マルセ太郎喜劇プロデュース公演「イカイノ物語」

広島公演(1999年8月9・10日、県民文化センター)の報告
マルセ太郎<イカイノ物語>百人委員会 数野 博 下岡 真 品川敏樹、趙 博

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広島報告その1

広島・福山病棟のドクターちゃびんです。マルセさん、一座のみなさん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。全国公演の千秋楽として、広島公演は大成功でした。笑いと涙と拍手の嵐でした。疲れてバテて広島入りすると予想していた、薮医者はかばんに点滴と注射を一杯つめて、横になったみんなに点滴をしてまわる風景を頭に浮かべながら、広島駅に迎えにいきました。定刻に到着した新幹線から降りてきた一行は元気で、明るく、仲のいい家族・マルセ一家(やくざの一家を想像してはいけない)で、体調の心配は薮医者のとりこし苦労でした。この日は自由行動で、ゆっくりしていただきました。原爆の日がすんだばかりの平和公園や原爆ドームへ行ったり、宮島まで行った人もあったようです。マルセさんだけは、この日も大阪で永さんたちと仕事をしてから、夜の新幹線で永さんと内田さんと一緒に広島入りされました。派手なアロハシャツにいつもの帽子のマルセさんと、作務衣に野球帽の永さんたちは、20分遅れの「のぞみ」から降りて来られました。翌日は呉で講演があるという永さんと別れて、駅近くの小さな中華料理屋で食事をしました。いつものマルセさんでした。バクバク食べて、ウーロン茶を飲みながら、いつもの演説が始まりました。奥さんがドクターストップ(薮医者は例によって一言も聞き逃さぬように一生懸命演説を聴いていました)をかけるまで2時間、しゃべり続けました。本当に、安心しました。続きは、次回。

広島報告その2

夢のような三日間でした。今日からまたいつものような朝です。40分のウオーキングから帰り、気持ちの良い汗を流しながら書いています。昨日の午後、三日間の寝不足でボーとしているところへ、横浜から元NHKディレクターで「幸せはガンがくれた」の著者で「ガンの患者学研究所」というホームページを出している川竹文夫さんが、私の診療所へ訪ねてこられました。急患が来たため1時間余りの短い時間でしたが、互いに考え方を確かめあいました。川竹さんの信念は、がんは必ず治るというものです。ちょっとでも、どうかなとか考えない。がんは100%必ず治る、必ず治すと考えなければいけないと、繰り返しオルグされました。奇蹟ではないのです。まずがんは治ると頭を完全に切り替えて、治す努力を徹底的にすることです。そのようなことを実行しているグループもあり、みんな元気にしているそうです。諦めや悲観的な考えはまったく捨て去ることです。あなたの科学的な頭を切り替える時です。可能性は無限にあります。かっこよく死のうなんて考えないことです。さて私の知人から「イカイノ物語」の感想が届いていますので紹介します。

『イカイノ物語は最高でした。今日の公演の余韻がさめぬままに、帰宅してパンフを見ていたら先生のアドレスを見つけましたので、医療相談とは違うのですが、メールを送らせていただいています。マルセさんの生まれ育った家族の人々の心のつながりの暖かさと韓国の伝統や文化が新鮮な刺激として伝わってきて、最後の踊りは本当にみんなの動きが流れるような美しさがありました。しっかり笑わせてもらったので、身体も元気になったようです。ぎりぎりで切符を申し込めてラッキーでした。ありがとうございました。長女のボーイフレンドは在日三世で、彼は大学入学までそのことを知らなかったし、今も家族ではあえてふれないでいるという話を聞いて 、この演劇を娘にも見て欲しいなあと思いました。今日が最終日ということでもう難しいかも知れませんが、また関西で上演されるような情報がはいりましたら、教えてください。今日はありがとうございました。 高橋和子』

では続きはまた。

広島報告その3

初日を前に、マルセさんと一座のみなさんの元気な姿をみて安心した我々ひろしまでした。あとは当日の追い込みだけだ、がんばろうという池田さんの言葉を胸に、マルセさんご夫妻を宿までお送りしました。私も同じ宿に泊まりました。並木さんが仕事の都合で最終日にならないと来られないとのことで、そのかわりに私が泊らせて頂きました。内田さんとツインの部屋です。私はいびきをかきますのでと前以ておことわりすると、内田さんは私は歯軋りですと言われました。内田さんの美しい歯軋りの音を聞きながら、マルセさんの夢を見つつ?寝ました。

