マルセ太郎の病棟日誌
「岡山の風」 2000年4月24日から5月10日
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岡山の風(1)

広島・福山病棟のドクターちゃびんです。

マルセさんは、4月24日(月)に岡山の川崎病院(川崎医科大学附属川崎病院)の肝臓病センターの481号室に入院しました。今回はごく普通の6人部屋の入って右の真ん中のベッドです。

4月26日(水)、朝9時に川崎病院の伊藤先生から電話がありました。マルセさんの治療は、午後の二人目なので3時半からになるということです。ちょっとゆっくりできるなあと思って、1時に診療を終えて、食事をして、某公立病院(間違ってもこの手の病院《お役所・お役人の病院で、職員の顔には仕事をしたくないと描いてある》には迷い込まないこと、海の上のピアニストと同じようにつぶれそうな病院と運命を共にしたい人だけ行ってください)に入院中の、いまだに意識の回復しない母の様子を診て、2時過ぎの快速電車に乗って、3時には病院に着きました。

ちょっと早いが、マルセさんと話しができると喜び勇んで4階まで階段であがり(8月の日米がん患者富士登山にそなえて足腰を鍛えています)、看護婦詰め所で医療秘書さんに「金原さんの部屋を教えてください」と言いました。返ってきた返事に驚いた。「金原さんはレントゲン室ですよ」「ええ!3時半からじゃあなかったですか?」「前の人が早くすんだので、2時50分にレントゲン室に行かれましたよ」「あっそう・・・どうも、ありがとう」

すぐにまた階段を降りて一階のレントゲン室の受け付けで、名刺を出して「伊藤先生にお願いします」というと、受け付け嬢が奥に入っていった。「どうぞ、入ってください」という返事を待ちかねて、レントゲン室へ入った。

肝臓専用のレントゲン・テレビ室の透視台の上に、わがマルセ氏は寝ていました。伊藤先生に挨拶して、ドアを少し開けて、大きな声で「マルセさん、来ましたから、数野です、こっちの部屋から見ていますから」というと、マルセさんはぎょろっとこちらを見て、うなずきました。すでに身体には例の穴の開いた紙製のシーツがかかっています。そばで若い(8年目)の○○先生と卒業したての美人女医さん(注:マスクと帽子で目しか見えないが間違いない)が準備をしています。

この女医先生の父上は、岡山大学で私と伊藤先生の5年先輩の○先生です。私たちも、そんな歳になっているのです。つまり、女医先生は○先生と言います。伊藤先生いわく「○○先生は抜群の腕で、○先生もセンスがいいよ」ということは今日は伊藤先生が治療するのではないの?大丈夫かな・・・と思いつつ、伊藤先生からマルセさんの血液検査のデータやCT検査のレントゲン写真を見せてもらいました。

岡山の風(2)

広島・福山病棟のドクターちゃびんです。

さて、マルセさんの血液検査の結果は、ほぼ正常の値に帰っていました。上がっていたGOTとGPTの値も全く正常になっていました。藤川先生に打っていただいた注射(強力ネオミノファーゲンシー、最近は他にも色々な名前の同じ内容の注射が出来ている)と、ずっと飲んでいるウルソサンという薬(この薬は私の父が作りました)の効果があったようです。それから、CT写真では、マルセさんの左半分だけの肝臓には、点々と白い部分が写っています。今までに治療でつぶした癌の残骸です。

ドクターちゃびんの解説:
ここでちょっと肝臓の構造をお話しします。これからの話しがわかりやすくなると思いますので。前回の岡山の空シリーズでもお話ししましたように、マルセさんは最初の手術で肝臓の右半分を切除されていますが、残された左半分が大きくなって、ほぼ正常の肝臓の大きさにもどっています。つまり肝臓の再生力が強くて、癌があるということ以外、肝臓自体は正常に近いということです。

