[医療制度を考える(1)]

[医療保険「抜本改革の幻想を捨てよ」] 日本福祉大学教授 二木 立 朝日新聞「私の視点」2002年4月8日
[「値上げ先行」医療制度改革] 朝日新聞編集委員 田辺 功「記者は考える」2002年3月1日
[貧しい医療に決別を] 朝日新聞社説 2000年10月26日
[「医師派遣」強い教授、頭の上がらぬ病院] ふしぎの国の医療(48)2000年9月10日
[「大病院の外来」減らす政策、逆に増加を招く] ふしぎの国の医療(40)2000年7月16日
[「看護職員の数」3対1でもまだ少なすぎる] ふしぎの国の医療(24)2000年3月26日
[世界の常識とは程遠い医療現場] 北摂病院院長 木野昌也先生 1998年8月5日
[安心して病院へ行けるために] 朝日新聞社説 1996年11月24日

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[医療保険「抜本改革の幻想を捨てよ」]
朝日新聞「私の視点」2002年4月8日
日本福祉大学教授(医療経済学) 二木 立(にき りゅう)

小泉内閣は3月、健康保険本人自己負担の3割への引き上げを柱にした健康保険法等改正案を国会に提出した。患者負担増だけでは改革と言えない、という当然の批判に答えるために、法案の付則では、今後、医療保険制度の抜本改革を行うことがうたわれている。そして、マスコミ、日本医師会などの医療団体、経済・労働団体は、異口同音に医療保険の抜本改革の必要性を強調している。しかし、私は、医療保険の抜本改革は不可能・不必要であり、今求められているのは、制度の部分改革と医療者の自己改革だと考えている。なぜなら、わが国の医療制度の二本柱と言える国民皆保険制度と、民間非営利医療機関主体の医療提供制度の根幹は、変える必要がないし、変えられないからである。

こう書くと、「守旧派」「抵抗勢力」との批判を受けるかもしれない。しかし、社会保障制度の中で、もっとも国民生活に密着している医療保険制度を一気に抜本改革するのが不可能なことは、国際的・国内的経験が証明している。まず、国際的にみると、1980年以降、医療保険(保障)制度の抜本改革を一気に実施した先進国は一国もない。抜本改革を試みた国は数力国あるが、すべて失敗している。例えば、イギリスのサッチャー首相(当時)は80年代後半、国営医療を解体して医療に市場メカニズムを導入する抜本改革を検討したが、国民の抵抗が強く断念した。逆にアメリカのクリントン大統領(同)は、93年の就任直後、4千万人を超す無保険者問題を抜本的に解決するために、鳴り物入りで国民皆保険法案を提案したが、国民・議会の強い反対にあい、廃案となってしまった。

わが国医療の第2次大戦後57年間の歴史を振り返っても、抜本改革と言える大改革は1度しか行われていない。それは61年に実現した国民皆保険制度であり、それ以降40年間は、部分改革のみが行われてきた。それどころか、個々の改革も実現までに長年月を要している。例えば、老人医療費無料化から定額負担導入までに10年かかっているし、定率負担導入には、さらに17年を要している。このような国際的・国内的経験を考慮すると、医療保険の抜本改革への幻想を捨て、着実に部分改革を積み重ねるのが合理的かつ現実的と言える。私自身は、以下の三つの部分改革が必要と考えている。

第一は、医療費抑制政策を転換し、公的医療費の総枠を拡大することである。わが国の医療費水準(国内総生産に対する割合。約7%)は主要先進国で最低であり、これをせめてヨーロッパ水準(約9-10%)まで引き上げない限り、どんな制度改革を行っても、医療の質と安全の向上は望めない。ただし、国民の医療を見る目は非常に厳しく、これがすぐに実現する可能性はない。そこで、第二に、公的医療費の総枠拡大についての国民的合意を得るために、医療者の自己改革が不可欠である。具体的には、医療・経営情報公開の制度化と、医師会を中心とした専門職団体の自己規律の強化が必要である。

第三に、現在、医療保険改革の焦点になっている老人医療制度に関しては、新たな制度を創設するより、現在の制度を、国庫負担を拡大する形で微修正するのが合理的であり、その財源としては、たばこ税の引き上げや公共事業費削減が妥当である。この部分改革が実現すれば、現行制度は今後5-10年間は維持可能、と私は判断している。

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[「値上げ先行」医療制度改革]
朝日新聞「記者は考える」2002年3月1日
編集委員 田辺 功

