大増税が医療・年金を破壊する
財政危機はウソだ。世界一の医療を守るにはー
菊地英博(日本金融財政研究所所長)
文芸春秋 2008年2月

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日本の医療システムが崩壊に瀕している。ことに地方の公立病院は深刻な医師不足に見舞われ、産婦人科、小児科をはじめ、診療科を閉鎖する病院が相次いでいる。2007年8月29日、奈良県橿原市の妊婦が九つもの病院で受付を拒否されて流産してしまった悲惨な事件が起きたが、こうした事件がどこで起きても不思議ではないほど、事態は深刻だ。医療や年金、生活保護、社会福祉などは、国民の暮しを保障する上で必要不可欠な制度といってよい。ところが年金制度はいまや国民にとって不安と不満の代名詞となり、世界に冠たる長寿大国を達成した医療システムまでが大きく揺らいでいる。その元凶は何なのだろうか。

医師不足、病院崩壊のおおもとを辿っていくと、この十年近く、国が医療費を極端に抑えつけてきたという事実に行き当たる。そのたびに政府は、財政赤字が増大し続けている、このままでは目本政府の財政は破綻してしまう、そのためには医療費を削らなくてはならない、と主張してきた。さらに、医療崩壊が問題になると、今度は「医療を守る」という大義名分をふりかざして、増税を強行しはじめているのだ。すでに所得税に関しては、定率減税の廃止で2006年度と2007年度で3.3兆円の増税を実行済みだ。さらに「社会保障のために使う」という口実で消費税の大幅引き上げが唱えられている。いわば、国民の生命と健康を人質に、大増税を行おうとしているのである。

しかし、この政府の論理は、二重、三重に誤っている。そもそも医療費や年金、生活保護費、社会福祉費といった社会保障関係費は、景気動向に関係なく、国民にとって必要な経費である。景気が悪いから、病院が潰れ、十分な医療を受けられなくても仕方ない、というわけにはいかないのだ。

第二に、日本の「財政危機」の主犯は、医療費ではない。2001年からの小泉構造改革によって、日本経済が低迷を続け、税収が激減したことが、最大の原因である。つまり、政府は自らの経済政策の失敗のツケを、医療費に回した上で、さらに増税によってますます国民の負担を大きくしようとしているのだ。

第三に、日本の「財政危機」は、緊縮財政や増税では解決できない。後に詳しく述べるが、現在の日本経済の停滞は著しい投資不足にある。それに対して、財政を引き締めたり、増税を行えば、ますます投資は不足するだけだ。政府の借金は減るかもしれないが、国は貧しくなる一方だ。いや、税収も減ってしまうから、国の借金も減らない。私はこれを「悪魔の縮小不均衡」と呼んでいる。

すべては「財政危機」という罠に陥っていることから生じる誤謬である。この誤謬から脱して、医療費を増額して医療システムの崩壊を阻止するとともに、財政も健全化する方法がある。これこそ、日本経済が陥っている閉塞感を打開し、日本を再生する道なのだ。

国民皆保険の危機

「医療崩壊」が迫っているとはいえ、いまなお日本の医療の水準は高い。世界保健機関(WH0)による医療の総合評価で、日本は一位である。小泉政権時代、しばしば医療改革のモデルとされたアメリカは十五位と先進諸国で最低である。日本には国民皆医療保険制度があり、大手民間企業の健康保険、中小企業の政府管掌健康保険、自営業や一般国民の国民健康保険があり、誰でも加入の義務があると同時に、病気になれば少額の自己負担で診療を受けることが出来る。世界の模範とされている医療保険制度である。

そのうえ、医療支出はきわめて低い。OECD(経済協力開発機構)の「医療費のGDP比率」を見ると、日本は加盟三十カ国のなかで二十一位。先進国の中では最低の8%であり、OECDの平均9%を下回っている(図表1参照)。また、医療費に占める公的支出にいたっては、日本は6.5%で0ECD平均の7.4%を1%近くも下回っており、先進国の中で最低である。ところが、政府は、国際的に見て低い水準にある日本の医療費をさらに押えつけようとした。診療報酬(病院や診療所が提供した医療サービスに対して、医療保険制度に基づいて支払われる報酬、病院・診療所の収入)と薬価の大幅な削減を行ない、2002年度には診療報酬本体部分について1.3%減と初のマイナスとなり、薬価との合計で2.7%削減した。ついで2006年度にも小泉元首相の「医療費圧縮を過去最大に実行しろ」との号令で、再び合計で3.16%(患者負担1兆円増、病院診療所収入が1兆円減)の減額改定を実施したのである。