ここで福山の地理的な位置をご存じない方のために、説明しておきます。福山は広島と岡山の中間にありますが、岡山よりです。「ひかり」で岡山まで20分、広島まで30分のところです。在来線を使うと岡山まで1時間、広島まで1時間半かかります。一番困ることは、帰りの新幹線の福山に停る最終便が広島発22時29分ということです。ですから最終便の時間はすぐに過ぎてしまいます。翌朝は5時起きで広島を6時発の一番の新幹線で帰ります。内田さんには大変迷惑をかけたと思います。6時半に福山駅に着くと、その足で入院中の患者さんを診て(私のところには入院がないので入院をお願いしている連携病院へ行きます)、帰ると医院を開ける準備をして、メイルを見ます(いつもは5時に起きてすぐメイルを見ます)。午前中の診療を終えると昼寝をして午後の診療をしますが、今回は会場に16時集合でしたので、午後の診療を岳父にお願いして早目に出ました(岳父は午前中だけ診療をしています)。いよいよ初日です。昨日からつり上がっていた池田さんの目が、ますますつり上がってきます(なぜか下岡さんと私の目はいつもたれています)。リハーさるも始まったようです。

広島報告その4

忘れていたエピソードを二つ。マルセさんの一行が広島入りした日、大阪から荷物を積んだトラックを運転するはずの並木さんが、仕事の都合で来れなくなり、かわりに正雄のはとこ役の一色涼太さんが一人で運転してくるとの情報に、広島のスタッフはちょっと心配顔。17時頃には着くはずが、なかなか着かない。盆の帰省ラッシュに巻き込まれたか、もしや事故ではと気をもみ、宿で待機してイライラしていた池田さんと下岡さん(事務所のクラーが効かないので逃げてきたのが真相)に、高速を降りた一色さんから電話が入り一安心。このあたりから池田さんの目は次第につり上がってきました。(一人だけで運転させないで下さい)

初日の11時から会場の県民文化センターへ荷物を搬入する予定でしたので、アルバイト(無料)に雇っていた小生の息子(大学生でまだ毛がある)を電話で起こして行かせました。11時過ぎに息子から電話が入り、誰もいないと言う。11時に宿を出発だから、そのまま待つように告げてわずか15分、もう済んだからとの電話。本当か?と下岡さんに電話。本当なのです。マルセ一座はみんなで荷物を運ぶのです。仲の良い一家なのです。(どこかの偉い劇団とはぜんぜん違います)

続きはこの次。

広島報告その5

広島・福山病棟のドクターちゃびんです。今日から盆休みで休診ですので、まとめて書いています。さて、初日のリハーさる。県民文化センターの緞帳は、降りてくる途中で一度引っ掛かるようです。ちょっと止るのではなくて、あれは引っ掛かっています。引っ掛かって揺れながら降りてきます。フィナーレで緞帳を下ろし始めるタイミングがなかなかあわず、朝鮮ブギのカンセンボサーのサーでとか、何回も繰り返していました。「繰り返す」で印象的なことがもう一つ。桃谷のサムチュン役の維田修二さんは、他の人が休んでいるときも、一人でセリフの稽古を何回も何回も繰り返していました。

18時開場、朝鮮の民族衣装を着た4人の女性がモギリ係りをする受付を通って、次々と観客が入ってきますが、ちょっと出足が遅い。満員、立ち見とまではいかず、少し空席がでました。大変残念だったのは、最前列にまとまった空席があったことです。まるでVIP席のようでした。我々が日和った結果と反省しています。この件に関しては、この夜、行き付けの居酒屋「九太呂」でマルセさんからも厳しく言われました。「だから朝鮮は嫌いだ」と何回も言われましたが、我々の責任です。広島はマルセさんには特別の思い入れがあると自認していますし、マルセさんも広島を大切にしてくれます。それだけに残念で申し訳なく思いました。芝居はマルセ芸の集大成・マルセ自伝・マルセ一族の歴史とも言える内容で、テンポも速く、心地好い笑いと涙の連続でした。吉宮君子さんの演じる正雄の妹・町子の死、矢野陽子の演じるオモニのボケと徘徊から、一転して正雄の長男・洪介の結婚式の流れの場への見事な切り替え、そして歌が始まり、クライマックスのオモニの歌う「珍鳥アリラン」、フィナーレの朝鮮ブギへと一気に盛り上がる迫力。素晴らしい舞台でした。