「医療制度改革」が焦点になっている。発端は中小企業勤労者向け政府管掌健康保険の赤字対策だが、ほとんどの国民に負担増を強制する法案になった。大がかりな公共料金値上げを小泉首相が「改革」と言い張るのも、厚生労働省の経営責任が問題にならないのも、不思議だ。

医療保険は、大企業中心の組合健保、政管健保、地域の国民健保に大きく分かれている。どの保険も経営は苦しいが、政管の赤字穴埋めに厚生労働省は、保険料を上げ、本人の自己負担を2割から3割にするという、最も安易な収入増・支出減策を採用した。同省が賢いのは、健保も3割にし、もともと3割の国保と並べて「給付率の統一」という改革に仕立てたことだ。示唆されているように給付率が同じなら、統合・一本化はしやすくなる。しかし健保、国保の内部での統合も、天下り先が減るなどとして進まなかったことを思うと、期待できるかどうか。

保険の経営難にはいくつもの理由があるが、厚生労働省の責任は大きい。高齢化で、医療費の3分のーを占める老人医療費が毎年増えている。国は80年代から国保や政管への補助を減らしたうえ、国保の老人医療費を健保や政管に負担させてきた。医療費などに貴重な国費をつぎ込みたくない、というわけだ。しかも、医療保険制度の元締めは厚生労働省である。社会主義的な統制経済で、公定価格が決められている。健保組合はその通りに医療費を支払うしかない。取材現場では医療費のムダを実感する。高齢者の安易な受診、無意味な延命治療、不要な入院や検査、風邪や手術後の抗生物質など薬の使い過ぎ。こうしたムダも、重なると何兆円にもなる。

厚生労働省が決めている個々の医療行為の公定価格(診療報酬)が低過きることも、過剰診療の一因になっており、医療費を押し上げている。何が赤字を生んでいるのかを調べ、支払いの仕組みを変えないと、3割が4割、5割になる心配もある。公定価格はほとんど質を問わず、質に配慮するときは減点主義だ。最近の救命救急センターの評価のように、基準を上回った病院に加点せず、満たさない病院を減点する。医療の質を上げようと人材を投入しても見返りはない。日本の病院や病床数は多過ぎるので減らす必要がある。しかし今の制度では、いい医療を目指す病院ほど淘汰される恐れがある。

負担増が実現すると、病気がちの人や長期療養者を抱える家庭は深刻になる。さまざまな改革が必要なことは事実だが、これまでのように「値上げ先行、改革取りやめ」に終わった時は、だれがどう責任を取るのだろうか。

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[貧しい医療に決別を](精神医療の問題点)
朝日新聞社説 2000年10月26日

「大臣、狭くてプライバシーも守れない日本のいまの精神病棟で暮らせますか」。民主党の山井和則議員は、見学した四カ所の精神病院の写真を示して尋ねた。「大変なことだ。自分がその立場になった精神的にも打撃を受けるだろうなあと思います」。津島雄二厚相は、こう答えた。二十五日の衆院厚生委員会は、はからずも、日本の精神医療の問題点を政府自身が認める場となった。厚相は、自身の精神病院訪問の経験から、こうも語っている。「患者さんを良い状態で治療して、早く社会復帰させてあげたい。日本は他の先進国に比べ病床数がきわめて多く、しかも長く入院する。医療体制に構造的な問題があると感じております」

日本で入院期間が異常に長いのは、手薄な人手と密接な関係がある。先ごろ日本を訪れたカナダとオランダの専門家は、厚生省公衆衛生局長への手紙で「精神科の医師は患者11-13人に一人、というのが国際的な常識であり、48人に一人という日本の基準を早急に改善すべきだ」と忠告したという。欧米諸国だけではない。アジアでも例えば台湾は欧米なみの基準だ。日本でも審議中の医療法改正案が成立すると、内科や外科などでは「看護職は入院患者三人に一人、病室面積は一人あたり6.4平方メートル以上」となる。医師は「患者16人に一人」で据え置きとはいえ、一歩前進だ。

ところが、とりわけ温かな環境と手厚い人手が大事な精神医療について、厚生省は改善を進めようとしない。医師は他科の三分の一、看護職も薬剤師も他科より少なくて構わない、という差別構造の撤廃は先送りされそうな情勢である。日本医師会や日本精神病院協会が改善に強く反対し、自民党や厚生省に「圧力」をかけているからだ。同じ厚生委で、福島豊厚生政務次官が明らかにした医療監視結果によれば、入院患者48人に医師一人という低い基準さえ満たしていない精神病院が29%もある。そうした病院ほど経営者が高い収入を得ていると、この世界に通じた人はいう。そのあたりに改善を嫌がる理由があるようだ。