とくに2006年6月14日に強行採決で可決された「医療制度改革関連法」は、「五年間で社会保障関係費を1.6兆円削減する、高齢者の病床を38万床から60%カットして15万床にする」という冷酷なものであった。

ここ数年の診療報酬の改定と減額で、経営不振に陥る病院が増えた。政府・厚生労働省は、経営不振の病院はどんどん潰せという方針になっているとしか思えない。破綻した病院が外資のハゲタカ・ファンドに叩き売られる懸念もある。2002年には全国で6,398ヵ所あった産科の診療所は2005年には3,063ヵ所に半減し、小児病院は1994年の3,938カ所から、2004年には3,281カ所と減少している。

医師不足も、財政を理由に97年から医師養成の抑制策を強化した結果(当時の厚生大臣が小泉氏)である。2004年における日本の医師数は人口千人当たり2.0人であり(0ECD平均は3.0人)、OECD加盟三十カ国の中で二十七位の低水準となった。

そのうえ、構造改革による格差拡大で低所得者層が激増し、国民健康保険料の滞納者が480万世帯に広がった。その結果、保険証を取り上げられ、十割負担の「資格証」に切り替えられた国民が35万世帯に達している。こうして、日本の誇った国民皆保険制度は底が抜け始めているのだ。

アメリカ型医療の悲惨

小泉政権が医療改革として志向してきたのは、アメリカ型の市場原理型医療システムの導入だった。これには「対日年次改革要望書」など、アメリカ側からの強い働きかけもあった。経済政策の決定に大きな影響を持つ経済財政諮問会議では、「混合診療(保険診療と保険外診療とを混合する)の認可」と「公的医療費の圧縮」がくりかえし取り上げられている。

では、市場原理型医療とはどんなものであろうか。アメリカの現状からその内容を見てみよう。マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画『シッコ』は、民間の医療保険に加入できない白人の男性が、パックリと開いたひざの傷口を裁縫道具で縫っているシーンから始まる。これは、アメリカ型の市場原理型医療システムの悲惨さを端的にあらわしている。アメリカでは、公的保険制度は65歳以上の高齢者を対象とした「メディケア(国民の約13%)」、低所得者と障害者に対する「メディケイド(約11%)」しかなく、いずれも加入制限が厳しい。国民の六割が加入する民間保険会社の医療保険は、保険料がべらぼうに高い。そのため、実に4,700万人(約15%)が『シッコ』に描かれたような無保険者なのだ。アメリカ医療の特徴は、医療システムが保険会社に牛耳られていることだ。現在のアメリカでの医療システムの中心は、「管理医療体制」(マネージドケア)と呼ばれる手法であり、保険会社が医療機関(病院・クリニック)と提携してその医療機関の医師まで支配下におく。加入する保険のグレードによって、かかる病院も決められ、受けられる診療も制限されるのだ。保険会社の許可なしでは救急車も呼べない(アメリカでは救急車は有料)。脳溢血で卒倒しても保険会社に連絡してその指示を待つのである。保険会社によって指定された医療機関と医師は、保険会社が決めた限度額の範囲内でしか患者を治療しない。また、出来るだけ医療費(保険請求費)を切り詰めた医師には、保険会社が特別ボーナスを支給するという。保険会社にとっては、保険請求額(医療費の支払い)は「医療損失」(メディカル・ロス)でしかない。利益を上げるためには、最小限の治療のみを行う医師がもっとも望ましいのだ。「人命を尊重して患者の病を最大限治療する」といった使命感を持つ者は、アメリカでは医師として高い評価を碍られない。しかも採算の悪い医療部門は病院が切り捨ててゆく。支出の多い患者は医療保険契約を更改してもらえないから、無保険に転落する。

日本では、医療が「原則として出来高払い」(医師が必要と考える医療を保険の対象となっている医薬と医療方法によって最大限実施し、その費用はすべて保険の対象となる)であり、医師は患者の病状に合った最大限の治療に努力する。どちらが患者として、安心して受けられる医療かは問うまでもないだろう。

