[直腸癌1]

[半年前に直腸癌で手術を受けたが経過が思わしくなく肝臓に転移した]
[直腸癌術後の骨盤の局所再発に化学療法と放射線療法をしたが]

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[半年前に直腸癌で手術を受けたが経過が思わしくなく肝臓に転移した]

(相談)千葉県1999.4.22
こんにちは。先生のメール拝見させていただき、初めてメールさせていただきます。○○と申します。千葉県に住む26歳の会社員です。宜しくお願いいたします。早速相談なんですが・・・私の母は51歳です。3〜4年前から肛門から出血があり、痔か何かだと思い、病院には行かず、よく市販の座薬を使用していました。あまりにも治らず、おかしいと自分で思ったらしく、去年の9月に知人から紹介された近くの病院に行ったところ、直腸癌と診断され、10/6に入院し、10/21に手術。11/21退院しました。肛門近くの腫瘍のため、人工肛門となりました。この人工肛門もとてもいやがり、できれば避けたかったんですが、癌のレベルが末期の一歩手前で、私も内視鏡の写真を見せてもらいましたが、素人目でもわかるくらい腫瘍に花が咲いた感じでした。術後は、膣の方にまで影響があり、生理でもないのに血膿みのようなものが止まらず、今でもお尻の中が裂けるように痛いといいます。こちらに関しては同病院の婦人科で診てもらっていましたが、なかなか治りません。また皮膚も弱いため、ストーマのパウチなどが合わず、左足太もも部分全体に湿疹ができています。こちらは皮膚科で診てもらい、原因がわかりません。多分パウチの拒否症状だと思われますが・・・。尿意も今でも感覚がないそうです。

そして現在まで定期的に病院に行き、1月の下旬に肝臓の腫れが気になると医者から言われ、3/30に検査をしたところ、3cm大の腫瘍が発見されました。肝臓に転移再発し、また手術が必要だと言われました。母はもともと腰痛持ちで術後も、傷も痛いが、何よりもじっと寝ている姿勢がとてもつらいと言ってました。なので手術はもう二度としたくないと言い張っています。転移再発したと考えられないくらい、見た目、食欲共に健康そのものです。今は先週、私が本屋で見つけた癌に効くらしい、「水溶性キトサン」というのを購入し、毎日飲んでいます。プロポリスも術後は飲み続けています。癌が見つかる前までは母は自営で飲食業をしており、従業員など使わず、すべてひとりで経営してきました。今はその店も閉め、家で専業主婦をしています。以前の不規則な生活と一転し、規則正しい生活をしています。主治医の先生は切除手術を前提にしないと抗がん剤などの治療法、何が適しているか等の検査はしませんとおっしゃっております。またいろいろ、無い知識なりに治療法など(先生のHPで載っていた)をいくつかあげたのですが、切除手術を勧められました。まだこちらでは質問したいことがたくさんあったのに、次の患者さんがいるから・・・と話しを途中で終わらせて、また次回・・・となってしまいました。3cmの腫瘍が肝臓のどの辺にあるとか、どのように進行しているかとかまだまだ聞きたいことはたくさんあったのに・・・です。その主治医の先生の応対を見て、また今までの術後のアフターなどから、今更ですが母に病院を変えた方がいいのではないかと私は勧めました。母のこのような状態にはどう対処したら良いのでしょうか?また病院を変えたいと思うのですが、どこか良い病院、良い先生は近場にいらっしゃらないでしょうか?長々としたメールで大変申し訳ございません。お忙しいとは思いますが、どうぞ宜しくお願いいたします。

(答え)1999.4.22
お答えします。手術後の経過が思わしくないようでお気の毒に思います。手術を受けるときには、あわてずに良く考えてから病院を決めないといけません。手術はやり直しが効きません。やはり沢山手術をしている病院ほど、手術も上手で、手術後の経過も良いようです。特に肝臓となりますと、専門的な病院で手術をすれば、ほとんど輸血もいらないと思います。比較的近いところでは、柏の国立がんセンター東病院です。紹介状を書いてもらうとよくわかると思います。ではまたいつでもメイルをください。

(相談)1999.4.22
早速のお返事ありがとうございます。私のメール、読んで頂いて大変嬉しく思います。やはり、最初の病院選びがポイントだったんですね。最近、私が本屋で買ってきた「がんの名医」(たしかこのような題名)という本をざっと読んだところ、やはり数野先生がおっしゃる通りのことを述べておりました。母も読み、今の病院で手術したことをかなり後悔している様子でした。最近の進んでいるところでは、人工肛門にするが、肛門はとっておくらしいのです。母は肛門を全て除去し、ふさいでしまっています。もっと他の病院で手術をすれば、違う結果になっていたかもしれないと思います。でも済んでしまったことをいつまでもくよくよしていてもしょうがないと思います。今はこれからのことを考えていきたいと思っております。母のような状況にはやはり切除手術が適しているのでしょうか?母にはもっと5年も10年も、それ以上に生きて欲しいと思っています。転移再発も9割がたないと伺っておりました。それなのに再発してしまい、母も家族もかなりのショックを受けております。とにかく、新しい病院でいちから診ていただこうかと試みておりますが、やはり紹介状が必要でしょうか?その場合はどうしたらよろしいのでしょうか?何度も相談して申し訳ございません。宜しくお願い致します。

(答え)1999.4.24
メイルありがとうございました。「済んでしまったことをいつまでもくよくよしていてもしょうがないと思います。今はこれからのことを考えていきたいと思っております。」その通りです。これからのことを考えて、前向きに生きてもらってください。「母のような状況にはやはり切除手術が適しているのでしょうか?」治すことを考えれば、それ以外に方法はありませんが、専門病院では最近、マイクロ波などを使って焼く方法が開発されているようです。手術と同じ効果があり、手術よりも身体への負担が少ないようです。「とにかく、新しい病院でいちから診ていただこうかと試みておりますが、やはり紹介が状が必要でしょうか?」なくても大丈夫ですが、あったほうが良いと思います。「その場合はどうしたらよろしいのでしょうか?」いずれにしても現在の担当医に相談することになると思います。当然の権利ですので、遠慮する必要はありません。また相談への反応で、担当医の人間性や実力が分かると思います。

(相談)1999.4.25
お返事ありがとうございました。お忙しい中、本当に感謝いたします。母が4/23に病院に行き、今度は肝臓ではなく、膵臓に転移している可能性があると言われてしまいました。担当医は肝臓に腫瘍があるとおっしゃっていますが、他の方は膵臓ではないかと言っているとの事です。また、肺にも転移している可能性があるので、母について病院側で話し合い、抗がん剤の治療をしようと言われたとの事です。また5/7に行く事になっています。たくさん検査をしたのに、どうしてこんなにあやふやなのでしょうか?と思ってしまいました。すごく不安になってしまいます。先生のメールを拝見し、5/7に行った時に紹介状を書いて頂こうかと思います。もしそれが駄目なのであれば、紹介状なしで他の病院に行こうかと思います。連休もはさみますし、それからでも時間は遅くないでしょうか?見つけたからには早い方がいいとは思いますが、やはり今の病院でまた治療を受けるにはもう信用性に欠けてしまっています。それとも紹介状も何も関係なしに早く次の病院に連れて行った方が良いのでしょうか?宜しくお願い致します。

