言葉

[音読で脳のトレーニング] 中国新聞「天風録」2006年6月22日
[人生に必要なもの]「夢と希望を持ち続けること」中国新聞「天風録」2005年6月7日
[「千の風」突然の旅立ちを強いられた方々を思いつつ] 朝日新聞「天声人語」2003年9月11日
[1000の風] 朝日新聞「天声人語」2003年8月28日
[首相を除く人々の耳を傾けるべき最近のことば] 朝日新聞「天声人語」2001年3月30日
[「具体的な説明」を欠いた曖昧なことば] 朝日新聞「天声人語」2001年3月23日
[マルセ太郎の箴言]「人間屋を代表して一言」マルセ太郎(「人間屋の話」序文) 2000年11月1日
[社会的責任を放棄した医師の沈黙] 中国新聞「天風録」2000年5月16日
[何も言っていないに等しいことば] 朝日新聞「天声人語」2000年2月9日
[「手を尽くした」医師のことば] 朝日新聞「天声人語」1999年12月23日

→見出しページへ


[音読で脳のトレーニング]
中国新聞「天風録」2006年6月22日

若年性アルツハイマー病を扱った映画「明日の記憶」を見ていて、ドキリとさせられた。渡辺謙さんの演じる主人公が、病院で医師の診断を受けるシーン▲記憶力を試す簡単なテストだったが、自分が検査されているような気持ちになった。主人公と同じように、記憶したはずの言葉が思い出せない。「えっ、どうして」と慌ててしまった▲年齢相応の現象なのだろうが、ふと、本紙くらし面で「脳トレ」を連載している川島陸太東北大教授の言葉を思い出した。「脳の機能低下を防ぐには音読を繰り返すこと」。音読の大切さは、福山市在住の音声日本語表現指導者、小畠孝幸さん(56)も「若い世代から」と強調する▲言葉の乱れが目立つ昨今、「話す、読むは、言葉の力の基本」と小畠さん。関西で二十五年にわたりアナウンサー育成に携わった経験を生かし、福山、尾道市などで「読んで楽しむ」講座を主宰する。その傍ら福山市内の小学校でも児童を対象に発声と発音を指導している▲小畠さんによると、音声の基本は「イエアオウ」だそうで、独自の「口の体操」を考案した。「これまでの指導書は難しすぎる」と、主に教師向けに「やさしい音声日本語指導」の本を出版する準備を進めている▲音読に、大いに新聞を役立てていただきたい。川島教授は「脳トレ」の中で、コラムなどを「声に出してできるだけ速く二回読む訓練を」と勧めている。読みやすさを心がけねば…。

→見出しページへ


[人生に必要なもの] 夢と希望を持ち続けること
中国新聞「天風録」2005年6月7日

昨年十月一日と十六日、二つのヨットが相次いで単独無寄港の世界一周に出港した。冒険家、堀江謙一さん(66)の「SUNTORYマーメイド号」とヨットマン、斉藤実さん(71)の「酒呑童子」。その二つの挑戦が完結する▲堀江さんといえば、「太平洋ひとりぼっち」。1962年、「マーメイド号」による日本人初の太平洋単独横断は、戦後史に残る。パスポートのない密入国だった二十三歳の若者は「鮮やかな冒険」として歓迎された▲十年後の72年、世界一周を目指すが、出航後間もなくマストが折れて失敗。漂流、救助という屈辱に加え、さまざまなバッシングにもあった。それでも、74年には世界一周に成功。足こぎボート、ソーラーボートで太平洋横断など、挑戦し続けている▲「社会に適応できない人」といった批判や、やっかみ。日本は個性的な人が生きていくのが難しい社会、といわれる。その中で堀江さんは「常に夢を追い続ける。そんな生き方をしたい」と信念を貫く▲一方、世界一周レースを三度完走し、今回が最高齢記録の達成になる斉藤さん。「徹底的に好きなことに没頭したい」と自分の夢を追い求めてきた。なかなか夢や希望を持ちにくい時代。それだけに、高齢になっても挑戦する二人の姿は輝いて見える▲人間、夢があれば生きていける。喜劇俳優、チャールズ・チャプリンの言葉にもある。「人生には三つのものがあればいい。希望と勇気とサムマネー」

