に適したケアの体制整備など今ある社会資源で活用できるのは何か、新たに導入すべきものは何かを論じるべきではないだろうか。

どのような人々が末期ケアにかかわるかも大切だ。西洋医学の限界まで闘ってきた末期患者を、医療だけでなく福祉の充実によって支えるには、家族や友人、ヘルパー、ソーシャルワーカーなど、医療の「非専門家」の参加が不可欠だと考える。

死に直面している患者は疼痛をはじめ、不安や恐れ、孤独感など、特有の肉体的、心理的な状態にあり、十分な心身のケアが望まれる。しかし、患者のそれまでの人生や生活と包括的なかかわりをもたずに、末期だけを専門とする医療が発展することには危惧を覚える。

死にゆく人だけを継続的にケアする医療者の過度の慣れや、ホスピスの理念と現実のギャップなども、日本では議論されていない。人生の終末期を迎えた患者が真に望んでいることは何かという視点からもう一度、ホスピスの現実と、末期ケアの方向性を考えてみる必要がある。

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