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2003年6月 |
2003年7月 |
小さな過失はとがめない。かくしごとをあばかない。古傷は忘れてやる。
他人に対してこの三つのことを心がければ、自分の人格を高めるばかりでなく、人の恨みを買うこともない。
不責人小過、不発人陰私、不念人旧悪。三者可以養徳、亦可以遠害。(菜根譚)
2003年8月 |
小自分の心をいつも満ち足りた状態にしておけば、この世界に、不平不満は存在しなくなる。
自分の心をいつも寛大公平に保っていれば、この世界から、とげとげしい雰囲気は消えてなくなる。
此心常看得円満、天下自無欠陥之世界。此心常放得寛平、天下自無険側之人情。(菜根譚)
2003年9月 |
名誉や地位を得ることが幸せだと思われているが、じつは、名誉もなく地位もない状態の中にこそ最高の幸せがある。
飢えに泣き寒さに凍えることが不幸だと思われているが、じつは、飢えもせず凍えもしない人のほうがいっそう大きな不幸を背負っている。
人知名位為楽、不知無名無位之楽為最真。人知餓寒為憂、不知不餓不寒之憂為更甚。(菜根譚)
2003年10月 |
道徳は、万人共有のもの、誰もが踏み行なうべき道である。すべての人に開放されていなければならない。
学問は、三度の食事と同じようなもの、誰にとっても欠かすことができない。たゆまずに研鑽しよう。
道是一重公衆物事。当隋人而接引。学是一個尋常家飯。当隋事而警?。(菜根譚)
?=りっしんべんに易<警?:ケイテキ
2003年11月 |
楽しいことがあったかと思えば、すぐにまた心配のタネがもちあがってくる。うまくいったかと思えば、すぐまた壁にぶつかって嬉しさも相殺されてしまう。
ありふれた食事、平凡な生活。そのなかにこそ人生のほんとうの楽しみがあるのだ。
有一楽境界、就有一不楽的相対待。有一好光景、就有一不好的相乗除。只是尋常家飯、素位風光、纔是個安楽的窩巣。(菜根譚)
2003年12月 |
理想は高く持つべし。だが、あくまでも現実に立脚しなければならぬ。思考は周到にめぐらすべし。だが、末節にとらわれてはならぬ。
趣味は淡白であるべし。だが、枯淡にすぎてはならぬ。節操はきびしく守るべし。だが、奇驕に走ってはならぬ。
気象要?1、而不可疎狂。心思要?2蜜、而不可?3屑。趣味要冲淡、而不可偏枯。操守要厳明、而不可激烈。(菜根譚)
?1=ひへんに廣、?2=いとへんに眞、?3=たまへんに小の下に貝
2004年1月 |
この人生においては、ムリに功名を求める必要はない。大過なくすごせること、それが何よりの功名なのである。
人と交わるときには、与えた恩恵に見返りを期待してはならない。人の怨みを買わないこと、それが何よりの見返りなのだ。
処世不必?功。無過便是功。与人求感徳。無怨便是徳。(菜根譚)
?=激のさんずいがしんにょう
2004年2月 |
苦労しているさなかにこそ、喜びがある。時めいていると、とたんに失意の悲しみがおとずれる。
苦心中、常得悦心之趣。得意時、便生失意之悲。(菜根譚)
2004年3月 |
水は波さえ立てなければ自然と静まり、鏡は曇りさえなければ自然と輝いているものだ。
人間の心も無理に清くする必要はない。濁りさえとりのぞけば、自然と清くなる。楽しみも無理に求める必要はない。苦しみさえとりのぞけば、自然と楽しくなる。
水不波則自定、鑑不翳則自明。故心無可清。去其混之者而清自現。楽不必尋。去其苦之者而楽自存。(菜根譚)
2004年4月 |
手におえない暴れ馬も、慣らし方ひとつで乗りこなせる。鋳型からとびはねた金も、いずれは型におさまる。