(答え)1999.4.27
お答えします。「今度は肝臓ではなく、膵臓に転移している可能性がある」「担当医は肝臓に腫瘍があるとおっしゃっていますが、他の方は膵臓ではないかと言っている」「肺にも転移している可能性がある」「たくさん検査をしたのに、どうしてこんなにあやふやなのでしょうか?」やはり、医師の経験と能力の問題だと思います。あなたのメイルの内容から判断すると、残念ながら今の病院はレベルの低い病院のように思えます。「紹介状も何も関係なしに早く次の病院に連れて行った方が良いのでしょうか?」可能であれば、まず紹介状なしで受診してみても良いと思います。日本の医療制度では、紹介状は必ずしも必要ではありません。その結果で、必要なものがあれば現在の主治医にお願いしても良いと思います。自分の命と健康は自分で守らなければいけません。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)1999.4.27
ご返答ありがとうございました。いつもいつも本当にありがたく思っております。母が今の病院で手術した事、悔やんでも悔やみきれませんが、これから先のことを考えるしかありませんね。あくまでも本人の意思を尊重し、治療を行っていきたいと思っております。病は気からといいますし、自然治癒で治った方もいらっしゃるのですから、あとは母の身体と心(気持ちですネ)を信じるしかありません。GWは良い先生方もみんな病院自体が長い休暇に入ってしまうと思われますので、連休明けにでも違う病院で診て頂くつもりです。数野先生にはいろいろご相談にのって頂き、本当にありがとうございました。お忙しい中、大変失礼致しました。母の状況に変わりがありましたらまたご連絡させて頂きます。その時はまたどうぞ宜しくお願い致します。では数野先生もお身体に気を付けて頑張って下さい。ご健闘をお祈りしております。

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[直腸癌術後の骨盤の局所再発に化学療法と放射線療法をしたが]

(相談)東京1998.10.14.
はじめてお便りします。2年前に直腸癌の手術を受けました父が今年8月に定期検診で、入院するように言われ入院しました。その後の主治医の先生の話では骨盤の局所再発だとの事でした。治療は抗ガン剤と放射線療法(30回)で、手術はできないとの解答でした。今は抗ガン剤も放射線療法も終了し、内視鏡検査の後に退院できると言われました。しかし、本人は下痢と腹痛に苦しんでいてとても退院できるようには思えません。主治医の先生には後どの位の命か訪ねてみたのですが明言を避けます。というのも私の父親は会社を経営していているので父のこの先の容態によっては会社を存続するかどうか検討しなければならないからです。私は長男なので父の会社を継いでいますが、父親抜きでは経営を続けることはできないと思っています。もし父親が退院すれば必ず会社のために仕事をする事になると思います(経営状態は余り良いとは言えませんので)。父親が後どの位の命なのかそれとも助かる見込みがあるのかその事が知りたいのです。覚悟はしているつもりなのですが、主治医の先生が明言しないことでつまらない憶測ばかり話し合っていつも暗くなっているんです。もし父親が後数ヶ月の命であるなら、父親が退院して来る前に親戚に話をしてお金を用立ててもらい両親に旅行にいくなどして余生を豊かに過ごさせたいのです。残念なことですが自分でする力は無いので父に掛けてある保険金を担保に親戚にお金を借りるつもりです。

そこで数野博先生に是非お聞きしたいんです。一般的に直腸癌の再発で骨盤に転移した場合は手術する事が多いですよね。手術する事ができないと判断する根拠は”もうその段階を過ぎている”もしくは”手術抜きでも十分治癒は可能”のどちらなのでしょうか?主治医の先生は痛みは薬でコントロールするから心配いりません。と言います。痛みが出ていてその度合いがひどい場合末期だと判断するのが妥当なのでしょうか?今も病院に見舞いに言っていますが、日に日に悪くなっているようです。明るく振る舞っていますが、今後の事を家族と相談するのに父親の本当の容態抜きにはできないんです。父親が癌を克服し元の元気な姿になるのが理想的なんですが、どうもそうではないように思えるのです。すでに主だった治療は終わり後は経過を見て判断という状態です。放射線療法終了2週間後には内視鏡検査をしてその状態により退院することになると思います。先ほど書きましたように退院前に色々と準備する事がありますので、父の本当の容態を知りたいのです。不躾にもこのようにわがままな事を書いてしまいましたが数野先生にご教授賜りたいです。アドバイスなどでも結構です。よろしくお願いいたします。

(答え)1998.10.14.
お答えします。直腸癌の局所再発に対しては、最初に癌が見つかった時と同じように考えて治療をしますので、できれば手術をします。直腸癌の場合、抗癌剤や放射線療法の効果はあまり期待できませんので、手術することができないと判断する根拠は当然「もうその段階を過ぎている」と判断したためだと思います。「痛みは薬でコントロールするから心配いりません」という言葉は、末期癌の時の痛みに対する麻薬(モルヒネ)による治療のことを言っていると思います。進行癌で痛みが出れば、普通あと3カ月位の命(つまり末期癌)と考えますが、父上の場合は、放射線療法の副作用のための痛みかもしれません。最初の手術では人工肛門になっていないのでしょうか。もしそうだとすると内視鏡検査で腸に潰瘍ができているかもしれません。放射線潰瘍といって、骨盤にある病気(今回のような場合や子宮癌など)に対して放射線療法を行うとよく起きる副作用(合併症)です。「下痢と腹痛に苦しんでいる」ということですので、潰瘍の手前の放射線腸炎かもしれません。潰瘍ができれば便に血液が混じって出るようになります。よく調べて、治療をしてもらってください。痛みが次第に楽になるようなら、癌による痛みではないかもしれません。父上の本当の容態を知りたいのであれば、やはり主治医によく聴いてみてください。

主治医には、検査の結果と現在の状態を聴いて何が問題かということを知ります。次に、それに対する治療の方法(いくつかあります)と予想される結果を聴きます。治療を受けなかった場 合のことも話しがあると思います。医師の説明で納得がいけば、すすめられた治療を受けてもよいし、納得がいかなければ、断ることです。わからないことは遠慮せずに 、その時によく聴いてみることです。ではまたいつでもメイルをください。

