歴史と政治と戦争

[在日米軍基地] 安部憲文『たくらた』Vol.19 SPRING 2010「気になるコトバ(2)」
[安保問い直す時] 山口二郎(やまぐちじろう) 東京新聞 「本音のコラム」2010年1月31日
[本土のための民主主義] 朝日新聞「天声人語」2010年1月26日
[コスタリカと日本の違いは] 朝日新聞 投書欄 2008年1月13日
[「民主党と外交」大きな構えで論戦を挑め] 朝日新聞 社説 2007年(平成19年)8月10日
米大使「日本の貢献重要」X「米が始めた戦争」小沢氏、特措法 小沢氏、妥協せず 朝日新聞 2007年8月9日
「核の傘はいらない、はばたけ平和憲法」横須賀宣言 反核医師の会ニュース第34号 2006年11月30日
[<NHK放送命令>菅総務相が橋本会長に命令 批判や懸念も] 毎日新聞 2006年11月10日
[「平和憲法」守れるのか](防衛省を庁にして?)中国新聞 社説 2006年10月28日
[沖縄海兵隊移転費] 理解できぬ法外な負担 中国新聞 社説 2006年4月7日
[普天間移設 修正なお平行線 自民、地元同意に全力] 産経新聞 2006年4月5日
[基地負担軽減の真相] 残る汚染と跡地利用 迷走する米軍再編2 最終報告を前に 東京新聞 2006年4月3日
[「放射線は雨ガッパで防げ」そんな国民保護計画がなぜ通用するのか] 反核医師の会ニュース第32号 2006年3月31日
『風が吹くとき』(1986年・イギリス)『アレクセイと泉』(2002年・日本)
[「米軍移転費」あまりに法外な話だ] 朝日新聞 社説 2006年3月19日
[隣国との間で信頼関係を] エッセイスト 朴慶南 月刊保団連2005.5 No862
[カナダ、米のミサイル防衛構想に不参加表明・関係緊張も] 日経新聞 2005年2月25日
[私を苦しめる初年兵の経験] 朝日新聞「声」欄 2003年8月16日
[世界をリードしなければならない日本の平和主義] 千田悦子 2001年9月13日
[戦争を教訓に] 朝日新聞 2000年9月6日
[マルセ太郎の箴言] 「人間屋を代表して一言」マルセ太郎 2000年11月1日
[「戦前」としての現在、偶然でない一致 民主主義の中から生まれるファシズム] 大澤真幸 朝日新聞 2000年7月2日
[井戸の水をかき回そう、二十一世紀への助走] 朝日新聞社説 1997年1月1日

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[在日米軍基地]
安部憲文(本誌編集委員)『た
くらた』Vol.19 SPRING 2010「気になるコトバ(2)」

戦後65年・冷戦終結20年がたつというのに、日本には約4万人の米兵と約1000平方kmの米軍基地が存在している。米軍にからむ話で意見が割れそうになると、北朝鮮が出てくる。アメリカの言うことを聞かないと北朝鮮が攻めてきたときどうするの?

1992年にチェイニー国防長官は「米軍が日本にいるのは、何も日本を防衛するためではない。米軍が必要とあれば、常に出動できる前方基地として使用できるようにすることである。加えて日本は駐留経費の75%を負担してくれる」と言った。「思いやり」が深いわが国はこの基地に冷戦後20年で累積10兆円を税金で負担してきた。

日本に57ある在日米軍専用施設のうち25が沖縄県にある。在日米軍専用施設面積の4分の3が、日本領土の面積のわずか0.6%しかない沖縄県に集中しているという不平等。日本国民人口の1%の沖縄県に米軍基地が詰め込まれている。写真家の東松照明氏は「沖縄に基地があるのではなく、基地の中に沖縄がある」と表現した。市街地のど真ん中に普天間飛行場を置かれた沖縄県宜野湾市の伊波洋一市長は、普天間基地の閉鎖を求め日米安保条約を平和友好条約にかえるべきだと主張する。異議なし。沖縄は米軍基地にNO! 米軍基地受け入れにYESの都道府県民はいるのか。

半世紀前の安保改定で「日本」から「極東」に範囲が広がった日米の安全保障協力。2005年10月29日「日米同盟 未来のための変革と再編」という文書で、日米の全保障協力の対象が「極東」から「世界」に拡大された。日本は米国の戦略に沿って中東など世界規模で軍事展開すると明確に文書で約束をした。アメリカは世界規模での自衛隊派遣は当然と思っている。さあ、どうする。冷戦が終わり、悪の枢軸、テロとの戦いへと、アメリカの戦う相手は変化してきた。次は宇宙人かもしれないが、どこまでいつまで日本はアメリカについていくのか。軍隊のみが抑止力ではない。

通告すれば1年後に日米安保条約は破棄され、在日米軍基地はすべてなくせる。改定から半世紀を迎える日米安保条約の第10条に書いてある。何を子孫に残すのか。基地はいらない。

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[安保問い直す時]
山口二郎(やまぐちじろう) 東京新聞 「本音のコラム」2010年1月31日

名護の市長選挙で米軍飛行場移設反対を掲げる候補が勝利した。これで普天間飛行場の辺野古への移転は不可能になったというのが常識である。仮に五月まで決着を引き延ばしたあげく、当初案通り辺野古に移設するという方針を決めるなら、鳩山政権は崩壊する。

その点について、平野官房長官は何を考えているのだろう。「日本全体の安全のために一地域の意向に縛られたくない」という一般論をわざわざこの時期に述べる、その政治的感覚が理解できない。この官房長官については、政権発足の時から調整能力がないという批判が付きまとっていた。ここまで首相の足を引っ張るなら、早いところ更迭したほうがよい。

アメリカのメディアに現れた論調をみると、辺野古への移転が不可能だという認識はアメリカにも広がりつつあるように思える。前にこの欄でも書いたとおり、辺野古に飛行場を造らなければ日米安保は崩壊すると大騒きしていたアメリカの知日派、日本の外務官僚や親米派の評論家たちは空騒ぎをしていただけである。お世辞ではないが、東京新聞を除く大新聞もすべて同罪である。

そもそも海兵隊の前進基地を日本に置く必要があるのか。アメリカと中国の相互依存関係が深まる中で、アジアの安全保障とは何か、根本的な議論からもう一度始めるべきである。(北海道大教授)

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[本土のための民主主義]
朝日新聞「天声人語」2010年1月26日

記者を続けていると、取材相手のはっとする言葉に出合うことがある。「民主主義はもうこりごりだ」は忘れがたい。コザ市(いまの沖縄市)の元市長で10年ほど前に97歳で亡くなった大山朝常(ちょうじょう)さんが、絞り出すような声で言った▼元教育者だった。沖縄戦で息子2人、娘1人、母と兄を失った。戦後は政治家として「基地はいらない」と訴え続けた。ところが減りもしない。本土による、本土のための民主主義が苦難を島に押しつけている。日本政府への深い失望が、「こりごり」の一語には込められていた▼そんな基地のひとつ普天間飛行場をめぐって、名護市の民意は移設への異議を申し立てた。市長選で、移設に反対する稲嶺進氏が現職を破った。結果は重い。政府が軽んずれば、「本土のための民主主義」が繰り返されることになろう▼心配なのは鳩山首相の腹のすわり具合だ。戻る橋を焼かれたとも言われる。風見鶏を決め込んでいて青くなったかもしれない。いずれにせよ数カ月で政治家としてのすべてが問われよう。もう「宇宙人」を言い訳にはできない▼戦争で壊滅し、戦後は基地の島になった故郷を「不沈母艦」にたとえて悲しんだのは詩人のはく山之口獏だった。その密集ぶりは、米国防総省の元高官に「小さな籠に、あまりに多くの卵を入れている」と言わせもした▼「日本の安全保障じゃない。本土の安全保障のために基地がある」。そんな大山さんの声も耳の奥に残る。普天間という危うい卵をつまんで立ちつくす首相は、どこの籠に入れる心づもりなのか。

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[コスタリカと日本の違いは]
朝日新聞 投書欄 2008年1月13日
全盲者介助員 ○本○紀子(大阪府豊中市68歳)

