スズカがゆく:あとがき

ここだけはノンフィクションです。

 最高の逃げ馬、サイレンススズカ。この物語の「モデル」となった、かの馬は魅せる馬だった。走るたびに場内を湧かすことのできる最高のスターホースだったと思う。平成10年の秋の天皇賞で彼は多くのファンに見守られながらも骨折予後不良。こんな形で物語を完結させなければならないのが残念でならない。

 彼はデビュー戦7馬身差で圧勝。この時点で「彼はきっと大物になると違いない」と思った方もいらっしゃるようだが、私はそのデビュー戦は見ていない。

 彼の存在を初めて知ったのは平成9年の弥生賞(皐月賞TR)にキャリア1戦で登場してきた時である。彼はゲート入りを嫌い騎手上村を振り落としゲートをくぐってしまう。場内はどよめく。そしてスタート後大幅な出遅れ。彼の持ち味である大逃げができないほどに出遅れた(ただしこの時点ではこの馬が日本を代表する逃げ馬になると予想していた人はあまりいなかったと思うが)。レース前に余計なスタミナを消耗してはいくら大物でも勝負にならない。ちなみにゲート再審査となった。

 皐月賞には出られなかったがダービートライアルであるプリンシパルSを勝ちあがりダービーには出走できた。しかし、ダービーにはあのサニーブライアンが出走していた。そしてハナを切ったのはサニーブライアン。ここでもスズカの大逃げは披露できずに終わってしまう。ハナを切れなかったのが原因か、結果は散々だった。

 そしてその年の秋初戦は神戸新聞杯。ここでは楽勝かと思われた。騎手上村もゴール前で、楽勝だと思っていた。勝ったと思って余裕をかまして手綱をゆるめている間に後の菊花賞馬マチカネフクキタルに差されてしまう。結果は2着。このミスのせいで上村はスズカからおろされ二度と乗ることはなかった。

 トライアル2着のスズカは菊花賞では距離が持たないだろうということで天皇賞・秋に出走した。騎手は河内に乗り替わっている。私が初めてスズカを生で見たのはこの日が初めてである。そしてスズカはここで華麗な逃げを披露した。後続を20馬身ほど引き離し、モニターに写し出される度に場内から大歓声があがる。ツインターボの様な逃げである。結果は6着。これだけ場内を沸かすことのできる馬を久しぶりに見て、私はこの「スズカがゆく」を思いついた。当時サイレンススズカのことは強さはともかくとして(G1に出走しているのだから少なくとも弱くはないのだが)、観客の心を捉えられる馬だと思っていた。

 そしてマイルCS。ここではキョウエイマーチにハナを奪われた。ハナを切れなかったときのスズカは何かさえないものがある。(2番手を追走していたが。)さえない原因は鞍がずれていてレースにならなかったことが判明したが。

 その年の暮れスズカは香港に遠征した。騎手は武豊。香港遠征の話を聞いたときは驚いたが、武豊がその秘められた素質を開花させたのか5着と健闘。帰国後も武豊が主戦をつとめることとなった。

 武豊になってからのスズカは無敵そのものである。例によって大逃げを打つのは4歳の時と変わらないが、その後止まることなくゴールを駆けてゆく。バレンタインSというオープン特別を勝つことによって勝利の味をしめたのか、中山記念、小倉大賞典(中京代替開催)、金鯱賞と重賞3連覇。中京の2つはレコードを樹立。一度も他の馬に前を走られることなくゴールを駆けめぐって行く。

 だんだんスズカのファンも増え、宝塚記念にもファン選出された。相手が一気に強くなるが、それ以上問題なのは前年の年度代表馬で武豊騎乗のエアグルーヴが出てくることである。スズカの鞍上は空席となってしまった。エアグルーヴの回避の可能性もあったので、関係者はぎりぎりまで騎手を決めないでいた(武が乗れるかもしれないので)。「スズカには誰が乗るのか?」ということがマスコミやファンの間でかなり話題となった。結局南井騎手が乗ることとなった。そして1番人気で宝塚記念を勝ちG1初制覇である。

 秋はまた武豊に騎手は戻る。初戦は毎日王冠。ここでは4歳馬にエルコンドルパサー、グラスワンダーという大物が出走して来たが、彼らを敗っての勝利である。しかもいつもの様な大逃げではなく、普通の「強い逃げ馬」の勝ち方で勝ってしまった。これでスズカの強さは誰もが認めざるを得なくなってしまった。

 そして2度目の天皇賞。去年とは違いサイレンススズカ一色といった感じだった。圧倒的な一番人気。「一番人気はこない」というジンクスのある秋の天皇賞である。私は東京競馬場の1コーナーのそばの指定席で観戦していた。スズカの馬券は買わずに他の馬券を買っていた。もちろんスズカに負けて欲しいからではない。配当的妙味を考えてである。スズカが勝ったら馬券が外れても全然悲しくないだろうし。

 「一番人気はこない」。このジンクスは予期せぬ形で、なおかつ最悪の形で実現された。大ケヤキの前までは大逃げを打ち順調に進んでいた。しかし、ケヤキを過ぎたあたりで、突然スピードが落ちる。ばてた、あるいは押さえたにしてはマイナスの加速度が大きすぎる。故障発生である。4コーナーでコースを外れ、彼は私の視界から姿を消した。

 「競走馬としての復帰は無理でも無事でいてくれ」そう思いながら最終レース終了後ダービースクエアで行われていた「天皇賞回顧」というイベントを見にいった。そこで登場した井崎脩五郎(他の人だったかもしれない)がサイレンススズカ予後不良を告げた。会場にどよめきが走り、私の頭の中も真っ白になった。馬券は外していたが、仮に馬券が当たっていてもちっとも嬉しくなかっただろう。ライスシャワーが殉死した宝塚記念のときも杉本清アナが「私の夢(ダンツシアトル)が勝ちました。しかし素直には喜べません」と言っていたような気がする。

 日本競馬界から1頭の現役スターホースが消えた。私もかなり入れ込んでいた馬である。サイレンススズカはその類い希なスピードで天国まで駆けていった。しかし、私の心の中ではいつまでも走り続けていることであろう。

  


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