では、この市場原理型医療システムを導入すれば、医療費は低く抑えられ、財政に対する負担は軽減されるのか。答えはノーである。日米の医療費を比較してみると、GDPに対する比率では、アメリカが15.3%で日本の8%よりもはるかに高く、OECDでもトップである。また一人当たり医療費も、日本が23.1万円(民間負担は68%で15.6万円、税負担は32%で7.5万円)であるのに対して、アメリカは59.2万円(民間負担は55%で32.5万円、税負担は45%で26.7万円)にものぼる。これも世界一高い。

皮肉なことに、これは市場原理の結果である。市場原理では「モノ」「カネ」「ヒト」を必要なときに安く仕入れて高く売ることに徹して利益を最大にするのが目的である。医療の六割を担う民間の保険会社は当然、利益を最大化することを目標に行動する。しかも薬価も診療報酬も自由価格なので、必要な薬価、人気のある医師ほど高くなる。

高価なバッグや時計ならば、買わずに済ませることもできるだろう。しかし、医療はそうはいかない。つまり売り手が圧倒的に有利な市場なのだ。そこに市場原理が導入されれば、どうなるか。金持ちには高いコストで医療を売りつけ、貧乏人は切り捨てる、いまのアメリカのような社会になってしまう。肥るのは、保険会社などの医療関係企業ばかりだ。このように、市場原理型医療は医療システムを破壊するだけで、何一つ政府と国民にとってプラスになることはない。アメリカでは保険会社を中心とする医療費と保険料の高騰に悩み、従業員への医療保険の提供を雇用条件としている三大自動車メーカーの代表が、ブッシュ大統領に対して、政府による国民皆保険制度の設立を懇請しているのである。

アメリカ以外にも、この市場原理型医療システムを導入して大失敗した前例がある。サッチャー政権下、1980年代のイギリスだ。イギリスには、1975年にスタートした国民保険制度(ナショナル・ヘルス.サービス、NHS)がある。医療費全額無料、国民すべてに適切な医療を提供することを目的とした医療システムで、世界でも優れた医療システムの一つとして評価が高かった。しかしサッチャー首相は財政立て直しのためにNHSに対する国の負担額を大幅に減らし、国民の自已負担を増やしたのである。その結果、多くの病院が経営難に陥り、医療部門の縮小や廃止、廃業する医師や病院が増大した。そして医師の多くが海外に移住し、医師不足と医療の質的悪化が顕著になった。まるで日本の医療崩壊を先取りしているかのようである。

こうした医療危機に対し、NHSの再建を提案して財政支出の増額を約束したのがブレア率いる労働党であった。これが決め手になって、1997年、ブレアは首相の座に就く。コスト主義から患者中心の視点に立ち返り、医療費における国の負担を五割も増やすことで、ようやくNHSの建て直しを図った。その結果、イギリスの財政は悪化しただろうか。ブレア・ブラウン政権下で経済は活況を呈し、税収も安定している。医療危機を脱し、国民が安心して経済活動に精励できるようになったのも、その好景気の一因であろう。

混合診療の罠

これほど明確に失敗と反省が明らかになっている市場原理型医療を、なぜ強引に日本に導入しようとするのか。アメリカの例でみたように、市場原理型医療システムで潤うのは、民間の保険会社であり、薬が自由価格になる製薬会社である。

とくに最近、経済財政諮問会議や税制調査会などで熱心に論じられているのは、混合診療の導入である。日本の医療には、健康保険が利く「保険診療」と、保険が利かない(厚生労働省が認めていない医術や医薬品を使う)「保険外診療」(自由診療)とがあるが、現在は「保険外診療」を行なうと、医療費全額が保険の対象外となる。混合診療は、両方を同じ患者に行ない、「保険診療」対象分のみ公的保険から支払うシステムである。導入推進論者は、「混合診療を認めれ」ば、未承認の新薬や治療法を利用しやすくなる」と有利な点を強調するが、混合診療が認められると、どうなるのだろうか。診療報酬や薬価が高騰しないよう政府が統制を行なっている「保険診療」に対し、「自由診療」分野で扱う厚生労働省が認可していない医術や薬品は薬品会社や病院が自由に価格を決めるため、より利益の上がる商品となる。それによって診療費は高騰する。保険会社は自由診療向け保険といった新種保険を開発するだろう。このビジネス・チャンスを拡大するために、外資系の保険会社、薬品会社などが中心になって、医療保険に対する公的支出を削減しろという圧力をかけてくる。つまり、混合診療は市場原理型医療への突破口となるのだ。そうなると、「健康と人命には貧富の差がない」という国民皆保険制度が崩され、「貧乏人は医者にかかれない」ことになる。国民皆保険制度を維持する上からも、混合診療は自由化すべきではない。