(相談)1998.10.23.
数野先生、親切にもお答えいただきありがとうございます。以前直腸癌の局所再発で質問をしたものです。また、お礼のメールが送れて大変申し訳ありません。数野先生のお答えを読んで、少し気が楽になりました。ただ、一部わからないこと(というよりも私の記述不足によるものなんですが)がありますのでわがままにも再度質問させていただきます。もう少し詳細な状態も記述したいと思います。

父が2年前に受けた手術の際、人工肛門にはなりませんでした。が、手術後主治医の先生に切除した直腸を見せてもらったのですが、その際「残念ながら直腸の腸官の裏側まで癌が行っていました。」と言われました。よく見ると腸の外側部分にも内側と繋がっているらしい黒い組織が見えました。「リンパ等に転移する可能性があるかもしれません。」とその時言われました。また、数野先生のお答えの中に”最初の手術では人工肛門になっていないのでしょうかもしそうだとすると内視鏡検査で腸に潰瘍ができているかもしれません。放射線潰瘍といって、骨盤にある病気(今回のような場合や子宮癌など)に対して放射線療法を行うとよく起きる副作用(合併症)です。「下痢と腹痛に苦しんでいる」ということですので、潰瘍の手前の放射線腸炎かもしれません。潰瘍ができれば便に血液が混じって出るようになります。よく調べて、治療をしてもらってください。痛みが次第に楽になるようなら、癌による痛みではないかもしれません。”とありますが、腹痛はともかく下痢は入院3ヶ月前から、また、トイレに行ってもおしっこが出たり出なかったりと行った症状も今年の1月からあったそうです。病院に行った際、内視鏡検査をすることなく入院が決まり、放射線療法と抗ガン剤による治療が告げられました。(触手による検査のみだったそうです。)去年9月に内視鏡検査をして以来、1度も内視鏡検査を行っていないんです。それなのにどうして放射線療法、抗ガン剤をする事まで決定できるのかその根拠が知りたいのです。(決して主治医の先生を非難している訳ではないです。むしろ親身になって治療してくれていると感謝さえしています。ただ、説明の段階ではっきりと言ってくれない事にちょっとだけ不満を感じているのは確かですが。)とここまで書いて話を整理します。

1,直腸の検査に父親が行った際、内視鏡検査ができなかったので触手による検査、CTスキャンのみで入院そして放射線療法、抗ガン剤による治療また、手術はしないという判断は”手遅れだ”との結論から導きだしたものではないか?

2,数野先生がお答えになった”腸の潰瘍”による副作用についてなんですが、腹痛が副作用だとしても入院3ヶ月も前から下痢だった事は副作用とはかたづけられないのではないか?

3,現在おしりの付け根、そして足特にくるぶし上当たりの骨、性器の両側に位置する骨当たりが痛いと訴えていますが骨盤の転移と関係があるのではないか?などです。

来週には内視鏡検査があるそうです。検査後は一時退院しても良いと先生は言っていますが本人にはその気力がないらしく、来月一杯は病院にいたいと言ってます。ながながと書いてしまいました。いつでもメール下さいとのお言葉に甘えてまた質問してしまうことをお許し下さい。また、お忙しい中親切丁寧に教えて下さる数野先生には感謝でいっぱいです。申し訳ありませんが再度のお答えよろしくお願い致します。

(答え)1998.10.27.
メイルを見落としていて遅くなりました。わかる範囲でお答えします。

1、直腸指診とCTだけで、放射線療法と抗癌剤による治療を選択したのは、おそらく「局所再発」だけではなくて「リンパ節転移」もあったのではないでしょうか。手術はしないという判断は”手遅れだ”との結論から導きだしたものでしょう。
2、入院3ヶ月も前から下痢だったとのことですので、「放射線治療の副作用による腸の潰瘍」のための下痢であるはずがありません(前回のメイルの内容を誤解されているようです)。再発による症状でしょう。
3、転移があるのなら、痛みは転移と関係があると思われます。
以上は、あなたのメイルからわかる範囲でお答えしたものですので、いずれも主治医に聴いてたしかめてみてください。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)1998.10.27.
メールを下さいましてありがとうございます。数野先生のお答えを何度も読み、覚悟ができました。明日にでも、病院に見舞いに行った際、主治医の先生に痛みを止めてもらうべく相談したいと思います。現在はかなり痛みがあり夜も眠れない様子なので痛みを止めてもらうように話をするつもりです。

数野先生のホームページはくまなく読ませていただきました。お医者さんは、一般人にとっては敷居が高く簡単にご相談という訳にもいかないと思っておりましたが、数野先生のように医者というとても多忙な中をインターネットを通じて病人もしくはその家族向けに情報を発信している事は大変すばらしい事だと思いました。インターネットというメディアを最大限に活用していると思います。本当に欲しい情報がどれだけ手に入れられるかがメディアの要だと思うからです。雑誌や専門書なども買いあさり自分なりに色々と癌について調べたつもりですが、どれも一般的な記述で、自分の父に当てはまるか甚だ疑問に感じておりました。双方向のインタラクティブ通信を可能とするインターネットがまさにその問題をクリアしたわけです。数野先生のようにメールを通じてさえ、相談もしくは質問に答えるようなすばらしいページは数少ないと思います。また、数野先生のページに頼りを寄せるさまざまな病気を抱えた人達(家族)の状態や心理なども同時に読めることができ、辛いのは自分だけではないなと励みにもなります。癌という病気また健康という事に対して改めて考えさせられます。仕事と平行してページを更新なさるのはとても大変なこととは思いますが、どうかこれからも続けていって下さい。あらためてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

(返信)1998.10.28.
メイルを頂きありがとうございました。またホームページを読んで頂き誠にありがとうございました。まだまだ思うようなものができません。更新のたびに少しづつ改良しています。ホームページの目的の一つは、自分史の作成です。私もすでに50歳をすぎて、これからは人生のロスタイムを生きるという考えから、このホームページを遺書にしようと思っています。またいつでもメイルをください。

(返礼)1998.10.29.
数野先生、たびたびメールをください本当にありがとうございます。今日、病院に行きましたところ、父がかなり容態が良かったのでどうしたのか訪ねたところ薬を飲んでから痛みが無くなったとのことです。看護婦さんがあまりにも痛がっている父の姿を見て主治医の先生に相談したらしく、薬をもらうことができたそうです。(父親には下痢止めと言って飲ませているようです。)たぶんモルヒネだと思いますが、それでも仕事の話をするなどかなり気力も出てきていつも通りの会話ができるようになりほっとしています。色々相談に乗っていただいて本当にありがとうございました。