舞台がはねて、マルセさんは一座の人たちと街へ食事にいかれ、我々もいつもの九太呂で、奥さんと梨花さんを案内して遅い食事と反省会をしているところへ、マルセさんが合流されました。あとはご想像の通り、1時間びっしり演説です。今夜は下岡さんのドクターストップでお開きにしました。マルセさんたちが帰られた後は、池田さんがほえる番です。これはほっとくと朝まで続くので1時くらいで切り上げて、私は今夜も内田さんと同室です。美しい歯軋りの音を聞きながら5時まで少し眠れます。初日は無事に終わりました。

広島報告その6

いよいよ今日は千秋楽。会場へ16時集合。仕事の関係で集まれる人が少なく、17時にミーティング。池田さんから「泣いても笑ろうても今日が最後じゃけん、やっぱり広島じゃ、よおやったのおと言われるように、最後まで頑張って盛り上げようや」と、悲壮なお言葉。スタッフ一同も、ちょっと力不足を感じながらも、頑張らにゃいけんのおと、それぞれ持ち場に着きました。今夜は三角州の街・広島を象徴する太田川の花火大会が行われます。小生の息子も友達と花火へ行くというので「花火は来年また見れるけえ、イカイノはもう見れんのんよ、友達もさそうて来んさい、打ち上げもええけえ」というのに「誰もマルセさんのこと知らん言よるよ」と親の言うことも聞かず、花火へ行ってしまいました。

この日は、もう絶対二度と見られないものを見てしまいました。昨日とはちょっと違うリハーさるでした。最後のスナック・コスモスの場面です。マルセさんがスタンドの丸椅子に座ってにこにこしています。勝治役の哀藤誠司さんがマイクを持ってカラオケを始める、ハイ!言うてやという場面なのですが、なにか皆にこにこ・そわそわしているよいうです。勝治の長男・吉成役の瓜生和成さんは、使い捨てカメラを持って時々写しています。舞台の裾のカーテンの陰では、コスモスのマスター役の大久保洋太郎さんがロウソクを立てたバースデイ・ケイキを持って、吉宮君子さんが火を着けています。舞台では同じ場面を何回も繰り返すのですが、哀藤さんも、何でや?という様子です。大久保さんは火が消えないようにケイキをにらんでいますが、ロウソクは短くなるし、とうとう消えてしまいました。あわてて吉宮さんが着け直します。何回か繰り返された「泣くな妹よ!」の出だしが、突然「ハッピーバースデイ」に変わり、みんなの合唱と拍手です。哀藤さんは首をひねってテレ笑い。瓜生さんは、カメラマン。そして、バースデイ・ケイキを持って大久保さんが登場するかというと、しない。しないんですね。できないんです。消防法というのがあって、やたらややこしい。舞台では前以て届けておかなければ火は使えないんです。そこで皆に言われて哀藤さんが舞台の裾まで行って、フーとやりました。そして、ロウソクの火が消えたケイキを持って大久保さんの登場となります。中央の丸テーブルに置かれたケイキをかこんで、みんな嬉しそうです。マルセさん、ケイキを指差して「火をつけたら?」、大久保さん「できないんです、消防法で」「ア、ソオー」。マルセさん「ところで、いくつになったの?」、哀藤さん「35です」、マルセさん「ヘエー、35と知ってりゃ、この役にはしなかったなあ」ですって。ケイキを切ることになりましたが、何故か勝治の妻・玉恵役のいつもにこにこの松山薫さんと一緒にということになり、まるで結婚式のようでした。いつのまにかマルセさんの奥さんも来られていました。もう一つ余分にホームドラマを見させて頂きました。