混合診療間題は2007年12月にも経済財政諮問会議で議題にあがった。しかし、経済財政諮問会議で導入論を主張する民間議員は、医療の専門家でもなく、また国会議員のように選挙によって選ばれた国民の代表でもない。彼らに、日本の医療システムを破壊しかねない、重大な判断を委ねていいものだろうか。経済財政諮問会議は廃止を含めてそのありかたを再検討すべきだと考える。

混合診療の導入は、医療制度改革を新たなビジネス・チャンスと捉える者にとっては、歓迎すべき事態だろう。しかし、大多数の国民にとっては、医療システムの崩壊にほかなるまい。では、日本の医療崩壊を食い止めるにはどうしたらよいか。たしかにこれまで日本の国民皆保険制度は、最小の費用で最大の効果を挙げてきた。しかし、長期にわたる医療費抑制と、医師不足によって現場は疲弊してしまっている。前述したように、日本の医療費は国際水準と比較して低すぎるのだ。

現状を是正するには、医療費を増やすほかない。当面の目標として、五年間で医療費をGDP比率でOECD並みの9%まで引き上げるべきである。現在8%であるから、わずか1%の引き上げであり、「社会的共通資本」の一環として公的支出で五兆円の医療費増額をすべきである。「社会的共通資本」とは、環境・自然の保護、医療、教育、下水道・公共交通・通信など、国民の生活を充実させるために必要な社会的インフラなどをいう。

支出内容としては、診療報酬の減額部分の復活と増額、一部の病院の建て直しと新規医療機器の増設、看護助手・勤務職員といった医療職以外の人員の増加などが考えられるだろう。ことに勤務医の過重労働が問題になっている現状では、医療行為以外の医師の仕事を職員にアウトソーシングし、負担を軽減させることは重要な課題だ。それによって医療崩壊を食いとめられ、また雇用の増加にもつながる。アメリカでは医師以外の職員の数が日本の十倍もいる。日本では少なくとも現在の二倍にすべきである。さらに、十年単位の中期計画として、病院の近代化、看護施設の充実、高齢者の医療施設の開発など、新規分野への政府医療費を増やす。まず政府投資を行ない、民間投資を誘発する方式が望ましいだろう。こうして医療システムをしっかりと立て直し、セーフティ・ネットを強化すれば、おのずと社会の安定と経済の発展が期待される。

以上のように論じると、読者のなかには、「医療費の増大?公的支出五兆円?どこにそんな財源があるのか。そもそも医療費こそ財政赤字の原因ではないか」と思われる方もいるだろう。そこに、「『財政危機』という罠」がある。「日本は深刻な財政危機にあり、それを解決するためには、支出を出来るだけ抑え、足りない分は増税でまかなうしかない」という発想である。私は、逆にこの発想こそがすべての誤りのもとであり、日本経済の長い低迷の元凶だと考える。

まず公的医療負担が、ほんとうに財政赤字の原因かどうかを調べてみよう。各国の財政赤字の状況を知るには、「国民負担率(純債務のGDP比率)」をみればよい。政府の「純債務」とは、「粗債務(借り入れ総額)」から金融資産を控除したもので、一国の債務残高を的確に表す重要な指標だ。GDPは、家計や企業の収入だと考えればいい。つまり、収入に対する借金の比率が高いほど、その国の財政は危機的だ、ということになる。2005年の0ECDのデータでみると、日本が81.0、ドイツが59.0、アメリカは43.0で、イギリスは39.0となっている。ところが、GDPに対する医療費支出でみると、日本の8%が最も低く、イギリスは8.3%、ドイツは10.7%、アメリカが15.3%といずれも日本より高い。つまり、他国は医療費を多く支出しているにもかかわらず、日本よりも財政状況が良好なのである。この事実は「医療費が日本の財政赤字の主因である」という政府の説明が、事実に反する詭弁であることを示している。したがって、財政上の理由から、医療費を削減する根拠はどこにも存在しないのだ。

日本は「財政危機」ではない

財務省は現在、「日本は834兆円もの債務を抱えている。これはGDPの160%にものぼる危機的数字だ」と喧伝し、国民の間にも「財政危機」はもはや常識として染みこんでしまっている。それに対して、「日本は本当は財政危機ではなく、むしろ公的支出を増やすべきだ。そのための財源も豊富にある」という筆者の主張は、非常識きわまりないものに映るかもしれない。