本来肝臓は、八つの部分に別れています。4本のバナナの房を想像してください。付け根を上にして、前にカーブのふくらみが向くようにすると、ちょうど身体の中の肝臓を、正面から見たときの形になります。それぞれのバナナに番号がついています。番地と思ってください。この4本のバナナの房の後ろに、出来損ないのずんぐりしたバナナが一本付いています。ここが肝臓の1番地です。S1(セグメント1)といいます。そして4本のバナナの房の向かって右端(本人の身体では左端)の上半分が2番地(S2)、下半分が3番地(S3)、2本目のバナナは一本全部が4番地(S4)、3本目のバナナの上半分が8番地(S8)、下半分が5番地(S5)、最後の4本目の向かって左端(本人の身体では右端)の上半分が7番地(S7)、下半分が6番地(S6)となっています。これは肝臓の血管の付き方で肝臓を区切ったもので、木の枝と同じようなものです。血管を道路と考えると、町の区画と考えてもいいわけです。そして8番地までの部分を区域(セグメント)と呼ぶわけです。

そうするとマルセさんは、最初の手術でバナナの房のうち、向かって左の2本(本人の肝臓の右半分)、つまりS5からS8までを取ってしまったわけです。残っているのは、S1からS4まで(本人の肝臓の左半分)です。マルセさんの残った肝臓にできた癌をつぶすために、今まで繰り返し兵糧攻め(TAE、肝動脈塞栓術)で血管の中に薬を注入したり、わざわざ金属製のコイルを血管の中に入れて、血管そのものをつぶしてしまったために、本来左の肝臓に行く血管(左の肝動脈)は詰まってしまっています。

ちょっと疲れましたね。ここで休憩をとりましょう。

岡山の風(3)

広島・福山病棟のドクターちゃびんです。

最近、日本でも脳死患者からの肝臓移植が行われていますし、生体肝移植は、日本が世界一です。肝臓移植をするときに、縫い合わせなければいけない管が肝臓には4本あります。肝臓に血液を送る血管が2本(肝動脈と門脈《もんみゃく》)と、肝臓から出る血液を流して心臓に返す血管(肝静脈)が1本と、肝臓が作る胆汁という消化液を腸(正常の状態では十二指腸)に流す胆管という管です。

普通の臓器は酸素の多い血液(動脈血)を動脈からもらって酸素を使い、酸素を使ってすんだ血液(静脈血)を静脈に返します。肝臓だけは、血液をもらう血管が肝動脈と門脈の2本あるのです。そして肝臓に行く血液の大部分は門脈という血管から供給されます。門脈をながれる血液は、胃や腸で栄養分を吸収した血液です。門脈がつまると生きて行けませんが、肝動脈はつまっても大丈夫です。

さて肝臓癌(この場合は肝細胞癌のこと)は、不思議なことに、肝臓の細胞から出来ているのに、肝動脈だけから血液をもらって生きています。ですから、肝動脈から血液が行かなくしてしまえば、癌は死んでしまうわけです。これが肝臓癌の治療法の一つである肝動脈塞栓術(TAE)なのです。

マルセさんの左半分だけになった肝臓は、ほとんど門脈からの血液だけで生きています。肝臓の働きは、ほぼ正常です。その他にマルセさんの肝臓は、本来なら胃と十二指腸だけに血液を送っている動脈(胃十二指腸動脈)から新たにできた細い血管(新生血管)からと、本来なら横隔膜だけに血液を送っている動脈(横隔膜動脈)から新たにできた細い血管(新生血管)からも、わずかながら血液をもらっています。マルセさんをいじめている癌は、この新生血管からわずかな血液をもらって細々と生きていているにもかかわらず、増殖してくるわけです。

ここで再び休憩です。

岡山の風(4)