非武装中立国家の中米コスタリカ。イラク戦争で米国を支持した国を相手に大学生が違憲訴訟を起こし、4年前に勝訴したことに私は驚いた。その後、日本在住で奥さんが日本人のコスタリカ人と知り合い、親しくさせて頂いている。一時帰国されたご夫婦に会うため、去年夏、友人3人と共にコスタリカを訪問した。軍隊を捨てて半世紀以上になる国はどんなに平和だろうかと興味があった。ご夫婦も町の人々もあくせくせず、時間もゆったりと流れていた。経済的に豊かではないが、暮らしの中に当たり前に平和があると実感した。

日本でもイラク戦争開戦以来、各地の市民が自衛隊の派兵を憲法違反として訴訟を起こした。昨年末、作家の故・小田実さんが原告代表となった訴訟の控訴審判決が大阪高裁であり、私は一人で傍聴に行った。原告側が全面敗訴。その時の失望、怒り、無力感を忘れることができない。国民の多くが望まないことを国がするのは憲法違反ではないか。二つの国の違いは何だろう。裁判所が国民の安心と幸福を第一に考え、政府から本当に独立しているかどうかだと思う。

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[「民主党と外交」大きな構えで論戦を挑め]
朝日新聞 社説 2007年(平成19年)8月10日

米国の駐日大使が野党の民主党本部を訪ね、対テロ活動での協力を要請する。代表は大使に向かって米国の政策を公然と批判する。その模様はすべてメディアに公開される―
こらまでなら想像もできなかったことである。焦点は、11月1日に期限が切れるテロ対策特措法の延長問題だ。政府・与党は延長が既定路線だったが、参院で過半数を失った結果、民主党の協力を仰がざるを得なくなった。

6年前の9・11テロから1カ月後、米国はアフガニスタンを攻撃した。国際社会は支持し、日本も海上自衛隊をインド洋に送り、対テロ行動に参加する各国艦船に給油する活動を始めた。米国としても、日本を戦列にとどめおく意味は大きい。小沢代表に対し、シーファー駐日大使は「機密情報でもどのような情報であれ、提供する準備がある」とまで述べて、協力を求めた。与党側はすでに、自衛隊の活動についての情報開示や、特措法の一部修正にも前向きの構えを示している。日米関係や安全保障で、これほど政府・与党が野党に歩み寄る姿勢を見せることが、かつてあっただろうか。政府・与党には、参院で否決されても衆院で3分の2の多数で再可決する道は残されているが、あくまで最後の手段だろう。必要な情報が開示され、真剣な論戦が交わされる。修正もある。そんな緊張感のある国会審議になれば、対米関係をめぐる日本の政治の風景は大きく変わるに違いない。

民主党は以前からテロ特措法に反対してきた。参院選の大勝を考えると、この立揚を維持するのは当然だろう。しかし、一法案の是非にとどめず、イラク戦争への評価を含めて、対米外交を根本から検証する機会にすべきだ。イラク戦争は、大義だった大量破壊兵器が存在しなかったばかりか、戦後のイラクはずたずたの状況だ。中東全域が不安定になっている。日本もこの戦争を全面的に支持した。この失敗について、まともな総括も反省も行われていない。インド洋とイラクでの自衛隊活動の詳細も明らかにしてもらいたい。イラクで活動する航空自衛隊は、何を運んでいるのか、どのくらい危険な業務なのか。文民統制の主体である国会がないがしろにされてきたのを、ただす必要がある。

そうした検証の上で、日本の行動がテロをなくし犠牲を防ぐことに本当に役立っているのか、日本がやるべきことは何かをしっかり議論すべきだ。民主党には、米国にもの申す姿勢を世論に印象づけようとの狙いがあるのは間違いない。特措法をてこに安倍政権を追い詰める思惑もあるだろう。そうした要素は政治につきものだが、それだけが外交をかき回すことは好ましくない。民主党は政局の思惑を超えた外交の選択肢を示さねばならない。大きな構えの外交論議をしかけていくべきだ。

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米大使「日本の貢献重要」X「米が始めた戦争」小沢氏
特措法 小沢氏、妥協せず
朝日新聞 2007年8月9日

民主党の小沢代表は、米政府にも「反対」を明言した。着任から2年4ヵ月たってシーファー駐日米夫使が初めて会談しようと申し入れたのは、テロ特措法延長に理解を求めるためだった。だが、小沢氏は「アフガニスタンの戦争は米国が姶めた」と反論し、2人はそれぞれの立湯を言い合うだけに終わった。秋の臨時国会で焦点となるこの問題で、安易な妥協はしないという小沢氏の決意表明の場となった。(林尚行)

8日夕に党本部であった両氏の会談は、夏休みの予定を話すシーファー氏に、小沢氏が「僕もヒューストンに行ったことがある」と応じるなど、和やかな雰囲気で始まった。ただ、本題のテロ特措法延長に入ると、2人は笑顔を消し、互いに直視して話した。

小沢氏 ブッシュ元大統領の時、私は自民党の幹事長で湾岸戦争があった。彼は国連決議まで開戦しなかった。国際社会の合意を取る努力を最初にしなければならない。

シーファー氏 (小沢氏の著書の)『日本改造計画』で、日本が国際的な活動に、より積極的に参加しようと書いてある。日本が参加するチャンスだ。小沢氏自身が強調する「国際貢献」を引き合いにシーファー氏は延長への理解を求めたが、小沢氏は「米国を中心とした(アフガンの)作戦は直接国連安保理で権威づけられていない」。50分間の会談は平行線に終わった。

「日米同盟は対等でなければいけない」。竹下内閣の官房副長官時代、電気通信市場開放をめぐる日米交渉や、航空自衛隊の次期支援戦闘機の日米共同開発の調整に当たった経験から、小沢氏はこう燥り返す。参院選の政権公約にも、本人の強い希望で「強固で対等な日米関係を構築する」と盛り込んだ。小沢氏側が今月1日、会談を打診してきたシーファー氏と当初は会わない意向を伝えたのも、こうした思いからだ。これに対し米側は「延長は必要だ」との考えを繰り返し示してきた前原誠司・前代表にメッセージを託した。「米大使館は『日程も、場所も、会談内容も、小沢氏の言う通りでいい』と言っている。大使と会ってもらえないか」翌2日夕、ひそかに会った前原氏からこう伝えられた小沢氏は、「そうか」と応じることを決めた。

だが、小沢氏の腹は最初から決まっていた。参院の与野党逆転をテコに政権交代を目指す小沢氏は、本格的な攻防の場となる秋の臨時国会で、テロ特措法の延長問題では安易な妥協はしないと決めている。小沢氏は参院選後、延長に反対することを繰り返し表明。この日の会談も報道陣に完全公開し、水面下で米側に譲歩しない意思表示をした。参院選で大勝し、求心力が高まっている小沢氏の方針に党内から目立った異論は出ていない。小沢氏に距離を置く中堅議員でさえ「民主党が政府・与党にハードルを高く突きつけ、反対に回る方が党内がまとまる」と小沢氏の反対方針に理解を示す。日米関係を重視する別の中堅議員もこう語った。「テロ特措法は反対してもいい。インド洋でガソリンスタンドをすることだけがテロ対策ではない」

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横須賀から発信!「核の傘はいらない、はばたけ平和憲法」横須賀宣言
反核医師の会ニュース 第34号 2006年11月30日

広島、長崎の被爆から六十一年を迎えた今年九月、国民に痛みを押しつけ続けた小泉政権を引き継ぐ形で、安倍音三内閣が誕生しました。安倍首相は、所信表明演説の中で、「集団的自衛権」の研究を謳い、米国とともに海外で戦争をする国造りに積極的に踏み込むことを決意し、その為には、五年後には新憲法を制定する、その理由として、現憲法は占領下に出来た憲法で六十年を経た今、古くなったと言い切りました。現憲法は第二次世界大戦でアジア諸国、自国民に多大な犠牲を強いた反省の上にポツダム宣言を純粋に履行するために世界への約束、戦後の日本の再出発を世界に宣言したものです。その中でも取り分け憲法九条は、世界に誇れる、平和宣言として軍事力の放棄、国の交戦権の放棄を世界に宣言したものです。戦後まもなく、朝鮮戦争を契機に、"再軍備"が行われ、憲法九条、第二項は骨抜きにされてきましたが、戦後六十一年海外で他国の人々を殺さないで済んできたのは、この平和憲法九条があったればこそです。この九条を改定して、「集団的自衛権」として海外で米国とともに戦争が出来る国にしようとしています。戦争して外国の人々を殺戮して、それでも"美しい国、日本"と言えるでしょうか?