しかし、財務省のマインド・コントロールの影響を受けない海外からみると、むしろ筆者の考えのほうが「常識」なのだ。私は毎年、ニューヨークやワシントンを訪問し、アメリカの要人や現地の新聞記者、ジャーナリストなどに面会して意見交換をしている。全く私的な会合なので本音の話が聞こえてくる。三年前、ニューヨークで面会した日本の大手新聞の新聞記者がこんな話をしてくれた。

「本社から『アメリカの政府や学者が、日本の財政危機に関してどう思っているか調べて報告してほしい』という指示が来た。そこで日本研究などで知られている学者や識者に聞いてみて、驚きました。誰一人、日本が財政危機だとは思っていないのですよ!」。彼はこの事実を本社へ報告した。しかし記事にならなかったばかりか、この大新聞はいまでは消費税引き上げのキャンペーンを張っている。

先般、ベン・バーナンキ米連邦準備制度議長(中央銀行総裁)に面会したときも、「(デフレ対策として)日銀は国債の買い取りを増やし、減税あるいはその他の財政政策を行なうべきだ」と言い、減税や財政支出による景気回復の必要性を指摘した。財政危機どころか、日本は自分の豊富な資金で景気回復をはかるべきだ、というのである。日本研究で知られるコロンビア大学のデービッド・ワインシュタイン教授、ジェラルド・カーチス教授や、欧米の金融関係者たちも口を揃えて、「日本は財政危機ではない。経済政策を間違え続けていることこそ、真の危機だ」と指摘している。この認識のズレはどこから生じているのだろうか。

まず債務の捉え方が違う。日本の財務省が主張する「834兆円」は「粗債務」であるのに対し、国際的には一国の債務を的確に判断するには「純債務」を使う。最新のデータで、日本の「粗債務」と「純債務」をみてみよう(図表2参照)。日本政府の持つ金融資産(社会保障基金、内外投融資、外貨準備金)は、2005年末に発表された額で538兆円、2007年の時点では、私の推計で580兆円にのぼる。

それを粗債務から差し引いた純債務で見ると、日本の債務は254兆円と、およそ三分の一以下になってしまうのだ。なぜこれほど違ってしまうのかといえば、日本ほど政府が多額の金融資産を保有している国もないからだ。欧米諸国ではGDPの15〜20%程度であるのに対し、日本はなんとGDPを超える規模の金融資産を抱えているのである。先にも述べたように、純債務でみても日本の国民負担率は先進諸国のなかでは高いほうだが、財務省が主張するような160%などという数字にはならない。「日本のような経済大国であれば、十分耐えられる数字」だと海外の識者たちは考えている。

日本でも、政府の税制調査会長を十年間務めた加藤寛氏(千葉商科大学名誉学長)は、2005年12月14日付の産経新聞「正論」欄で「(日本の)純債務は250兆円程度」「債務の半分は二重記帳」「日本は財政危機ではない」と述べており、現時点でもこの指摘はズバリと当てはまる。

さらにいえば、日本は世界有数の米国債の保有国だ。加藤氏がいみじくも指摘しているように、「対外債権国が国債のデフォルト(支払い停止)を起こすことはありえない」のである。実は、財務省自身、日本が財政危機ではないことをよく承知している。2002年4月、アメリカの国債格付け会社が一斉に日本国債の格付けを引き下げた。このとき、黒田東彦財務官(当時)は「日本は世界最大の貯蓄超過国であり、国債はほとんど国内で消化されている。また世界最大の経常収支黒字国であり、外貨準備高も世界最高である」との意見書を格付け会社に送りつけた。日本が多額の金融資産を保有していることを誇示して、日本国債の格下げに抗議したのである。つまり、政府は自ら「純債務で見れば日本は財政危機ではない」ことを認めているのだ。その一方で、「債務は834兆円」と叫び、医療崩壊を招くほどの緊縮財政を続け、大増税さえ目論んでいる。外国向けと国内向けとを使い分けて国民を歎く二枚舌としかいいようがない。

「小さすぎる」政府で景気悪化

2002年4月に日本国債が格下げされた真の原因は、過大な債務ではなかった。このときアメリカの国債格付け会社が主張したのは、小泉内閣がデフレ政策を取っているため、ゼロ成長が続き、名目GDPが伸びない(減る)。そのために、国民負担率が上昇するので、格下げをするといっていたのである。「財政危機」の真の原因は、債務の増大ではなく、景気の低迷だったのだ。