広島報告その7

哀藤さんの35回目の誕生パーティーが終わり、リハーさるの続きです。フィナーレの朝鮮ブギでみんなが踊る場面です。マルセさんの「並ぶとき横の線がずれてるよ、気を付けて」という言葉で始まりました。確かに線が少しずれたり、テンポがずれたり、おや反対向き?の人がいますよ。それはマルセさんです。さて、いよいよ二人のパワフルで疲れを知らない大者の登場です。まず、立木寅児こと並木さんです。これで全員がそろったわけです。今日入ったsarusaruのメイルのコピーを渡すと、例のさるのような?ひょうきんな顔(ごめんなさい)で受取って読んでいました。読み終わるとリハーさるがすんだばかりのジョージ光山こと長男・正雄役の永井寛孝さんに渡しました。「これ読んで!」という感じでしたが、永井さんは近くにいたマルセさんに「どうぞ」という感じで渡しました。きっと永井さんに読んで欲しかったのだと思います。

もう一人の大男、チョウ・バクさん。5月23日に大阪・KTVホールなんでもアリーナで開催された、風フェスタ「ニッポンってなんだろう?」芸能とトークと音楽の集いで、マルセ太郎の立体講談「殺陣師段平」/さとう宗幸の司会をしたときが初対面でした。7月19日には広島のソウルスポットOTISで行われたイカイノ物語の景気づけライブ<猪飼野通信>(ここに本当はマルセさんが登場する予定だった)でお会いしましたが、こんな大男とは気がつきませんでした。あの雪男のような体格と風貌で、歌を歌い、日・韓・英・露語をあやつり、河合塾で英語の講師をするマルチ・タスク人間「希代のペテン師」、その人が開場と同時に受付の物品販売コーナーに現われ、夜店のおっさん顔負けの売り声で手伝ってくれました。それがすむとチケット片手にさっさと会場に入っていきました。座った場所から分かりますが、前以て買っていたチケットです。ありがとうチョウさん。もちろん打ち上げにも来てくれました。いよいよ千秋楽の開演です。私もチケットを買って(残念ながらまだ残っていたのです)一番後ろの席のマルセさんの奥さんの少し前に座りました。(スタッフのみなさん、ごめんなさい)

広島報告その8

千秋楽の幕が開きました。いきなり哀藤さんの大声、永井さんの声が聞こえにくいのも無理ないかな。予想どおり(私は台本を読んでいません)チェサの場面です。マルセさんが登場すると会場から拍手。お供えものの魚と肉?の位置を入れ替える。ほとんどの場面やセリフは、今まで何回もマルセさんから聴いた話やマルセさんの本に出てくるものだし、人物はマルセさんの家族なので、すんなり入っていけました。今回は「在日」という大きなテーマがあるので、少し緊張しましたが、やっぱりマルセ太郎の喜劇です。突然始まる維田さんの「ええなあ!」に続くセリフにマルセさんの考えがはっきり出ています。私の父は1907年(明治40年)生まれですが、人間はみな同じ、職業に貴賎なしという考えで、人を差別するようなことは一度も言ったことがありませんでした。演劇論や在日論はチョウさんにお願いして、私は感じたままを書きます。千秋楽ということでか、今日は役者さんも少し緊張していたようですが、会場は昨日とは比べ物にならないくらいの盛り上がりようでした。

すべてのセリフに一冊の本以上の意味がありますが、特に記憶に残るセリフ。
哀藤さんの「うれしいやんかあー!」
松山さんの「陽気な人は、呑気なんとちがう?」「寝てて何で長いということわかったん?」
維田さんの「朝鮮人や、日本人や言うけど、そんなん関係ない!人間や!」
カーテンコールでのマルセさんの「いかなる台本も、役者によって生きるものです」

出演者の中で在日はマルセさんと梨花さんだけ、大阪弁も殆どの人が始めてというマルセさんの説明に、会場からは大きなどよめきと拍手が沸き起こりました。矢野さんが日本人と聴いて驚いた在日の観客の人も多かったそうです。マルセさんの奥さんの話では、矢野さんは、役になりきるために髪形を変えて、わざわざイカイノのパーマ屋で当時オモニがしていたようにしてもらったということです。最後にマルセさんは主催者から渡された花束を、矢野さんのも一緒に、高津高校時代の恩師で、マルセさんの広島公演には必ず来られる渡辺先生に差し上げられました。