広島・福山病棟のドクターちゃびんです。

前置きが長くなりましたが、マルセさんの残された肝臓のS1からS4までにはいくつかの肝臓癌があります。S1に2センチくらい、S4の下の方に2.5センチくらい、S3の上の方に2センチくらいの肝臓癌があり、前回2月の治療で、S1とS4の癌には、胃十二指腸動脈から薬を入れました。S3の癌にも横隔膜動脈(左右あるうちの右)から薬を入れかかったのですが、この細い動脈にカテーテルを入れること自体が大変難しくて時間がかかったのと、薬を入れたときにマルセさんが痛がったので中止しました。すぐに公演をひかえていたので、しゃっくりなどの副作用が出てはいけないからです。

さて、今回は前回仕残したS3の肝臓癌に薬を入れるのが最大の目的でした。まず、肝臓の血管の状態を見るために、一通りの造影検査をしてから、目的の右横隔膜動脈にカテーテルを入れました、と書くと何でもないようですが、医師の技術と経験と、最新の設備と慣れたスタッフを必要とするものなのです。

今回、造影剤を注入するとき、マルセさんは上手に息を止めました。呼吸法の練習をしてきたのでしょうか。技師さんの声のかけ方も上手でした。問題の右横隔膜動脈へ、○○先生はいとも簡単にカテーテルを入れてしまいました。5分もかからなかったので、伊藤先生に「あんたより上手じゃねえ」というと、「ほんと、○○先生は上手よ、○先生もうまくなるよ」と言いました。

まず、そしてカテーテルから造影剤をいれて、癌が造影されることを確かめました。この動脈の血液が癌に流れている、つまり癌がこの動脈で養われているということです。造影したところ、少なくとも三つの癌が写りました。一つはCTに写っていた2センチのもので、あとの二つはCTではわからなかった1センチくらいのものです。

そこで、いよいよ薬を入れました。スマンクスという、何か謝っているような名前です。この薬は、注入する直前に動脈から注入するために調整して使用します。この薬は、肝臓癌にだけ取り込まれて、癌の血管を詰まらせてしまって、抗癌剤としての作用も発揮するのです。この薬のおかげで、血管をつぶしてしまうことなく、繰り返して治療ができるのです。2ー3年前から使われているとのことです。

スマンクスをカテーテルから、ゆっくり注入していきましたが、薬は右横隔膜動脈が先でふたまたに分かれている右の枝の方にしか入りません。そして、目的の癌には、ほんの少ししか入らなかったのです。ということは、右横隔膜動脈の左の枝から薬を入れなければいけませんが、これが、本当に細くて、しかも枝分かれの仕方が急角度で、難しそうです。そこで、カテーテルを交換して、その細い枝までカテーテルを入れることにしました。

そのカテーテルは、1本8万円です。太さ(細さ?)は直径(外径)が1ミリです。ターゲット・カテーテルという名前がついていて、細い目的の血管に入れるための特殊なカテーテルです。他のカテーテルも1本3万円はするそうですから、しめて・・・かなりの額です。ここでは、金より治療、いや金原さんが優先です。

今までの3万円のカテーテルを抜いて、8万円のカテーテルに交換しました。ところが、今度は横隔膜動脈に入らないのです。○○先生が15分くらい頑張りましたが、入りません。そこでいよいよ我が伊藤大先生の出番です。やっぱり入りにくかったのですが、15分くらいで入れました。マルセさんの横隔膜動脈は、入り口の位置がちょっと変わったところにあって、入り口付近を何回も行ったり来たりして、やっと入るという代物?なのです・・・

やっと右横隔膜動脈に入りました。そしてまた、次の難関です。急角度に枝分かれしている左の細い枝にいれなければいけません。難しいだろうなと思っていたら、2ー3分で入ってしまいました。そこでまた○○先生にバトンタッチです。造影をして、薬を入れます。造影剤はなんとか流れますが、血管と同じくらいの太さのカテーテルが入っているので、油性のスマンクスは、ほんのわずかずつしか入っていきません。それでも根気良く入れました。不思議と今回はマルセさんが痛がりません。そして、その結果は?

