昨年の通称「ハッピーマンデー法」の施行により、2001年は、1月8日に成人の日が設けられ、私めも晴れて大人の仲間入りをいたしました。毎年、式における新成人の傍若無人さが報道されるわけですが、今回はその件について、すこーしばかり考えてみたいと思います。
ここ2.3年、新成人の式典に挑む態度がなっていない、だの、そんな式なら税金を塚手間でやる意義がないだの、無責任な発言をするコメンテーターがいることを残念に思います。成人式の起こりは1946年、埼玉県蕨市で行われた「成年式」に端を欲します。西暦から見てのとおり、第2次世界大戦後のため、希望を失いかけている若者を元気づけようと企画されたもので、来賓も2〜3名、式典の他に余興もあったということであります。それに対して現在の式典はいかがでしょうか。来賓も10数名、しかも自分の住んでいる自治体首長や、恩師の祝辞ならともかく、今まで見たこともない「衆議院議員」「参議院議員」「(都道府)県会議院」から果ては「教育委員会委員」まで、知りもしないメンバーが壇上にあがって、個々に祝辞を述べる有様。こういうときにぴったりの言葉がありますね。「初心忘れるべからず」ってやつ。
だからといって、私は「成人式暴走族」のきゃつらがやってることを容認する気はさらっさらありません。あれは多分、ヘンな意味での目立ちたがりやなんでしょうね。中学校のころのあいつ等はきっと、自分等が式に立ち会う歳になったら、あんな事をやろうとは思ってなかったと思います。多分、ニュースを見て、「あんなことをしてやろう」という、便乗犯・確信犯だと。そんなわけで、マスコミの過剰なまでの反応も、問題の一端を担っていると思います。なにも、報道管制を敷けといっているのではありません。あまりにも巷にニュース番組があふれている中、その全てがそれを諄いくらいに報道しなくても良いのではないか、といっているのです。
最近では自治体も、こういうのの対策として、実行委員会として、新成人を取り込む、式典を短くする(第1パラグラフに書いた事からすれば「初期に戻った」)、会員制にしてしまう、など、あの手この手を尽くしているようです。私の町では、「取り込み型」と「式典縮小型」を併合しており、式典そのものは30分で、静寂を保ったまま終了し、後の1時間は歓談タイムに割り当てられておりました。因みに式次第は、コレくらいの式の内容が妥当なのではないでしょうか。
開会の辞・国歌斉唱・記念品授与・町長祝辞・来賓祝辞(2名教育委員と恩師)・来賓紹介 並びに 祝電披露・新成人交通安全の誓い・新成人答辞・閉式の辞 以上でありました。これで30分という事は、来賓祝辞も文面を割愛していると思いますが、この位の努力はしてから、行政担当者には「中止だ!」などと逆ギレしていただきたいですね。
仮に、行政主体の式典を止め、どこかの学者サンが言っていた「大きな同窓会」にするなら、それはそれで結構。これなら会費制にして、更に行政主体にせず、主催は新成人・協賛が自治体としてしまい、それなら、それなりにに経費も削減できるのではないでしょうか。先例として、岐阜県岐南町が、隣街している岐阜市のホテルで「成人のつどい」という、会費制のパーティーに切り替えたのは記憶に新しいところでしょう。だから、決して「全廃」というのではなく「発展的解消」として、晴れ晴れしい式典は残していただきたいのだが、いかがなものでしょうか。
最後に、マスコミ絡みの各コメンテーターが言う「成人式撤廃」案に対して一言。
成人式を撤廃することで、行政は勿体ないカネを支出することは確かになくなるだろうが、他の一般的な人間にたいして、あまりに失礼な発言である。仮にも影響力のあるテレビに映っている人間なのだから、それなりに物事を考えてから常に語って欲しいと思って止まない。