心の無い医療をやめて、優しさと思いやりを!

[福山市市民病院オープンカンファレンスに参加して頂いた会員からのE-メイル]
[患者さんが医師に期待していること]1998年8月15日広島県医師会速報より
[海野祥子さんのホームページ「医療のページ」へのメイル]1998年8月15日
[医者の笑顔が最高の技術]レディオBINGOパーソナリティー 内川郁江さん
[ホスピスの心]朝日新聞 1997年4月15日 コラム「窓、論説委員室から」
[心あたたかな病院がほしいー遠藤周作さんの死を悼んで]1996年10月1日

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福山市市民病院オープンカンファレンスに参加して頂いた会員からのE-メイル
大阪大学人間科学部教授・淀川キリスト教病院名誉ホスピス長:柏木 哲夫さん
「緩和ケアとチームアプローチ」 2000年4月11日

数野先生へ
このような機会をいたたき、本当にありがとうございました。院長先生と、司会の先生が、「必要性と市民のニーズの高まりがあって、緩和ケア病棟をつくる」と言われました。嬉しく思いました。興味、関心のある人が考えたり、行動したりするものではなく、ホスピスや緩和ケア病棟は、どうしても必要なもの、なくてはならない、必要不可欠なものだと、再認識しました。何度かきいたことのある内容でも、その時々で、自分の受け止め方に違いのあることに、驚いています。患者の「立ちたい」という希望に応じて、最終的に、チルドテーブルの利用で、実現させたというスライド写真がありました。前回は、そこまで必死になれるスタッフの思いしか頭に残りませんでしたが、今回は、患者の想いに気持ちがいくようになりました。また、自分の不確実で、あやふやな考え方に、それでいいのだと背中を押されることは、大きな励みです。それは「問題患者といわれている否定的、反発的な患者は人間理解のキーワード」という先生の言葉でした。

・発見当時から死に向かうような疾患は、発見と同時に緩和ケアの概念が入っていかなければならない。
・抗がん剤の副作用をどうにかすることも、緩和ケア
・タイムスタディをやってみた結果、家族ケアと、患者ケアに費やす時間は半々だった。
・『痛みは患者を現実に閉じ込めてしまう』痛みがあれは、過去をなつかしがったり、将来におもいをはせることもできない。
・末期患者のQOL
(1)痛みや他の不快な症状のコントロール
(2)身体的活動の度合い
歩けないことが、どれだけQOLを低めるか、私達は真剣に考えなければならない。
(3)精神的充実度
いらだち、不安、ゆううつがあると、QOLは低下する
(4)社会的生活の充実度
(5)霊的満足度
霊的痛みとは、シシリーソンダースによると、1)生存の痛み(生きている意味がわからないなど) 2)価値観(今までの価値観への疑いなど)
・チーム医療の長所
(1)総合的に判断できる
(2)多くの必要性を満足させる
(3)方針の一致した医療
(4)パターナリズムの脱却
・チーム医療がうまくいかない理由
(1)医師がチーム医療の重要性を理解せず、非協力的
(2)チームメンバーの知識や経験などの力量不足
(3)チームリーダー、コーディネーター不在
・ホスピスや緩和ケア病棟は何もしない、という間違った認識が医療者の中にもある。<積極性>は同じだが、目的が違う。
・看護婦はしっかり耳を傾けること、基本的な看護技術の習得が必要
・亡くなる直前まで、何らかの力を患者は持っている。それをどうやって生きがいとつなげていくかが私達の仕事
・患者ケアがうまくいかなかったこと、後悔すること、失敗をシェアできるチームを
・患者(人間)理解がキーワート

このような内容でした。初めて市民病院に行きました。まるで病院の一角のような位置にお墓の山があったこと、面会終了時間の早いこと、それを知らせる音楽の寂しさに驚きました。5月21日の講演会のポスターを病院正面玄関入り口の総合案内と、尾道医師会、厚生連の看護学校に貼りました。厚生連の看護学校の1年生と3年生は強制(?・・・)参加だそうです。総合案内の婦長に、チラシも置くように言われたので、50枚ほど置いておきます。8つの病棟婦長も、スタッフに伝えてくれるということでした。薬局とレントゲン室とリハビリ室に貼ってもらいました。あと医局の掲示板に、こっそり・・貼っておきます。昨年のデーケン先生の講演の時は、お誘い文と、(ユーモア感覚のすすめ)というデーケン先生の記事を「来てくれそう」な人だけに配ったのですが、今回のそれぞれの反応には、有頂天になるほどのものがありました。