次回を乞うご期待。

岡山の風(5)

広島・福山病棟のドクターちゃびんです。

さて結果は?肝臓の細い動脈から注入された薬は、目的の2センチの癌と、今回見つかった1センチの二個の癌にちゃんと入っていました。そして、おまけに、さらに小さい約5ミリくらいの癌が二つあって、それらにも、薬が入ってレントゲン写真に写っていました。

ドクターちゃびんの解説:
カテーテル検査のときに造影剤を入れてレントゲン写真を写しますが、すべてビデオ撮影です。写したものをすぐに再生しながら、スローで見たり、止めてみたりして、繰り返し見ながら、治療をすすめていきます。二つ並んだモニター・テレビの左側がリアルタイムのレントゲン透視のためで、右側がビデオの再生画像を見るためのものです。サブトラクションといって、造影剤が入っていない像を反転したもと、造影剤が入った像を重ねて、造影剤以外の像を飛ばしてしまう手技や、立体的な関係を見るために、カメラを肝臓の上で回転させて動かしながら撮影する方法などを駆使して、鷲や鷹が獲物を探すように、肝臓の中の癌を探しだして、それを目掛けてカテーテルを入れて、薬を注入するのです。まさに癌ハンターです。

午後5時頃、無事に終了しました。伊藤先生いわく、「まだまだ治療できますよ、頑張りましょう」ということです。一つ一つの癌がもう少し大きくなってからの方が、血管も太くなって、治療はやりやすいのだそうですが、できるだけ早目に今ある癌をつぶしておくために、今回の治療となりました。これで伊藤先生もマルセさんの肝臓の状況がほとんど理解できたので、今後は経過を見ながら、治療を繰り返していくことになるそうです。

伊藤先生がつぶしてくれているうちに、マルセさんの自己治癒力を高めて、新しい癌ができないようにするという作戦です。もちろんマルセさん自身の努力次第ですが、自己治癒力を高めるための援助を色々な方法でしなければいけません。ちょっとやそっとのことで治せるような安直なものではありません。奇跡を起こさなければいけないのですから。思い出しますね、マルセ語録にあるあの言葉、「奇跡は奇跡的に起きるものではない」あとは実践あるのみです。

治療を終えたマルセさんが透視台の上に寝かされていますが、ここで登場するのが主治医の△△先生です。今回の治療は、マルセさんの右の足の付け根の動脈からカテーテルを入れて行いました。カテーテルを抜いたあとを押さえて、動脈からの出血を止めるのが△△先生の役目です。あまり強く押さえると痛いですし、足へ血が流れなくなります。弱すぎたり、押さえる場所がずれたりすると動脈から血が漏れて血腫を作って、はれあがってしまいます。簡単そうですが、神経を使う作業です。

痛がりのマルセさんは、時々痛そうに顔をしかめています。△△先生は、ただ黙って動脈を押さえている指先に神経を集中しています。今日はマルセさんが最後の患者なので、そのままレントゲン室でこれらの処置をします。貴重な時間ですよ、△△先生、何かマルセさんと話したらと言いたいところですが、前回の入院の時、マルセさんの本とビデオを病院に置いて行った効果で、変な中毒症状が蔓延しているようです。ビデオと本は、いまでも院内で回されています。

スタッフの人たちは、次のマルセさんの本に自分がどう書かれるかと警戒しているようです。マルセさんは黙って寝ているように見えるが、頭の中は、するどく回転していて、みんなの一挙手一投足を観察して、「退院したら、わしらのことをしゃべりまくるんよのお」とでも思っているのでしょう。△△先生も「主治医の押さえ方が悪くて、大きなこぶを作られて」とならないように真剣そのそのものです。やっと15分が無事に過ぎて、△△先生は指をそおっと離して、出血がないことを確かめて、看護婦さんと長い絆創膏でしっかりと固定しました。朝まで右足は動かせません。