人間も、やる気の人間はまだいい。始末にわるいのは、のらくらしてやる気のない連中だ。こんな手合いはいつまでたっても進歩が望めない。
白沙先生も語っている。
「人間として欠点が多いのは恥ずべきことではない。むしろ欠点のない人間のほうが案じられる」
これこそ達見だと思う。
泛駕之馬、可就駆馳。躍冶之金、終帰型範。只一優游不振、便終身無個進歩。白沙云、為人多病末足狭羞、一生無病是吾憂。真確論也。(菜根譚)
2004年5月 |
ひまなときでも、時間をムダにしてはならない。その効用は、多忙になったとき現われてくる。休んでいるときでも、ぼんやり時を過ごしてはならない。
その効用は、仕事にかかったとき現われてくる。人目につかぬところでも、良心をあざむいてはならない。その効用は、人前に出たとき現われてくる。
?中不放過、忙処有受用。静中不落空、動処有受用。暗中不欺隠、明処有受用。(菜根譚)
?=もんがまえの中に月
2004年6月 |
人をおとしいれようとしてはならない。だが、人からおとしいれられることには警戒心をはたらかせなければならないーこれは思慮の足りぬ人々をいましめたことばである。
人にだまされまいと神経をとがらせるよりは、むしろ、甘んじてだまされたほうがましだーこれは目先のききすぎる人をいましめたことばである。
この二つにことばを肝に銘じれば、思慮深く、しかも円満な人格を形成することができよう。
害人之心不可有、防人之心不可無。此戒疎於慮也。寧受人之欺、?逆人之詐。此警傷於察也。二語並存、精明而?厚矣。(菜根譚)
?=さんずいに軍
2004年7月 |
寛大で心のあたたかい人は、万物をはぐくむ春風のようなものだ。そういう人のもとでは、すべてのものがすくすくと成長する。
刻薄で心のつめたい人は、万物を凍りつかせる真冬の雪のようなものだ。そんな人のもとでは、すべてのものが死に絶えてしまう。
念頭寛厚的、如春風煦育。万物遭之而生。念頭徽忌刻的、如朔雪陰凝。万物遭之而死。(菜根譚)
2004年8月 |
あまりせっかちに事情を知ろうとしても、かえってわからなくなることがある。そんなときには、のんびり構えて自然に明らかになるのを待ったほうがよい。
無理やり攻めたてて相手の反感を買ってはならない。
人を使うさいにも、なかなか使いこなせないことがある。そんな場合には、しばらく放っておいて相手の自発的な変化を待ったほうがよい。
うるさく干渉してますます意固地にさせてはならない。
事有急之不白者。寛之或自明。母躁急以速其。人有操之不従者。縦之或自化。母躁切以益其頑。(菜根譚)
2004年9月 |
人としての道をしっかりと守っていれば、かりに不遇な状態に陥っても、一時のことに過ぎない。権勢にこびへつらえば、かりに得意の状態に陥っても、長続きしない。
道を極めた人物は、世俗の価値にとらわれず、死後の評価に思いを致す。一時は不遇な状態に陥っても、人としての道を守って生きるほうがはるかに賢明ではあるまいか。
棲守道徳者、寂寞一時。依阿権勢者、凄涼万古。達人観物外之物、思身後之身。寧受一時之寂寞、母取万古之凄涼。(菜根譚)
2004年10月 |
人格は、包容力が高まるにつれて向上し、包容力は見識が深まるにつれて高まる。
人格を向上させようと思うなら、包容力を高め、包容力を高めようと思うなら見識を深めなければならない。
徳髄量進、量由識長。故欲厚其徳、不可不弘其量。欲弘其量、不可不大其識。(菜根譚)
2004年11月 |
公職についたときの心得二つー「公平であってこそ正しい判断ができる」「清廉であってこそ威厳が生まれる」
家庭生活の心得二つー「思いやりがあれば不満は生じない」「倹約であれば生活にゆとりが生まれる」
