「名医と迷医の見分け方、裸のお医者さまたち」
桑間雄一郎著(ビジネス社)
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二十一世紀の患者心得

これからの患者さんは、自分で勉強するかしないかで、大きな得をするか損をするかが決まると言っても過言ではないでしょう。医療を取り巻く環境は、私が医師になってまもない1990年頃の状況とは大きく違ってきています。当時はまだ医師の私にとっても、最新情報を得るためには病院や大学の医学図書館に赴き、自ら何時間もの時間を費やして、欲しい情報を手に入れるような状況でした。ましてや患者さんが医学情報を手に入れることなどほとんど不可能で、家庭の医学書をひもといて、病気の基本を学ぶのがせいぜいでした。そんな時代では、医師の持っている情報が患者さんの持ちうる情報よりも圧倒的に上でした。「医学のことは素人の我々にはわかりませんので、先生にすべてをお任せします」という時代だったのです。

ところが、ここ数年の情報革命はものすごいことを引き起こしています。十五年前には医師である私でさえ、文献を取り寄せ郵送されてくるまで一週間もかかったことが、今は患者さん自らパソコンの前に座って操作すれば、瞬時に医学論文を読めるようになったのです。今までは医師しか手に入れることのできなかったアメリカ国立医学図書館のMEDLINEと呼ばれる医学文献データベースも、今やインターネット上にPUBMED、すなわち一般人用のMEDLINEとして広く公開され、多くの人が自由に読み込むことができるようになりました。このMEDLINEは数年前までは、CD-ROMに収められて、各医学図書館を通して医師にだけ提供されていたものです。患者さんが関心のある単語、たとえば「肺がん」「抗がん剤」といった単語を入力すると、これに関する医学論文の最新版がまとまった形でコンピューターの画面に瞬時に出てくるのです。隔世の感すらあります。

このように大量の医学文献情報を提供するホームページ以外にも、患者さん向けの医学情報を提供するホームページは星の数ほどあり、検索エンジンで探せば、医師の脳みそを簡単に超えることができるようになったのです。考えてもみて下さい。医師は千差万別な患者さんのすべての病気を扱わなければならないのに対し、患者さんは自分の病気のことだけ集中的に勉強すればよいのです。医師は何が出題されるかわからない試験問題に毎日臨んでいるようなものですが、患者さんは自らの病名さえ知れば、前もって出題内容を知らされた試験に臨むようなものです。出題される問題は一問です。一問でないとしても、せいぜい数問です。一問ないし数問の試験問題に対し、万全の準備をすればよいのです。それも情報革命のお陰で、電話回線料くらいで大量の情報をコンピューターで調べることができます。

21世紀の患者さんの勝ち組みはこんな感じになるでしょう。「先生が診断して下さった○×という私の病気をインターネットで調べてみました。日本では未承認の△▼という薬が、実はアメリカでは何年も前から使われていて、それが普通の治療法だそうですね。日本は例のごとく、一番いい薬が健康保険で使えるようになるのに何年もかかって、いや下手すると十年たっても使えないことすらありますから、この薬を個人輸入して使いたいのですが、いかがですか?」勉強熱心な医師であれば、その薬のことは多少は知っているか、知らなくても次に受診するまで勉強して医師の視点でアドバイスをくれるでしょう。不勉強な医師であれば、「そんな薬は日本では承認されていない。ダメダメ」ということになるでしょう。とにかく日本の医療は社会主義そのものですから、これからますます遅れをとることになる恐れが高いのです。そんな時代には、情報を自ら調べ、医学の基本を押さえている医師に、その情報をぶつけてみる。その作業をするかしないかで大きな差が出てくることは間違いありません。

これからの医師は、すべての病気のすべての情報を知っている全知全能の神ではなく、患者さんが病気と闘う際のパートナー的な存在になっていくことが予想されます。今までは全知全能の神だと、患者さん側が勝手に思い込んでいただけです。最高の結果を導くには、自ら情報を集め、自ら行動することが必要なのです。そんな21世紀の患者さんが、時代の先端を行くニューヨークでは、私の周りにもちらほら出現してきました。

インターネットは強い味方

医師は決して全知全能の神ではないので、医師任せにしては最高の医療を受けることはできません。何人もの専門の医師を巻き込んでの診療が一般的なアメリカでさえ、賢い患者さんは自分の病気のことをインターネットで調べ、最先端の治療法に関する質問を医師にぶつけてきます。日進月歩の医学の世界では、たとえ専門の医師でさえ、すべての病気のすべての情報を把握しているわけではないのです。患者さんからの情報をきっかけにして治療方針が変わったり、別な専門の医師へ受診をしてみるようにとのアドバイスがなされることも決して少なくありません。たとえば内科は、循環器内科、消化器内科、呼吸器内科、血液腫瘍内科、腎臓内科、代謝内分泌内科(糖尿病やコレステロール関係、さらにはホルモンの病気を扱う科)、アレルギー内科、神経内科、感染症内科など、大雑把な専門分野だけでもたくさんあります。