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「患者さんが医師に期待していること」
1998年8月15日 広島県医師会速報第1660号より

医師が書いた「患者さんが医師に期待していること」という文章がありましたので、参考までにお知らせします。医師の努力目標と言えます。ということは、このようなことが実行されていないということです。

1)自分の訴えや不安を、十分に耳を傾けて聞いて欲しい。
2)訴えを中心として、十分診察(視診・触診・聴診)をして欲しい。
3)診察と検査結果から診断がつけば、病名をすぐ知らせて欲しい。また、診断がつかない場合には、今後の検査や治療方針について説明が聞きたい。
4)入院したら、頻繁にベッドサイドに来て、自分の訴えを聞き、診察をして欲しい。
5)検査結果は早く知りたい。
6)治療は苦痛が少なく、また短期間で元気に帰れる方法で行って欲しい。
7)治療経過説明は定期的に受けたい。治療方針の変更が必要な場合には、説明を聞き、納得した上で受け入れたい。
8)検査や手術は、十分な知識と一流の腕を兼ね備えた先生に行って欲しい。

要するに、患者の立場に立った、心ある・優しい、しかも優れた医療ということです。

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海野祥子さんのホームページ「医療のページ」へのメイル
1998年8月15日

2000年3月、海野さんは本を出版しました。
「インターネットを使って医療過誤裁判やってます!」
メタモル出版1300円
(私のメイルも「応援メール」として載せてあります)

(受信)
初めまして、医療のぺ一ジ@海野祥子と申します。数野先生のぺ一ジをネットサーフィン中に見つけ、メールを出しております。私のぺ一ジにリンクしても宜しいでしょうか。といいますのも、私のぺージ、半分以上が、私の母の医療過誤裁判報告になっています。乳がん再発で半年問入院して栄養不良で謎の死になり、カルテを押さえたら驚く事実がたくさん浮上したので、ライターという職業柄提訴しました。

私は、父親5年、母親5年。ガン患者の家族として、かなり長い間、闘ってきました。また、このような事から、放送作家として、健康ネタに興味を持ち、様々なお医者様に出会い、番組に出ていただいていました。(現在でも)そこで、私のぺージには、ガンなどに悩む方へのぺージも設けており、患者の家族の皆さんからもよくメールを戴きます。ガンなどに悩む方へでは、ホスピスや安らかな死について執筆していきたいのですが、ままなりません。そこで、先生のような素晴らしいぺージのリンクをお願いしたくメール致しました。ダメなら、おっしゃって下さい。突然失礼致しました。

(返信)
初めまして、ドクターちゃびんこと数野博です。残念ながら「心無い医療」の典型的な例です。私は医師になってからずっと、そのような医師にはならないようにと心掛けてきました。しかし、現実には、「科学」と称して「心無い医療」が当然のように行われています。「和田移植問題」「薬害エイズ問題」などに登場する大学の偉い先生方が、日本の医療を作り、指導してきたわけですから、考えてみれば当たり前のことかも知れません。ミニDr.和田やミニDr.安部が多く、大学(医局)によってはそのような体質が極めて強いところがあります。日本の医大では、いまだに「医の倫理」や「緩和医療」などはほとんど学びません。私は、医師としての懺悔の意味と、少しでもより良い医療の実現に役立てばと思ってホームページを作りました。一人でも悩んでいる人の役に立てばと思っています。政治を良くするにも、医療を良くするにも、市民一人一人が少しずつ賢くなり、自分達が主役であるという意識と責任を持たなければいけません。市民オンブズマン、医療オンブズマンの活動が必要です。

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医者の笑顔が最高の技術
レディオBINGOパーソナリティー 内川郁江さん
(新聞の読者欄への投書)

中国新聞くらし面掲載の竹中文良博士のがん告知を興味深く読んだ。私の体験であるが、某病院で「先生、しんどくて何もできないのです。お薬を飲み始めてからです。副作用ってないでしょうか」と私。「ないと思いますが、あなたがやめようと思えばやめてください」とカルテから目を離さない。

医師の言葉が患者の痛みさえやわらげるということをご存じないのか。ソフト面のみ期待してもいけないが、技術と心が伴っての医療ではないのかと問い返したくなる。

竹中博士は自らもがん体験者でその術後現場復帰した後「患者の気持が分かるつもりでいたがそうでなかった」と謙虚な反省を寄せている。特にがん患者は、体調の異常に敏感になっている。主治医の患者へのケアが命綱でもあるくらいなのだ。