居官有二語、日惟公則生明、惟廉則生威。居家有二語、日惟恕則情平。惟倹則用足。(菜根譚)
2004年12月 |
時間は、気持の持ち方しだいで長くもなり短くもなり、場所は、心の持ち方ひとつで広くもなり狭くもなる。
のんびりした気持の持主には一日が千年の長さに感じられ、ゆったりした心の持主には狭苦しい部屋も天地の広さに感じられる。
延促由於一念、寛窄係之寸心。故機閒者、一日遥於千古、意広者、斗室實若両間(菜根譚)
2005年1月 |
草木が枯れ出すころ、根もとにはすでに新しい芽生えが始まっている。凍てつく寒さが来れば、陽気の訪れも遠くない。
ものみな枯れはてたなかにも、常に生き生きとした生命が宿っている。これこそが自然の心にほかならない。
草木纔零落、便露萌穎於根底。時序雖凝寒、終回陽気於飛灰。粛殺之中、生生之意、常為之主。即是可以見天地之心。(菜根譚)
2005年2月 |
あわただしいさなかにあっても、冷静にあたりを見回すだけの余裕があれば、ずいぶんと心のいらいらを解消することができる。
ひまでひっそりとしているときにも、情熱を燃やして事にあたれば、またそこに捨てがたい魅力を見出すことができる。
熱閙中着一冷眼、便省許多苦心思。冷落処存一熱心、便得許多得真趣味。(菜根譚)
2005年3月 |
心を雑念で満たしてはならない。雑念がつまっていなければ、そこに道理が入ってくる。
心はいつも充実させておかなければならない。充実させておけば、物欲のはいりこむ余地がなくなる。
心不可不虚。虚則義理来居。心不可不実。実則物欲不入。(菜根譚)
2005年4月 |
並はずれたやり口や策略、まねのできない行動や技能、これらはいずれも、この世を生きていくうえで、わざわいのタネとなる。平凡な人格と平凡な行動に徹して生きることこそ、平穏無事な生活を送る秘訣なのである。
陰謀怪習、異行奇能、倶是渉世的禍胎。只一個庸徳庸行、便可以完混沌而召和平。(菜根譚)
2005年5月 |
激しい雨や風に襲われれば、鳥までふるえあがる。これに対し、晴れたおだやかな日和に恵まれれば、草木までが喜びにあふれる。
これで明らかなように、天地には一日として和気が欠かせず、人の心にも一日として喜びがかかせないのである。
疾風怒雨、禽鳥戚戚。霽日光風、草木欣欣、可見天地不可一日無和気、人心不可一日無喜神。(菜根譚)
2005年6月 |
あまり暇がありすぎても、つまらぬ雑念が頭をもたげてくるし、あまりに忙しすぎれば、こんどは本来の自分を見失ってしまう。
してみると君子たるもの、一面では心身の苦労はあったほうがいいし、また一面では風流を楽しむことも忘れてはならない。
人生太閒、則別念竊生、太忙則性不現。故士君子不可不抱身心之憂、亦不可不耽風月之趣。(菜根譚)
2005年7月 |
この山河さえ、やがては微塵となって砕け散るのだ。ましてちっぽけな人間などあとかたもなくふっとんでしまう。
人間の肉体はもともと泡の影のようにはかないものだ。まして功名富貴など、影のまた影に過ぎない。
だが、すぐれた英知をもたなければ、そこまで悟りきることができない。
山河大地、己属微塵。而況塵中之塵。血肉身?、且帰泡影。而況影外之影。非上上智無了了心。(菜根譚)
2005年8月 |
老年になった心境で若い時代を見つめれば、やみくもな闘争心を消し去ることができよう。
落ちぶれたときの気持ちになって順調な時代を見つめれば、贅沢になりがちな心を押さえることができよう。
自老視少、可以消奔馳角逐之心。自瘁視栄、可以絶紛華靡麓之念。(菜根譚)
2005年9月 |
権勢をふるっている人物にとりいれば、相手の転落とともに、たちまち手きびしい報いをうける。
