毛皮のマリー


〔観劇日〕 2001/4/02(月)、05/25(金)
〔作・演出〕寺山修司/美輪明宏
〔出演〕    美輪明宏/及川光博/麿 赤兒/菊池隆則/若松武史/ほか

【あらすじ】
  贅沢な一室には、美貌の男娼・毛皮のマリ−がバスを使っている。下男の醜女のマリーに世話をさせている。
そこに美少年・欣也が現われる。マリーが応接間に放った蝶々を捕虫網片手に追いかける欣也。さながら応接間は 大草原といったところだ。一歩も外へは出たことがなく、18才の欣也は毛皮のマリーにしてみれば意のままになる 少年。その少年も外の世界に出ることになるが、傷ついてまた毛皮のマリーのところに戻ってくるのだった。
男娼のマリーは、欣也の母親となっている。この親子の近親愛と憎悪が入り交じった物語である。妖しく哀しい 物語がゴージャスで魅惑的な世界として描かれる。

【4/2(月)の感 想】
  舞台は、豪華な部屋の雰囲気を漂わせている。バスタブにつかっている毛皮のマリーと下男がいるところから始まった。
今回は、美輪さんの演出・美術・音楽ということで、どんな舞台を見せてくれるのかと期待して行った。期待通りの部分とすこし がっかりした部分と6対4くらいの割合だったかな。

出演者は、みなさんが適役でした。
麿さんは舞踏家でもあるわけで、役者が舞踏を舞い、そして演じる独特の色が見えた。麿さんの世界が 見えた。小さな笑いの中に哀しみを背負っている下男の醜女のマリーには、麿さんはぴったりでしたね。

そして、最高に良かったのは、若松さんの美少女・紋白だ。ペチコート付きのピンクのミニドレスを着て 白の膝上までのブーツをはいて、15センチはあるだろうヒールなのに軽やかに階段を駆け降りたり昇ったり。 たまに、ピンクのフリルのパンティが見えて可愛かったりする。可愛いから可笑しいんだなぁ。若松さんは、17年前にもこの 美少女を演じていたのだから、考えてみれば再び美少女をできることがすごいとしか言い様がない。首や膝のまわりは、やはりお歳のしわが 目立ちましたが、膝上から太ももまでは、筋肉がきれいに見える良い足をしていて、これなら近くで見ていても耐えうる姿だと思った。

マドロス役の菊池隆則さんは、お顔立ちから見ても良い人だと思わせる。全身日焼けされた身体に、赤いふんどし。そして大漁旗のような柄の長い半天が ぴったり似合ってしまっていた。毛皮のマリーとのやりとりにも優しさが出ていて快かった。

そして、及川光博の欣也。上品な綺麗さが美輪さんのお目に適ったのは、舞台を観てよく分った。綺麗なことは確かだけれど何か物足りなさも 感じた。それは何だろうか? 初めての舞台で、あれよあれよという間に稽古が進み、初日が開いたのでしょうね。楽日までにどこか変るところが あるでしょうか? それを確認したい気持ちもある。ミッチーは良くやっていると思うけれど、私にとっては、いまひとつ。という ところかな。メリハリもあることはあるのだけれど、何か足りないと感じた。何が足りないのか分らない所を明確にしたい気持ちだ。

美輪さんは、この毛皮のマリー役もこれ以上年齢が上がってしまうと出来ないのではないかな? 今回がぎりぎりと思いました。 全体的に、観客に分かりやすく噛み砕いた台詞が私にとっては、つまらないものになっていた。今日、パンフレットをじっくり読んでみた。 観客に親切にしたという。台詞の裏にかくされている部分を今回は、台詞そのものを変えて、すんなりと理解できるようにしたそうだ。 台詞の裏に隠されているものを見る側が想像したい。噛み砕いて話されては、演出者の言いたいことは正確に伝わる だろうが、面白味に欠けるのではないかと思った。私は、やはり天の邪鬼?

