大塚 信(おおつか まこと)
「ホロコースト」に学ぶ

ホロコースト記念館

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<略歴>1949年京都市生まれ。同市のロゴス神学院卒業。イスラエル留学。京都府田辺町の教会を経て90年から福山市の聖イエス会御幸教会の牧師。95年に福山市御幸町中津原に日本初のホロコースト記念館を設立。


「ホロコースト」に学ぶ
人類全体に通じる問題

大塚 信(おおつか まこと)
(ホロコースト記念館館長・福山市)
中国新聞 1997年1月27日 中国論壇

二十世紀最大の悲劇であると言われるホロコースト(ナチスドイツによる600万人のユダヤ人大虐殺)は、無知と無関心の産物である。ホロコーストは多くの観点から、人類史上最大の犯罪として周知されている。

その規模はヨーロッバ、ロシア地域にわたる30カ国に及ぷ。ただユダヤ人であるという理由だけで殺された人は600万人、そのうち子供たちが150万人にも上る。この事実を直視し、未来に再びこのような悲劇を繰り返してはならない。

計画・意図的な虐殺

ホロコーストの特異さは、ユダヤ民族の根絶をイデオロギーとした計画的、意図的な虐殺であった点にある。ヨーロッパの歴史を学ぶ時、この悲劇は一朝一タで行われたものではなく、長い間、蓄積された誤解や中傷の故に罪のない多くの人々が苦難を受けた事件を、イタリアやスペインで見る。

また、ユダヤ人追放、虐殺は、イギリス、ドイツ、フランス、ロシアなどで行われていた事実がある。ヒトラーは、このヨーロッパの土壌で育ち、培われたユダヤ人に対する憎悪、偏見を巧みに利用した。

ナチスが初め、ユダヤ人を追放しようとした時、彼らを受け入れようとした国は皆無に等しかった。虐殺の事実を知りながらも、反対の声を挙げる者があまりにも少なかつた。そうした世界の反応の鈍さが、ヒトラーのユダヤ人抹殺計画に弾みをつけたことは確かだ。この点から見て、ホロコーストは、一個人、一集団のなした問題としてよりも、人類全体の問題としてとらえなければならない、と思う。

ユダヤ人を運んだ家畜列車、過酷な強制労働、ガス室、焼却炉…。それは二十世紀を生きる現代人が、同じ人間に対して行った行為であった。医学、化学、工学、また音楽など、人々を幸せにする近代文明をリードした民族がなした行為なのである。しかも、ヒトラーはクーデターではなく、国民投票によって合法的に選出されたのである。

「私は、アンネの父、オットー・フランクです」。26年前、私は旅先で偶然、一人の老紳士と出会った。これが私にとって、最初のホロコーストとの出合いであった。フランク氏は家族の中でただ一人、人間のつくった地獄、アウシユビッツ強制収容所から生還した人である。悲惨な体験を経験しながら、むしろ過去を克服し未来を信じているように見えた。

スイスのバーゼルの質素な書斎で、世界中の子供たちから届いた手紙に、一通一通返事を書いておられた姿が印象的であった。

「アンネたちの悲劇的な死に、ただ同情するだけではなく平和のために何かをする人になってください。平和は相互理解から生まれるのです」と訴えられた。

過去学び平和創造

私どものホロコースト記念館は、オットー氏の遺志を生かし、「平和をつくり出そう、小さな手で」という標語を掲げ、過去を学びながら平和を創造していく、子どもたちに向けて開かれた教育センターである。

ここでは、模範解答は準備せず、当時生きていた子どもたちの写真、絵画、資料などと対面し、彼らなりの解答を見いだすように配慮した。展示の目線も、低くし、説明もできる限り当時の子どもの言葉から 選んだ。「平和な世界をつくり出すために、なにか自分にできることを見つけたい」など、生きた学びが始まっている。開館以来、14000人の方が来館された。

事実の伝達が大切

昨秋、私はイスラエルのエルサレムで開催された、第1回国際ホロコースト教育者会議に出席し、発表の機会を得、世界20カ国で実践されている歴史教育の実情を学んだ。欧米では、ホロコーストの歴史を学ぶとともに、現在と未来にその教訓をいかに生かしていくかに力を注いでいる。

日本においては最近、「ガス室はなかった」と、ホロコーストの事実を否定する記事が雑誌に掲載されて後、急に映画や書籍などを通してホロコーストが紹介されている。私は、今日まで多くのホロコースト体験者と出会い、収容所を訪れ、ホロコースト博物館を見学した。ホロコーストの事実を正しく教え、伝えることの大切さを痛感している。

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ホロコースト記念館
Holocaust Education Center
『平和をつくりだそう、小さな手で』

広島県福山市御幸町中津原866(郵便番号720)
館長 大塚 信 TEL&FAX 0849-55-8001
開館日 月・水・金・土 10時30分から16時30分まで

ホロコースト記念館は、1995年、戦後50年の節目の年(アウシュビッツ収容所解放50年、またアンネの日記で知られるアンネ・フランク没後50年の年)に開館しました。

第2次世界大戦中のヨーロッパで、ただユダヤ人であるという理由で600万の生命が奪われました。彼らはいわれのない差別と迫害を受け、ガス室などで無残に虐殺されていきました。その中には150万もの子供たちが含まれていたのです。

この記念館は、この「ホロコースト」(ナチスによる大虐殺)を知っていただくために日本で最初につくられた子供たちの学びの場です。この記念館を訪れる青少年が、当時の子どもたちの残した写真や作品などを通して、歴史の現実を学ぶことができますように。そしてこの所での学びが「差別と偏見」のない平和な時代を築いていく助けとなれば幸いです。

[ホロコースト]

ギリシャ語にその語源を持ち、「全焼のいけにえ」を意味していましたが、時代と共に、大規模な破壊、殺人をあらわすことばとして用いられました。第2次世界大戦後、ナチス・ドイツによるユダヤ人や他民族への破壊、大量殺人を意味することばとして用いられ、今日では、主にユダヤ人(600万人)への大量虐殺を表現することばとして、一般化しています。(ホロコースト百科事典による)

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