無欲に徹してのんびり暮らしていれば、安定した生活をいつまでも楽しむことができる。
趨炎附勢之禍、甚惨亦甚速。棲恬守逸之味、最淡亦最長。(菜根譚)
2005年10月 |
細事の処理にも、手を抜かない。人目のないところでも、悪事に手を染めない。失意のときでも、投げやりにならない。
こうあってこそ、初めて立派な人物といえる。
小処不滲漏、暗中不欺隠、未路不怠荒。纔是個真正英雄。(菜根譚)
2005年11月 |
なにが幸せかといって、平穏無事より幸せなことはなく、何が不幸かといって、欲求過多より不幸なことはない。
しかし、あくせく苦労してこそ、はじめて平穏無事の幸せなことがわかり、心を落ち着けてこそ、はじめて欲求過多の不幸なことが理解できるのである。
福莫福於少事、禍莫禍於多心。唯苦事者、方知少事之為福、唯平心者、始知多心之為禍。(菜根譚)
2005年12月 |
まず自分の心に打ち勝とう。そうすれば、あらるゆ煩悩を退散させることができる。
まず、自分の気持ちを平静にしよう。そうすれば、あらゆる誘惑から身を守ることができる。
降魔者、先降自心。心伏則群魔退聴。馭横者、先馭此気。気平則外横不侵。(菜根譚)
2006年1月 |
秩序が確立している時代なら、あくまでも正義を貫いて生きよ。秩序が混乱している時代なら柔軟な処世を心がけよ。秩序が失われた未世においては、正義を貫きながらしかも柔軟な処世を心がけよ。
対人関係でも、善人に対しては寛容と、悪人に対しては厳格な態度で臨み、普通の人に対しては寛容と厳格の両面を使い分けなければならない。
処治世方、処乱世宜円、処叔季之世、当方円並用。待善人宜寛、待悪人宜厳、待庸衆之人、当寛厳互存。(菜根譚)
2006年2月 |
幸福は求めようとしても求められるものではない。常に喜びの気持ちをもって暮らすこと、これが幸福を呼びこむ道である。
不幸は避けようとしても避けられるものではない。常に人の心を傷つけないように心がけること、これが不幸を避ける方法である。
福不可徼。養喜神以為召福之本而己。禍不可避。去殺機以為遠禍之方而己。(菜根譚)
2006年3月 |
思いどおりにならないときは、自分より条件の悪い人のことを考えよ。そうすれば、自然に不満が消えるだろう。
怠け心が生じたときは、自分よりすぐれた人物のことを考えよ。そうすれば、またやる気が湧いてくるだろう。
事稍払逆、便思不如我的人。則怨尤自消。心稍怠荒、便思勝似我的人。則精神自奮。(菜根譚)
2006年4月 |
世俗を逃れて山林に住む者には、栄誉も恥辱も関係ない。道義を守ってつき進む者には、人の思惑など気にならない。
隠逸林中無栄辱、道義路上無炎涼。(菜根譚)
2006年5月 |
暇なときには、気持ちまでだらけてしまいやすい。だから、心の余裕を保ちながらも、意識だけはすっきりさせておかなければならない。
忙しいときには、気持ちが浮ついてしまいやすい。だから、意識をすっきりさせながらも、心の余裕だけは失わないようにつとめたい。
無事時心易昏冥。宜寂寂而照以惺惺。有事時心易奔逸。宜惺惺而主以寂寂。(菜根譚)
2006年6月 |
口は心の門である。ここをしっかり守らないと、心のなかの機密がすっかり外に洩れてしまう。
意識は心の足である。これをきびしく統制しないと、たちまち邪道に踏み込んでしまう。
口乃心之門。守口不蜜洩尽真機。意乃心之足。防意不厳走尽邪蹊(菜根譚)
2006年7月 |
小人とは事を構えるな。小人には、小人にふさわしい相手がいる。
君子にはこびへつらうな。いくらへつらっても、君子は、えこひいきなどしてくれない。