厚生委の前夜、国会議員、医師、看護職、入院体験をもつ人々が精神科差別を考える集会が東京であった。主催団体の一つ、全国精神障害者団体連合会の代表である横式多美子さんは八回の入院体験を踏まえ訴えた。「入院して驚くのは看護婦さんの少なさ。ナースステーションでカルテをつけるのに追われ、患者と話す時間などないのです」「ベッドとベッドのすき間は三十センチくらい」「保護室(隔離室)の多くは、窓に鉄格子、床はコンクリート、むき出しの便器のとなりで食事をとらなければなりません」「病院の中はストレスがいっぱい」「これは昔のことではなく、みんな今のことなのです」日本の医療の貧しさを象徴する精神科差別を、政治は放置すべきでない。

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[「医師派遣」強い教授、頭の上がらぬ病院]
ふしぎの国の医療(48)朝日新聞 2000年9月10日

「医師」は不思議な存在だ。卒業して何十年も出身大学のひもがついている。しかも、封建的な上下関係もそのままだ。複数の病院事務長から嘆きを聞いた。公立A病院は国立大学の関連病院。院長は代々、助教授クラスが天下ってくる。長年勤務して診療の中心の内科部長と同じ医局の後輩が院長に就き、事務長は神経をすり減らしている。最近、外科の副部長がB病院に動き、後任がC病院から来た。もとは教授の意に沿わなかった医師が大学病院からC病院に転出したための玉突き人事らしい。公的D病院はさらに複雑だ。おおまかには私立E医大の系列で、院長はもちろん、内科、外科など主な診療科の部長はE医大出身だが、眼科や皮膚科などは科ぐるみで別の医大から医師を派遣してもらっている。

「私たちの都合など、大学はまったく聞きませんね」と事務長。病院勤務が長く、信望もある医師を昇格させようと考えた。基本的には大学人事とあって、簡単なことでもお伺いが必要だ。何度もお願いし、一席設けてようやく「承認する」の文書をもらった。新しい診療科を開設した。前から手術のため出張して来てくれていたF大学出身の医師を部長にするのも大変だった。今まで疎遠だったE医大のこの科にあいさつに行った。了承をもらう代わりに、E医大から副部長クラスを受け入れることになった。将来の布石ともいえる。

別の診療科はG医大から研修医を受け入れている。これが半年交代で、患者がなじんだころいなくなる。事務長と院長はG医大教授に「一年勤務にしてほしい」と頼みに行った。教授は「教育的見地から半年にしている」と譲らず、結局、D病院から医師が引き揚げられることになった。「以前からG医大の医局と教授には毎月謝礼を払っていました。昨年、それをやめたのも決裂する大きな要因になりました」医師を養成するのは大学医学部や大学病院の医局だ。医局を取り仕切る教授はある程度の年代までの医師の人事権を持っている。病院は医師を派遣してくれる教授に頭が上がらない。「教授たちが、日本全体とはいわなくても、せめて関連病院の医療内容や患者のことをもっと気にかけてくれれば…」と事務長たちはつぶやくのだが。(編集委員・田辺功)

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[「大病院の外来」減らす政策、逆に増加を招く]
ふしぎの国の医療(40)朝日新聞 2000年7月16日

大病院の外来患者が増えている。「病院の方が診療所より便利で、安いのだから当然です」と、日本病院会副会長の奈良昌治・足利赤十字病院長はいう。日本の保険医療制度では、患者は診療所でも病院でも自由に選べる。病院には多くの診療科がそろい、設備が整っている。夜間は当直医がいる。一方、最近の開業医は夜間診療や往診をあまりしてくれない。それなのに診察料は病院の方が安い。

