たとえ完璧ではなくとも


 「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

 これは村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」の冒頭部分である。

 私はこのフレーズが好きだ。仮に私がその本当の意味を捉えきっていないとしてもだ。

 ある日ある人のホームページの日記を読んでいたら、自分がページを作る意味があまりなくなったからやる気もあまりなくなったと書いていた。そこには複雑かつ哲学的な理由が付されていた。

 私がホームページを作る理由ってなんなんだろうと考えてみる。私の場合答えは単純かもしれない。「文章を書くことが好きだから」である。しかし、何故文章を書くのが好きかというと、理由を書くのは難しい。

 WWWというものは一個人という小さく弱い存在がお手軽に情報を発信できる便利な空間である。それはもちろん「テレビや雑誌などと同様に不特定多数が相手のメディアである」ということぐらいは注意して書かなければならないが、それはそれでいい。

 だから文章なり画像なり表現したいものがなければWWW上にあるページのレゾンテートル(存在理由)もなくなるだろう。また、それさえあればそれが有用なものでも馬鹿馬鹿しいものだとしても、立派なレゾンテートルだと思う。



 完璧な絶望が存在しないように、完璧な文章も存在しないということもあながち間違いではないだろう。私の書く文章も完璧ではない。何故ならそれを書いている私という人間が完璧な人間ではないからだ。

 完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な人間が存在しない限り。

 


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