休与小人仇讐。小人自有対頭。休向君子諂媚。君子原無私恵。(菜根譚)
2006年8月 |
この世に生きているあいだは、広く大きな心をもって生きなければならない。そうすれば、どんな人にも不平不満の気持ちを抱かせないであろう。
死んでからのちには、いつまでも尽きない恩沢をのこさなければならない。そうすれば、どんな人にも満ち足りた感じを与えることができよう。
面前的田地、要放得寛、使人無不平之歎。身後的恵沢、要流得久、使人有不匱之思。(菜根譚)
2006年9月 |
いたわりの心は、この世になごやかな和気をもたらす。潔白な心は、百代の後までも清らかな香りを残す。
一念慈祥、可以醞醸両間和気、寸心潔白、可以昭垂百代清芬。(菜根譚)
2006年10月 |
他人の過ちには寛大であれ。しかし、自分の過ちにはきびしくなければならない。
自分の苦しみには歯を食いしばれ。しかし、他人の苦しみを見すごしてはならない。
人之過誤宜恕、而在己則不可恕。己之困辱当忍、而在人則不可忍。(菜根譚)
2006年11月 |
功績を誇り学問をひけらかす人々は、人間としての価値を外面にだけ求めている。本来そなわっているまことの心さえ失わなければ、たとい功績や学問がなくとても、それだけで立派な人生が送れることを理解していない。
誇逞功業、炫耀文章、靠皆是外物做人、不知心体瑩然、本来不失、即無寸功隻字、亦自有堂堂正正做人処。(菜根譚)
2006年12月 |
思いどおりにならぬからといってくよくよするな。思いどおりになったからといっていい気になるな。
今の幸せがいつまでも続くと思うな。最初の困難にくじけて逃げ腰になるな。
母憂払意。母喜快心。母持久安。母憚初難。(菜根譚)
2007年1月 |
人の境遇はさまざまであって、恵まれている者もいれば恵まれていない者もいる。それなのに、どうして自分一人だけすべての面で恵まれていることを期待できようか。
自分の心の動きもさまざまであって、道理にかなっている場合もあればかなっていない場合もある。それなのに、どうしてすべての人々を道理に従わせることができようか。
自他を見比べながらバランス感覚をはたらかせるのも、処世の便法なのである。
人之際遇、有斉有不斉、而能使己独斉乎。己之情理、有順有不順、而能使人皆順乎。以此相観対治、亦是一方便法門。(菜根譚)
2007年2月 |
ころりと態度を変えるのは、貧乏人より金持のほうが激しい。ねたみそねみは、他人より肉親同士のほうが深い。
こんなとき、冷静、かつおだやかな気持ちで対処しなければ、毎日を悩みと苦しみのなかで過ごさなければならない。
炎涼之態、富貴更甚於貧賎、妬忌之心、骨肉尤很於外人。此処若不当以冷腸、御以平気、鮮不日坐煩悩障中矣。(菜根譚)
2007年3月 |
人間としては、一片の誠実さを失ってはいけない。そうでないと、乞食みたいな人間になり下がり、何をやっても信頼されなくなってしまう。
世の中を渡るうえでは、丸味のある生き方を心がけなければならない。そうでないと、デクノボウみたいな人間になり、行く先々で壁にぶつかってしまう。
作人無点真懇念頭、便成個花子、事事皆虚。渉世無段円活機趣、便是個木人、処処有碍。(菜根譚)
2007年4月 |
信念を曲げてまで人の歓心を買おうとしてはならない。人から煙たがられても、自分の信念は貫くべきである。
善行もないのに、評判だけを得ようとしてはならない。それくらいなら、いわれのない非難にさらされるほうがまだましだ。
曲意而使人喜、不若直躬而使人忌。無善而致人誉、不若無悪而致人毀。(菜根譚)
2007年5月 |
