食卓の木の下で

遊◎機械/全自動シアター

〔観劇日〕 2001/04/23(月)
〔脚本〕    高泉淳子
〔演出〕    白井 晃
〔出演〕    高泉淳子/山崎 一/白木美喜子/宮地雅子/富浜薫/白井 晃

【あらすじ】
  子供のころの家族との語らい、食卓を囲んだ楽しい思い出、そして子供ながらに傷ついた心をずっとひきずったまま 大人になり、いやされることなく過ごしてきてしまった女性が、やっと心から一緒にいたいと思う人に心を投げ出す までのお話。
子供の頃、弟が死んだ。それが元で両親が離れ離れになった。傷ついた少女のころを回想する。 一緒にいたい人、その人も彼女と一緒にいたいと思っていた。けれど、彼女がその気持ちになってくれるまで ずっと、ずっと待っていてくれた。幼い頃、家を出ていったままの父親に似てるその人は、ずっと彼女を見守っていてくれた。 まるで、庭にそびえ立っている大きな木のように。

【感 想】
  この高泉淳子という女優は、なんなんだろう。多才すぎる。最初、初老の婦人として登場し、お年頃の時代にもどり、 そして、10才の少女で登場する。話の飛び具合で、年頃の大人の女性でいたかと思うと、10才の少女になり、これは、 ストーリー以外の感動ものであった。

10才の子供の、お調子者の部分と、子供ながらに妙にまわりに気を遣う部分を「まったくそのとおりよ」と思わせる 演技をしてくれていた。食べているときの口の開け方、指の使い方、歩き方、声の出し方、すべてに関して、10才の 少女がそこにいると思わせてくれた。

感動するとか涙が出るということは、自分が経験してきたことと芝居の内容を擦り合わせて見ているから、そうなって しまうのだと思う。自分が経験したこととどこか似ているとか、この悲しみ知ってる。この楽しさも知ってる。という 部分が感動や笑いや涙を出させているのだと思う。いや〜泣かせていただきましたよ(笑) 笑わせてももらったけれど、 子供の頃の思い出が蘇えって来ました。自分の子供の頃のお調子にのっていた時、回りの大人を笑わせて「ひょうきん な子ねぇ」といわれていた時、こんなだったなぁ・・・。と、書いていても何だか涙が出てくる。

小さい身体の中で精一杯、大人の言動や行動に反応していたあの頃。ひとり傷ついていることを大人は知らないあの頃。 そんな子供を高泉淳子が見事に表現していた。この芝居、いつ思い出しても感動がよみがえってくるような気がする。 私には、見守ってくれていた庭の木があっただろうか? と考えてみる。 ('01/04/24)



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