【卒塔婆小町】
〔観劇日〕 2001/7/31(火) 〔作〕 三島由紀夫 〔演出〕 蜷川幸雄 〔出演〕 壌 晴彦/横田栄司/その他 【あらすじ】 みなさん、よくご存知のストーリーだとは思いますが・・・ 舞台は夜の公園。何組ものカップルが公園のベンチで抱擁している。 そこへ、なんとも表現のし難い汚い身なりの老婆がタバコの吸い殻を拾いながら舞台へ登場。 一組ののカップルを追い払いベンチを横取りしたところに、酔っ払った男が現れる。 夜のベンチは恋人たちのものだという男に「彼らは死の世界にいて、生きているのは私のほうだ」と 言い返す。 「あなたはいったい誰なんです?」と聞き返す男に、99歳の老婆が答える。「昔、小町と言われた 女さ。私を美しいと言った男はみんな死んじまった。私を美しいと言う男はみんな死ぬんだ」
老婆が男に頼まれて80年前の話を始めると、場面は明治時代の鹿鳴館の庭に変り、舞踏会にのために
着飾った男女が現れる。20歳の小町のもとに深草少尉が百夜通いをしていた。
【感 想】
詩人役の横田栄司さんに、身の上話をしていくときも99歳の老婆に色気があり、20歳の小町に変った
ときも腰はまっすぐのび、背筋もまっすぐにして詩人とワルツを踊る。老婆なのに20歳の美しい女を
想像させてしまうのだからすごい。台詞(言葉)の美しさを感じるが、壌さんがしゃべっていても美しく
聞こえるのだから、演じる壌さんはさすがだなぁ。と思った舞台でした。
横田さんも、老婆の話を最初は胡散臭いと感じながら聞いていたのが老婆に引込まれ、いつしか小町に
なった老婆に少尉が引込まれていく流れを情熱的に出していました。ただちょっと台詞で力み過ぎる
ところがあり、そんなに力まなくても伝わるのでは・・・という箇所も有り。ついに「美しい」と言って
しまう少尉は、死んでしまうのだが、「美しい」という言葉を言わせないようにする小町と、「美しい」
と心からの言葉を言いたい少尉との感情の交差するところが良かった。
普通の芝居の半分の時間なので、あっという間に終ってしまったが、中身の濃い芝居でした。
【弱法師】
〔観劇日〕 2001/7/31(火) 川島夫妻も実の両親も俊徳は自分たちのところにいるのが一番幸せなのだと言って譲らない。 調停委員の桜間に俊徳は、「養い親たちはもう奴隷ですよ。産みの親は救いがたい莫迦だ」「みんな僕をどうしようというんだろう。 僕には形なんか何もないのに」と言った。 級子がきれいな夕映えに感嘆の声をあげると、俊徳は、炎にめを灼かれたときに見た「この世の終わりの景色」の幻影に襲われるのだった。
【感 想】
調停委員の桜間と川島夫妻、高安夫妻との話し合いの場では、それぞれベテランの役者が揃って良い味を
だしていた。筒井康隆はいつも同じような役柄だが、存在感はある。鷲尾真知子は、なんて細い人なのだ
ろうと改めてびっくり。声の通りはよく後ろまでよく響いていた。
藤原竜也は、さすがに蜷川さんの秘蔵っ子だ。メリハリがあって、さらに流れるような台詞がメロディの
ように聞こえてきた。そして、桜間が夕映えの美しさを「まあ、きれい」と声に出した時に、俊徳は空襲
のときの炎を思い出し、夕映えの赤が目を灼かれたときに迫ってきた炎の赤と重なって恐怖となった。
脅えとうろたえるときの俊徳の動きが、自分にせまってくる恐怖を身体中で表わしていた。この役は
エネルギーの消耗が激しいと思った。盲目だからこそ、せまってくる恐怖を振り払うような動きが必要で
きっと、体の中から自然とあの迫力が出てくるのだろうな。と。
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