<ドクターちゃびんの解説> 本紙6月7日付けの天風録士は、ヨットでの単独無寄航世界一周に挑戦した二人の熟年日本人ヨットマンをとりあげている。人生において夢と希望を持ち続けることが大切だということを書いた中で、最後にチャップリンの言葉を引用している。「スクリーンのない映画館」と呼ばれ、ひとりで映画一本を演じるという独創的な芸を生み出したマルセ太郎さん(故人)は、チャップリンの「ライムライト」を得意としていた。チャップリンの演じる年老いた喜劇役者カルベロが、自殺未遂から救ったバレリーナのテリーに話す「人生に必要なものは、勇気と想像力とわずかばかりのお金」というセリフは、マルセさん自身の人生訓としても忘れられない言葉である。ファンクラブ発祥の地である広島で何回も公演したマルセさんは、市井の哲学者として常に人生の意味を追求し続けた。三木清の「人生論ノート」をほとんど暗記していた彼は、亡くなる2ヶ月前の広島での最後の舞台まで、人生哲学を喜劇として演じ続けた。国立がんセンターでも見放された肝臓癌の彼を支えながら、岡山の病院で突然人生の幕を降ろした彼の姿を見つめさせてもらったものとして、「記憶は弱者にあり」という言葉と共に伝えたい。

→見出しページへ


[1000の風] 朝日新聞「天声人語」2003年8月28日

だれがつくったのかわからない一編の短い詩が欧米や日本で静かに広がっている。愛する人を亡くした人が読んで涙し、また慰めを得る。そんな詩である▼英国では95年、BBCが放送して大きな反響を呼んだ。アイルランド共和軍(IRA)のテロで亡くなった24歳の青年が「ぼくが死んだときに開封してください」と両親に託していた封筒に、その詩が残されていた▼米国では去年の9月11日、前年の同時多発テロで亡くなった父親をしのんで11歳の少女が朗読した。米紙によるとすでに77年、映画監督ハワード・ホークスの葬儀で俳優のジョン・ウェインが朗読したという。87年、女優マリリン・モンローの25回忌にも朗読されたらしい▼日本では、95年に『あとに残された人へ1000の風』(三五館)として出版された。最近では、作家で作詞・作曲家の新井満さんが曲をつけて、自分で歌うCD「千の風になって」を制作した。私家盤で、友人らに配っている。新井訳の1、2番を紹介する▼「私のお墓の前で 泣かないでください/そこに私はいません 眠ってなんかいません/千の風に/千の風になって/あの大きな空を/吹きわたっています」「秋には光になって 畑にふりそそぐ/冬はダイヤのように きらめく雪になる/朝は鳥になって あなたを目覚めさせる/夜は星になって あなたを見守る」▼作者をめぐっては、19世紀末、米国に渡った英国人、30年代の米国人、米国先住民の伝承など諸説ある。いつどこで生まれたのかわからない、風のような詩だ。

柳田邦男さんからの「弔電・1000の風」

→見出しページへ


[首相を除く人々の耳を傾けるべき最近のことば]
朝日新聞「天声人語」2001年3月30日

森喜朗首相がまたまた、みっともない振る舞いに及び、見苦しいことばを吐いている。底無しのお人である。もっと耳を傾けるべきことばを聞きたい。以下、首相を除く人びとの、最近のことばから▼哲学者の木田元さん(72)が、哲学の課題について。「これ以上豊かにも便利にもならなくていい。その思い切りを思想化することだ。この調子でいったら人類は自滅する」▼京大教授の佐和隆光さん(58)。<1980年代末のバブル経済期、日本人の多くが、努力、勤勉、誠実、真面目などといった、古来、日本人が崇めてきた徳目を、突如、卑下するようになった。以来、倫理的空白期が始まり、政治家、官僚、経営者、そして一般市民も、無宗教国日本に古来あった徳目を見くだし、不正や怠惰を恥じなくなった>▼落語家、笑福亭鶴笑さん(40)の売れなかったころの思い出。<雑草がすごくおいしそうに見えた。ヨモギとハコベを、ゆで、おひたしにして食べてみた。これが何とめちゃくちゃうまかった。元気も出てきた。ありとあらゆる草を食べてみた。それぞれに自分を主張した味があり、いとおしく思えた>▼78歳で亡くなった宇宙物理学者、小田稔さん。生前、小学校で話をしたときのことを。「いちばん反応するのは一、二年生。目をきらきらさせて、風圧を感じます。高学年ほどはにかむようになる。教えることが子どもをだめにするんじゃないか。僕は学問の中身を教えるのじゃなく、学問っておもしろいよということを伝えたい」▼作家の田辺聖子さん(73)。「年とってからでないとできない面白いことがいろいろある。いまは、朝起きるたびに面白いのね。『あー、私としたことが』のオンパレード。それに文学作品でも何でも、今までこういうものだとおもっていたものが、全然違うのね」