ついに千秋楽の幕が降りました。感動を胸に家路を急ぐ人たちとは別に、舞台ではさっそくバラシが始まっています。会場の使用時間の関係と、このあとの打ち上げのために急がなければいけません。一座の人が中心となって、荷物を片付け、トラックへ積み込みます。女性軍は楽屋の片付けです。21時半頃には、ほとんどすみました。いよいよオンドルバンでの打ち上げです。

私はビールを飲んで写真を撮る係りに徹しますので、あとは下岡さんにバトンタッチします。結局オンドルバンを出たのは午前2時を回っていました。駅で1番の新幹線を待つ予定でしたが、下岡さんが近くの24時間営業のサウナへ放り込んでくれましたので、5時まで快適に過ごせました。といっても、この間ほとんど記憶がありません。肩に食い込んだ鞄(点滴や注射を詰めたもの)のベルトのあとと痛みも消えかけて、今年の夏も終わろうとしています。池田さん、スタッフの皆さんお疲れ様でした。はやく反芻会をしましょうよ。

ここまで読んで頂いて、有難うございました。下岡さん、よろしくお願いします。

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広島報告その9

広島です。ドクターちゃびん・数野先生の報告がその30くらい続くと思っていたのですが、ふいをつかれてしましました。打上げ編ですね。乾杯のビールのおいしかったこと!生まれてこのかた最高のビールだったといっても過言ではありません。本当に楽しい、みんなが一体となった打上げでした。しばらく歓談のあと、マルセさんから今回の出演者、マルセスタッフを1人づつ紹介。維田さんの「ええ〜な〜〜」も飛び出し、時には茶目っ気のある自己紹介を交えつつ。梨花さんの挨拶には広島側も労がねぎらわれました。そして最後にマルセ側スタッフとして紹介されたのが、なんとドクターちゃびん・数野先生でした。しかし全然、違和感もなく、そのことを自然に受け入れられたのでした。(これが後の数野先生の感涙の涙のひきがねです)そして池田さんよりの広島側の紹介。

その後、興ものり、あの台詞・・「マスター、チャンゴ叩けや!」大久保さんのチャンゴから始まり、趙さんの太鼓、本物の店のマスターのチャンゴ、広島スタッフのコリアン保護者会・全さんの銅鑼、ケンガリでマルセさんの踊りがはじまり、その輪が拡がったのでした。マルセさんの踊りは、長老がかぶるような帽子にキセルをふかしているようなポーズ。もう全くそのもの。全員大笑い!リズムは弾み、喧騒に近い楽器の唸り、しかし旋律は民族の表現を。趙さんのチェジュの民謡なども飛び出し、2倍楽しめた打上げです。

続く・・

広島報告その10

音楽と踊りの宴のあとは、再度しばしのご歓談を。合間には今回作ったスタッフ章にサインをしてもらうべく、スタッフがマルセさんに寄っていきます。今回、初参加のスタッフの何人かには涙が。カウンターではドクターちゃびん・数野先生と数人で反芻会。数野先生が眼鏡をずらし、涙を拭き・・互いの労をねぎらいながらの打上げは夜遅くまで続いたのでした。今回は新しいスタッフ、そして後援名義だけでなく実質のサポート、券売に協力してくれた「在日」関係機関のみなさん。ありがとうございました。

今日、マルセさんからハガキが届きまして、片隅に梨花さんからもメッセージが入ってて、「池田さんには下岡が必要で、下岡には池田さんが必要なのですね・・」とありましたが、事務局サイドではその通りです。しかし今回の「イカイノ」では関わった全てのみなさんの(出演者、マルセカンパニーのみなさん含めて)創り出した広島公演だったと思います。全ての関係者、そしてお客さんに感謝!乾杯!個人的にも芝居、そしてマルセさんとの時間を通じて、いい勉強をさせてもらいました。人を敬うことをあまり考えてこなかった自分が素直に今「自分の一番尊敬る人物はマルセさん」と言えます。勿論、数野先生も(上位です!)生死感(死生感は死が先にくるのであえて)・幸福論・人格(人間としての格)・人としての魅力・選択肢を増やす為の想像力 等々これらについては追々、書いてみたいと思います。