話は変わりますが、昨日数野先生のホームページの感想など少々書きましたが、今日はまとめて書きたいと思います。先生が考えていらっしゃるホームページの作成目的の一つに自分史があるとおっしゃっていますが、これは大変すばらしいことだと思います。人が残す事なんて本当に僅かなことなんですがまた、大きな影響を与えることも同時にあるわけです。現在の医療問題や医療のあり方、末期の患者に対する医者としての向き方など、”医者としての生の声”が伝わってきて大変感慨深いです。私も持論として医療さらに福祉というものに対して日本は軽く見ていないかと思っていました。祖母が今年5月に亡くなったのですが、亡くなった先は老人福祉施設でした(極度の痴呆症のために仕方なくですが)。3年ほど祖母の痴呆症とつきあって感じた事はどんなに物が豊かになっても、人間として最後に向き合う死、そして死に方を軽んじては決して豊かに将来を見つめて生活できないと言う事です。数野先生のように医者としての立場だけでなく一人の人間としての考えをインターネットというメディアで発表することが、今後医療、福祉等を本気で考える意味で大きな役割を果たすように思います。数野先生のホームページに出てくる言葉で”心”という文字が目立ちます。技術的な医療や、優れた設備、近代治療方法の前にこの”心”があるのだという毅然とした態度をとっていらっしゃることがひしひしと伝わってきます。数野先生の”心に残る言葉”を拝見しました。

私が今でも心に残っていることは元イギリス首相のサッチャーさんの言葉です。
”愛とは与えること、与え続けてそして決して見返りを期待しないこと”

また、父親の言葉に
”自分に勝ち、仕事に勝ち、人生に勝つ”
”利益のみを追求して仕事するな!社会貢献無くして出世無し”です。また、子供の頃から何かして怒られると必ず読まされた文章があります。(額縁入れて飾ってあって事あるごとに読まされました。)

日常五心
一,有り難うという感謝の心
一,済みませんと言う反省の心
一,お陰様でと言う謙虚な心
一,私がしますと云う奉仕の心
一、ハイという素直な心

拝金主義に走った戦後からの経済復興の最中にいた父親が絶えず心に留めていた言葉です。こんな父を私は尊敬しています。数野先生のページを拝見した本当に素直な感想は心というものに重きを置いている事でした。医者である前に人間だし、技術よりも先に心であるという考え方をしている方だと思いました。一度もお会いになったいない人をこうも簡単に思いこんでしまうのはどうかと思いでしょうが、これからも良きアドバイスまた、メール友達として色々考えなどを交換できたらいいなと思っております。大変に触発されましたし、医療機関に対する考え方も多角的に見られるようになりました。医療がますます近代化し、一般人と医師との距離がどんどん遠ざかる中、一番重要な事は情報開示であると思います。数野先生のご活躍これからも陰ながら応援したいと思います。長々と書いてしまいましたが、これからもよろしくお願いいたします。

(返信)1998.10.30.
メイルありがとうございました。すばらしい父上ですね。参考にさせて頂きます。

”自分に勝ち、仕事に勝ち、人生に勝つ”
”利益のみを追求して仕事するな!社会貢献無くして出世無し”

日常五心
一,有り難うという感謝の心
一,済みませんと言う反省の心
一,お陰様でと言う謙虚な心
一,私がしますと云う奉仕の心
一、ハイという素直な心

残された期間は、緩和ケア(苦痛を取る治療)が中心になると思います。そばにいて、話しを聴いてあげることが大切です。少しでも楽しい想い出を作ってあげてください。互いに「ありがとう」と言える最期にしてあげてください。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)1998.10.31.
数野先生、暖かいお言葉有り難うございます。昨日は父親が、一時外泊して来ましたのでメールの返事を出すことができませんでした。済みません。まさか、病気に関する内容を見せるわけにもいきませんので。父親が1日とはいえ帰ってきましたので久しぶりに親子5人そして父の友人数名を招待し、団らんの時を過ごしました。本当に久しぶりで楽しかったです。ただ、ちょっとだけ気にかかることがあります。食べ物なんですが、主にジャガイモしか食べないんです。昔からジャガイモは好きだったのですが、ここの所ジャガイモの料理のみしか口にしていないんです。栄養が偏らないようにしたいとは思っているのですが、逆に好きな物を食べさせたいと言う気持ちもあり心境は複雑です。また、自分の死期を悟ったかの様な発言を時々するのも気になります。多分、自分の体なので調子が悪いから薄々感じているとは思うのですが、周りに心配掛けない様に気遣っているのがわかりよけい辛いです。ただ病院でも父親のキャラクターは健在で今日、病院に送りにいったのですが、うちの父親を看護婦さんや掃除の人達が見るやいなや明るく「もう帰って来ちゃったの?」と声を掛けて父を出迎えてくれました。父の担当の看護婦さんが今日誕生日だったのであらかじめ電話でケーキ屋さんに予約し、誕生プレゼントと称して病院に届けさせたらしいのです。病人のくせにそんな事までしなくても・・・と思ったりしますが、いつもそのスタイルで来ていたので家族共々”あの人らしい”といって納得しています。病院代以上にお金がかかり四苦八苦していたりしますが、最期まで父親らしさを貫かせたいとの思いもあり好きにさせてあげようと思います。病院で共に頑張っている患者さんも父親が来るなりみんな明るくなって「やっぱり○○さんがいないとつまんないよ!」などと言っています。同じ様な病状を抱えている患者同士は健康な人にはわからない”同志”の様な絆があるようにも思います。今日は調子が悪いと言ったのですぐに病院には帰りましたが、暖かく迎えてくれる先生、看護婦さん、周りの掃除の人達そして患者さんがいてくれたおかげで安心して家に帰ることができました。父曰く”やっぱりここ(病院)がいいなーいつ倒れても心配ないし”本当に調子が悪かったのでしょうね。でも良い思い出が一つできました。世間で言う”病院で死にたくない”という一つの観念がありますが、患者のケアの仕方次第で良い時間を過ごすこともまた可能なのだと言う事を今日、病院の帰り道でふと思いました。数野先生の言う”心のケア”というものが一番重要なのだと本当に思いました。痛みを取るのみでなく、ちょっとした気遣いで心の痛みまで和らげることができるのだと改めて考えた次第です。数野先生のメールは家族と何度も読ませてもらいました。すごくうれしいです。今はぴーんと気が張っていますが、時には崩れそうになることもあります。そういった時にも励みにもなります。暖かさを本当に有り難うございます。感謝でいっぱいです。父親が本当に有り難うと思えるように頑張ります。また、メールを送るかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

(返信)1998.11.1.
メイルありがとうございました。父上が入院している病院は、素晴らしい病院ですね。遠藤周作さんが言っていた「心あたたかな病院」の雰囲気が、あなたのメイルから伝わってきます。ご本人も安心しておられるようですので、きっと楽しい日々を過ごすことができるでしょう。みなさんで支えてあげてください。ではまたいつでもメイルをください。お大事に。