古くからの友人とは、常に新しい気持ちでつき合いたい。人に知られたくない、機密事項を処理するときは、とりわけ公明正大な態度で当たりたい。現役を退いたお年寄りには、以前よりもいっそういたわりの心をもって接したい。
遇故旧之交、意気要愈新。処穏微之事、心迹宜愈顕。待衰朽之人、恩礼当愈隆。(菜根譚)
2007年6月 |
人の責任を追及するときには、過失を指摘しながら、同時に、過失のなかった部分を評価してやる。そうすれば、相手も不満をいだかない。
自分を反省するときには、成功のなかからもあえて過失を探し出すような厳しい態度が望まれる。そうすれば、人間的にもいちだんと成長しよう。
責人者、原無過於有過之中、則情平。責己者、求有過於無過之内、則徳進。(菜根譚)
2007年7月 |
心の豊かな人は、気持ちもゆったりしている。だから、厚い幸せをいつまでも受け続けるばかりか、何をやるにしても、なごやかな雰囲気をかもし出す。
心の卑しい人は、考えることまでこせこせしている。だから、いささかの幸せを受けたとしても長続きしないばかりか、何をやるにしても、こせついた雰囲気になってしまう。
仁人心地寛舒、便福厚而慶長、事事成個寛舒気象。鄙夫念頭迫促、便禄薄而沢短、事事得個迫促規模。(菜根譚)
2007年8月 |
親は子をいつくしみ、子は親に孝養をつくす。兄は弟をいたわり、弟は兄をうやまう。
これは、肉親としてきわめて当然の情愛である。どんなに理想的に行なったとしても、感謝したり感謝されたりする筋合いのものではない。もし、そのことで恩着せがましい態度をとったり、施しをうけたような気持ちになるならば、それはもはや他人同士の関係となり、商人の取引と変わりない。
父慈子孝、兄友弟恭、縦做到極処、倶是合当如此。着不得一毫感激的念頭。如施者任徳、受者懐恩、便是路人、便成市道矣。(菜根譚)
2007年9月 |
口数が少なく、めったに本心をのぞかせない人に対しては、こちらもうっかり心を許してはならない。
感情の振幅が激しく、自己反省の乏しい人に対しては、なるべく敬遠して話しかけぬほうがよい。
遇沈沈不語之士、且莫輸心。見悻悻自好之人、応須防口。(菜根譚)
2007年10月 |
気候が温暖であれば万物は生育し、寒冷になれば枯死する。
人間についても同じこと、心の冷たい者は幸せに恵まれることが少ない。末長く幸せに恵まれるのは、心の暖かい人だ。
天地之気、暖則生、寒則殺。故性気清冷者、受亨亦涼薄。唯和気熱心之人、其福亦厚、其沢亦長。(菜根譚)
2007年11月 |
酒、料理など、こってりしたものはいずれも本物の味ではない。本物の味とはあっさりしたものだ。
並はずれてきらびやかな才能の持ち主は達人とはいえない。達人とは平凡そのものの人物をいうのだ。
醲肥辛甘非真味。真味只是淡。神奇卓異非至人。至人只是常。(菜根譚)
2007年12月 |
自分の心が私利私欲に走りそうだと気づいたときは、すぐ正しい道に引き戻もどさなければならない。迷いが起こったらすぐそれに気づき、気づいたらすぐ改める。
こうあってこそ禍を福に転じ、死を生に変えることができるのだ。ちょっとした迷いだからといって、けっして見過ごしてはならない。
念頭起処、纔覚向欲路上去、便挽従理路上来。一起便覚一覚便転。此是転禍為福、起死回生的関頭。切莫軽易放過。(菜根譚)
2008年1月 |
鶯の声を聞くと、いいなと思い、蛙の声を聞くと、うるさいと感じる。花を見れば、植えてみようかと思い、離草を見れば
、抜いてしまおうとする。これが人情だ。
しかしこれは、上っ面にだけとらわれた見方にすぎない。内面的な価値に即して見れば、生きとし生きるものすべてが、天から授かった本性のままに鳴き、そして生きているのである。
人情聴鶯啼則喜、聞蛙鳴則厭。見花則