報告・完

で、よかったでしょうか?数野先生。補足があれば(まだ続くんかい!と言われそう)また、花咲く・再演委員会の品川さんの感想も是非。今回2日間の公演で、2日とも来られた方が数多く見受けられました。こちらもびっくりしましたが、自分自身もまた観たいと思いますから、納得。このことからも芝居の素晴らしさを顕していると思います。再演ツアーを是非。お客さんがお客さんを呼んで、増えるだろうな。本当、心に残る(未だ幸せな気分です)計4日間でした。東京公演ではカーテンコールの際、「この芝居を観なかった人は不幸になる」とマルセさんが言われたことについて、伊藤さんのコメントがあり、自分も正直、ちょっと言いすぎでは?と思っていました。そして実際観たときに、自分はマルセさんの言われたことについてどう思うかがずっと頭についていました。でも見終わって、伊藤さんの「少なくともこの芝居を観た人は幸せな気分になる」これには全く同感し、マルセさんの部分については、自分は「この芝居を観なかった人は、人を不幸にする可能性がある」と感じました。人を不幸にしての自分の幸福はあり得ないというマルセさんの観点からすると同義ですが、この国はそれが人としての常識にはなっていないようで。

ちょっとだけ苦言を。公演終了後の充実感、幸せな気持ちがいっぱいで、腹立つほどでもないし、大したことではないのですが、自戒を込めて。ML上で卑口かなんか訳のわからんもんが闖入しておりましたが、広島でも今回の打上げの時に闖入者が居り、一部のスタッフは気分を害しました。貸切にしてるのに、以前手伝った人間が勝手に入りこんで座って。あんただけだったら入れちゃるかもしれんが、全然関係ない自分を使ってくれるぷろじゅーさーや女の子二人を連れて。今回、自分はただ客として来ただけなのに、ごますり兼ねて、女の子にええとこ見せようゆう魂胆で打上げに参加して楽しいのだろうか?慇懃無礼に退席を促しているのに座り込んで。結局、帰しましたが・・また、公演終了後の搬出、後片付けの際、別の以前のスタッフが受付まわりをちょろちょろ、今回のスタッフに話し掛けたり(友達・知合いだからでしょうが)。こっちはいかに短時間で延長料金を払わんとこ、打上げの時間を早めちゃろと思っているのだからはっきり言って邪魔。スクリーン・花咲くと一緒にやってきて、マルセさんの話を聞く機会(想像力)もあって、あんたら一体、何を学んだの?(ここはえてして自分らもやりがちなので気をつけましょう)でもでもいい公演でした!!

再演希望。

広島報告その11

広島・福山病棟のドクターちゃびんです。実を言うと打ち上げ会で、マルセさんにスタッフの最後の一員として紹介されたときは信じられない気持ちで、嬉しくて、言葉も出ず、本当はお礼の言葉やねぎらいの言葉や、喋りだしたら止らないほうなんですが、何も言えませんでした。今もまだ頭の中は真白(ボケのせいか?)です。これから、反芻会を繰り返すことによって、今回の公演の歴史的意義であるとか、演劇論とか、マルセ文化論とか、広島演劇・文化論とか、色々出てくると思います。ネタは沢山頂きました。ここで改めて、マルセさん、一座のみなさん、スタッフのみなさん、下岡さん、そして池田さん、お疲れさまでした。そして、有難うございました。もう一度、乾杯を!

ひとつ忘れていたエピソードを。打ち上げ会場へ、マルセさん、奥さん、梨花さんたちと着いて、店主のペさんが用意してくれていた席に着くときのことです。椅子は本来のこの店の背もたれのついた上等の椅子と、数を増やすために補助的に並べた丸椅子がありました。最初は奥から詰めるために、スタッフの若い人が背もたれのついた椅子に座っていました。それを見たマルセさんは「背もたれのある椅子には役者さんを座らせてあげてください」と自ら立って交通整理を始めたのです。そして自分は動き回るからとほぼ中央の丸椅子に座られました。言葉だけでなく、本当に役者さんを大切にするマルセさんを見て、またまた感激しました。(私はいつも感激ばかりです)