この横須賀に原子力空母が配備されようとしています。原子力空母はまさに核施設そのものです。最近原子力潜水艦「ホノルル」の出港のあとの海水を調査したところ、自然界には存在しないコバルト58とコバルト60が検出されたと文科省は発表しました。米国の原子力艦船は自然界に影饗を与えるような放射性廃棄物はなく安全であると米国政府は報告して来ましたが、それが根拠の無いものであることが証明されました。日米両政府が歩調をあわせてその後の調査は打ち切られました。その上、在日米軍の再編成、司令部の座間移転、沖縄海兵隊のグアム移転などに多額の国費を使うことなど、それでも"美しい国、日本"と言えるでしょうか?

原爆症認定集団訴訟の広島、大阪裁判の一審が全面勝利しましたが、小泉前首相の広島、長崎での言葉とは裏腹に、被告の国は控訴しております。いつまで被爆者を悲しませるのでしょうか。被爆者の平均年齢は七十四歳と言われています。裁判を長引かせ、原告が居なくなるのを待っているかのごとくです。この冷たい被爆行政を続けて、それでも"美しい国、日本"と言えるでしょうか?

「第17回つどいin横須賀」に参加した私たちは、核兵器廃絶を求め、平和憲法を守り他国と軍事的には争わない、米国の原子力空母の横須賀母港化をしない、被爆行政を真に心が通った暖かいものにすることを日本国政府に要請するものです。北朝鮮の周辺諸国、国連安保理の要請を無視する形でおこなった「核実験」に、私たちは、核戦争防止、核兵器廃絶という観点から、強く抗議します。あわせて、核保有国のNPT批准・遵守を強く求めるものです。来年つどいは二十周年を迎えます。私たちは世界の反核医師・医学者と連帯し、核戦争反対・核兵器廃絶の運動にいっそう力を尽くしていくことを宣言します。

二〇〇六年十月二十二日 第17回核戦争に反対し、核兵器廃絶を求める医師・医学者のつどいin横須賀

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[<NHK放送命令>菅総務相が橋本会長に命令 批判や懸念も]
(毎日新聞) 2006年11月10日12時13分更新

菅義偉総務相は10日午前、NHKの橋本元一会長を総務省に呼び、短波ラジオ国際放送で拉致問題を重点的に放送するよう命令した。国が具体的なテーマを指定して放送を命じる初のケース。橋本氏は命令を受けた後、記者団に「報道機関として自主自立を基本に貫いていく」と語った。報道の自由との兼ね合いから与野党内にも批判や懸念が広がっており、命令規定を定める放送法の見直し論につながる可能性がある。

菅総務相は「北朝鮮による日本人拉致問題に留意すること」と記載された命令書を読み上げ、手渡した。これに対し、橋本氏は「放送の自由、編集権を堅持し今後も放送していく」と応じた。これに先立ち、菅総務相は記者会見で「これまでも総務省局長名で要請してきたが、見えないところでやる行政指導は広がる危険性がある。法律に基づきオープンにやるべきだと判断した」と述べた。電波監理審議会が8日、命令を「適当」とする答申をまとめていた。

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[「平和憲法」守れるのか]
中国新聞 社説 2006年10月28日

防衛庁が「省」に昇格する可能性が現実味を帯びてきた。防衛庁「省」昇格法案の審議がきのう、衆院で始まり、この臨時国会で成立する見通しが強まってきたためである。原案通り成立すれば、組織名の改変だけにとどまらず、「防衛相」の発言権も増す。防衛に関する重要案件について、閣議の開催や法律の制定が要求できるようになる。自衛隊の「本来任務」として、国連平和維持活動(PKO)や周辺事態法に基づく後方地域支援なども盛り込まれている。

現行憲法の理念を象徴する平和主義に基づき、戦後、一貫して守られてきた「専守防衛」の根幹に抵触する恐れはないのか。平和国家の枠組みを大きく変える可能性があるだけに、「省」昇格の是非や任務の中身が徹底的に論議されるべきなのは、あらためて言うまでもない。先の国会では、防衛施設庁の談合事件などの影響で野党の反発が強く、審議入りできないまま継続審議になっていた。しかし、今国会では衆院で初めて審議されるにもかかわらず、野党第一党の民主党の路線変更などで、早くも成立が見込まれているという。十分な審議が尽くされないまま、国の枠組みが一変する事態も想定される。遺憾というほかない。九月に発足した安倍政権は、この法案を教育基本法の改正案に次ぐ重要法案と位置づけている。北朝鮮の核実験などで防衛体制強化への関心が高まっていることも、追い風になっていよう。連立与党の公明党は、来夏の参院選などへの影響を避けるため、今国会での成立を望んでいるとされる。「平和」を希求する党の存在価値が問われる局面ではないのか。再考を促したい。

民主党は、防衛施設庁の談合事件をめぐる集中審議の開催を条件に、法案審議に応じる意向という。背景に、衆院補選で連敗するなど守勢に立たされている実情があるとされる。このままでは政権交代など望むべくもない。こうした中、自民党の三役や主要閣僚からは北朝鮮への対抗策として「核武装」に言及する発言が相次ぎ、同盟関係にある米国からもひんしゅくを買っている。とても冷静な国防論議ができる環境にはないのではないか。悲惨な戦争の体験を教訓に、営々と築き上げてきた「平和国家」の行く先は。日本は今、重大な岐路に立たされている。

<ドクターちゃびんのコメント>
平和と福祉を売り物にしていたはず?の政党と政権交代を叫ぶ政党が後押し→選んではいけない政党

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[沖縄海兵隊移転費] 理解できぬ法外な負担
中国新聞 社説 2006年4月7日

物別れに終わったのも当然だろう。米国で開かれていた在日米軍再編についての日米両政府の審議官級協議である。焦点の一つである在沖縄海兵隊のグアム移転費用の負担問題。なぜ日本が払わなければならないのか、今もって理解できないからだ。米側は海兵隊司令部と隊員約八千人、家族を含め計一万七千人を二〇一二年までに移転させる費用を約百億ドル(約一兆一千七百億円)と試算。その75%の七十五億ドル(約八千八百億円)もの巨費を日本に求めた。政府が「受け入れられない」とするのは納得できる。

約百億ドルの費用の根拠が明らかにされただろうか。「三十億ドルから最大百億ドルまであった」と米関係筋が証言しているように、実にあいまいだ。しかも段階的につり上がっていった経緯がある。費用には、隊舎や家族住宅、訓練施設のほかに下水、発電所、道路の建設まで含まれる。この際、一挙に整備を進めようとの思惑もうかがえる。沖縄の負担軽減のために、早期撤退を要求する日本の足元を見透かしたようでもある。正確な経費はどれくらいか、その詳細な中身が国民に伝えられていないのは問題である。負担割合がなぜ75%なのかも大きな疑問だ。唐突に数字が出された。それなのに「50%は切りたい」と、主要閣僚が相次いで負担割合にまで言及したのは釈然としない。負担を前提に交渉しているとすれば、おかしな話だ。

同盟国とはいえ、外国軍隊の海外移転費を負担するのは「世界的に異例」(政府関係者)である。その上、主権の及ばない米国領の基地建設の費用を負担する法的根拠はない。新たな立法措置が必要だし、憲法との関係でも理論付けは難しいとの指摘もある。米側は日本の要求による移転などを挙げて応分の負担は当然だとする。だがグアムをアジア太平洋地域での重要な戦略拠点と位置付けており、海兵隊の移転はその一環。日本の都合だけではない。日本は毎年「思いやり予算」の約二千四百億円などの負担で在日米軍を財政的に支えている。同盟国の二十七カ国が負担している米軍駐留経費総額の五割強を占め、突出している。その「気前のよさにが当てにされているのだろうか。交渉中を理由にして内容を知らせずに、結果だけ押し付けるようでは国民の理解は到底得られない。政府は国会などで説明責任を果たさなければならない。