例によってマルセさんは、強い口の乾きを訴えて、伊藤先生にいつから水が飲めるかと聴いているようでした。伊藤先生は、もう少ししたら飲めるでしょうと言ったように見えました。ストレッチャーに移されて、いよいよ部屋へとご帰還です。

岡山の風(6)

広島・福山病棟のドクターちゃびんです。

看護婦さんが押すストレッチャーに乗せられて、マルセさんはレントゲン室を出ました。ちょっと痛みを我慢するような顔で目を閉じています。待合のベンチに並んで腰掛けていた、ひ弱そうなアンチャンと金髪でミニスカート、上げ底の靴といういでたちのネエチャンのカップルが、不思議なものを見るような顔で、ジーッとマルセさんを見ていた。エレベーターの前に来ると、待っていた周囲の人たちが、珍しいものでも見るような目つきでジロジロと見ながら、場所を空けてくれる。

私は階段で4階まで上がって、エレベーターの前で待っている。エレベーターがついて、ドアが開くと、まずマルセさんのストレッチャーが出てきた。押していた看護婦さんが、詰め所に向かって、力を貸してくださいと言いながら、そのまま部屋へ直行する。太めのちょっと古目の人、普通の人、細めの新しそうな人が来てくれて、マルセさんを真ん中のベッドに移した。

普通の人が残って枕元で体温を測ったり、血圧を測ったりしている。血圧は170/90mmHgくらいある。レントゲン室でも高かった。そういえば、私はマルセさんの血圧を測っていなかったかも知れない。(と思って、カルテを見ると、当院では120/80で、正常でした)マルセさんのサイレント・キラーは、肝臓癌なのです。

ストレッチャーと一緒に出ていった看護婦さんのうち、細めの新しそうな人が注射器や消毒の道具を乗せたステンレス製のトレイをもって帰ってきた。マルセさんは、普通の看護婦さんに、のどが乾いたと訴え、いつから水が飲めるかと聴いている。看護婦さんは、冷たく「明日の朝までダメですよ」と言う。そして「うがいをしてもらいますが、うがいができますか」と聴く。マルセさんは、聞こえなかったのか意味が分からなかったのか、キョトンとしていると看護婦さんは同じことをもう一度繰り返した。今度は、マルセさんも理解して、大きくうなずいたので、看護婦さんは出ていった。

新しい看護婦さんは、マルセさんの右足の足首のすぐ上の、ちょっと内側にの静脈に入れてある点滴のルートの三方活栓から、20ccの注射器に入った液を注射した。マルセさんは何が起きたのかというような顔をして「今何かしてますか」と聴いた。「注射してますよ」と看護婦が答えたので、「痛そうですよ」と付け加えると、注射の速度を少しゆっくりにした。ちょっと一言、前以て言ってくれればいいのに。

ドクターちゃびんの解説:
看護婦さんには、白衣の天使と、白衣のおばさんと、悪意の天使がいます。見分けは、すぐにつくと思います。どの病院にも必ずいますが、病院によってその割合が違います。そして、白衣の天使と悪意の天使は、目立ちます。

では、ちょっと休憩です。

岡山の風(7)

広島・福山病棟のドクターちゃびんです。

さっき出ていった普通の看護婦さんが、水の入った寝飲みとガーグル・ベイスンを持って帰ってきました。マルセさんは首だけ起こして二度うがいをしました。口の乾きが少し治まったようです。そばから看護婦さんに「伊藤先生は落ち着いたら、水を飲んでもいいと言ったよ」と伝えると、「聴いてみます」という返事でした。

看護婦さんたちが帰ったので、ベッドのそばに丸椅子を置いて座りました。マルセさんは目を開けて「いつも有難うございます」と言って、また目をつむった。「痛みますか?、しんどいですか?」と聴くと「いいや」という返事でした。治療は、うまくいくと痛かったりしんどかったりしないものなのです。