この十年間、日本は深刻なデフレに見舞われ、名目GDPはマイナス成長だった。1997年度の名目GDPは521兆円あったのに、2004年度はわずか505兆円に減ってしまったのである。その最大の要因は、政府も民間も投資不足だからだ。投資は経済成長のエンジンであり、とくに「純投資」(設備投資の増加額から投資の回収額である減価償却を引いた「ネットの投資額」)の増減が決め手である。

2001年以来の構造改革によるデフレ政策で、民間も政府も投資が減少し、とくに中小企業の純投資は2002年から2004年までマイナスであった。政府の「ネットの公的資本形成」(公共投資の増加額から回収額=減耗額を引いた政府の純資産)は、2007年度からマイナスになった。政府の投資がマイナスになると民間投資にもマイナスの影響が及ぶ。全体として著しい投資不足が続き、今後も間違いなくゼロ成長に近い状態が続くだろう。

日本は大幅な貯蓄超過国である。現在も、1,600兆円にもおよぶ個人預貯金があり、過去五年間で毎年平均30兆円も増えている。戦後の高度成長期を振り返っても、民間投資だけでは貯蓄を使い切れず、公共投資が民間投資を補完し、相乗効果で経済成長を支えてきたのである。ましてやデフレ下で公共投資を削減することは、景気を致命的に冷え込ませる。小泉政権の経済政策の失敗は、まさにここにあった。

参議院予算委員会調査室の調査(2004年)によれば、1992年度から2002年度までの政府の公共投資による景気対策の結果、事業規模で137兆円が支出され、GDPの押し上げ効果が97兆円(GDPの19.5%)に達した。つまり、1992年からの十年間で、もし景気対策がなければ、GDPは400兆円ぐらいに落ち込んでいたのである。小泉元首相や竹中平蔵氏が「公共事業はGDP押し上げ効果は全くない」とたびたび言っていたのは、事実に反する発言である。こうした大ウソがデフレの下での公共投資の削減になり、ついに社会的資本形成がマイナスになり、これが民間投資へもマイナスの効果を及ぼして、税収を激減させ、医療費の削減まで影響しているのである。政府は盛んに「小さい政府がいい。もっと小さくしよう」と宣伝してきた。これも「ウソ」である。主要他国と比較すると、日本は「小さすぎる」政府だ。政府の予算規模のGDP比率をみると、フランス54%、ドイツ47%、イギリス46%、アメリカ38%に対して、目本は37%と先進国中もっとも小さい(図表3参照)。しかも十年間も歳出額(予算規模)が全く増えていない国は日本だけであり、これでは経済も税収も成長しない(図表4参照)。すでに「小さすぎる政府」なのに「もっと小さい政府を」と叫んでいるから、日本全体の経済規模も縮小してしまうのだ。

小泉構造改革以来の政府の経済政策を、私は「悪魔の縮小不均衡」と呼んでいる、と述べた。小さい政府を叫んで財政規模を縮小する→デフレなのに緊縮財政で投資関連支出を削減し、地方交付税交付金・補助金も削る→小さすぎる政府がさらに小さくなる→景気低迷で名目GDPのゼロないしマイナス成長となり、税収が上がらない→そこでまた財政支出を削減し、増税する→景気の悪化が国民の消費を冷やす→税金も払えなくなる……という悪循環である。その結果、政府は国民の命にかかわる医療支出までも極端に圧縮して、日本の社会経済基盤まで破壊しようとしている。

もしここで増税などしようものならば、ますます経済はしぼみ、税収はかえって減ってしまうだろう。こうした政策をとって財政改革に成功した国は世界中どこにもない。

実際、小泉政権の五年五力月を振り返ってみると、2001年度から公共投資を減らし、六年間で2000年度に比べて累計で11兆円削減したが、景気の悪化とデフレの促進を招き、この間の税収は2000年度に比べて累計で32兆円減り、政府債務は長期だけで327兆円も増加した。2000年度に51兆円あった税収は、一時は43兆円まで落ち込み、2006年度でもわずか49兆円と、構造改革前の税収にも及ばない。「公共投資を削減すれば、財政の赤字が縮小する」という方針がいかに間違った政策であるかの証明である。

