第16回:最悪の災厄その1!学級役員選出からスポーツ大会、そして修学旅行準備まで

 時間的には第14回からつながりますので、その点ご了承くださいませ。

 さて、学級担任も決まり(あまり嬉しくない)、そのまま教室に。初日の実力考査の前に、担任から一言あるのは、どこの学校でも同じであろう。うちの担任は「死ぬな」とのたまった。ごちゃごちゃした理由は割愛する(または忘れた、という)が、割とまともな教員なのでは?と思ってしまった。コレが間違いと気づくのは、もう少し後のこととなる。
 さて、初日の試験も終了し、帰りのST(終礼)の時に、私にお呼び出しがかかった。「職員室へ」と言い残して帰られるので、(翌日の試験科目の一夜漬けや、前回参照の「部活動紹介」のシナリオ製作に)忙しいなか渋々職員室に出向く。向かうは生徒指導課の部分。なんとなく嫌な気分になる。この教員の付近だけ、どうにも近づきたくないオーラが出ている。・・・

「すみません、お呼びでしょうか?」と、緊張のあまり半分裏声になった私(最も地声も半分裏声を使っておりますが)。
「を?お、おお、阿知和かぁ(アクセントがやっぱりおかしい。普通は「ちわ」なのだが、この人は「あわ」というのだ。どうも別人のような気がしてならない)。あのよぉ、俺よぉ、3年から降りてきたばっかなのは分かるだろぉ。お前(「おめぇ」、とお読みください)らのこと、何にも分からんのだわぁ。そんでよぉ、去年の担任の先生にきいてよぉ、誰か適当な適任者によぉ、クラス委員を、頼んどるんだわな。室長・副室長はもうお願いしてあるもんだで、お前(「おめぇ」、とお読みください)には、LT委員になってもらって、室長たちを手助けやってほしいんだわぁ。修学旅行や学校祭もあるで、一つ、よろしく、頼むなぁ。」
 とのことであった。民主主義の原理にそぐわないが、もっともらしい御託を並べられたのと、何よりこの担任のおっさんが怖いので、承諾する。もう一回、「ま、一つ、頼むわなぁ」という軽い調子の一言で、この呼び出しは解散するのだが、その後、さして悪いことをしたわけでもないのにここへ幾度となく出頭する羽目になることを、この時はまだ知らないのだった・・・。

 と、言うようなことで去年に引き続きLT委員という有名無実なお仕事を拝命した私。とりあえず、最初の仕事は、4月下旬にあるスポーツ大会の出場種目決めである。女子のほうは大人しく決まるのだが、男子のほうが、ちょっとオオチャクな連中がいろいろゴネて、なかなか決まらない。自分等の出場する種目において、勝ち進めるようなチームでないとイヤらしい。結局は室長と相談の上、先に根回しぶっこいて、出場種目提出日ギリギリに間に合わせたのだが、どうもこの先が思いやられる男子委員2名。この悪い予感はこの先ことごとくあたるのである。

 さて、スポーツ大会である。私はいつものように科学部物理班の仕事に邁進。今回は新入班員の1年生にもカメラを渡し、半ば強制的に仕事をさせる。別にノルマを与えたわけではなく、好き勝手写真をとればいい、といっておいたので、罪悪感は感じないことにする。私はいつものごとく、本部席に「科学部物理班写真課席」を設け、好き勝手写真を撮り、疲れたらこのテント下の課席で一服する、という破格の待遇を自ら受けていた。この席に陣取ったおかげで、この本部で居眠りしている教員の姿を写真撮影し、スクープできたのは大きな収穫であった。この大会で教員の発言について、カチンと来ることもあったが、それについてのお話は、最終回にしたいと思います。

 無事スポーツ大会も、G.Wも過ぎ去り、第1期考査。担任の日本史で平均点程度の得点しか取れなかったら、返却の際に「なぁんだこの得点は!」と罵倒されてしまった。この当時はすでに、1年生で「どんなに勉強しても得点が上がらない。」と、半ばあきらめていたため、適当な勉強しかしなくなっていた。あんまり頭にきたので、それ以降、日本史「だけ」は猛勉強して、常に平均点+20を目指すようになったのだ。口が悪いのもよしあし、と思う瞬間であった。が、

 修学旅行の準備の段階になって、このおっさんは「口も悪いし、女性びいきするとんでもないスケベ教員」という人間であることが、よーくわかった。

 この学校ではどういうわけか、学年全体を体育館に呼び出し、学年団教員一同がパンフレット(しおり、とも言う)を配布。そして学年主任のお話→下調べした教員の概略説明→今後生徒が決めるべき事項、についての説明の全行程を、1時間ほどかけて行う。その翌日、各自学級でグループ行動の班・宿泊地の部屋割りを決めるのだが、この際、どんな学校でもあるだろう。誰と誰が一緒になるだのなんだのでもめる事が。うちのクラスも案の定、期限になるのに決定せず、室長・副室長が困っていたのです。で、教員に文句を言いに行ったのである(実はこの時点から「教員主導で何と何も出来ない」という実例が如実に現れている。)が、副室長(女子)の問題には親身に受け答えたのに対し、男子には「しっかりしろ」と一喝、コレで終了。高校生にもなれば、同等に扱えばいいものを、なぜわざわざ「女尊男卑」にする必要があろうか?