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(広島報告その12)

広島の品川です。初日の公演の翌日から昨日まで鎌倉から福岡と旅が続いていましたので、感想を述べるのが延び延びになってしまい失礼しました。池田さん、下岡さん、そして数野先生を中心に百人委員会を結成して動員に努力したスタッフの皆さん、ご苦労さんでした。独特な味のある広島弁の池田さんに引っ張られて、みんな頑張ってきました。待ちに待った「イカイノ物語」の広島での公演の日がやっと来ました。会社の仕事を終えて会場に向かうともう数人のスタッフが受付の準備におおわらわでした。早速スタッフカ−ドを首にかけて行動開始。チョゴリ姿の女性が雰囲気を盛り上げてくださっているし、みんなわくわくしているような感じを受けました。やがてお客さんがぼちぼち来場され始めました。僕が声掛けた9名の男女も時間通り来てくれました。

僕は都合で初日の公演しか見れないので、しっかり最初から見ておこうと役目の書籍・CDなどの販売を開演3分前に終えて指定席に着きました。前から4番目といういい席が確保出来ていたので、もう役者の姿が目の前という状況でした。幕が開くとセリフがテンポよくポンポンと飛び出し芝居の中にぐんぐん引き込まれて行きました。最初は勝治の強烈な個性が目だって周りの者が霞んでいるような感じでしたが、次第にそれぞれの関係が判明して行き、マルセさん独特なセリフの言いまわしが展開されて行きました。僕も弟がいるんですが、成人してからはあんな兄弟喧嘩は全くしたことはないので、舞台劇だということをつい忘れてしまってつい勝治の言動に腹がたち、殴ったろかという気持ちになりましたが、あの電話の場面で勝治が最後に言った言葉、「嬉しいやんか!」にはそれまで抱いていた彼へのイメ−ジが一変してしまいました。じ−んきた場面でした。「花咲く」の時にも感じたじ−んと、そして「息子」のfaxが和久井から届いたシ−ンの場面をマルセさんが語った時に感じたじ−んと同じ感触でした。これがあるからマルセさんの舞台って、たまらない魅力があるんだなあと思っています。

続々と寄せられている感想文を拝見していると打上げに参加できなかったことを悔しく思っています。文面からどんなに楽しかったか、感動的であったかがようく分かりますし、事前の色んな苦労があったからこそ大成功を収めた後には自然に涙が流れるんだなと思います。初日しか知らないのですが、最後に、マルセさんが喋った時に客席から大きな掛け声と大拍手が起こった時は、スタッフの一人としてああよかったな、ここまでやってきてよかったなと心地よい感触を感じながら席を立ちました。こんなに素晴らしい感動を与えていただいた関係者の方々にあらためて御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

           イカイノ物語〈百人委員会〉スタッフのひとり  品川敏樹

                         toshiki@mxh.mesh.ne.jp

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【独り言】  もう一度広島に「花咲く家の物語」を

(広島報告その13)

趙 博@大阪第二病棟です。大阪・広島と、皆さんに随行いたしました。当初は東京からすべての公演に参加するつもりでいたのですが…

今回は「事前イベント」として、東京・京都・広島でも小生のライヴもさせていただいて、毎回マルセさんも参加していただいて…新しい友人も沢山できました。私メの中毒症状は末期的になり、ついに9月6日には名古屋の「長円寺病院」で同部屋入院一一どんな舞台になるのやら、毎日一人でネタ繰りをしております。なにかしら、感無量です。かつ、心境は静寂です。「祭りの後」という感じが、一つもありません。私事ですが、8月に入って風邪をひき、3日間ほど寝込みましたが、これとて「千秋楽・広島に参加せよ」という天の導きだったかもしれません。元・河合塾生のHさん(現在、医大生)などは私にダマされて、大阪の二日間に引き続き「もう一度観たい」と、広島まで来てくれました。ことほど左様に、院内外での感染も、着実に進行しています。