医療費のもとになる保険点数は厚生省が決める。患者は二つの診療所にかかると、初診料を二回払う。しかし、1992年から総合病院では複数の科を受診しても初診料は一回、94年からは同じ日なら再診料も一回でよくなった。大規模病院には紹介率加算もある。診療所や他病院の紹介で来た患者の率が高いほど診療費にボーナス加点がつく。さらに、紹介状のない患者からは罰金的な高い初診料を取れるようにした。日本では大病院信仰が強く、かぜのような軽い病状の患者も多い。一連の厚生省の改定は、診療所は外来、病院は入院中心の役割分担を狙う。患者は「罰金」がいやだから、まず診療所で診察を受け、紹介状をもらってから大病院に行く。大病院の外来を安くすれば採算が取れず、病院は外来をやらなくなるはずだった。ところが、予想は外れた。入院だけではやっていけないと考えた大病院は初診料を低く設定した。そのうえ、紹介率を上げるため、大学病院は系列病院や卒業生に紹介を指示し、病院は周辺の開業医との付き合いを深め、患者集めに努めた。

「現場を知らないお役人の政策はだめ。病院の外来は長くなる一方です。薄利多売で苦しいけれど、患者を断れません。患者も自己負担が増えましたから、安い病院がいい。メリツトのない開業医に戻りませんよ」と別の病院長はいう。

厚生省は次の手段として、病床数に応じて病院の外来患者を制限しようと考えているらしい。「病院イコール入院がそもそも間違い。入院を減らし、手術は日帰りにし、糖尿病などの慢性病も外来にするなど、專門外来を充実させるのが世界の流れです。質を問わず、数だけを制限するのは問題があります」と、東北大学大学院の濃沼信夫教授(医療管理学)は話す。(編集委員・田辺功)

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[「看護職員の数」3対1でもまだ少なすぎる]
ふしぎの国の医療(24) 朝日新聞 2000年3月26日

夜の病院は人手が少ない。40人前後の患者を二人か三人の看護婦さんがケアすることも珍しくない。処置などがなく、患者は眠っているとの前提からだ。「重症の人や手のかかるお年寄りが数人いるとパニック」「眠れず、不安な患者も多いのに、そばについていてあげられない」と、看護婦さんからよく聞く。一般病院に最小限必要な看護職員数である看護職員の配置基準を今の「4対1」(患者四人に一人)から「3対1」に引き上けることが医療法改正案に盛り込まれた、1948年の医療法施行から50年以上も続いた「4対1」の根拠は何だったのか。

大森文子・元日本看護協会長の記憶では、当時の病院のベッド数や看護婦数がもとのようだ。50年に厚生省看護課長になった金子光・元衆院議員は「私も、実態からの数字と説明を受けた」というから間違いなさそうだ。「4対1」は「患者四人にいつも看護婦が一人いる」ということではない。看護婦は日勤、準夜勤、夜勤と交代するし、夜勤時問も制限されている。労働条件を基にした看護協会が労働条件を考えて計算した結果、入院患者40人の病棟の場合、一人の看護婦が受け持つ患者は、日勤で10人、夜勤33人。「3対1」でも夜勤は24人。実際は看護婦を増やして対応する病院も少なくない。

「外国と比べると驚くほどの差です」と、看護協会の嶋森好子・常任理事。東京都済生会向島病院看護部長だった嶋森さんらが97年、英国、米国、ドイツ、オーストラリア、韓国を調査した。韓国を除くと、夜勤看護婦一人あたりの患者は三人から10人で、日勤より少し多い程度。韓国は11人から17人。日本の実情を話すと「その人数でどうしてできるの」と不思議がられた。日本は入院期間が欧米の三、四倍と長い。退院してもよい、手間のかからない患者が多く、少ない看護婦で対応できた側面もある。「入院期間は短くなり、外来で検査、入院即手術、など入院のあり方も変わってきました。昼夜とも看護の密度は高くなる一方です」と嶋森さん。夜勤の受け持ち患者を欧米並みの10人以下にするには「1.4対1」が必要だ。欧米の数分の一、といわれる看護婦の少なさが、医療事故の一因になっている可能性もある。(編集委員・田辺功)

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世界の常識とは程遠い医療現場
北摂病院院長 木野昌也
大阪保険医新聞1998.8.5.第1310号

先日、製薬メーカー各社一から「脳代謝改善薬」の販売を中止する旨の連絡があった。一時圧倒的な支持を一受けたこれらの薬剤を当院でも使用していた。しかし、その後効果の程が疑問視され、大半の症例で使用を中止していたため、幸い実質的な影響はほとんど無かった。国際的に通じる判定基準に変更されることは良いことである。しかし今回も、不安を感じていると思われる一般国民に対する説明は、当の薬剤を認可した監督官庁や審査委員会からは全くなかった。

