伊藤正一さん
北アルプス 三俣山荘経営者

[山小屋は灯台 遭難救助は営業行為か] 月刊保団連 1993年8月号(No.420)
→三俣山荘・雲ノ平山荘・水晶小屋・湯俣山荘 北アルプス黒部の源流に伊藤正一さんが築いた山小屋

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[山小屋は灯台 遭難救助は営業行為か] 月刊保団連 1993年8月号(No.420)

戦後私は、北アルプスの最奥地、黒部源流地帯に三俣山荘等4軒の山小屋を開発、建設して経営しています。そこは、下界から歩いて片道2日かかる所で、途中3,OOOメートル級の稜線を行くので、天候が荒れれば夏でも凍死者が出る所です。もちろんそこでは、ガス、水道、電気等の施設は一切自分で作らなくてはなりません。

1963年には岡山大学医学部との協約ができ、三俣診療所が開設されました。これは、山荘と大学のボランティアによって維持され、毎年l00-120人の登山者を診療しています。このほか(北アルプスの他の山小屋もすべて同様ですが)、道路の補修、遭難救助や自然保護等のために多くの事をしています。

ところが、突然に林野庁は、長官通達によって、国有林内の山小屋の地代を、従来の定額方式を改め、1987年度から収益分収方式にすると伝えてきました。それによると、山小屋に毎年の営業報告書を提出させ、総売上高に応じて地代を徴収するというのです。これはまさに、地代とは関係のない売上税ともいうべきものです。

私は営林署に対して、さらに詳しい説明を求めましたが納得のいく返事がないので、営業報告書の提出を拒否、地代は法務局に供託してきましたが、1989年3月、営林署から山小屋の使用不許可処分と撤去命令が通告されてきました。そこで私は、農水大臣あてに行政不服審査を申し立てましたが棄却され、1991年3月に、国(営林署)を相手に提訴するに至りました。

一方、私以外の山小屋経営者は不服ながら、全員が新方式地代に応じてしまいました。一例を挙げれば、槍ケ岳方面のある小屋の地代は、旧方式の20倍の300万円にもなっているとのことです。さらに林野庁は、自ら出した2兆8千億円の赤字を埋めるために、1兆3千億円分の国有地売却を計画しています。

これらの問題に関して新聞記者が「山小屋は遭難救助等、公共的な役割も果たしているがどう思うか」と林野庁に質問したところ、「それは山小屋が人気とりのためにやっている営業行為だ」と答えたとのことです(読売1992.9.16)。遭難者を救うために、自らの命を落とした小屋主の行為も、山小屋診療所の活動も、政府役人から見ればすべては営業行為なのでしょうか。湾岸戦争の援助金を2兆円近くも拠出しておきながら、国民の切実な福祉や保健の資金は削減する。国有地は売却しながら、零細な山小屋からは不法な手段で金を吸い上げる。すべて根は1つのように思われてなりません。(いとう しょういち)

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