(相談)1998.11.5.
いつも暖かいメールをいだたき大変感謝しております。11月4日に父親の腸の内視鏡とCTスキャンの検査結果が出ました。また、主治医の先生からの詳しい話もありました。(本人抜きで1回、本人を交えて別の話を1回です。)主治医の先生によると放射線療法による効果は予想以上にあり、3ヶ月程度は普通の生活も可能だという事です。但し、3ヶ月に1回、抗ガン剤を1週間ほど投与すると言う事を言われました。さらに、これからが辛い話なのですが、リンパ節に転移している可能性がかなり高くどこから芽が出てくるかはわからないが、
1,門脈(漢字が正しいかわかりませんが)が犯される可能性が高く、人工膀胱のための手術をする可能性あり、
2,S結腸から先(だと記憶しています)の腸管が細くなっており、いずれ腸閉塞を起こすことが予想され人工肛門の手術を受ける可能性が大。
3,骨盤全体に転移(骨転移と言われたと思います。)する可能性もあり、その場合下半身麻痺になる可能性あり。
4,肝臓に転移する可能性も十分あり、この場合は対処の施しはほとんどないので緩和ケアに切り替える、等です。
また、主治医の先生が、「私も医者である前に人間なので、家族の方の前でこんな事を言うのもなんですが、最初に肝臓に転移してくれる事を望みます。」とおっしゃっていました。リンパ節転移の場合何処から転移するかわからないが、経験から肝臓への転移は一番遅くなるだろうとの事です。主治医の先生が言うには、人工肛門、そして人工膀胱(尿を出す官)下半身麻痺など苦痛を伴う手術を根治治療のためでなく一時しのぎのための手術をする事は人間として忍びないとの事でした。生存できる期間は3ヶ月から2年ともおっしゃっていましたし、長く生きられる事が患者にとって必ずしもベストな事とは言えないともおっしゃっていました。というのも父親が今回入院する際、「絶対に人工肛門は嫌だ。するなら死を選ぶ」と言っていたこともあるからです。まして、人工の尿管、下半身麻痺まで起これば人間としての尊厳を保てるかどうか心配です。父親は糖尿病もわずらわっており、手術する際も血糖値など色々制限があります。にもかかわらずこれだけの手術をしなければならないかと思うと悲しくなります。主治医の先生曰く「他の臓器(食道、肺、胃、肝臓など)に転移をしている方はすぐに食事ができなくなるので、体力的に衰えが早く、こういった手術をする前に亡くなる可能性が高いのですが、皮肉なことに直腸、大腸癌の場合、最期まで食事が取れるため比較的体力もあり、手術する事になる可能性が高くなる。」また、数野先生にこの主治医の先生の事を説明が足りないなどと言ったりしてしまいましたが、主治医の先生もこの説明をどう家族に伝えようかかなり悩んだと言っていました。真剣に父親の事自分たち家族の事を心配してくれていた訳です。乱文につきわかりにくい点もありますでしょうが、だいたいこんな感じの話でした。

病院から帰り、しばらく混乱していましたが今は大分落ち着きました。一番辛いのは本人です。ですからできるだけ献身的な看護をしようと思います。私は長男なので家族の前でも一番どっしりと構えなければなりません。でもどういう形であれ父親が最期を迎えるまで正面切って共に頑張っていこうと思います。何で父親がそんな事に・・・との思いはあります。でも、数野先生のページを見れば他に頑張っている方辛い思いをされている方がたくさんいます。自分も負けないで頑張りたいと思います。患者と周りの家族のつらさなど共感する点がたくさんあります。まさに数野先生のページはオアシスです。負けそうな時、見に来ます。いろいろと助言など頂き本当に有り難う御座いました。

(答え)1998.11.5.
メイルありがとうございました。あなたのメイルから私が感じることは、本人も家族も主治医も「癌」「死」「いのち」ということに対して、後ろ向きの姿勢であるということです。命あるかぎり、生かされているという喜びを感じることができるようにしてあげてください。まず、最初の手術のときのことを思い出してください。直腸癌である以上、だれでも人工肛門の可能性について考え、また主治医からも話しがあったと思います。癌を治すことを考えれば当然人工肛門にするべきところを、患者さんがいやがるので人工肛門にしなかったということはよくあります。手術はやり直しがききませんので、最初の手術で運命が決まってしまいます。局所再発ということは、手術のときに癌が残っていたということです。外科医の座右の銘として「鬼手仏心」という言葉がありますが、私の想像があたっているとすれば、主治医は「仏心」のために「鬼手」になれなかったのかも知れません。「治すために、人工肛門になる」ということと、「治る見込みはないが、便を出すために人工肛門を作る」ということは、確かに天と地ほど違います。しかし、それでも生きていることができるということが喜べるような気持になれるようにしてあげて欲しいと思います。家族や主治医が前向きになれば、本人の気持も変わってくると思います。たとえ人工肛門になっても、たとえ下半身麻痺になっても、できることや考えることは沢山あります。生きる希望は、癌が治る希望だけではありません。人間は生まれた以上、死なない人はいません。すべての人にとって「今」という時間しかないのです。「今」をどう生きるかということが、生きているということです。その時その時の状態で、色々な希望を持つことができ、どんな小さな希望でもかなえてあげれば、それが生きがいとなります。人間は、いつか必ず死にます。もしかすると私やあなたの方が父上より早く死ぬかも知れません。楽しい想い出を少しでも作ってあげてください。あなたの質問に分かる範囲で答えます。

1、「人工膀胱のための手術」?は膀胱が癌で侵されて、尿が出なくなったときに行われますが、普通は手術をしないで、カテーテルを挿入して尿を体外に出すようにします。それは泌尿器科の医師の仕事です。
2、腸閉塞を起こした場合には、やはり人工肛門の手術を受けますが、手術自体はごく簡単なものです。
3、下半身麻痺になるのは、脊椎(背骨)に転移して、脊髄が侵された場合です。
4、大腸癌(直腸癌も含めて)は、肝臓に転移する可能性が一番高い癌です。肝臓だけの転移であれば色々と治療方法がありますが、父上の場合は「対処の施しようがない」ということは「すでに他に癌があるので、肝臓に転移しても治療しない」という意味だと思います。「緩和ケア」は癌の治療では常に必要な治療です。「緩和ケア」の心が無くては、癌の治療はできません。