Evidence based medicineという言葉が大はやりである。しかし、臨床にはscience(科学)とart(医術)の調和が大切であるといったOslerの言葉は、医療の先進国、アメリカで健在である。厳しく変化しているアメリカの医療現場では、今でも百年前にOslerが中心となって創りあげた、臨床研修制度が脈々として受け継がれている。単に良質の臨床医を育てるだけでなく、医科大学、一般病院、開業医、学会や医師会が一体となって、率先して医療の質を向上させる努力がなされている。医療の質の確保は、監督官庁ではなく臨床医の仕事である。私は卒後研修の主要な部分をアメリカで受ける幸運を得たが、臨床の医療現場の彼我の差に呆然となる。

国立医療病院管理研究所が作成した資料によると、医師の賃金は、国民の平均賃金の約三倍と欧米並み。高い高いと言われている国民医療費は、対国民所得比で欧米の三分の二。しかし、われわれ日本の医師は、三倍多くの患者を診療し、三倍多くの薬剤を処方し、十倍多くCTやMRI等の検査をしている。今、世界の標準に近付けるべく努力がなされている。技術料が欧米並みに評価されることが必要であるが、ハード面だけでなく臨床の中味の実力が伴うことが大前提となる。欧米人が病気になると、日本の医療の現状に不安を感じ、大急ぎで帰国するという現実から、目をそむけてはならない。

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安心して病院へ行けるために
朝日新聞 1996年11月24日 社説

医療保険改革の名のもとに、患者負担を大幅に増やそうと、厚生省が動いている。これでは安心して病院へ行けなくなってしまうという不安が広がっているさなか、国民生活白書が発表された。「薬づけ検査づけをやめ薬剤費と検査費を仮に三分の一節約できれば、医療費は年間四兆円ほど減らせる」「特別養護老人ホームを充実させ、治療の必要はないのに入院しているお年寄りのうち仮に10万人にホームに移ってもらうだけで、年間2千億円の節約になる」白書のデータを一部使うと、こんな計算もできる。日本の医療には、大きな無駄があるということだ。無駄をなくせば、患者負担を増やさないで済むのではないか。その努力をしないで、患者負担だけを増やす医療保険審議会の原案は練り直すべきではないか。そんな疑問が、白書を読むと浮かんでくる。

安全で安心だ、と信じられてきた日本社会が揺らいでいる。白書は、教育、雇用、家族など五つの分野を取り上げ、国際比較をしながら、安全で安心な社会を守るには何が必要か、検討している。比較的説得力があるのは医療と福祉についての分析だ。それによれば、日本の医療費は他の先進国にくらべてまだ低いが、いくつもの問題を抱えている。その一つは、医療費に占める薬剤比率の際立った高さだ。主要な欧米先進国は一割台なのに、日本は三割に近い。処方される薬の量が多いうえ、価格も英国やフランスの2.7倍もする。検査費が医療費の15%を占めているのも、外国には例がない。CTスキャナーのような高価な診断機器が数多く設置され、しかもその購入価格が欧米にくらべて二倍以上するものさえある。

最大の問題は、治療よりも介護が必要なお年寄りが長期間入院する「社会的入院」の存在である。高齢者が一般病院に長期入院すると一カ月に50万円近くもかかるのに、特養ホームなら30万円弱で済む。それなのに入院する高齢者が圧倒的に多いのは、自宅や施設で介護をうける態勢が整っていないからだ。大都市では、四、五年も待たなけれは特養ホームに入ることができない。こうした不合理を直し、高齢化が進んでも、安心して病院へ行ける制度にするには、どうしたらよいか。まず、特養ホームなどの施設と介護の人手を大幅に増やし、社会的入院をなくすなくすことだ。子どもが減った市街地の小中学校を利用したり、高齢者の入院が多い病院を特養ホームに切り替えたりすればよい。それには、医療と年金に偏った日本の社会保障政策を大きく切り替えなければならない。国の予算から福祉に回す分が、これまでは余りに少なすぎた。

次に、薬づけや検査づけをなくすために、医療の分野の公定価格である「診療報酬」の決め方を改める必要がある。欧米で通用しないような薬は保険の対象からはずす。欧米の二、三倍もする機器を購入しても引き合うようになっている、いまの診療報酬を見直す。そんなところから手をつけてはどうか。経済審議会の行動計画委員会はさきに、中央社会保険医療協議会の構成を一新し、審議を完全に公開することを求めた。また、情報開示と消費者保護のもとで、医療や福祉の分野でも民間の創意工夫が生かせるようにすることも提言した。あわせて実行してほしい。

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