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[普天間移設 修正なお平行線 自民、地元同意に全力]
産経新聞 2006年4月5日3時0分更新

額賀福志郎防衛庁長官と沖縄県名護市の島袋吉和市長は四日夜、防衛庁で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設案修正をめぐり再協議した。防衛庁は滑走路の角度変更など「微修正」での決着を図る方針だが、名護市の抵抗は強く、合意には至らなかった。協議の継続では一致したが、次回の日程は未定だ。

約二時間半にわたる協議後、額賀氏は記者団に「新しい提案をしたわけではない」と説明した。普天間飛行場を名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部に移設する沿岸案に関し、米軍機の飛行ルートを住宅地上空にかからないようにするため、滑走路の角度を10度ずらす微修正案で再度、同意を求めたとみられる。

島袋市長は協議後、飛行ルートの回避を「最大限、考慮していただきたい」と述べたうえで、沿岸案を海側へずらす大幅修正を防衛庁側に「要請している」と認めた。双方の主張の隔たりは埋まっていないが、額賀氏は「信頼関係をもって話し合った。近いうちに再度協議をし、結論を得る努力をする」と期待感を示した。

一方、自民党の日米安保・基地再編合同調査会は同日、地元の同意を抜きにした米軍再編に関する日米の最終合意は認められない、との方針を打ち出した。

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[基地負担軽減の真相] 残る汚染と跡地利用
迷走する米軍再編2 最終報告を前に
東京新聞 2006年4月3日

隆起サンゴの絶壁が東シナ海を望む「万鹿毛(まんざもう)」。沖縄県恩納村にある屈指の観光地に隣接して、荒れ果てた原野が広がる。63.1ヘクタールに及ぶ恩納通信所跡地だ。1995年に在日米軍から全面返還された。返還の翌年、敷地内から有毒物質のポリ塩化ビフェニール(PCB)が検出された。PCBまみれの汚泥を詰めたドラム缶七百本は、今も同じ恩納村にある自衛隊基地に置かれている。

「問題は環境汚染だけではない。跡地利用がまとまらない」と同村企画課の山城靖さん。約四百人いる地権者の希望は農地や宅地、リゾート分譲地とさまざまだ。恩納村は検討委員会を発足させ、どんな跡地利用法があるのか選択肢づくりを始めた。「決めるのは村役場ではなく地権者。しかし、高齢化していて精力的な話し合いは無理。あと何年かかるのか」(山城さん)環境汚染と跡地利用。沖縄の米軍用地が返還される度に浮上する問題だ。前沖縄県知事の大田昌秀参院議員は「跡地利用が軌道に乗るまで早くても十年はかかる。その一方で地代に相当する給付金は三年で打ち切られてしまう。『土地を返さなくていい』という声が上がるのを政府は待っているしという。

米軍再編の最終報告では「基地負担の軽減」を理由に中南部にある米軍基地の返還が本決まりになる。那覇軍港、キャンプ端慶覧(ずけらん)などだが、抱える問題はどこも変わりない。返還候補になっている宜野湾市の牧港補給地区では、75年に猛毒物質の六価クロムの海への流出が問題になった。発生源は、ベトナム戦争で現地から送られてきた車両に使う洗浄剤。米兵が日本人従業員の制止を振り切り、貯留槽の栓を開けていた。その後、ドラム缶に詰めて野積みされていたが、いつの間にか消えた。沖縄全軍労牧港支部の役員だった稲(いな)隆博さんは「地中に埋められていると思う」と推理する。その根拠は2002年、北谷的のキャンプ桑江跡地の地中からヒ素や六価クロムが検出され、射撃場の地下からは廃油が入ったドラム缶二十本が発見されたからだ。昨年2月にはロケット弾など一万三百発の実弾がやはり地中から見つかった。

米軍は日米地位協定三条によって基地の管理権を持ち、日本の国内法の適用を受けない。同協定四条一項で米国は基地返還に際し、原状回復の義務を負わないことになっている。「米軍は基地を使い放題。基地が戻れば、ただちに沖縄の負担が消えるわけではない」と稲さんは言う。日米両政府が「沖縄の負担軽減」の一つに挙げる「海兵隊八千人の削減」も稲さんは「本当だろうか」と疑問視する。本紙の問い合わせに在日米軍司令部は、在沖縄海兵隊の総数を「一万七千人から一万八千人」としつつ「世界中のテロとの戦いのため現在は一万五千人」と回答した。返還が予定される基地ごとの米兵数は「答えられない」。八千人削減のもとになる数も、削減後の数も不明確で、検証が困難であることをうかがわせた。最終報告を前に米国は在沖縄海兵隊のグアムヘの移転費用を約百億ドル(約一兆一千六百億円)と試算し、75%の負担を日本に求めている。返還された基地の浄化はいうまでもなく日本政府の負担になる。

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[「放射線は雨ガッパで防げ」そんな国民保護計画がなぜ通用するのか]
反核医師の会ニュース 第32号 2006年3月31日
『風が吹くとき』(1986年・イギリス)『アレクセイと泉』(2002年・日本)

核兵器による攻撃を受けたら、「避難に当たっては、風下を避け、手袋、帽子、雨ガッパ等によって放射性降下物による外部被ばくを抑制するほか、口及び鼻を汚染されていないタオル等で保護する(こと)」。これは政府が発表した国民保護計画指針の一節である。

この「指針」は広島、長崎、ビキニと三度も核爆弾の被害を受けた被爆国の政府が書いた「核防護策」とはとても思えない。しかし、都道府県はこの「国民保護計画指針」を手本に「国民保護計画」を作成中である。原水爆の恐ろしさを知る日本国民なら「そんなことで、核兵器放射線を防げるはずがない」と考える人が大多数であろう。にもかかわらず、このような「指針」を政府はなぜ示すのだろう。単なる「官僚の無知」と片付けることはできない。昨年十二月、核戦争を防止する埼玉県医師・歯科医師の会(埼玉反核医師の会)の総会で、記念講演をおこなった宮原哲朗弁護士(原爆症認定集団訴訟・全国弁護団連絡会事務局長)がそのなぞを解明した。

宮原弁護士によれば、このような原爆被害の過小評価はすでに広島、長崎の原爆直後に日本政府が発表した「新型爆弾への防空総本部の注意」に表れているという。そこでは「新型爆弾に対しては…、軍服程度の衣服を着用していれば火傷の心配はない。防空頭巾および手袋を着用していれば手や足を完全に火傷から保護することができる」と述べ、「待避壕がとっさの場合に使用できない場合は地面に伏せるか堅牢な建物の陰を利用すること」と指示していた。そして、六十年経ったいま、政府は冒頭に紹介したように同じ指示を持ち出して「国民保護計画」を国民に作らせようとしているのである。最初の原爆使用から六十年余が過ぎた現在、科学的知見の不足は理由とならない。宮原弁護士は放射能汚染の測定に携わった米国人医師デーヴイット・ブラットレーの著書の題名「もはや隠れる場所はない(No Place To Hide)」を引いて、日本政府がそのことを知らないはずはないと指摘した。

では、なぜこのような嘘を日本政府がつくのか、その背景にはアメリカが将来も原爆使用を可能にするために原爆被害を過小評価している政治姿勢がある。もし原爆被害が人道に違反するほどひどいものであることが分かれば、その投下が国際法に違反することになり核兵器を保有することが許されなくなる。アメリカはそれを恐れた。アメリカのこの政治姿勢が日本政府のそれにも影響しているのであると宮原弁護士は指摘した。

国民保護法(国民保護という名称にも、国が国民を守るがごとき印象を与えて問題であるが)は戦時法である有事法制の一環であり、それ自体がアメリカの戦争に日本を協力させるものである。その法律の具体化においても、自国民の被爆体験に反してアメリカの意に沿う放射能被害の過小評価をする政府の所業はなんと罪深いことであろう。(反核医師の会事務局長平山武久)

<ドクターちゃびんの解説>笑えないマンガですね。この記事を読んで、すぐに『風が吹くとき』という、イギリスのアニメーション映画を想い出しました。奇しくもチェルノブイリの原発事故の年につくられた映画です。チェルノブイリの周辺でも同じようなことが起きています。本橋成一監督がべラルーシでつくったドキュメンタリー映画『アレクセイと泉』という映画もおなじような内容です。