「治療はうまくいきましたよ、次回はそんなに慌てなくてもいいようですから、夏には済州島の予定を入れたらいいと思いますよ」と伝えた。伊藤先生の話しでは、CT検査や血液検査の結果で経過を診ながら決めるが、次回は3ケ月か4ケ月位先でいいと思うということです。来月、広島での公演予定が入っていると話すと、それでは今回の入院中にはCT検査はせずに、来月撮るから予定を教えて欲しいということでした。池田さん・下岡さん、5月のチケットを送ってください。予定は、サルサルのホームページを見れば分かるのかな。

目をつむって寝ているようなマルセさんの様子をしばらく見ていたが、快速電車の時間が迫っているので、枕元の手の届くところにナース・コールの押しボタンを置いて、また来ますからと挨拶をして病院を出た。

岡山の街には、まだ雨が降っていて、少し肌寒い風が吹いていた。

岡山の風(8)

広島・福山病棟のドクターちゃびんです。

今日の午後、竹の子を掘りに来ないかという鞆の浦の近くの寺の坊さんの誘いを断って、マルセさんを見舞に行ってきました。その坊さんは竹さんといって、去年、福山でマルセさんが「生きる」を公演したとき舞台のマルセさんの黒い箱に座って、座席の交通整理をしていた人です。竹さんは、沢山の本を読んでいる博学の坊さんですが、自他ともに認める話し下手です。今日のマルセさんとの話しの中でも、話し下手の人の話しが出てきて、マルセさんから、竹さんへの助言を頂きました。要点は二つ、大きな声で話すことと、途中で怒りをぶつけることだそうです。

今回はきっとしんどくて、まだ寝たきりみたいな状態かと心配しながら1時過ぎに、岡山の川崎病院の481号室に入りました。六つのベッドともカーテンが閉まっています。マルセさんのベッドのカーテンをそっと開けると、左を下にして寝ています。こんにちはと声をかけると、勢いよく起き上がって、あっちへ行きましょうと、看護婦詰め所の横のコの字型に並べたベンチの一番奥に、窓を背にしてサル座り。開口一番、今回は便が溜まったときみたいに、少し腹が張る感じがするだけで、ほとんど何ともない、時間はかなりかかったのに不思議なくらいだと言う。

治療の翌日の夕方までは寝たが、それからは普通にしていて何ともないそうだ。食事も普通に食べられて、いつものようにむかつくようなこともなく、きわめて快調で、この調子なら5月10日まで入院しなくてもよさそうだと言う。がんセンターで治療したときには、痛みも激しく、震えが来てしんどかったのに、今回は、ほとんど何ともないのはどういうことだろうか、ひょっとして手抜きかと。そこで治療のことを詳しく話して、予定どおりに治療できていることを伝えました。

それからは、藤川先生の話し、末期の肝硬変でも元気にしている人の話し、酒の話し、てんぷくトリオの話し、今後の予定の話しから、宮崎の話し、東大出の話し、藤井先生の話し、書くのは上手だが話しが下手な人の話し、作家と小説家の話し、「血と骨」?の話し、「記憶は弱者にあり」(お酒)の話し、京都の話し、芸人と家庭の話し、生きがいの話し、面倒くさがりやの話し、永さんの裏芸の話し、批判と怒りを忘れた日本人の話し、朝日新聞の話し、韓国の政界の話し、金大中氏が大統領選挙に勝ったときの話し、政治家と官僚の話し、佐高真の話し、その他にも沢山の人の名前が出てきました。

気がつくと、もう4時です。マルセさんの話しは永久に続きそうでしたが、暇乞いをして、エレベーターの前まで送ってくれたマルセさんと別れました。エレベーターの隣の階段で下りて、病院の外に出ると、街はまた雨でした。マルセさんの話しに酔ってボーッとした禿げ頭に、心地好い風でした。

岡山の風(9)