しかも、都会と地方の格差も広がった。これには地方交付税交付金と補助金の削減の影響が極めて大きい。2000年度に比べて、2001年度から2007年度までの地方交付説交付金と補助金の削減額の累計で36兆円に達している。また地方の基幹産業でもある公共投資の削減額はこの七年間で11兆円になり、合計で47兆円も、中央政府から地方へ送られる資金が減っている。つまり、短期間のうちにこれだけの資金が地方から中央政府へ吸い上げられてしまったのである。これでは、たとえ地方分権を進めるためといっても、経済的な回復は不可能だ。いたずらに格差を拡大し、結局、トータルとして税収を減少させているのが、現在の地方政策といえる。

国民の暮らしはどうか。構造改革が始まる直前の2000年度と2006年度を比較すれば、家計の可処分所得(サラリーマンの手取り所得)は298兆円から280兆円に減少(毎年3兆円減)し、家計貯蓄額は23兆円から5兆円程度まで減り(これも毎年3兆円減)、国民は預貯金を取り崩して必死に生活してきたことがわかる。この間に家計貯蓄率は7.6%から2%まで落ち込み、家計の四分の一は貯金ゼロである。国際的にみると、世界のGDPに占める日本の比率は15%から10%に落ち込み、一人当たりの名目GDPの国際順位は二位から十四位へ凋落した。これは1971年の実績まで後退したことを意味する。また生活保護を受けている世帯は75万世帯から110世帯に増加し、経済生活問題が原因で自殺する人が増えている。そのうえ、この二年間で、定率減税廃止によって3.3兆円の所得税の増税が実行されているのだ。

ちょうどこの逆を行なったのが、アメリカだ。1993年1月にデフレ気味の経済不況の中で就任したアメリカのクリントン大統領は、アメリカが債務国(国債を外国人に買ってもらっている)で財政が赤字であるにもかかわらず、軍事費の削減で生じた余剰資金を国債の償還に当てるのではなく、新規分野への投資に振り向け、さらに歳出総額を前年比で3〜4%増額して政府の公的資本形成(社会的共通資本)に歳出を集中した。国内開発(道路、交通、環境保全等)、地域再開発と整備(学校、病院、公共施設、図書館等)、教育訓練などに予算支出を集中して民間需要を喚起する政策を取ったのである。また中小企業にたいする投資減税を導入して民間投資を誘発する政策を実に八年間継続し、高所得者には増税して五年目で財政を黒字にした。

同様の手法は、ブッシュ大統領も採用した。2003年秋、米経済にデフレの傾向があらわれたとき、暮れに所得減税を行なったのである。しかも、財源には国債を発行、日本は33兆円の米国債を引き受けた。つまり、借金を一時的に増やしてでも、デフレ対策のために景気振興策をとったのだ。

もっとも、デフレ時に緊縮財政を強行する愚は、歴史的にも例がある。デフレが進んでいるときに緊縮財政を強行して経済を破綻させたのが、1929年から33年までのアメリカ大恐硫であり、1930年から31年までの昭和恐慌であった。それに対し、アメリカはニューディール政策、日本は高橋是清による財政による景気振興策をとり、政府の公共投資を増加して需要を喚起し、税収を増加させた。2000年代の日本は、わざわざ失敗した政策を採用したのである。となれば、これから日本が取るべき道は明らかであろう。クリントン、ブッシュの成功例にならい、緊縮財政、増税路線をただちにやめ、減税、公共投資などの景気振興策を行なうべきである。もっとも公共投資、公共事業というと、「お役人による非効率な運用」「意味のないばら撒き政策」というイメージがあるかもしれない。そこで重要なのは、クリントンがやったように、新規分野への投資や、「社会共通資本への投資と支出」(医療費、医療関連のインフラ整備、教育研究費の充実、環境整備、国土保全等)に集中し、民間需要を誘引する案件に支出することだろう。

日本は対外的に債権国であるから自分のカネで新規国債を引き受ける(買い取る)ことができる恵まれた国である。財政政策による景気振興策を取れば、名目GDPが増加して経済規模が拡大し、税収が増えるので増税は全く必要ない。厚生労働省の推計では2025年までに社会福祉関連費用が毎年一兆円強の増加が見込まれているが、日本の経済規模からすれば、税収増で十分にまかなえる。