『風が吹くとき』
製作年度:1986年製作国:イギリス、上映時間:85分
監督:ジミ−・T・ムラカミ、日本語版監修:大島渚
原作:レイモンド・ブリックス

 「スノーマン」のレイモンド・ブリッグスが、核戦争の恐ろしさを描いて話題になった絵本をアニメーション化した反核映画の1本。イギリスの片田舎に住む老夫婦は今や子供も独立し、年金生活を静かに送っていた。しかし世界情勢は深刻化する一方で、明日にも戦争が勃発しそうな状態だった。そのことを知った夫は政府が出した核戦争に対するパンフレットに従って核シェルターを準備し始めるが……。核の恐怖を衝撃的映像を使わずに描いた「テスタメント」と似た作りになっているが、こちらの登場人物は2人だけ。なおかつ放射能汚染に関してはまったく無知なため、核攻撃後に2人だけで日常生活を普通に送ろうとするが、次第に体がボロボロになって行く姿は見ている側が辛くなってしまうほど悲しい描写が続く。2人の会話に深い愛情が感じられる事も、より一層の悲惨さを生み出している。ラストの“紙袋”の描写は、涙なしには観られない衝撃作である。日本では大島渚監修により、森繁久哉、加藤治子の吹き替えによる日本語版が公開された。

『アレクセイと泉』
セ作年度:2002年、監督:本橋成一、音楽:坂本龍一
ベルリン映画祭を始め、世界各国で好評を博した『ナージャの村』から5年。写真家・本橋成一と音楽家・坂本龍一のドキュメンタリー映画。

豊かな原生林と肥沃で豊穣な大地を持ち、白ロシアと呼ばれるベラルーシ共和国。チェルノブイリ(旧ソ連・現ウクライナ共和国)で起こった史上最悪の原発事故で、豊かな国土は放射能で汚染されてしまった。ベラルーシ共和国東南部に位置する小さな村、 ブジシチェも、汚染のため政府から移住勧告が出され、かつて600人いた住人のほとんどがこの村を去り、55人の年寄りと一人の青年アレクセイだけが残る。村を囲む森も、畑も、収穫物も汚染された。けれども、不思議な事にこの村の中心に湧く泉からは、放射能が検出されない。「なぜって?それは百年前の水だからさ」と、村人たちは自慢そうに答える。そして、村人たちはこの泉で野菜を洗い、洗濯をし、飲み水を汲んでいく・・・。泉をめぐる村人たちの営み描きながら、こんこんと湧く「泉」は、私たちに“本当の豊かさとは何か”を静かに語りかける。

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[「米軍移転費」あまりに法外な話だ]
朝日新聞 社説 2006年3月19日

在日米軍の再編で、沖縄からグアムに移る海兵隊の移転経費を日本にもってほしいー。こんな要求が米政府から出され、日本政府との間で交渉が続いている。その移転経費の金額が尋常ではない。米国防総省の試算によると総額は100億ドル(1兆1600億円)で、そのうち75%、つまり75億ドル(8700億円)を日本側に負担してもらいたいという。

米国は、沖縄にいる海兵隊員約1万5千人のうち司令部要員を中心に8千人をグアムに移す案を示した。引っ越しの経費に加え、グアムの基地に新たに建設する宿舎などの施設や道路などのインフラ、基地外の港湾施設づくりにこれだけかかる。金額はさらに膨らむ可能性があるという。米軍基地が集中する沖縄の負担を少なくしたいというのは、日本側がかねて要求してきたことだ。海兵隊の移転もその一環に位置づけられる。したがって日本としても、ある程度の負担は覚悟しなければならない。だが、75億ドルというのはいかになんでも法外だ。日本の06年度の政府の途上国援助(ODA)予算は7600億円。それを1千億円以上も上回るのだから、規模の巨大さがわかる。

日本は、在日米軍基地の施設整備や基地従業員の給与など、駐留に伴う巨額の経費を負担してきた。「思いやり予算」と呼ばれ、年額2300億円にのぼる。この気前の良さは、米軍基地を受け入れている国の中で突出している。それでも従来の支援は、あくまで日本国内の基地に関するものだった。今回は米国の領土につくる新たな基地施設などの経費である。「そこまで手厚く面倒を見るのは行き過ぎ」との批判が出てくるのは当然だろう。

そうした目的に税金を支出する法的な根拠すらなく、政府は新しい法律をつくることを検討している。米国の言い分は、日本の要求をいれて移転するのだから相応の負担をというものだ。さらに米政府の担当者は「米国は日本防衛に責任を負っている。日本の役割は負担することだ」と語った。.在日米軍基地は米国の世界戦略にも役割を果たしている。米国の領土にある基地ならなおさらだ。一方的に恩恵を授けるような物言いは、日米安保の実態とかけ離れているし、建設的でもない。

政府が「この数字では合意できない」といっているのも当然だ。財政事情を考えれば簡単にのめる金額ではない。政府は、なぜ国外の基地につくる施設まで日本が経費を負担するのか、その理由を国民に明確に説明すべきだ。積算の根拠も米側にただす必要がある。しかも、グアムは今回の全世界的な米軍再編のなかで、アジア太平洋をにらんで米国が強化しようとしている戦略拠点だ。単純な引っ越し話にとどまらない。そうした政治外交的な意味まで含めて、議論を深める必要がある。

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[隣国との間で信頼関係を]
エッセイスト 朴 慶南
月刊保団連2005.5 No862

昨今の韓流ブームの大きなうねりに、日本と韓国が「近くて遠い国」から「近くて近い国」になったような感があったが、竹島(韓国では独島)問題で、その足元の脆弱さを思い知らされた。韓国(民)にとって竹島は特別な意味をもっている。竹島が島根県に編入された1905年は、日韓保護条約によって植民地化への一歩が踏み出された年である。

百年の歳月が流れるなかで、侵略し支配した側とされた側の歴史認識の差は、ますます浮き彫りになるばかりだ。それは、日本が植民地支配や侵略戦争といった過去の歴史と、真筆に向き合わないできたことと無関係ではなかろう。戦争の責任と加害の歴史を曖昧にし、被害者への誠実な対応と反省をしてこなかった戦後60年のツケが、いま最悪の形となって現れつつあるように思えてならない。

私が小学生のころ、父が娘である私に語った言葉が甦ってくる。「日本は将来、必ず再軍備して軍国主義を復活させるから、気を緩めちゃいけないぞ」。私は子ども心に、父の杞憂に過ぎないと思った。日本は戦争で大変な惨状となり、その反省の上にもう二度と戦争はしないという平和憲法をもったのだから、そんなことは決してないはずだと。それがこの2、3年の間に、日本は父の言葉が現実のものとなる方向へと、急速に突き進んでいるように思える。植民地支配を体験した一世の父に先見の明があったということだろうか。

韓流ブームとはまったく対照的に、北朝鮮へのバッシングが行われている。その北朝鮮の脅威を煽ることで有事法制が成立した。そして、ブッシュ大統領のイラク攻撃を真先に支持した日本の現政府は、とうとう戦地への自衛隊の海外派遣(兵)まで強行してしまった。有事法制を通すとき、小泉首相は「日本が他国から侵略されたらどうするのか」とコメントしていたが、思わず、こうつっこみを入れたくなった。「かつて日本が他国に侵略されたことがあるの? 実際に侵略された私たちの方が日本に警戒心と恐怖心をもっているんだよ」

教育基本法を変え、憲法九条を無力化し、日本は再び戦争をする国になろうとしている。どういう戦争かというと、アメリカとともにアジアを敵にしていくものである。いま日本がいちばんやらなければいけないことは、朝鮮半島の北と南、中国という隣国との間に信頼関係を築き、東アジアのこの地に平和を実現していくことではないだろうか。

日本の進路をどう決めるか、大切な課題が一人ひとりに求められていると思う。(ぱくきょんなむ)

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[カナダ、米のミサイル防衛構想に不参加表明・関係緊張も]
日経新聞 2005年2月25日