考えてみれば主治医と患者の出会いも縁なのだ。"あうんの呼吸"が安心して病気と向かい合え苦痛をやわらげるのではないか。少なくとも私はそうなのである。私もがん体験者のひとり、ある大学病院に術後も一カ月に一度の検診に通っている。

こちらでは、主治医のK先生が明るい声で親しみをもって問診を繰り返す。それは決してカルテにくぎづけされた表情ではなく、体が患者に向いている。患者の表情を目で確かめながら、しかも笑顔の診療が心をなごませる。再発、転移も想像できないし、もちろん死を実感することも一度もなく、安心していられるのは、医師であると同時に、一人の人間としての魅力が、患者へ最高のケアをしているようにも思う。

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ホスピスの心
朝日新聞 1997年4月15日 コラム「窓、論説委員室から」

苦しむことなく、人間らしい尊厳をもって最期を迎えたい。そんな願いにこたえようというホスピスに、市民の関心が高まっている。愛知県では、幾つかの市民グループが資金を募り、名古屋近郊の愛知国際病院のホスピス計画に協力している。建設費3億8千万円のうち、1億円を募金目標とし、すでに3千6百万円を集めた。開設される二年後、グループの人たちはボランティアとして病棟にも入る。ベッド数は二十。すべて個室で、トイレ、洗面台つき。周りは花と樹木の広い庭とし、車いすで散策を楽しめる。心がこもった場になるはずだ。この運動は、いまの医療への問いかけでもある。

グループの一つ、「愛知ホスピス研究会」の永井照代会長は先ごろ、がんに侵された息子をもつ母親から相談を受け、暗い気持になった。母親はつらい延命治療より、死期が迫った息子を静かに送りたいと思った。だが、病院からは「治療しないなら退院してほしい」といわれたという。多くの人が病院で亡くなる時代なのに、そこは必ずしも温かくはない。ここに、ホスピス願望の背景がある。

ホスピスは全国31カ所にある。ベッド数は五百五十二。「もっと増やさなければ」。普及に努めてきた柏木哲夫大阪大学教授はそういう。それと同時に、「在宅介護の支援態勢」「一般病棟でのホスピスの心をもった医療」の大切さも強調する。でなければ、だれもが幸せに命をまっとうすることにならないからだ。

愛知県の一般病院で昨年、末期がんのお年奇りが孫が弾くバイオリンに
送られて旅立った。そんな話が、市民グループの会報に載っていた。「ホスピスの心」とは、たとえばこんな環境をいうのだろう。

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心あたたかな病院がほしい
遠藤周作さんの死を悼んで
1996年10月1日 朝日新聞コラム「天声人語」

若い医師たちは資格試験の際、つぎの検査などを自分で受けるべきだ。遠藤周作さんは、そう提案していた。(1)気管支鏡検査(2)手の甲で採皿される(3)直腸鏡の検査(4)一時間以上の点滴▼不器用な医師が老婦人の腕から採皿できないので、無造作に手の甲に針を刺して採皿したのを、遠藤さんは見たことがあった。跳び上がるように痛いやり方である。点滴にしても、多くの患者が途中でトイレに行きたくなるのに、それを知っている医師は少ない。だから、事前にトイレを済ませるよう注意しない▼医師たる者、わが身をつねって人の痛さを知ることが必要だ。日本の医学は、ともすると技術が先行し、患者の傷ついた心、孤独な魂へのいたわりがやや欠けている。長い療養生活や何度もの大手術、外国での入院の経験などから、遠藤さんはそんなふうに感じていた。そして「心あたたかな病院がほしい」というキャンペーンを個人的に続けてきた▼人間の生と死を深く見つめる。それがこの作家の生涯のテーマだった。「いろんな主題をつぎつぎと書くなんてことはできないんだよ。結局人生の中で探しているものは、同じものなんです」と語ったことがある。高い評価を得た晩年の「深い河」(講談社)は、その死生観の集大成といえるが、軽い読み物や医療をめぐるエッセーなどでも、姿勢は一貫していた▼老い、病み、入院し、苦しむとき、家族以外にも患者の事情や心の辛さを聴いてくれる専門家を育てなければ、とも訴えていた。日本の病院では、医師も看護婦も、牧師や神父のような役割重荷を負わされている、と。しかし遠藤さん自身は、最近は「もう死んでもいい」と公言していた▼カトリックの支柱が、ずんと通っていた。「次なる生命」を信じ、「おふくろや兄貴」に会いたいと語っていた。いまごろ、望みがかなっているのだろうか。

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