これから起きるかも知れないことについて心配するより、今を、一日一日を大切に生きるようにしてもらってください。癌は何が起きるか分かりません。明日、悪くなるかも知れませんし、明日、元気になるかもしれません。起きたことについては、主治医が対処してくれますので、安心してまかせておけば良いと思います。もう少し、前向きの生き方をするようにしてください。何事もプラス思考で生きることです。コップに残った水を見て、「もうこれだけしかない」ではなくて、「まだ、これだけ残っている」と考え、そして「がんばれば、必ずできる」という信念で努力するところに、生きている意味があるのではないでしょうか。みんないずれは死ぬのです。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)1998.11.6.
数野先生、本当に心のこもった激励のメールありがとう御座います。まったく数野先生のおっしゃるとおりです。自分に降りかかった不幸をすべて背負っているかのごとく悲劇のヒーロー的な所に身を置いて浸っている様でした。冷静になった今思うとなんて恥ずかしいメールを書いたのだと思っています。昨日の今日なのでそう簡単に割り切れることでは無いんですが、それでも決意というか一緒に頑張るぞという気持ちが出てきました。父親がこれから待ち受けている病状や精神状態を考えてばかりいて、勝手に父親が辛い思いをするだろうと嘆き悲しんでいるだけでした。父親は辛い時代をずっと頑張ってきました。必ずしも幸福とは言えない家庭環境での幼少時代を過ごした父はきっとこれから待ち受けているであろう辛い状態もきっと乗り切れると今は信じています。また、自分も一緒に色々なことをしたり考えたりしたいと思います。数野先生がおっしゃるように”生きていることのすばらしさ”を忘れていました。普通に生きられるのが当たり前のおごった考え方でした。父親は小学校6年生の頃、再婚した母(私の祖母)の旦那にかなりの暴力を受け、家出同然で東京に出てきて、いわゆる丁稚奉公をする事になりその後もかなり苦労しました。兄弟から色々な相談を受けすべて金銭的援助や人的援助をし、また友人の世話焼きや保証人になり、すべてかぶっても愚痴一つ言わずに今まで頑張ってきました。本当に自分のためでなく人のために頑張った人でした。そういう父親を見て育った私としては老後を豊かに過ごさせたいという気持ちが強かったのです。ですから、父親がこんな状態になってしまった事を”何であんなに人のために尽くした人がこんな目に”という思いがあったのです。でも、父は強い人です。どんな困難も正面から立ち向かってきました。弱音を吐いた事など一度もありません。父親のこういった強いバイタリティーは健康から来る物とばかり思っていましたが、それ以上に強い精神力にあったのだと今は思います。残された時間を精一杯悔いのない様にする事が一番大事だと思います。私を初め家族も強い父に甘えていたのだと本当に反省しています。逆に甘えられるように強くなろうと思います。数野先生のご説明を受け、気が楽になった面もあります。悲観的にばかりとらえた手術というのも私が想像しているものほど大変なことではないという事なので少しほっとしました。受け取り方によって悲観的にも希望的にもなるわけですね。

今日、病院にいる父から外泊したいから迎えに来てと電話で言われました。私は風邪を引いてしまって熱が38度以上もあるため、風邪を移してはいけないと思い、今日は無理だから明日行くと答えました。電話越しから伝わってくる父の声は少し子供っぽく甘えている様でもありました。これからできる限りのことをまた良い思い出を作って悔いの無いようにしたいと思います。数野先生、本当に有り難う御座いました。この叱咤激励のメールがどれほど支えになるかわかりません。見ず知らずのインターネットを通じてでのやりとりに過ぎない私にこれほどまで真剣に思って下さる数野先生に感謝してやみません。この文章を書いていて涙が止まりません。でも、悲しい涙じゃありません。うれし涙です。数野先生に今一度誓います。絶対にもう悲観的になりません。最期まで父親と一緒に辛さも明るくやっていこうと思います。今まで受けた父親の愛情を今度は子供として精一杯の愛情を持って接しようと思います。数野先生には感謝しても感謝しきれない位です。本当に有り難う御座いました。

(返信)1998.11.6.
メイルありがとうございました。私たちは、来年の1月31日に福山で、上智大学のアルフォンス・デーケン教授の講演会を開きます。演題は「人生の危機への挑戦」というものです。人生には色々な危機が訪れます。父上はそれらを乗り越えて来られた人です。私たちはこれから挑戦しなければいけません。父上にとっては最期のハードルになると思いますが、うまく乗り越えられるように皆さんで援助してあげてください。その中から沢山のことを学ぶことができると思います。ではまたいつでもメイルをください。

(経過)1998.11.10.
数野先生、メールありがとう御座います。また、遅くなり申し訳御座いません。3日前に父が外泊してきたので送ることができませんでした。自分達が色々心配していた事は父の言葉で吹き飛ばされました。病院から家に帰る途中の車の中での会話なんですが、
「俺は今回の病院生活で色々なことを考えた。目の前で癌で亡くなる人や、末期癌にも関わらず仕事をする人、整形外科で入院している人の中に20数年間の間の半分以上も病院にお世話になっている人がいたりして、それでもみんな精一杯頑張っている。本当に生きているんだ。健康な人達でちょっとした辛さや経済的な不安を抱えている人などたくさんいるだろうが、死や治療の辛さを思えばなんて事無い。だからこれから、俺は後どれくらい生きられるのかわからないが、5年だらだら過ごすより、1年、半年だらだらするより充実した1日を過ごすことを目標とする。最期の最期まで精一杯頑張る。だから仕事をさせてくれ。今までお世話になった人達に感謝すると共に死ぬまでに返しておきたいんだ。」
この言葉に返す言葉が見つかりませんでしたが、同時にすごく感動しました。本当に恥ずかしいです。後ろ向きな考えばかりしていた自分とは対照的なんですから。本人は「自分の体だから一番わかる。どれくらいか等とは聞かない。今日一杯かもしれないし、来月も大丈夫かもしれない。それより重要なことは精一杯一日を有意義に過ごすことだ。」こんな事を家に帰ってきてからしきりに言っていました。もちろん今後起こるかもしれない事については一切言いませんでしたが。それにしても病気がまた、新たな人生観を生むとは思ってもいませんでした。がむしゃらに走り続けた父。私たち家族としては残りの日々をゆっくり過ごさせて上げたいと願っていました。でも本人の希望により仕事をすることに決めました。最後に本当に思います。幸せって?健康って?人生って?結局生きる人の考え方、姿勢なんですね。癌という人にとって恐れられる病気も本人の気持ち次第で全然違った捉え方ができるという事ですね。数野先生がおっしゃりたかった気持ちがようやくわかるようになりました。今は全力で一日一日を大切にそしてこの辛さや感動などを刻んでいこうと思います。数野先生の誠意あるメールに大変感動しております。機会があれば「びんご・生と死を考える会」等の講演も参加したいと思います。今日はこの辺で失礼いたします。