基礎的財政収資均衡を凍結せよ

最近、政府の”埋蔵金”が話題を呼んでいる。「財政融資資金特別会計」が26兆円、「外国為替資金特別会計」が16兆円といわれ、どちらも財務省が抱える、当面使い道のない積立金だ。しかし、もっと巨額な「財源」が政府にはある。ほかでもない政府の金融資産だ。まず社会保障基金(年金と国民健康保険料の積立金)の260兆円(2005年末の時点では243兆円。2007年末の推計値)である。このうち約200兆円が年金の、約60兆円が国民健康保険の積立金である。

年金自体が危機ではなかったのか、という疑問もあろう。しかし、一時期、年金破綻の危機が叫ばれたのは、景気の低迷で株価が下落し、2002年度には年間で3兆6千億円もの運用損が生じたことが大きい。現在では年金基金、健康保険基金、ともに黒字であり、現在、この基金の運用益だけで6〜8兆円ある。これは消費税3%に相当する額だ。この運用益を活用するだけで財源は十分出てくる。

そもそも年金が危機に陥った要因には、デフレ政策によって運用がマイナスになったことと、年金官僚たちによって事務費やグリーンビア事業などに浪費されていたことがあげられる。官僚が食いつぶしていた分を、投資に回し、景気が回復すれば、国民の所得が増え、年金の積立金自体が増大するのだ。最近、消費税引き上げの理由として唱えられているのは、2009年度までに年金給付の国庫負担を、現在の三分の一から二分の一に引き上げるにあたって、新規の財源が要る、というものだ。そのために必要な総額が約2兆7千億円。それならば、増税せずに社会保障基金の運用益を利用すればよい。現在、与党から消費税の税収を社会保障関係費に限定して使うという構想が打ち出されているが、これは社会保障費の増加を理由にして消費税を引き上げようとするものであり、実質的に社会保障関連費を抑制しようとする政策であって、絶対に受け入れるべきではない。

さらに外貨準備金もある。現在、政府の保有する外貨準備金は110兆円で、そのほとんどは米国債だ。この外貨準備金の原資は政府短期証券であり、1999年9月までは日本銀行がこの短期証券を全額引き受けて(買い取って)いた。どの国でも外貨準備金の原資は、中央銀行の資金で調達するのが常識なのだが、1999年10月から、日銀はこの政府短期証券を全て民間金融機関に売却したために、われわれ国民の預貯金が直接、米国債に投資されている。だから国民の預貯金が国内に廻らないで海外に流出してしまうのだ。日銀が外貨準備金を調達する方式に戻せば、民間金融機関の預貯金が、国内に戻ってくることになる。外貨準備金は運用益だけで年間5〜6兆円もある。

また、こうした政府の金融資産を担保にして、「担保国債」を発行することも出来る。民間銀行等(銀行、信用金庫、信用組合)の貸し出しが十年前に比べて150兆円も減少している現在、政府が新規国債を発行して資金循環を促進すべきである。日本国内には資金が十分ありながら、その資金を国内で循環させないから経済が活性化しないのである。その手段として、外貨準備金と社会保障基金を担保とした「担保国債」を発行すればよい。社会保障基金はすでにかなりの国債を購入しているが、余剰資金が多くあるので、新規の国債引き受け資金に使える。

「担保国債」を発行すれば一時的には国債残高が増加する。しかし「担保国債」の発行で得た資金を投資に回し、経済が活性化すれば、名目GDPが増加し、税収が増える。その結果、政府債務の国民負担率が低下し、国債残高も減るのだ。

財政危機が叫ばれて十年。オオカミはついに来なかった。財政破綻を恐れているうちに、肝心の日本経済が縮小し、地割れしてしまった。緊縮財政路線は、日本全体が貧しくなっていく道だったのである。

日本経済の最大のリスクは、財政危機(増大する債務)ではなく、経済的無策(政策危機)だった。それでもなお財務官僚は2011年に基礎的財政収支を均衡させる、と唱え、天下りなどの自らの権益を死守したまま、大増税を強行しようとしている。

いまこそ緊縮財政から積極財政へ、経済政策を大転換する時期である。財政危機の呪縛から脱皮して、基礎的財政収支を2011年に均衡させる方針を凍結させ、われわれ国民が蓄積してきたおカネを使って、景気振興策と医療・年金・生活保護などのセーフティ・ネットの拡充につとめるべきだ。

財政再建と医療・年金制度の立て直しは、「あれかこれか」の二者択一ではなく、「あれもこれも」の一石二鳥なのである。

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