美輪さんを美しく見せていた赤の照明の使い方が良かった。何を言いたくて、何を美しく見せたくて、何に感動させたいかが良く分る演出だった。

今回は、美輪さんの世界に、どっぷりひきずりこまれることはありませんでした(笑)。しかし、虚と実、純粋と不純、愛と憎悪、美しさと醜さ、上品と下品などなど、 が入り交じった世の中で、この親子の関係は? 親子であって親子でない愛と憎しみが哀しげに広がる最後のシーンが印象的でした。「もうい〜いかい」「ま〜だだよ」と かくれんぼの鬼になる毛皮のマリー。その横で欣也も自らの意思で両手で自分の目を塞ぎ、毛皮のマリーと同じ気持ちになろうしたとき、私は、ほっとするより哀しみが溢れた。
いつもより少し疲れた。110分の上演時間なのに、ずっと長く感じた。
('01/04/04)

【5/25(金)の感 想】
  今日は、グリーンホール相模大野での公演。6:30pmに開場したが、男性スタッフの人数が多い。静かな舞台という理由で私物で音の出るような物は、事前に預けるように促される。 きっと、地方公演をしていてマナーの悪いところもあったのだろうと推測する。美輪様のお叱りがあったのではないかと勘ぐってしまった(笑)。 でも、男性スタッフは、キビキビとしている中にも丁寧さがあってとても気持ち良い応対ぶりだった。

母を連れていったので、あらかじめ刺激の強そうな場面(笑)については簡単に説明しておいた。母は、美輪様のファンなのだが、ミッチーの綺麗さも見たかったらしい。私のミーハーの血は 母ゆずりだったのね。と今頃気付く私。開演までの間に昔の歌が流れていて母が子供の頃に聴いたことのある歌だと言っていたが題名までは分らなかった。きっと大正末期か昭和初期の歌だったのでしょう。

前回は、前から二列目ということで役者の方々の細かい表情は見て取れたのですが、舞台を固まりでみることが出来なかったので、今回は舞台から離れているけれど、とても満足でした。 舞台美術・照明が見事に寺山作品を表わしていました。あいかわらず、美輪様はお美しく七色の声を使い分け、舞台を楽しませてくれている。今回の毛皮のマリーでは、抽象的な台詞回しから噛み砕いて 観客がたやすく理解できるようにと、台詞が随分に長くなっていました。美輪様は、しゃべる量が沢山でた〜いへん。なんて思ってしまった。マドロスとマリーの会話は、私たち大人は理解できていると思うけれど、 若い人たちに虚実の考え方がどれだけ伝わったかなぁ。などと考えなくても良いことまで考えてしまったぁ(笑)。美輪様は、5/15で66歳のお誕生日を迎えられたのですよ。肌は白くきれいでお若い。

及川ミッチーは、成長していました。やはり後半に観に来てよかった。欣也としての動きにぎこちなさがなくなり、感情移入も途切れることなく演じられていたと思う。つぎは、なにをして・・・という 段取りを考えているところが最初観に行った時に感じていたのだと、二回目を観て気付いた。美輪様に鍛えられて舞台での役者ミッチーもいけるのではないかしらね。マリーさんといる時の欣也と紋白といるときの 揺れ動く欣也が前回より、ズンズンと伝わってくるものがあった。

若松さん演じる紋白は、相変わらず可愛い(笑)。うしろの席の女の子(20歳前後)が「や〜こわ〜い」と言ったのを聞いて、「これこれ、良さが分らないんじゃのぅ」と心のなかでつぶやいてしまった。 ガングロのヤマンバ化粧の実際の女の子の方が恐いわ。と舞台を見ながらよけいなことも考えいしまった(笑) 若松さんの足は、やはりカモシカのように美しかった。

マドロス役の菊池さんは、相変わらずの素敵な身体を見せながら赤いふんどしに長靴に大漁旗柄の長い半天。黒く日焼けした背中と胸には刺青が施してあり、右上腕部には、二羽?三羽の蝶々の刺青がくっきりと。 お世辞も言えない、しゃれっ気のないマドロスだからこそ、マリーの心の中の苦しみと哀しみが分ったのでしょう。マドロスがマリーの話を聞いているときの表情がすごく良かった。最初はマリーの身の上話に怖がって いたマドロスにも、分ってきたんだと思うと何だかウルウル来てしまった。

最後に出演者が登場して客席に向かって礼をするが、軍服姿の男、割烹着姿の女、学生服の男が出てくる。美輪さんは、ここで寺山修司さんと両親を登場させているのだと言う。 舞台全体の中で場面によっては、首を傾げるところも(極端に言えば無くても良いと思うところ)一回目を観た時にはあったが、今回観て美輪さんが解釈した寺山さんなんだと思うことができた。 とにかく二回目を見ることができて収穫があったし、自分の中での毛皮のマリーに整理がついたという感じでしょうか。 ('01/05/25)



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