さて、高文祭明けも何もない平和な時期であり、強いて言えば苦渋の、第1回「人生の選択」の文理コース選択があるのだが、化学嫌い・数学嫌いな私は無条件で文系を選択。おかげで担任に文句を言われることもなくスムーズに面談を済ませられた。
5期考査の後(私はまた化学が赤点(3回目・ロン!))、「クラス文集」を作ろうと言う話になり、LT委員の私は同志を募った・・・のだが、誰も手伝ってくれず、仕方がないので同クラスの友人にヘルプを求めて手伝ってもらったのだった。後々、出来栄えの感想を手にしたクラスメイト聞いたところ、これだけは言えた(奴さんがのたもうた内容は忘れたが、私の反論は覚えているのです)。
後から文句言うくらいなら手伝え!期限までに原稿提出せよ!自分のことしかやらない連中に文句を言われる筋合いはない!
で、タイトルのことである。我々のクラスが合唱コンクールで学年優勝したことは前(第11回)にも述べた。その副賞がこれ、「入学式の校歌紹介の合唱権」である。但し、美術選択の人は、校歌練習をしていないので、音楽の授業が我々のクラスと一緒のクラスが相方になり、歌わされることになったのである。ちなみに翌日は「第1回実力考査」。2年生最初の試験である。多少は無駄な悪あがきをしたいものなのに、その時間を割いて手伝えと言う、(自称)「進学校」としては極めて無謀な出校日である。
当日はまず8時30分ごろ学校正面玄関に集合との事なので、普段通り自宅を出発。自転車を転がすと、あちこちに初々しい制服姿の新高校1年生の姿が。東(名古屋市)方面へ走っていく制服を見ると「楽しい学校生活を送れよぉ」とエールを送る一方、自分の学校の制服を着た人物が、同じ方向へ向かっているのを見ると、「可愛そうに、勉強だらけの監獄へようこそ」と同情と哀れみの視線を送っていた。
学校に到着するも、誰も同様の「招待客」はおらず、一人寂しく「受付」のパイプ椅子に腰をおろす。本来ここは教員の持ち場(だいたいこの学校は、行事において生徒を信頼していないのだ)なのだが、職員朝礼らしく誰もいない。机上の忘れ物「入学式次第」を読みながら、午前中が潰れることを覚悟する。
そうこうしているうちにぞろぞろと仲間も増え、また朝礼を終えた教員も顔を出し、点呼(出席日数つかないのにどうして点呼とるの?!)。その後の説明によれば、我々「無償奉仕団」は、登校してきた新入生とその保護者に、クラス分け一覧プリントを配布し、その後生徒をそのクラスにまで連れて行く(連行する)仕事をあてがわれていた。仕事の開始時刻になり、40人全員が昇降口の前で待ち構えていてもしょうがないので、私は教室棟の渡り廊下(1年生の教室は第2棟と第3棟にまたがっているのだ)で構えて、右往左往している監獄の雛鳥を捕まえようとしたのだが、幸か不幸か私の前に迷子ちゃんは現れなかった。仕方がないので、あちこちの教室を覗きに行き、知った顔やらなにやらに声をかけてみた(明らかに警戒されたが・・・それもそうだ)。
1つ目の仕事も一段落し、昇降口前にて束の間の休息。みんなして先ほど配った「クラス分け一覧」を見ながら、自分の可愛がった後輩がいないかをチェック。私も見てみると、部活(科学部)の後輩が1人、中学校の中で「(演説の際の身振り手振りや、リアクションが)そっくりさん」と表された人物などがわざわざ進学していた。ご苦労なことである。自分としては中学を訪れた際に、「楽しい高校生活を送りたいのなら、絶対に来てはならないぞぉ!」と散々わめき散らしたのに・・・。ま、中学校から上がってきた生徒総数が、私の学年の総数より5人ほど少なかったことで、効果はあったものだと自己満足することにする。
周囲も「ああ、この子来たんだぁ」とか「畜生、あいつ絶対来るとか言っていたのに、裏切りやがったなぁ!」など、さまざまな感想が飛び交う中、現れた教員が
「プリント回収!」と一喝。
「(生徒一同)・・・?」
「明日になれば、誰がどこのクラスにいるか自分の目で調べられるから、今日は回収する」と、さももっともらしい御託を並べたが、どう見ても機密(と言うほどのものでもないが)の漏洩を恐れての回収命令であろう。私は速やかに1部を上着のポケット内、文庫本の間に挟み込み、手元に残った2部を教員に差し出した。別にこれを使ってどうしようとか言うのではなく、反骨精神の発揮であった。ちなみにクスねたプリントは、部室のホワイトボードに張り出しておいた。顧問も何も言わなかったし、そこまでやる必要が本当に必要だったのか、未だ分からない一件であった。
この教員に引率されて、体育館脇に移動。そこでの待機を命じられる。体育館内からは、普通なら終わっていてもよかろうに、校長先生のご講話が続いていた。かなり時代錯誤な内容(※参考1)を語っておられるようである。この校長は学校に夢を持っておられるのはいいが、それが私に言わせるところの「昭和50年代、本校が最も生徒を拘束し、シボッていたころの復活」という内容なのはいただけない。こんな上司の下で働かされる教員も大変だろう、とちょっと同情してみる。
その後の「生徒代表の言葉」を聞き、これまた学校に幻想を抱いているなぁ、と思った。キミの言うような「甘い高校生活」はないのよ。毎日予習に追われ、課題に追われ、学校行事は教員主導、自分たちの手では「何も」作り上げられず、学校に残す功績と言えば「大学進学の栄光」だけ。周りの目も、この学校の制服を着ているだけで、世間一般以上のふるまいをしないといけない学生、と見られているのですよ。・・・
などと一人でブツブツ言っている間に、出番が来たらしい。「校歌、紹介」の司会者の声と共に舞台に上がる。(その頃は両目1.5あった視力で)下界をぐるりと見回すと、教員たちの「をい、しっかり歌ってくれるんだろうなぁ」という期待の目、保護者の「わざわざ出てくるの?」という驚きの目、そして新入生の「・・・・・」という緊張した視線が注がれていた。かくして伴奏がはじまり、歌うことになる。この場でふざけることはさすがにできなかったなぁ。
無事斉唱が済み、お世辞と義理の拍手に送られて舞台袖へ引っ込み、その場で解散と相成った。「明日からの実力考査をちゃんと頑張るように」という嫌味な一言と共に。だったら今日呼びつけるなよぉ。と、心の中で叫びながら、「英語の構文150」の一夜漬けをする為に、時速20Km/hのスピードで自転車をこぎ、高校を後にしたのだった。
なお、翌日のテストは散々の成績であったことを、付け加えておく(自業自得だってゆーの)。