その一つ一つがさらに細かな専門分野に分かれています。たとえば循環器内科は、不整脈の専門家、狭心症や心筋梗塞といった虚血性心疾患を扱う専門家、心臓超音波検査の専門家、心臓核医学検査の専門家、血管の専門家などといった具合に細分化されるのです。それぞれの分野で医学は日進月歩していますから、最先端のすべての情報を頭に入れておくことなど、実際には不可能なことなのです。

日本では、医師の紹介を受けてそれぞれ専門の医療機関を訪ね歩くことは少なく、さまざまな疾病や病状に一人の医師が対応するのが一般的です。最先端レベルの医療は、多くの専門医が診療にかかわって初めて可能になるものです。従って、一人の医師がほとんどすべての診療を行なう日本の診療レベルは、最先端レベルから二、三割は差し引いて考えたほうがいいでしょう。かろうじてそれなりのレベルの診療を受けることができるのは、担当医師の専門分野だけということになります。自然に放っておいても良くなるような病気であれば二、三割引きでも大した問題はありませんが、命にかかわるような大病では決定的な違いにつながります。そこでは、いかに自分で自分の病気についての最先端情報を集めることができるかが、治療の結果を大きく左右するのです。

さて、具体的にはどんなことができるのでしょうか。入門編としては、皆さんが医学以外の情報収集にも使うインターネット上の日本語検索エンジンを使う方法があります。たとえばヤフーとかインフォシークといった検索エンジンに、自分の病名を入力してみて下さい。大学病院などのホームページがいくつか出てきて、自分の病気がかなりよく解説されていたりします。辞書を引きながらでも英語で医学の内容が読めそうなら、まず自分の病名が英語で何というのか、辞書で調べるか主治医に尋ねるかして調べ、これをアメリカの英語版検索エンジンに入力してみて下さい。情報量は日本語の場合に比べ、格段に多くなるはずです。

次に上級編です。前述のとおり、近年、医学の教科書や最先端の医学論文が、一般の方でもインターネットで読むことができるようになりました。ただし、このような医学情報は英語で書かれていますので、医学と英語の両方を少々勉強しなくてはなりません。アメリカではすでに病院単位で契約を交わして、病院の勤務医全員がインターネット経由で、何十冊もの医学教科書の全ページや何万という最新の医学論文を瞬時に見ることができるようになっています、個人の患者さんでも、多少の料金を払ったり、お試しバージョンを利用することで、まったく同じ情報を入手することができます。やはり、病名を入力すれば、医学論文や医学の教科書で関連する部分が、瞬時にコンピューターの画面に出てくるのですから、多少の医学知識と英語力があれば、自分の主治医の知識をはるかに超える貴重な情報を入手することができるのです。

ちょっとずるいかもしれませんが、そして多忙な日本の医師からは嫌がられるかもしれませんが、コンピューターで入手した英文の情報を印刷してそのまま主治医に渡し、意見を求めてみるのも一法です。私が在籍するベスイスラエル・メディカルセンターの医療職員は、MDCONSULTとOVIDというインターネット上の医療情報サービスをいつでも利用することができます。MDCONSULTの説明は、http://www.sunmedia.co.jp/mdconsult/のウェブサイトに日本語で書かれていますので、興味のある方はご覧下さい。さらに、http://www.mdconsult.com/のMDCONSULTのホームページには現在、十日間の無料お試しサービスがあり(ただし、今後変更になる可能性はあります)、簡単な情報を入力するだけで、このありがたい医学情報が十日間も使い放題になっています。チャレンジ精神旺盛な患者さんは、自分の病気に関する情報収集をぜひ試みて下さい。

日本は国の保険医療制度の制約で、最先端の治療がなされていない病気が山のようにあります。これらのサイトで、今、自分になされている治療法より優れた最先端の治療法に巡り会える可能性は大きくあります。インターネット・アレルギーの人は少しうんざりしているかもしれませんが、必死に最先端の治療法を探している方も多々いらっしゃるでしょうから、世界的に有名な医学論文のデータベースをもう一つ紹介いたします。http://igm.nlm.nih.gov/をコンピューターで開くとアメリカ国立医学図書館が提供する医療データベースを無料で利用できます。この中のMEDLINEというデータベースを試して下さい(前項でも紹介したMEDLINEです)。やはり自分の病名を入力して、関連する医学論文を探して下さい。このデータベースは論文の要旨が載っているだけですが、最新の情報が得られるはずです。

日本語での医学情報サービスは、アメリカに比べると大きな遅れを取っています。従って、良質かつ詳細な医学情報をインターネットで得ることができるのは、まだ数年先になると思います。上記のMEDLINEのような医学論文データベースは日本にもあるのですが、論文の表題しか載っていなかったりして、結局は医学図書館に論文の原本を見に行かなければならないのがほとんどです。日本語による医学情報だけで充分と言えるようになるまでは、残念ながら、英語圏での情報収集が求められます。

たとえ重篤な病気でも、万策尽きるまでは決してあきらめないで下さい。繰り返しになりますが、患者さんやその家族は、関係するごく一部の病気のことだけを集中的に勉強すればいいのです。かけがえのない命のためなのですから、手間と時間を惜しむことなく、医師をアッと言わせるくらい、調べて勉強してみて下さい。ありがたいことに、今はそれができる時代になったのですから。

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