【ニューヨーク24日共同】カナダのマーティン首相は24日声明を発表し、米国が参加を呼び掛けていたミサイル防衛構想について「弾道ミサイル防衛は、われわれが努力を集中させる分野ではない」と述べ、参加しない考えを初めて公式に表明した。イラク戦への参加拒否に続くカナダの同構想不参加決定により、米カナダ両国の外交関係が緊張する可能性もある。

声明はミサイル防衛構想の代わりに、国境・沿岸警備や情報収集、軍備などをカナダ政府が強化していく考えを示した。また声明は、両国の共同防空組織、北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)と米北方軍が、北米大陸に向かう弾道ミサイルに対抗するための早期警戒システムの入手データ共有化で昨年合意したことを指摘。両国が同盟関係にあることも繰り返し「今後も世界の防衛に関し、米国と緊密に協力し続けることに変わりはない」と強調した。 (08:04)

[イラク戦争―カナダの立場と反応]
「カナダ ノートブック」は、在トロント フリーランス ライター・翻訳者 広瀬二樹(にき)

不参戦のカナダ

ブッシュ・アメリカ大統領によるイラク戦争最後通告直後、カナダのジャン・クレティアン首相は「カナダはイラク戦争に参戦しない」と明言し、アメリカに追随するのではなく、国連を尊重する姿勢を明らかにした。首相が明確にした「カナダの立場」を66%のカナダ国民が、「カナダの国際的バランス感覚が証明された」、「カナダ人として参戦しないことを光栄に思う」などとして支持した(不支持派の意見は、「アメリカとの関係が悪くなると経済的に打撃がある」「アメリカは友達なのに」など)。また、開戦後も、アメリカの世論が戦争支持に傾く一方で、カナダでは54%の国民が「ブッシュ大統領のやっていることは間違いだ」と答えている。*

アメリカの隣国であり、北米自由貿易協定というひとつの経済圏の中にいるカナダ、そしてメキシコの不参戦が意味するものは大きい。アメリカとの関係に経済を大きく左右されるカナダとメキシコの支持さえ、アメリカは得られなかったということだからだ。

アメリカ離れするカナダ

イラク戦争に対する典型的カナダ人の反応、それは「戦争はやめて欲しかった」―「始まってしまったけれど、カナダが参戦しなくてうれしい」というものだ、といえる。

筆者は、最近匿名を条件に、建前でなく本音の対アメリカ感情を語ってほしい、と約10人のカナダ人にインタビューした。答えてくれたのは、カナダで生まれ育ったイギリス系、フランス系、ユダヤ系の人、他国からやってきた1世でカナダ人に帰化した人などで、年齢は30代から50代。イラク攻撃開始と前後していたことが手伝ったらしく、「アメリカに特に悪いイメージはない」と答えた3人(うち1人はアメリカで生まれて育った)を除き、全員がネガティブなコメントをし、「犯罪大国」「戦争中毒」「傲慢」「世界でいばっている」「環境破壊の一番の責任者」など、感情的な意見が噴き出した。2人は「企業や政府と一般の人をいっしょにしてはいけない」と付け加えた。「カナダがアメリカと国際的にあまり区別されないのが釈然としない」と答えた人もいた。 カナダ国民の対アメリカ感情は、イラク戦争の開始でより複雑さを増しているといえるだろう。

*『グローブ アンド メール』紙2003年3月22日号参照

戦争に客観的なカナダのメディア

イラク戦争の報道でも、カナダのメディアはアメリカよりも客観的である。筆者はカナダのCBC(国営放送局)とアメリカのABC局、そしてCBS局の戦争報道をチャンネルをぐるぐると変えながら見ていた。イラクで捕虜にとられたアメリカ兵の映像の放送に関しては、「国民にショックを与える」としてアメリカのメディアのほとんどが規制したのに対し、カナダのメディアでは、イラク兵に脅されるアメリカ兵の映像や写真がいく度となく報道された。「事実は事実だから」というのがカナダのメディアの責任者の言い分である。アメリカ メディアの規制は、「兵士をアメリカに戻せ」という世論が高まるのを恐れてのことではないだろうか。 戦争で負傷したイラクの民間人の犠牲者の映像に関しては、アメリカのメディアでは流す時間がとられていないか、カナダのテレビ局に比べてずっと短い。 筆者が仕事上で取引のあるアメリカ人女性はこう語った。「アメリカのメディアからは客観性が期待できないから、うちはカナダのメディアを受信しているのよ」

アメリカのメディアが選択して流されるニュースには、戦争についての世論を影響するたくらみがどこかにあるように思えてならない●

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[私を苦しめる初年兵の経験]
朝日新聞「声」欄 2003年8月16日 無職 田○宣○(大阪府○○市87歳)

今となっては、あれは私一人の経験ではなく、中国戦線に駆り出された多くの初年兵共通の経験だったと分かっているが、あの経験が生涯私を苦しめる。捕らえてきた罪もない農民を、「銃剣術のけいこだ」「肝試しだ」と言って銃剣で突き殺させられたおぞましい、しかし、逃れようのない殺人の実行。私の場合、まだ死んでいないのに穴を掘って埋めたため、土中から「シーサン(先生)、シーサン・・…」と、かすかなうめき声が聞こえていた。私はその声と一緒に、彼の妻子や親兄弟、親族、友人らの嘆き悲しみ、怒り恨む声が今も聞こえてくるのをどうしようもない。復員して以来の私の生涯に、あれらの声はつきまとい、絶えずかすかに響いている。何の力もなく年老いてしまった私だが、せめて「中国人戦争被害者の要求を支える会」の会員となって会費を納めることが、私にできる罪滅ぼしであり、香典であると思って納め続けている。拉致問題が未解決の今年8月15目は、ことさらあの経験が重く考えられる。それは、日本軍が中国戦線で犯した無数の暴虐も、北朝鮮による日本人の拉致も、そして毎日、国内で行われている暴行や殺人事件も、人権軽視の現れである点で一致しているからである。拉致問題は一刻も早く解決されなければならないが、同時に私たちは人権感覚を磨き、尊重することを学ばねばならない。

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[戦争を教訓に] 朝日新聞 2000年9月6日
犬死にさせて何が「英霊」か
コピーライター井○陽○(京都府○○市44歳)

今夏、私が一番関心を持ったのは、石原東京都知事の靖国神社への公式参拝に対する様々な意見だった。私は、知事や政治家の公式参拝が憲法に違反しているから反対なのではない。戦死者を「英霊」として祭り上げるそのことが、国と、彼らを戦場に送り出した人々すべての免罪符として機能しているから、参拝が許せないのだ。

太平洋戦争末期、インドヘ侵攻したインパール作戦は、最初から食糧も弾薬も全く補給の当てもないまま八万人を超す兵を投入し、ほとんどの兵は戦いによってではなく、飢えと病気によって自滅していったという。兵は名誉の戦死ではなく「犬死に」していった。国、軍部によって、ただやみくもに消耗されたすべての戦争犠牲者は、本当は「犬死に」だったのだ。

この人たちは、果たして「英霊」であることを望んでいるのだろうか。自分たちを「英霊」として祭り上げることで責任逃れをする国や指導者に対して、彼らは自らの死が「犬死に」であったことを認めると、草葉の陰で怒鳴っているのではないか。「英霊」として祭り上げるのではなく、「犬死に」だったというむごい事実を認め、受け止めることこそが、犠牲となった人々への誠意ある責任のとり方であり、本当の供養ではないかと私は思う。

加害国の立場忘れて恥じる
中学校教員 吉○安○(大阪府○○市59歳)

この夏、オランダの高校一年と中学三年の兄妹、二人をホームステイさせている職場の同僚、私の山の仲間が一緒に、金剛山へ登った。頂上ではビールで乾杯し、話もはずんだ。その会話の中で、私は調子に乗って不用意なことを言ってしまった。「日本とオランダはフレンドリーね」と。すかさず彼から「いや違う。日本は戦争でオランダをひどい目に遭わせた」という答えが返ってきた。

彼らは家庭でも教育の場でも、きっちり戦争について教えられているのである。三年前、私はアウシュビッツ収容所を訪問した。その時聞いたことだが、ドイツの中学生が校外学習でアウシュビッツ収容所を訪れるらしい。ナチスのやったことを、自分たちの目でしっかり確かめるのだそうだ。