芝居についての感想や事後報告は各地の病棟から続々upされています。重複を避けたいのですが、今回の成功の要因は、やはりマルセ太郎の真骨頂である「状(情)況のキリトリ」方の秀逸さと、再現(evocation)の思想一一そして、役者の技量に裏打ちされたチームワークの勝利にあると思います。最後の舞台で「いくら良い台本でも役者あっての芝居です。皆さん、役者に大きな拍手を」とマルセさんが言われたこと一一示唆に冨んで余りあります。

さて、昔、小栗康平監督が「伽耶子のために」を作ったときに「今まで<在日>は叙事であった。今回、初めて叙情になった」というコメントを新聞に載せたことがありました。若き小生は「ぼけ!」と一蹴したのですが、小栗監督にして古ぼけた二元論を持ち出さざるを得ない一一それほど我が「在日」は複雑怪奇なのです。一方、マルセさんは今回「テーマ性」という言葉を何度も使われました。しかも軽く、すっと語られました。それは、表現者として情況に没入しつつ、しかし、引きずられることなく、また、借り物でない「テーマとの向き合い方」を己が模索し、そして、渾身の力で表現したのだ一一という自負の表れだと思います。もし、「イカイノ物語」という芝居が「在日論」の系譜で語られるなら、それは一つの分水嶺的画期を内包せざるを得ません。これまで、「在日というテーマ性」に<古典的に>拘泥することで逆に「テーマ」を固定化・矮小化したり、はたまた、俗情と結託して、現在も画一的に語られる「在日イメージ」の醸成に手を貸すような結果になった、様々な文学や映像や音楽、そして諸々の啓蒙とイベント。あるいは、ことさら「在日を意識しない」というずるいやりかたで「在日である自分」を売り物にしてきた浅薄なインテリ(勝治の台詞より)。「在日を取材し・書き・述べる」ことで出世した「在日日本人」のジャーナリスト・作家・学者ナドナド。一一イカイノ物語は、この魑魅魍魎ドモとの決別をも意味したと、私は断言します。この辺のことについては、もっと具体的に書かねばならないので別稿に譲りますが、今後なんだかんだと批評が出るにしても、私が今ここで少し展開したような次元と地平を踏まえて書ける人は…おそらく皆無でしよう。(いたら、逆に大歓迎です。スンマヘン、わたいを弟子にしておくんなはれ。)さらにもう一つ、演劇評論のプロがこの芝居をどう論じるか一一これも興味津々のところ。一一そういった幾層にも絡まる意味からすると、幾つか目にした「論」や「記事」は、一向に届いていません。感動するのが関の山一一そういった印象を持ちます。それではダメなのです。「涙と笑い」「感動と共感」などという情緒を越えた、冷徹な理性を私は求めます。いや、その精神的高みこそが「マルセ喜劇」なのではないでしようか?大阪公演で、うるさいほどいちいち客席から反応していた「庶民」の笑いは、その冷徹な理性を見据えているのだと、私は信じています。即ち、記憶は弱者にあり、です。だから思いっきり泣き・笑えるのです。記憶は弱者にあり一一この言葉の具象は、マルセ太郎という発光体の根幹にある民族誌(ethnography)として、語り継がれるものだと確信し、かつ、提案したいと思います。前出の魑魅魍魎には、その方法論(ethnomethodology)が存在しません。ですから、嫉妬するか、情緒的レベルの感情と言葉しか、存在しないのです。

意見が、少し主観的すぎたかも知れません。いや、表現者の端くれとして、今回、小生は感謝してもしきれない気持ちなのです。その気持ちの端緒を自分なりに書いてみました。授業料も払わずに、どれほど学ばせていただいたことか一一本当にありがとうございました。CDも各地で沢山売れました。涙が出るほど嬉しいです。おまけに…「お前は歌手ではなく芸人になれ」無言のプレッシャー・プレゼントもいただきました。(いややなあ、また仕事が増えるやんけ!)猛暑の広島、若い頃に可愛がっていただいた森滝市郎先生や、原水禁大会のこと、被爆2世の後輩のこと、「原爆スラム」で育った友人(この人は夫婦で大阪公演に来てました)、はだしのゲンに出てくる朴さん…今回知り合った池田さん、下岡さん、崔さん…走馬燈が巡りながら、市立美術館でロバート・キャパの写真展を観ました。じっくり、観ることができました。多謝。

大阪での再演、是非是非!

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