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2023年度優駿エッセイ賞落選作品 偉大なる全弟

23/10/36

 この作品は雑誌『優駿』で毎年行っている「優駿エッセイ賞」に2023年度に応募したものです。2004年に応募した時は初の応募ながら1次選考を通過しましたが、今回は見事に(19年連続)1次選考で落選しました。入選作の著作権はJRAに帰属することになっていますが、本作品は入選はしていないので著作権は私にあると判断し、この場を借りて公開します。


偉大なる全弟

 2013年のラジオNIKKEI賞は、思い出深いレースとなった。私は前日水沢競馬場まで足を運び、仙台で宿泊していた。水沢競馬場は当時の私にとって唯一行ったことのない東日本の競馬場であり、そこで東日本の競馬場全踏破を果たした。そして仙台の宿から福島競馬場へと向かった。福島までそのレースを観に行ったのは、一口出資馬であるインプロヴァイズが出走するからである。インプロヴァイズは事前の評価が高く2番人気に支持されていて、私も大いに期待していた。レースではインプロヴァイズは3コーナーから4コーナーにかけて先行集団のすぐ後ろまで上がっていき、直線入り口で外に持ち出した。「これは行ける」と思った。しかし、直線では伸びず、結果は10着と惨敗に終わってしまった。そのレースでは1番人気のガイヤースヴェルトも13着に沈んでいる。1,2番人気がともに沈んだそのレースで8番人気と人気薄ながら勝利を収めたのがケイアイチョウサンという馬だった。
 愛馬の思わぬ惨敗を目の当たりにして呆然と立ち尽くす私の耳に「ケイアイチョウサンお見事!」と実況の声が入ってきた。2着にはもっと人気のないカシノピカチュウが来て馬連4万馬券となった大荒れのそのレースで、「ケイアイチョウサン」という馬名が耳に残った。
 「チョウサン」という名前を聞くと、長嶋茂雄やいかりや長介を連想してしまう。しかし、馬主の欄を見てみると、その名前の持ち主は「長山」さんという方だった。馬主さんはおそらく苗字を音読みし、冠名として使用しているのだろう。
 ケイアイチョウサンは、ラジオNIKKEI賞以降、オープン特別や当時あった降級後の準オープンで善戦することはあったが、勝利を収めることはできなかった。我が愛馬インプロヴァイズもその後、準オープンを勝ち、オープン入りを果たしてダービー卿チャレンジトロフィー3着の活躍をしたが、最終的に準オープンに降級して競走馬生活を終えた。

 そのラジオNIKKEI賞で私の強烈な印象に残ったケイサイチョウサンの全弟で同馬主の馬にオジュウチョウサンという馬がいる。障害レースで息の長い大活躍をし、多くのファンを魅了した馬だ。普段障害レースにあまり関心がない人でも、その名前は知っているだろう。
 オジュウチョウサンの「オジュウ」とはどんな意味なのだろうか?馬主である長山氏の著書を読んで、それが判明した。「オジュウ」というのは次男のあだ名だそうだ。小さな頃、「俺」という単語を「オジュウ」と覚えて、自分のことを「オジュウ」と言っていたので、その愛称が付けられたらしい。実際、母のシャドウシルエットにとって第一子がケイアイチョウサンで第二子がオジュウチョウサンであり、ともに牡馬である。期待の繁殖牝馬シャドウシルエットの次男なので、馬主さんは自分の次男の愛称を付けたのだろう。

 私は障害レースが好きなのであるが、オジュウチョウサンという馬をはっきりと意識したのは2016年の中山グランドジャンプである。この時はサナシオンという馬が人気を集めていた。サナシオンが逃げてレースを引っ張る展開だったが、サナシオンに続く2番人気のオジュウチョウサンは道中3番手あたりでレースを進めていた。2周目3〜4コーナーの中間の障害を飛越した後にオジュウチョウサンが仕掛け、サナシオンのすぐ後まで上がっていったところで直線を迎える。直線芝コース上に置かれた最終障害を飛越後にサナシオンが再びつき離し、一時は2馬身差を付けた。このままサナシオンが逃げ切るかと思われたが、オジュウチョウサンも負けてはいない。最後にオジュウチョウサンが盛り返して末脚を繰り出すと、最後はサナシオンを捉え、3馬身半差を付けて先頭でゴール板の前を駆け抜けたのだ。
 これがオジュウチョウサンの初GI制覇である。この時は面白い名前だと思ったが、ケイアイチョウサンの全弟だとは気づいていなかった。ただし、チョウサンという冠名から同馬主であることは気づいていた。この時はこのオジュウチョウサンがその後6年間もの長きに渡り障害界のトップに君臨するとは想像もしておらず、「普通に中山グランドジャンプを勝った馬」程度にしか思っていなかった。しかし、後にJ・GT9勝という実績を残し、11歳で中山グランドジャンプ制覇という物凄い記録を残すこととなった。