 まだある。その後、3泊4日の旅程のなか、3泊目の夜には、各クラス対抗で宴会芸(「スタンツ」と呼んでいたが)を披露する慣わしがあるのだ。これの芸を決める際も、うちのクラスは担任教諭主導ですすめられた。担任の性格を反映してかどうかは知らないが、まとまらなかったので3つのグループが発表時間内を分け合って担当することになった。で、女子のみ・男子のみ・男子+女子の3グループが出来た。この際になぜか「担任披露(検閲、ともいう)」というがあり、これで男子のみ、ことごとくダメだしされたのである。男子のみのグループは言うに非ず、男子+女子の班も、男子のみがダメダメ攻撃を喰らい、しまいにはどういうわけか「お前(注:支配人=私のこと/「おめぇ」とお読みください)は下手くそだから、出てくるなぁ!」とまで言われる始末。ま、確かに練習しても下手くそな踊りのままだったし、それはそれで楽しい仕事を自分で見つけて本番を過ごした(今思えば、これをやらせる為に外したのかも、と思えるけど)のだからよかったのだが、なぜにこの人間は、男だけを目の仇にするのか、未だに納得いかない。ちなみに本番の内容については、第17回以降、修学旅行編をご覧下さい。

 この準備期間中、実は私は他所のクラスのスタンツの質問を受け、内職としてそっちを手伝っていて、部室の方へ入り浸ってその準備をしていたり(私1人でやっていたわけではなく、そのクラスメイトと一緒に、ですが)して、すでに「クラス内の浮いた男」と成り果てていたのでまぁ、担任に目をつけられる訳もないわけでは、なかったのだが。 

 いかんいかん。担任の悪口ばかりになってしまった。
 まあ、とりあえずそのように準備期間を過ごしていき、日曜日の午前中もサービス出勤して、面白くもない準備をしたりしつつ、修学旅行当日は差し迫ってくるのであった・・・。


 この頃、時を同じくして「物理班新聞」なる「学校非公式新聞」を刊行しだしました。 
第16.5回:「物理班新聞」創刊!そのいきさつ

 ここでは時期をまたいで「物理班新聞の発行から休刊(自然消滅)まで」をお送りします。

 「物理班新聞」の経緯は、この連載の「第15回:部の存続をかけて!入部勧誘作戦あれこれ」内に紹介した、

更に「取らぬ狸の皮算用」とでもいうか、2人しか先輩として説明係がいないのに、多数の1年生が「万が一」やって来た時に、読んでもらえれば活動内容がわかるようにした文字だけのパンフレットがを作って印刷して持参してきたり(これは私の寄贈品・無償奉仕)してみたのである・・・。

 この部分の記述にあたるパンフレットが、どういうわけか1年生、というより同学年の2年生に受けに受け、あちらこちらに流布していて(物理室に置きっぱなしだったはずだが・・・どこから流出したものだっただろう)、これの評判を人づてに私も聞き、「再発行」を求める声が多かったこと。これに感動して、「じゃぁ、別物として作ってみようではないか!」と、一人意気込み、この「物理班新聞」を発行する運びとなった。

 授業中に構想を練りながら反故紙の裏にちょこまかとネタとメモを記入し、それを束にして帰宅し、親への体面上夕食を食べたら勉強部屋(夜間のみで、日中は客間となっている。したがって勉強用具を放置できない。つまり「私の部屋」というものは存在しないのだ。まぁ、どうでもいい話ではあるが)へ引っ込む。さすがに宿題はこなすが、予習・復習といった、うちの高校で授業についていくのに必要な勉強をほっぽりだして、この「物理班新聞」の原稿完成にいそしんだ。そして親も寝静まる午前0時過ぎ、両親の寝室の隣にあるパソコンの前で清書・印刷をする。とりあえず第1回は15枚(も)刷ってみた。作業は2時間にも及んだ。なにせ印刷がインクジェットプリンタなので時間がかかるのだ。

 さて翌日。朝からずっと私のお手製新聞はかばんの中の封筒にしまわれている。教員に見つかっては大事なのでそれはもういつも以上に神経質にかばんを置いたとも。そうしてスリルの中ついに6限が終了。もう終礼のときも気分は上の空、もう配布するときの読者の反応ばかり気にしている。そうして手に書類束を抱えて学校中を駆け巡ったのである。結果は上々で、とりあえず完売し、更にもらえなかった方から追加を望む声まで発生した。ここでやめたら男が廃る・・・というわけでもないのですが、この先も続々刊行、最初は文字だけだったのですが、タイトルロゴを頂いたり、自分でも図表を入れたりするようにし、見栄えをよくしてみたり、記事の内容も、学校行事の解説から自分の知ってる雑学知識をひけらかすコーナーを織り交ぜてみたり、それはもう「同人新聞」として、一時はあちこちで新聞の噂を聞かれるようにまでなったのである。

 しかし、どうやら教員筋にも、私の所業がばれだしたらしく(実際、図書館の司書の先生にも配っていたしなぁ・・・)、生徒手帳にも書いていない校則、『定期発行する新聞等広報誌は、かならず学校の許可を得て行われねばならない』というものに抵触する恐れがある、と部活の顧問氏に注意されてから、私のほうも少し気をつけて、大っぴらにならないように裏から手回しして渡すようになったり(今まではどさっと、部室の顧問の目に付く場所に置き去りにしたりしたものだった)したのであった。
 まあ、そんなこんなで夏休み前までは無事に刊行しつづけ、2年の夏休みは部誌の寄稿にも忙しい中発行を繰り返し、なんとか文化祭過ぎまで製作をすることが出来た。しかしそれ以降、我々2年生は順次部活の引退をしはじめ、私の配布も部活動の時間を介して行われていたから、必然的に渡しにいけなくなり、いつしか第15号で自然消滅と相成ったのであった。

 今思い起こせば、これがあの学校にまともに反抗した、最初の事例だったなあ(まともじゃない反抗は、予備校に通っていること)。


次回は、第17回:小豆島へ修学旅行(前編)をお送りいたします。