(返信)1998.11.10.
メイルありがとうございました。すばらしい父上ですね。私も感動しました。まだまだ沢山のことを父上から学ばせてもらえることと思います。この貴重な経験は、あなたの今後の人生に大変役立つことと思います。それだけでなく、多くの人々の役に立つようにしてあげてください。
「俺は今回の病院生活で色々なことを考えた。目の前で癌で亡くなる人や、末期癌にも関わらず仕事をする人、整形外科で入院している人の中に20数年間の間の半分以上も病院にお世話になっている人がいたりして、それでもみんな精一杯頑張っている。本当に生きているんだ。健康な人達でちょっとした辛さや経済的な不安を抱えている人などたくさんいるだろうが、死や治療の辛さを思えばなんて事無い。だからこれから、俺は後どれくらい生きられるのかわからないが、5年だらだら過ごすより、1年、半年だらだらするより充実した1日を過ごすことを目標とする。最期の最期まで精一杯頑張る。だから仕事をさせてくれ。今までお世話になった人達に感謝すると共に死ぬまでに返しておきたいんだ。」
「自分の体だから一番わかる。どれくらいか等とは聞かない。今日一杯かもしれないし、来月も大丈夫かもしれない。それより重要なことは精一杯一日を有意義に過ごすことだ。」
『最後に本当に思います。幸せって?健康って?人生って?結局生きる人の考え方、姿勢なんですね。癌という人にとって恐れられる病気も本人の気持ち次第で全然違った捉え方ができるという事ですね。』

その通りです。少しでも多くのことを父上から学んで、私たちにも教えてください。ではまたいつでもメイルをください。

(経過)1999.1.1
数野先生、明けましておめでとうございます。昨年は大変貴重なアドバイスなど承り、色々とお世話になりました。色々と質問させていただいた○○です。数野先生のページを見まして、改めて振り返るといかに混乱していたかがわかります。それよりもページに公開してくれたことを大変感謝もしております。 メールの質問の過程をページ上に載せてあったのを読みながらまた涙があふれてしまいましたが・・・同じような状況にある方があの内容を見て少しでも励ましになればとも思いました。(自分もそうでしたから)

現在父は家で療養中です。ただ、ここの所食べられる物が極端に少なくなってしまいました。肉類や魚介類、ごはんも全く食べなくなりました。食べられる物はジャガイモとお菓子類、それにアイスクリームと牛乳だけです。本人曰く、他の物は薬臭くて食べられないそうです。また抗ガン剤や放射線の副作用と言っています。そう言い聞かせているのかもしれません。それでも色々と仕事への復帰など意欲的に何かしようと試みているのであくまで補助的な手伝いをしながら見守っています。腰と肛門が痛いと言ってもいますが、余り大げさに受け止めず「動きすぎだよ」と言ってごまかしています。食事を余りとっていないため体重も減り体力も衰えているはずなのに仕事で使っていた倉庫を麻雀部屋に改造するなど、色々頑張っているのでそのせいだと言っています。麻雀部屋も元社員の憩い場所にと作っているのです。自分のせいで会社を休業にしてしまったお詫びにと思ってやったことなんです。自分の体の事も考えずよくそこまで人のことを考えられるなと思いましたが逆にすごいと思いました。自分が同じ立場になったらと思うと、とてもまねの出来ることではありません。以上が現在の状態です。

数野先生がおっしゃっていたように1日1日充実した日々を過ごすことが大切だと本当に思いました。麻雀部屋ですが、私も仕事が終わった後手伝っています。ゆっくりゆっくり作っていますが、楽しい時を過ごしています。一瞬一瞬を噛みしめながら・・・今年一年は大変な時期を迎えることになるかもしれませんが、頑張りたいと思います。数野先生またメールいたします。一応新年の挨拶と近況報告という事で。それでは。

(返事)1999.1.1
明けましておめでとうございます。メイルありがとうございました。

私たちは今年、2月24日に福山でマルセ太郎の公演をします。ご存じかも知れませんが、マルセ太郎は肝臓癌の治療を受けていますが、また再発しています。余命も1年位かも知れません。福山でのスクリーンのない映画館は、マルセ太郎にお願いして、黒澤明監督の「生きる」を演じてもらいます。退職した市役所の職員が胃癌の宣告を受け、何か世の中の役に立つことをしたいと考え、町内に小さな公演を作る話です。完成した公演のブランコに乗って「命みじかし恋せよおとめ・・・」と歌いながら息たえるという映画です。きっと私たちに大きな感動を与えてくれるものと思います。

あなたのメイルを読んで、父上もマルセも映画の主人公も同じだと思いました。人のために自分のできることを精一杯やり遂げたときの満足感は素晴らしいものだろうと思います。麻雀部屋ができて、皆が喜んで楽しくマーッジャンをする姿が、父上にとっては何よりの生きがいとなるでしょう。そしてきっとまた次の目標を見つけられることでしょう。近くでマルセ太郎の公演があれば、是非見に行ってください。私のホームページからリンクしていますので、予定が分かります。

私も今年は忙しくなります。「人間は死ぬときに思いだす沢山の想い出を作るために生きている」と言った人がいます。私も少しでも沢山の想い出を作ろうと思います。ではまたいつでもメイルをください。

(返礼)1999.1.1
数野先生、素早いメール返信有り難うございます。マルセ太郎さんすごいですね。感動しました。また”がんなんかじゃ死なないよ。人間は病気で死ぬんじゃないんだ。寿命で死ぬんだ!”という言葉が大変印象的でした。人は死に直面するかもしれない病気と対峙して初めて本来の人柄が出るのではないかとふと考えました。健康である間は健康でいることの感謝も忘れ、ともすれば人の痛みを感じ取ることに鈍感になっているようにも思いました。私の父親も元来の人柄に加えてある種悟りとも言える胸中にあるのか他人の考えや気持ちが手に取るように分かると言っています。自分への利益や見返りなどを全く取り除くと本当の事が見えてくるとも言っています。マルセ太郎さんが肝臓癌であるにもかかわらずそれさえも芸のネタにしてしまうすごさは一言では言い表せません。マルセ太郎さんの”魂”が伝わってきます。みんな頑張っているのだと自分にも勇気が湧いてきます。1月3日に元社員を集めて麻雀大会を開きます。久しぶりに顔を揃えられる事で父親も浮き浮きしています。家族的な麻雀なので誰が勝ったか負けたかなどはともかく楽しい時が過ごせそうです。数野先生、お忙しそうなのでメールは負担の掛からない程度にします。また、マルセ太郎さんの講演、是非見に行きたいです。それでは。

(返事)1999.1.1
メイルありがとういございます。さっそくマルセ太郎のページを見ていただいてありがとうございます。私も、全国マルセ太郎中毒患者会の患者の一人です。ちょっと重症になって、私との約束で福山での公演が実現しました。これが最後にならないようにと祈っています。ではお元気で。父上にもよろしくお伝えください。

