時は1999年9月2日(木)、午前11時50分過ぎ、アルバイト先(名古屋三越星ヶ丘店)から外の居酒屋の昼定食を食べに行こうか?と、2人で歩いていたところ、昼食後半組の人から携帯電話でお呼出しがかかった。
内容は、今すぐ1階玄関前集合だって、とのこと。こっちはあと1歩で店のお姉ちゃんに注文をするところだったのを、恥ずかしい思いをして店を辞して、必死こいて走って店まで戻ることになった。
息も絶え絶えになり玄関に到着。すると、お呼び出しをかけてくださった社員氏と、そばに集音マイクを持った人、VTRカメラを持った人、そしてディレクター風のメモ帳を持った人が立っていた。社員氏に耳打ちされた所によると、「○人の監督がもう一年残留することを、まぁ、言ってみれば歓迎するようなコメントが欲しい。」「そこで、中日ファンのおまえを筆頭に、そういったインタビューシーンを収録したい。」と、いうことなのである。もう一度同じようなことを、ディレクター風の人物からも言われる。ただ、この方が、TBSの収録なのに、「関西弁」をお使いになったことが、後の仇となる。
ということで、私が主としてインタビューを受ける羽目に。何度か収録をするが、その度にディレクター氏の方言が移り、「関西弁口調」になってしまうのだ!「関西の訛りあるけど、向こうの人間?」と訪ねられたほどだ。でも、私は正真正銘の名古屋(の隣の海部郡)人。必死になって訛りを出さないで行こう!と、思うほど、どもってNGになってしまう(私はNGを出す俳優さんの恥ずかしがる気持ちが、このとき、よ〜く分かった)。で、30分くらいの間で6回ほど、収録につきあったであろうか。私の癖である「早口」が丸出しのまま、収録は一応終了。その後、昨シーズン中に有名になった「大龍殿」の前でのポーズ収録で、無事終了。結局その後、昼食は摂らなかった。なぜなら、みんなして「土曜日のブロードキャスター、俺が出てるから、見てくれや」って、連絡しまくっているから・・・。
・・・結局、使われた画像は、最後に「大龍殿」前で撮られた「○嶋さん、頑張ってくださーい!」という、わずか3秒足らずのものであった。この模様は、翌々日・9月4日(土)の、「ブロードキャスター」内で放映されたらしい。なぜ「らしい」だって?私ゃ恥ずかしくて見てなんかいられないよ(笑)!