→見出しページへ


[「具体的な説明」を欠いた曖昧なことば]
朝日新聞「天声人語」2001年3月23日

「環境にやさしい」といったたぐいの宣伝文句は、あいまいであり抽象的だ。使うなら根拠となる具体的な説明を添えるべし。公正取引委員会がそんな見解をまとめた。もっともである▼「甘いことはにだまされては駄目よ」。昔の母親は、年ごろの娘をそう諭したものだ。「環境にやさしい」「地球にやさしい」も甘いことばの系列。誠実なようで、考えてみると中身は空疎。いいことをしているような気がするものの、結局、何のことやらわからない▼以前、イラストレーターの南伸坊さんが「地球にやさしい」に関連して、こんなことを書いていた。<「日本にやさしい」とか「東京都にやさしい」とか「南大塚二丁目にやさしい」とか言わない。なんとなくヘンだからだが、それならやっぱり、地球にだけやさしくしてるのも少しはヘンかもしれない>。言い得て妙。「やさしい」の使い方のおかしさがよくわかる▼六年あまり前、当時の村山富市首相は所信表明演説で、「人にやさしい政治」を強調した。「国民一人一人が人権を尊重され、家庭や地域に安心とぬくもりを感ずることのできる社会を作る」。それが「人にやさしい政治」の真骨頂との触れ込みだったが、残念ながらこれも、公取委の指摘する「具体的な説明」を欠いた▼「やさしい」とは何だろう。<周囲や相手に心づかいして、ひかえめに振る舞う様子。つつましやか>などと字引にはある。商品片手にそうしたことはを声高に唱えるのは、「ひかえめ」「つつましやか」の精神とは少々趣を異にするように思う▼さかのぼって万葉のころ、「やさしい」は<自分の行為や状態などに引け目を感じる。肩身が狭い。きまりが悪い>という意味だった。環境を破壊して肩身が狭い。地球を汚し引け目を感じる。そう、これなら理解できる。

→見出しページへ


[社会的責任を放棄した医師の沈黙]
中国新聞「天風録」2000年5月16日

本音は逐一病状を公表したかったのではないか。小渕恵三前首相をみとった順天堂医院医師団の会見をみてそんな気がした。医師の沈黙が小渕さんの入院から森内閣の発足までの不明朗さに輪を掛け、国民の不信を募らせたからである▲医師団がそうした対応に苦慮したことは一見、矛盾するかに思える病院側の言葉にうかがえる。それはざっとこうだった。「家族の意向を十分尊重し、公式発表を控えた。(首相は)公人中の公人なので病状を刻々、逐一官邸に伝えた」と▲ここで読み取れるメッセージは医師団には「家族の了解を得るまでもない公人」という認識があったこと。にもかかわらず、了解が得られないことを盾に公表を阻む政治的圧力がかがり、責任回避ともとれる沈黙を強いられたこと。官邸への伝達を強調したのはそれを訴えたかったからだろう▲「万事よろしく頼む」と、小渕さんに臨時首相代理を託されたとする、青木幹雄官房長官の証人なき権力継承に臨床上、懐疑的な見方を表明し、長官の説明に「正直なところ、多少びっくりした」と疑問を挟んだのも医師団の「一矢」ではなかったか▲でも、それで総理という国権の長を預かった医療機関の責任を果たしたかと言えば残念ながら不十分だった。政府・自民党筋の強力な介入を排し、民主社会の一員として「国民の知る権利」にこたえる独自の判断をして良かったはずである▲そこに立てば、病状や意識状態を磁気共鳴診断装置(MRI)やコンピューター断層撮影(CT)のデータで国民に説明できたし、今後、真相の公表も可能になろう。医師の社会的責任の重さを痛感する。