(相談)1999.3.14
数野先生、ご無沙汰しております。以前色々アドバイスを頂いた○○です。この間主治医から父親の状態についての説明がありました。以前主治医を勤めていた先生は他の病院に移りましたので今回主治医になった先生に引き継いで最初の説明となりました。結論から言いますと、末期だそうです。肺と腎臓に転移が見られ、全身に廻っていていつ病状が変わってもおかしくない状態だそうです。また、白血球が1300(単位はわかりませんが)、で血小板も通常の1/3まで減少していて風邪などを移さないようにすることと、けがをして血を出さないようにするなどのアドバイスをもらいました。また、今が退院する最期のチャンスだとも言われました。現在、退院のタイミングを見ている状態です。私を含め家族共々、最期の最期まで1日1日大事にしていこうと決心しています。どれだけの期間退院してゆったりとした生活が過ごせるかわかりませんが、時間よりも瞬間瞬間だと思います。こんな風に思えるようになったのもひとえに数野先生のおかげだと思っています。本当に感謝しています。

ところで、親戚と話をしていてふと思った事がありますのでちょっと先生に聞きたいと思いました。私の父は双子でした。その双子の弟も6年前に多臓器不全で亡くなりました。(糖尿病であるにもかかわらず酒を飲み続けたためです。)その双子の弟の方も亡くなる3ヶ月前に食道に癌が見つかり早期発見と言う事で手術をしました。結果的に癌が原因で亡くった訳ではないのですがここで一つ疑問というか関連があるのではというのが浮かんできました。双子と言う事は同じ遺伝子を持っていると言う事。よく言われている癌や他の病気の要因は遺伝子の中に情報として入っている。食道も、直腸も同じ消化器系であると言う事。つまり、6年前父の弟に食道癌が見つかった時には私の父親の直腸にも癌の元になるものがあったのではないかと言う事。癌が成長するのに結構な年月があると言う事。だとすれば6年前に検査を受けていれば早期で助かったのでは無いかと言う事になります。今更こんな事言っても何にもならないのですが、素朴な疑問でもあり、先生のようにプロの医師の率直なご意見も受けたいと思いました。お忙しい中、煩わしいことかと思いますでしょうが、よろしくお願いいたします。

(答え)1999.3.15
お答えします。入院されていたのですね。残念ながら「末期」とのこと、1日1日を大事にしてもらってください。

さて、癌の原因は細胞の遺伝子に異常が生じるためであることがわかっています。また、その遺伝子の異常を起こす原因が、タバコ(喫煙)と食べ物(食生活)と環境因子(空気や水など)であることもわかっています。しかし、癌は遺伝性の病気ではありません。遺伝というのは、親が癌になれば子も癌になるということです。双子の場合も同じだと思います。親子や双子は遺伝子が同じであっても、それだけでは癌にはなりません。前述のような原因によって遺伝子に異常が起きて癌になります。現在、一番良く知られているのは、p53という癌の発生を抑制する遺伝子が欠けると癌になりやすいということで、岡山大学で行われている肺癌の遺伝子治療はこのp53という遺伝子を注入するというものです。

マルセ太郎さんの「スクリーンのない映画館」を見ましたか。福山での公演はすばらしいものでした。自分自信の肝臓癌との闘病の経験から始まり、時間とは、幸福とはという話しのあと、「生きる」を2時間ぶっ通しで熱演しました。マルセさんは自分の経験からも、この映画のように癌になったからといって生き方を変えられるものではなく、今までその人が生きて来たように「今」を精一杯生きるしかないと話しました。そして、幸福とは、自分だけが幸福だと思うようなものではなく、自然と周囲のみんなが幸せな気持ちになれなければ幸福とは言えないと、三木清の「人生論ノート」を引用して私たちに教えてくれました。私は4日間、仕事を終えてからの時間をすべてマルセさんと行動を共にして、沢山のことを学びました。彼もすでに末期癌状態のようです。ではまたいつでもメイルをください。

(経過)1999.5.21
数野先生 ごぶさたしております。何度も父親の直腸癌でご相談しました○○です。父親のその後の経過ですが、現在痛み止め(錠剤)40ミリグラムを8時間置きに飲んでいる状態です。食べ物もほとんど口にしなくなり、点滴をしている状態です。どんどん悪化しているのが素人目にもはっきりわかる状態になりました。が、本人もそれを察知してか先週、無理して家に外泊してきました。3年前にさかのぼりますが、父親が初めて直腸癌の手術をした時、糖尿も抱えていたため4ヶ月を越える入院をしましてその時弟が所有していた車を支払いに回すために売り払いました。(その弟は命の次に大事にしていたものでした。)それをずっと自分のせいだと思っていたらしく、何を思ったのか、外泊の際突然車を買うと言いだしたのです。自分の死期を覚悟しての言葉だと思います。現在生活するのがやっとで、逆に父親の保険金を担保に親戚からもお金を借りている状態です。とても車なんて買える状態ではありません。それでも自分が生きているうちに弟に車を買い与えて置きたいという親心でしょうか、外泊してすぐに車の車種選び(主に弟が優先して決めました。)購入交渉までして車を購入することになりました。それが決まるまでは、病人とは思えないくらいはつらつとしていましたが、決まった途端に元気がなくなりました。それでも、もうこの家には帰れないと思ったのでしょうか、近所の庭まで草むしりやら水撒きをして、家の中などは各部屋を見渡していました。今日も病院に見舞いに行くと熱を出していましてふらふらとしていましたが、それでも周りの人の気配りをして隣の人に見舞いに来た人にジュースやお菓子を配っていました。体中やせこけて、お腹だけ出ている状態(担当医師の話では腹水が溜まっているせいだとか)で辛くてそれどころではないのに気配りだけは欠かさないです。父親が病気になって色々とありましたが、それでも父親の大きさを改めて再確認した次第です。私が同じ状態だったら果たしてそれほどまで周りの事を気にすることが出来るだろうかと。父親が癌という病気に掛からなければこれほどまで家族が結束することはなかっただろうと今は思います。くよくよ悩んでいた頃から比べて今は色々思い巡らすことが多いです。人生何年生きるかよりもどう生きるかだと。最後の最後まで私の父親は自分の信念を貫いて人生を全うすることでしょう。そんな父親の姿を見られた私はもしかしたら幸せ者かもしれません。そんな風にも考えられるようになりました。数野先生には色々とご相談、愚痴を含めてご迷惑をおかけしたと思いますが、本当にお陰様でこのように前向きに考えられるようになりました。父親は私たちが席を外したとき母親に言うそうです。「俺はおまえと結婚して本当に良かった。生まれ変わっても俺はおまえと結婚したい。」本当に泣ける話です。後どのくらい父親が生きられるのかわかりませんが、最後の最後まで家族で支えてあげたいと思います。本当に色々とお世話になりました。長文、乱文ご容赦下さい。これからもよろしくお願いいたします。

(返信)1999.5.22
メイルを頂きありがとうございました。すばらしい父上ですね。残された時間を大切にしてあげてあげてください。ではまたいつでもメイルをください。

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