広島・福山病棟のドクターちゃびんです。今、岡山から帰ってきました。今日は、びんご・生と死を考える会の世話人をしている看護婦の菅さんの母上のお葬式が昼からあり、それがすんでから家族でマルセさんの見舞に行きました。

病院へ着いたのが5時半頃でした。今日はエレベーターで4階まで上がると、正面のいつものベンチにマルセさんがいます。もちろんサル座り。手を挙げるとすぐに気がついてくれました。妻と次女と三女を紹介して、少し話しをしているうちに夕食の時間となりました。マルセさんは、すぐに食べてくるから、あとで近くにいい店があるから行きましょうと。本当にすぐに帰ってきたのでびっくりしていると、手に何やら持っています。悲劇喜劇の6月号を持ってきてくれて、今連載していて生きているかぎり続けますと。

皆で本を読んでいるうちに、マルセさんは食事を済ませて、外出の手続きをしました。私が前回、マルセさんの退院が早まるようなことを書いたせいか、今日は神戸と姫路から大切なお見舞客があったようです。実は、前回の報告のあとマルセさんはちょっと不調になり、退院は予定通り10日です。

川崎病院は岡山の繁華街にあって、外に出ると結構にぎやかなところにあります。そのほぼ中心部にあって、マルセさんいわく「珍しく客の少ない」紀伊国屋書店の近くのクレドにあるパン屋さんに連れていってくれました。おいしいものを教えていただき、パスタについているパンは食べ放題ということも。マルセさんは好きなコヒーを頼みました。さて、それから2時間、高2と中3の娘に、みっちりと講義をしてくれました。

前回もマルセ独演会の内容は多すぎて、かなり落としています。石原慎太郎の話し、エロダコの話し、宮沢喜一の話し、などなど・・・

続きは、また。

岡山の風(10)

広島・福山病棟のドクターちゃびんです。マルセさんの体調は良くなっています。伊藤先生が最も心配した「しゃくり」も出ていないようです。マルセさんの手帳には、退院後の予定がビッシリ書き込まれていますが、すぐにでも公演できそうですので、各病棟のみなさん、空きを探してください。

さて、マルセさんとさし向かいで、2時間びっしりと講義を聴いた娘たちに聴きました。一番印象的だったことは?何といっても、顔、それから演技力と迫力だそうです。話しの内容では?一所懸命に聴いていたのと、内容が多すぎて、わからないというので、思い出しながら、箇条書きにしました。

・17歳が起こした事件の話しと、大人の責任
・学校は楽しく、面白いところでないといけない
・子供のころは、しっかり遊べ
・こういう人になりたい、でなくて、そういう人を探せ
・幸福とは
・ミニ・スクリーンのない映画館「アマデウス」
・「悲劇喜劇」の連載の話し
・原稿書きと260円の原稿用紙の話し
・本を出すということの話し
・浜幸の話し
・永さんの話し
・「大往生」と「芸人魂」の話し
・本の売上冊数と印税の話し
・マルセさんの本が絶版にならないわけ
・講談社の古谷さんの話し
・東大出の朴先生の話し
・藤井先生の弟さんの話し
・共感する心
・マルセさんの孫さんとの話しを聴いて、自分は話せなかったと言った老社長の話し
・インテリの話し(次女は、母がいつも言っているのは、エリートのことだと指摘)
・想像力を養え
・日の丸、君が代の話し
・最高裁で、裁判官に背を向けて、傍聴席の方を向いて話した弁護士の息子さんのこと
・子供の頃の息子さんの話し
・奥さんの話し
・死んでいく人より送る人の方がつらい、死ぬ人に同情しなくていい
・今日、詰め所のとなりのベンチに陣取っていた、大学生達の話し
・まだあったかもしれない

あいだみつをの話しは?と聴くと、それはこの前おとうさんが話したでしょうと言われた。マルセさん、もう次の本が書けそうですね。次の喜劇も期待しています。イカイノ物語と春雷の再演もやりましょう。まだまだシネマせんよ!

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