→見出しページへ


[何も言っていないに等しいことば]
朝日新聞「天声人語」 2000年2月9日

以前に聞いたような話を、キッシンジャー元米国務長官がニューヨークの集まりで披露していた▼こんな内容だ。「米大統領が『イエス』と言えば実行を伴うが、日本の首相の『はい』には『あなたの発言の趣旨は認識している』という程度の意味合いもある。だから日米間にはつねに誤解の可能性がある」。そう、同類項の話をクリントン大統領も米ロ首脳会談で口にした▼「日本人がイエスというときの多くは、ノーの意味だ」と。発言は1993年のことで、当時の新聞は<米国の多くの要人には、日本人の返事はあいまいだという認識が定着している>と書いた。日本の首相が「善処する」と言ったのを、米大統領は「解決の約束」と受け取り、すれ違いが生じた。と、日米繊維交渉の際の事例も添えてあった▼「まことに遺憾であります」も、あいまいな政治家・官僚ことばの一つ。謝罪みたいに響くが、残念がっているようでもあり、判然としない。しかし、辞書を引けば答えは簡単。「心残り、残念」といった意味はあるけれど、「ごめんなさい」の要素はゼロなのである▼なのに、たいていの場合、陳謝のように装って使われる。「前向きに検討いたします」も、どうやら「ご意見は承りました」と大差ない。「先生のご意見を体して」も同じ。そう言われると、相手もなんとなく満足してしまう▼米国の消費者団体が、たばこの外装にしるされた喫煙警告を調べ、評価を公表した。世界四十五カ国が対象で、<喫煙は死につながる>と大きな字で警告しているカナダなどが高得点。日本の<健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう>は、「何も警告していないに等しい」と先進国で唯一零点をつけられた▼国会が正常化へ。そういえば、この間ずいぶんと、何も言っていないに等しいことばが政界を行き交った。

→見出しページへ


[「手を尽くした」医師のことば]
朝日新聞「天声人語」 1999年12月23日

「臨界」という日本語は、どうもわかりにくい。英語では「クリティカル」だそうだ。ふつうに訳せば「危機の」「重大な」という形容詞。クリティカル・コンディションなら「危篤」の意味である▼臨界事故で被ばくした大内久さん(35)が、ついに死去した。事故から83日目。当初は一、二週間しか生きられないのではないか、とみられていた。その判断を覆したのは、一つには強じんな生命力の持ち主だったからだろう。しかし多くは、むろん、先進医学を駆使した高度な救命治療の結果であった▼造血幹細胞の移植など、重症白血病に対する最新の手法が試みられた。一方で、鎮静薬にしても「天文学的な量」が連日、投与されたという。それらは同時に、何千万円かかろうと出費を問題にしない医療でもあった。正直のところ、定められたいのちの限度を超え、人工的、強制的に死期を延ばしているように感じたこともある▼医学の側からすれば、非常に貴重な症例なのだ。取材した同僚から「意識はないが、痛みを感じるのか、顔をしかめたりしているようだ」などと聞くと、なんとむこい、との気持ちが先に立つ。「実験材料」という失礼なことばさえ浮かんだ▼けれども、友人の医師と話していて恥じ入り、考えを変えた。「ごくわずかでも可能性がある限り、いのちを救うために手を尽くすのは、医者として当然の責務だ」と彼は言ったのだった。きのう未明、臨終後の記者会見で東大病院の担当医が語った内容は、「手を尽くした」医師のことばだからこそ、いっそう重みを持つ▼治療を通じ、原子力災害の悲惨さや原子力政策について感じることはあったか、との問いに「こういうことは二度とあってはならない。人命軽視が甚だしい。医療現場の人間として、いら立ちを感じている。責任ある立場の方々の猛省を促したい」。

→見出しページへ