今の日本はどうだろうか。私自身を振り返ってみても、広島や長崎、沖縄へ行くことはあっても、例えは中国の南京大虐殺の現場には行っていない。私の中では、日本の一般庶民は被害者であるという意識のほうが強い。しかし、加害国であったということを忘れてはならない。自分自身の勉強不足を知り、非常に恥ずかしい思いをした。

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[マルセ太郎の箴言]
「人間屋を代表して一言」マルセ太郎
本間健彦編著「人間屋の話」(街から舎)より序文 2000年11月1日

保守とか革新とかいうが、いまの日本にそんなものありやしない。あるのはホンモノかニセモノかである。もっといえば、人格的に卑しいか卑しくないかであると考える。たとえば、権力者、その周辺を取り巻く知識人といわれる人の中に、現憲法を改正して日本も軍備を持つべきだと(実際には持っている)主張するのが多い。それはそれで、意見としてきくことはできるだろう。ところが彼らのほとんどが、「南京虐殺」は捏ち上げ上げだと否定するのはなぜか。こうなると意見でもなんでもない。ただの反動である。さらにいえば、憲法第九条があっても現実には軍備を持っているのに、やかましく「改正」をあおるのは、変えないとできないことがあるからである。それは徴兵制だ。そのことを彼らは表面に出さない。そのうち出してくるのだろうが。

いま東京都知事の石原慎太郎の勢いが盛んである。彼の言動を見ると軍靴の音がきこえてきてならない。「おれは中国なんていわない。シナといってどこが悪いんだ」とイキがっている。まるでガキだ。そんな彼に「強さ」を感じて、百二十万も票を入れた都民にも絶望的になる。シナといってどこが悪い?簡単なことじゃないか。相手が嫌だといっているのだ。だったらそう呼ばないのが常識ではないか。

若い人の間では、1923年(大正12年)の関東大震災のことを知る人は少ないだろう。震災の混乱の最中に、軍人をもまじえた自警固とかいう暴徒によって、左翼とよばれた人や、朝鮮人六千人が虐殺されたのである。朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマが流されたのだ。誰がそんなデマを流したのか。僕はあえて言う。石原慎太郎みたいな奴である。だってそうだろう。彼は言ったではないか。「もし東京に地震が起きたら、不法入国の三国人が何を仕出かすか分からない。そのときには自衛隊に出動してもらいたい」と。日本人のアジア人蔑視は度し難い。

しかしあの関東大震災のときに、立派な日本人がいたのである。僕も六年ほど前、エッセイスト朴慶南(パクキョンナム)氏の著書『ポッカリ月が出ましたら』(三五館刊)で初めて知ったのだが、当時神奈川県鶴見警察署長であった大川常吉氏のことである。大川さんは、暴徒に追われて逃げてきた朝鮮人三百人を近くのお寺に保護した。棍棒など得物を持った暴徒が千人も増え、彼らは朝鮮人を引き渡せと強要するのだが、大川さんは一歩も退かなかった。毒を入れたという井戸水を持ってこさせ、それを飲んで見せ、どうしてもきかぬなら、「おれを殺してからやれ」と体を張った。勇気のある人である。おかげで三百人は無事汽船に乗ることができ、生命を助けられたのである。そのときの大川さんの行為を讃えた碑が、戦後在日朝鮮人によって建てられ、いまも鶴見区の東漸寺にある。きけば二、三年ほど前、亡き大川常吉さんのお孫さんが金太中大統領の招待をうけ、祖父への謝意を送られたそうである。

戦後歴史学は「自虐史観」であり、それでは日本人の誇りが持てないと、侵略戦争を否定した教科書をつくりつつある西尾幹二や小林よしのりに言いたい。大川常吉さんのような人物こそは日本人の誇りとすべきであり、決して東郷平八郎や東条英機ではない。言ってもムダか。われわれのような権力から遠い者は、一人ひとり無力かもしれない。しかし野球にたとえれば、せめて良き外野席の客になることはできるだろう。歴史をしっかり見よう。世の中には、少数派ではあるが、常に弱者への視点を失わないで闘っている勇気の人がいる。彼らを孤独にさせてはならない。外野席からでも拍手を送ろう。『街から』のようなミニコミ誌なら、それができるはずだ。

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▼日本は変ったのか▼第4部「ナショナリズムの影(3)朝日新聞 2000年7月2日
「戦前」としての現在、偶然でない一致 民主主義の中から生まれるファシズム

社会学者 大澤真幸(おおさわ・まさち)
1958年長野県主まれ。東京大学卒。社会学博士。京都大学人間・環境学研究科助教授。主な著書に『戦後の思想空間』『〈不気味なもの〉の政治学』、近刊に『ナショナリズムの由来』がある。

オウム事件が勃発した1995年、私は、現在は「戦前」である、と論じた。オウム事件の時点から、オウムの想定上の世界最終戦争と現実の世界最終戦争(第二次大戦)の時間幅に相当する分だけ、過去に遡ると、一回目のオウム事件とも言うべきものにぷち当たる。一回目のオウム事件とは、オウムといくつかの類似点をもつ大本数への弾圧事件(1935年)と、その直後に起こり、首謀者たちが大本教と深く精神的に結びついていた二・二六事件(36年)のセットのことである。この対応は偶然ではない。

同じような操作を、戦後の主要な政治・経済的な事件に適用してみると、その約六十年前に、似たような価値を担った対応する事件を、たいてい見いだすことができるからだ(日本国憲法公布と大日本帝国憲法発布、日清戦争勝利とサンフランシスコ講和条約、大逆事件と浅間山荘事件、不平等条約改正と沖縄返還)。このことは、対応が体系的なものであることを含意している。真に対応しているのは、出来事ではなく、二つの時間幅なのである。これは、かつて柄谷行人が「明治・昭和並行説」として見いだしたことである。この体系的な対応に立脚すると、現在は、戦争直前の昭和初期にあたる。昭和初期は、ウルトラ・ナショナリズム(超国家主義)の時代であり、二・二六事件は、ウルトラ・ナショナリズムの精神的な極点を象徴する出来事であった。

予想的中したものの

九九年にガイドライン法、通信傍受法、国旗・国歌法などが相次いで国会で成立した。この事実は、現在がまさにウルトラ・ナショナリズム期に対応しているという私の予想が的中した、ということを意味している。が、しかし、あまりにも予想通り過ぎて、現在と戦前との対応性を指摘することで、私が照らし出そうと意図していたことが、かえって見えにくくなってしまった。真実を露骨に示すことで、かえって隠蔽する、歴史の好計が働いているかのようにさえ見えるのだ。

われわれの多くは、自分たちがリベラリズムや民主主義の価値を十分に認めており、ウルトラ・ナショナリズムやファシズムから遠く隔たったところにいる、という実感をもっているに違いない。私が現在の「戦前」性を指摘して、自覚を促したかったことは、国旗・国歌法のような直截な現象だけではなく、ファシズムからは遠いと信じているそうしたイデオロギーもまた、戦前的だということである。たとえば、今日、ウルトラ・ナショナリズムや宗教的原理主義に対抗するリベラルな左翼が取る典型的な立場は、多文化主義である。多文化主義に共感する者は、旧ユーゴのエスノ(民族)・ナショナリストやミロシェヴィチのファシスト体制と自分たちが対立していると思っている。

他者との類似に怯え

ところで、ユーゴ紛争の専門家は、紛争の背後にヨーロッパ性の濃度をめぐる争いがあると指摘する。セルビア入は、コソヴォやボスニアでヨーロッパ文明をヨーロッパの他者(ムスリム)から守っていると考えている。クロアチア人は、ビザンチン的なセルビア地域のただ中で、自分たちの西側キリスト教文明の前線を死守しようとする。今度はスロヴエニア人が、クロアチアのただ中で中欧を守る。連鎖はここで終わらない。

オーストリア人が、スロヴエニア地域の中で西欧の前哨を構成する。だがドイツ人からみると、オーストリアはまだバルカン色に染まっている。フランス人には、ドイツは東欧的な粗野から自由ではない。そして最後に保守的イギリス人には、欧州連合(EU)そのものが、イギリスの自由主義的伝統にとって脅威となるバルカン帝国に見えている。こうした連鎖は、スロヴエニアの精神分析学者ジジェクも示唆するように、実はヨーロッパが、ヨーロッパの他者と自身の類似に怯えており、その怯えを通じてヨーロッパの他者と同一化している、ということを意味してはいないか。

