待ちに待って、やっとはじまった学校祭。とはいえ一般開放はしないので、身内だけの淋しい内容でありますが。朝は、いつものように8時30分までに登校すれば可ではあったが、様々な野暮用(というのも午前中の「合唱コンクール」のための最後の調整のため、ほぼ全クラスが7時30分から45分までに登校しているのである)もあり、私は7時30分に登校。とりあえず全員が揃い、声だし、の後2回ほど通して歌う。ちなみに前日は展示のほうが間に合うか否かの瀬戸際だったため、ちゃんとした練習をしていなかった。ラジカセ(学校創立当初からあるような古い代物)をかけて口ずさむ程度だったので、ここで歌うことで完成したことになる。・・・あとは私の舞台挨拶なのだが・・・。
実は私は前日に、学校から「おまえのカメラを持参してくれ。展示の写真を撮影してもらいたい」という依頼があり、せっかく勉強用具の要らない軽装できる日に、カメラのフル装備をもって登校。職員室へフィルムを受け取りに行く。もらったフィルムは2本。これで「有志演奏(要はバンド)」と「展示」をとってもらいたい、ということであった。
さて、ようやく開会宣言。この文化祭は生徒会主催のはずなのに、なぜか影に教員が暗躍している姿をみかけ、非常に落胆(「うちの生徒はこんなものも仕切れきないのか・・・」)しながらも、合唱コンクールはスタート。審査員は、音楽の教員(2)+担任を持たない教員(約10)+各クラスの伴奏者(24)で行われる。いかんせん素人点の方が配点ウェイトが高いので、必然的に最後のほうのクラスが有利なのである。我々はどういうわけか、1年生では最後の21番目。全校通しても最後から3番目というかなり有利なポジションであった。
とにかく長い待ち時間の末、ようやく自分たちの番に。まず、「舞台挨拶」というイベントがあり、クラスの代表者が1人、緞帳が上がる前にクラスの合唱の聴き所を紹介するというもの。皆が嫌がるので、私が「さらし者」の役を引き受けることに。確か「とにかく元気があって、歌うことが好きなクラスでした。先に歌った2年生に負けないくらい「空駆ける天馬」のイメージが湧くでしょう。」というようなことを話した気がする。
これがなぜかウけて、また私の指揮っぷりが過剰だったことも相成り(そのときは散髪前だったのでちょっと長く、髪がゆれたのだ)、合唱終了時は、半分意味の分からない笑いに包まれていた(きっと観客席側を見ていたクラスの皆は歌いにくかったろうなぁ・・・)。
すべての成績発表は最終日なので、初日午前は、これでつつがなく終了。私は弁当を持って控え室を抜け出し(控え室で昼食を取る規則になっている)、部室へ直行。弁当をつまみながら最終調整を行う。何せ、当日朝に準備が一切出来ないので、こんな時間までかかってしまうのである。おまけに私は写真撮影の旅に出発しなければならないので、慌てることしきり。かくかくしかじかと作業しているうち、展示廻覧開始時刻になってしまった。
(私がなぜか指名され「裏表紙」という約束で書いた拙イラストが表表紙になった)冊子(※美術館参照)を廊下に出し、客(とはいえ生徒)を迎え入れる。
一方で私は例のごとく写真撮影の旅に出発。ちょうど物理班の展示会場(物理室)からは最も遠い、離れた教室へ行き、「有志演奏」を撮影に。私は千種高校で同様のものを聞いてきているため、若干写真のとり方を心得ているはずであったが、本校の連中は、ほとんどが見栄え重視で中身(歌唱力・演奏力・トーキング力など)が伴っていないのであった。ちょっとやる気をなくすが、仕事なので仕方がない。熱気ムンムン(※注1)の中を人込みを掻き分けて最前列まで出かけ、どうにかこうにか仕事を終了。続いて展示教室を巡回するが、どういうわけか人間が少ないのである。内容も淋しい(先の高校のように、教室に「覇気」が感じられない)、どこか投げやりな感じが否めなかった・・・。
「うちの学校じゃこんなものか・・」と、落胆しまくり初日は終了。翌2日目(最終日)は、午前中が展示を廻覧する時間に割り当てられていた。展示のウラ企画で、青年海外協力隊でパナマへ行っていた先生のご講話や、「インディペンデンス・デイ」のビデオ鑑賞など、あの手この手で生徒を飽きさせないような企画を、生徒会も考えたのであろうが、いかんせん教師からの受け売り企画。私はさらさらそんなものにお世話になる気はなく、ひたすら物理室でお客を相手にしていた・・・。
実は初日に偵察にきてくださった先輩が、「エアホッケーの得点盤に」と、C言語で作った得点盤プログラムを持参してくださり(現在も稼動していることだろう)、また一通り見学して暇になったのか、手伝ってくださったりと、管理がかなり簡略化された。
二日目午後、フィナーレは講演会。中野良子さんをお迎えしてのお話だったのだが、いかんせん本校の現状を批判的におっしゃられるので、教員(もっぱら校長/教頭)の受けはよくなかったようである。私はといえば、同じような身の上話を繰り返されるので、眠ってしまった(汗)。
質疑応答の時間は、ちょうどその時期に氏が「ビストロスマップ」に出演していた為、その味はどうだっただの、ご褒美のキスのときはどうだったかだの、他愛もない話だったと思う。ま、勉強ばっかり押し付ける高校で、こんな話が出てくるとは、ちょっとびっくりしたのを覚えている(所詮高校生は高校生なのです)。
講演会の後はそのまま「結果発表」。教員が主観バリバリで選んだ団体が表彰されるときである。主観の条件はただひとつ。内容が真面目でかつ文化的かである。生徒間でどれだけウケがよくても関係なし。観客動員数も関係なし。とにかく「文化的研究内容」なら、いいのである。
自分に関連するところの成績をいえば、クラス合唱・1年生の部優勝(各学年の部と総合部門がある。必然的に3年生が持っていくので、総合はいらない気がしないでもない)、クラス展示優秀賞(「教室をいっぱいに使った、見るものを楽しませる展示で、近年にない展示の手法だった」って、よその学校なんかもっとすごいってゆーの。「井の中の蛙大海を知らず」っていうのです。これを)、最優秀展示は、我が科学部(但し科学班)となっていた。我が科学部物理班の審査員のコメント(概略)は、『エアホッケーなど随所に製作の苦労がうかがえるが、いかんせん遊びの領域にとどまっており、そこを突き詰めた研究が待たれる』ということであった。私の解釈ではあきらかに前半部分は取って付けられたもので、後半のそれこそが言いたいことのような気がした。生徒受けでは明らかに全校1だったのだが(後日談)、認められないという典型的な例であろう。
かようにして、われわれの熱かった夏は終わった。何か悔しいので、私は自分のところ(部活も、教室も)の片付けはほったらかして、科学班の打ち上げ(※注2)に参加し、ジュースと菓子を食いまくったのである。
※1:南隣に小学校がある関係上、防音の観点から、また演出上の関係もあり、窓ガラス一面に裏から黒のビニール袋(いわゆるゴミ袋)を張ったのである。おかげでまぁ中の暑いこと!!私が撮影用に持ち込んだ一眼レフなど、あまりの蒸し暑さに曇ってしまい、しぶしぶ冷却(?)に、外まで出て行くことも何度かあった。そんな中で、全身汗まみれになってまで体をゆすって(あまり上手とはいえない)演奏を聞き入る聴衆の姿は、私には(あまり)理解できなかったなぁ・・・。