 オジュウチョウサンがケイアイチョウサンの全弟だと知ったのは、その年の暮れに行われた中山大障害の時だった。中山グランドジャンプは前年の最優秀障害馬アップトゥデイトが不在で、いわば「鬼の居ぬ間の洗濯」だったのだが、ここでアップトゥデイトとの初対決となった。オジュウチョウサンとアップトゥデイトの一騎打ちとなるかと思われたが、直線ではオジュウチョウサンがみるみるつき離し9馬身差の圧勝だった。アップトゥデイトも2着だったものの、力の差は明白で、オジュウチョウサンの強さを改めて認識した。そして、血統を見ると、兄にケイアイチョウサンがいることがわかった。私にとってある意味思い入れのあるあのケイアイチョウサンの全弟だったのである。そのケイアイチョウサンは、全弟の活躍に影響されてか現役時代末期に障害レースに挑戦した。障害では未勝利戦で1戦して6着に敗れ、現役を引退した。残念ながら障害では全弟のような活躍はできなかった。

 オジュウチョウサンは初対決となった中山大障害ではアップトゥデイトに圧勝し、翌春の中山グランドジャンプでも圧勝(アップトゥデイトは3着)だったが、その年の暮れの中山大障害は名勝負となった。最後の直線での攻防は歴史に残る名勝負だっただろう。私は中山競馬場の内馬場で観戦していたのだが、コースを挟んで反対側にあるスタンドから「おおー!」と響く歓声があがるのがわかった。ゴール前の攻防が見応えのあるレースだったので、スタンドで観たかった。しかし、彼らはただ走ったのではなく日本一のレベルの障害を越えて長丁場を戦ってきたのだ。レースは最後の直線だけで行われているわけではない。「途中」があるからこそ「最後」がすばらしいものになったのである。内馬場で見ていたので、その「途中」の中でも最もレベルの高い障害、つまり襷コースに設けられた大障害を飛越する彼らの勇姿を至近距離で目に焼き付けることができた。それだけでも充分満足しなければならないだろう。オジュウチョウサンにとってもアップトゥデイトにとっても、これが生涯で最も競馬ファンを魅了したレースだったと思う。ちなみに、3着がルペールノエルというのも前年と同じだった。この様な名馬2頭に勝利を阻まれたルペールノエルは「生まれた時代が悪かった」というしかない。

 その翌年はオジュウチョウサンは有馬記念に挑戦する。久々の平地のレースで条件戦を2連勝してファン投票で選出されたが、結果は9着だった。

 そのオジュウチョウサンが出走した有馬記念の前日に行われた中山大障害を勝ったのはメイショウダッサイだった。もちろんオジュウチョウサンはその中山大障害には出走していない。メイショウダッサイは私が出資していてチャンピオンズカップ等を勝ったダートの女傑サンビスタの従弟である。しかも同じスズカマンボ産駒。サンビスタの母父をミシルからスキャターザゴールドに入れ替えた様な血統構成である。4分の3は同じ血統だ。ミシルもスキャターザゴールドもミスタープロスペクター系の種牡馬なので、4分の3以上の血統の近さである。私にとってサンビスタはもちろんこのメイショウダッサイも非常に思い入れのある馬だ。そのメイショウダッサイが晴れてJ・GTを制し、その年の最優秀障害馬にも選出されたが、まだ暫定王者という感じだった。

 翌春の中山グランドジャンプには、オジュウチョウサンもメイショウダッサイも出走して、2頭の一騎打ちムードだった。1番人気はメイショウダッサイ。私は2年ぶりに現地に行き、2頭の馬連で勝負した。
 オジュウチョウサンは10歳という高齢のせいもあってか5着に敗れ、馬券は外れてしまったが、メイショウダッサイは見事に4馬身差の勝利を挙げた。正真正銘の前王者を倒しての勝利だった。

 その後、メイショウダッサイは故障のため引退するが、オジュウチョウサンの活躍はまだまだ続いた。暮れの中山大障害を勝って復活すると、翌春は11歳にして中山グランドジャンプを制した。5度目の中山グランドジャンプ制覇である。その年の暮れの中山大障害はさすがに衰えたのか6着に敗れ、最終レース後に引退式を行った。

 オジュウチョウサンの名前が競馬史に刻まれることは間違いない。アップトゥデイト、メイショウダッサイといったライバル達との戦いで見せた彼の勇敢な闘志と不屈の精神は、これからも私たちに勇気を与え続けるだろう。長きに渡って活躍したオジュウチョウサンの競馬人生は、私たちに永遠の感動をもたらし、彼の名前は競馬ファンの心に永遠に輝き続けることとなるだろう。


[あとがき]
このエッセイを書くに当たって、大好きだったオジュウチョウサンの馬主さんが本を出版したので読んでみました。そして、名馬オジュウチョウサンの素晴らしいキャリアや彼にまつわるに思い出について、自分なりに語ろうと思い、一筆執らせていただきました。タイトルを「偉大なる全弟」としてのは、その全兄であるケイアイチョウサンも私にとってある意味思い出深い馬だったからです。

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