多文化主義は、ヨーロッパのリベラリズムの伝統から生まれた。それは、ヨーロッパをもその一項目として繰り込む高次の「普遍主義」として提起された。だが今見た連鎖は、バルカン地域のラディカルなエスノ・ナショナリズムと多文化主義が連続していることを暗示している。民族浄化を含む、旧ユーゴ地域の民族対立は、多文化主義が称揚する寛容な共存の「真実」を照らし出しているのである。

実際今日、どこであれ、排他的なエスノ・ナショナリストや人種主義がその論拠としているのは、あからさまな偏見ではなくて、多文化主義である。そしてまた、西欧自身が、国家主権を超える普遍的な「神聖な法」の名のもとにユーゴを空爆したとき、西欧の普遍主義者が批判する、宗教的原理主義者のように振る舞ったのだ。

私が、現在を「戦前」に対比させつつ示したかったことは、これに類する逆説である。人は、戦前のウルトラ・ナショナリズムから最も隔たったところにいると思っているそのときに、ウルトラ・ナショナリズムに近接しているのだ。そもそも、今翻ってみれば、日本のウルトラ・ナショナリズムの哲学的な骨格のひとつとなった、京都学派の「世界史の哲学」は、多文化主義そのものである。

勝利感のない総選挙

今回の総選挙では、誰も勝った気分がしていないだろう。無党派層や棄権者の数の多さが示しているように、どの党も積極的には支持されていないからである。こんなときは注意しなくてはならない。

ファシズムと民主主義は矛盾しない。むしろ、ナチスがワイマール期に出てきたように、日本のファシズム化が普選法実現以降に進行したように、ファシズムは、民主主義の中から出てくる。民主主義的な代表の原理がその適用範囲を拡張しているまさにその中で、かえって、代表から疎外されている一誰も自分たちを代表してくれないと感ずる一層が増大することがある。その空隙を埋めるのが、ファシズムである。

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[井戸の水をかき回そう、二十一世紀への助走]
朝日新聞社説 1997年1月1日

谷川俊太郎さんの詩に「みみをすます」というのがある。
みみをすます
きのうのあまだれにみみをすます
といったぐあいに始まるこの詩の途中につぎのような一節がある。
(ひとつのおとにひとつのこえにみみをすますことが
もうひとつのおとにもうひとつのこえにみみをふさぐことにならないように)
一方の音だけ、片方の声だけ、いくら真剣に聴いたとしても、ほんとうのことはわからない。冷静で、より正しい判断は、いろいろなことを比較したり、ほかに方法があるかもしれないと考えたりすることで、生まれるものだろう。

他人の声が聞こえるか

この、あたりまえのことが、最近ゆらぎだしているのではないか。自分だけが正しい、あとはみんな間違いだ、といったことを、品のない日本語で、ときには歴史的な事実や背景を無視して、声高に言いつのる人間や組織がふえている。
第一は、歴史の事実と認識にかかわるものだ。旧日本軍による南京大虐殺など最初からなかった、「従軍」慰安婦なるものも存在しなかった、という。あるいは、日清・日露の戦争は全面的に肯定されるべきで、太平洋戦争も聖戦たった、という。
第二は、人間の生き方にかんするものだ。夫婦別姓を容認すれば、日本の家族制度は崩壊し家庭は溶解するとか、要介護老人は家族が面倒をみるべきだとか、女性は家庭にかえれ、といった主張である。
いずれも概して、私人より国家を重視する立場に立つ。しかし、そこには三宅雪嶺や柳田国男など、伝統的な保守主義者がもつ格調の高さ、論理の精密さといったものはない。多くの場合、白か黒か、イエスかノーか、単純な二元型で迫る。
こういった風潮は、じつは日本だけのことではない。いま、地球のあちこちで「外国人労働者は出ていけ」「社会的弱者への優遇措置をやめよ」といった動きが、活発になってきている。政治的に、経済的に、社会的に、さきが見えない、不安がつのる、そんな時代になると、かならず起こる現象である。冷戦後の世界は、まさに、そんな混沌とした状況下にあるのだろう。

上澄みだけの近代日本

そんなとき、どうやれば、不安と不信の時代を乗りきることができるか。そこが、それぞれの国の、民の、腕の見せどころだ。日本についていうならば、二十一世紀のあり方を、過去の因習や狭い民族意識に求めるか、それとも汎、つまり、広く世界につながる意識に求めるかである。
「いまの日本は井のなかのカエルではない。井のなかのクジラだ」と言ったのは、韓国の経済学者、金泳鎬(キム.・ヨンホ)さんだ。日本は国際的にはクジラのような存在なのに、内なる国際化の水準は井の域を出ていない、と金さんは言う。
私たち日本人はこの一世紀、小さなカエルを巨大なクジラに成長させようと、懸命になってきた。おかげで図体だけは大きくなった。しかし、しょせんは井のなかだ。本格的に井戸を浚うこともなかったから、こけむした井戸の底のあたりはカエルのすみか時代そのままである。
井戸の水を汲むとき、人びとはふつう、太陽の光が反射してきらきらと輝く、美しい水面しか目にしない。井戸の深い底まで思いをいたすことはまずない。

今世紀の日本を井戸に見立てるならは、この太陽光は欧米の近代文明思潮だった。もともとそれは、たとえば「市民社会」といったものを基盤として、成り立ったものである。だが、明治以降の指導者たちは列強に追いつくことに忙しく、この根っこの部分に細心の注意を払うことはなかった。近代国家日本は、井戸の表面にできた上澄みだけをすくいとるような形でつくられた、と言っていいだろう。
問題は、それ以後、上澄みが上澄みにとどまり、いっこうに撹拌が起きなかったことである。この国の権力機構は、長いあいだ、市民社会的な枠組みをつくることより、人びとを「保護」し「善導」する方向を選んできた。

日本の文化現象を木にたとえ、根が地層のどこまで届いているかを考えた故桑原武夫さんは、つぎのように書いている。
「西洋の影響下に近代化した意識の層があり、その下にいわゆる封建的といわれる古風なサムライ的、儒教的な日本文化の層、さらに下にドロドロとよどんだ、規定しがたい、古代からの神社崇拝といった形でつたわるような、シャーマニズム的なものを含む地層があるように思われる」
桑原さんのいう「三つの層」は、文化にかぎらず、あらゆる分野で日本人のまえに立ちふさがってきた。古い歴史をもつだけに、この国の第二・第三層は複雑だ。そこに正面から手をつけるのではなく、自分に都合のいい部分だけを吸い取っていく。

内からの変革進めよう

しかし、これでは市民意識は育たない。第一層が「借り着の近代」「根無し草の近代」になったのも当然である。その結果、ふだんはともかく、なにかが起きて、他人に第二・第三層的な部分を触られると、かねては眠っている封建的な、あるいは原始的などろどろした意識が目覚める。
いま、一部にそういう兆候が出てきた。方向感覚に自信を失いつつあるからか、この国のかたちを、この国の目標を、戦前のあたりに戻そうとしているのではないか、と錯覚しそうな動きすらある。
だが、こうした復古的な言動で解決できることはひとつもない。不透明のみなもとは「政治的で経済的な世界規模の混迷にあるからだ。一国だけが歴史の針を逆進させればすむほど単純ではない。危機を乗り切る道は、この国をさらに国際化し、相互依存を徹底させることだ。

カエルとクジラの話に戻すと、まず、クジラがすむ日本という名の井戸の水を十分に撹拌することだ。一つだった井戸の湧き口をもっとふやし、井戸水が川へ流れ、海にいたるような水路も用意しよう。そのとき、それはもはや井戸ではない。クジラは、そのあいだを、自由に往来するようになるだろう。作られた文化は、内から変革されないかぎり、ゆっくりと元に戻ってしまうものだという。この「内からの変革」をはじめ、残り少ない早世紀中に決着をつけなければならない課題は多い。ことしは、さまざまな角度からこの問題と取り組みたい。

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