9月になりました。相変わらず異様に問題量のある(でも昔の模擬試験のコピーだらけ)実力考査を2日がかりで消化し(当然、事前に試験勉強などというものはせず、数学の緑チャートの宿題を解く、というか解答を丸写しすることに、登校禁止期間の2日間を費やして⇒平常点狙い)、散々な結果を置き土産に、平常授業モードへ。もちろん、授業最優先のため、休憩時間にこそこそ仕事をするとか、教室に邪魔な張りぼてを置くことは禁じられ、はっきり言って、文化祭の準備などそっちのけという感じが漂う、不思議な世界が展開されている。
わがクラスでは、相変わらず、合唱中心主義が展開されており、業後の準備期間は、
15時30分〜17時:合唱練習1点張り
17時〜18時 :ようやく展示の準備
という、極めて展示に不条理な時間を頂く。去年同様、17時からは、部活動優先なので、普通に運動部の人は抜けていくし、文化部の人も人間も、そちらの仕事があるので抜けてしまう。もちろん私も、やる事だけ指示して「稲わら製作」の名目の下、脱走するのだが。
とりあえず、この9/2以降しばらくの状況というのが、もう文化祭を作る環境にあらず。なんと言ってもネックとなったのが「合唱とイチャモンをつける担任」である。合唱のイロハも分からない分際で「声が小さい」だの、「心がこもってない」だの、抽象的なことばかり言って、ヤツのOKがないと、合唱練習が終わらない。機嫌のいいときは、比較的素直に時間どおり終わって、気分よく展示の準備に移れるのだが(それでも合唱練習に疲れて、脱走して帰宅してしまうクソ男子も半数くらいいたが)、ヤツの機嫌が悪いと、歯切れの悪い終わり方になるのみでなく、時間延長などの憂き目に遭うのである。こっちはそれさえも踏まえて、用意周到に計画を練っているのに、それを馬鹿の思いつきというか、機嫌というか、それ一つでふみじられてしまう。それが許せなかった。誰のための学校祭なんだ?!担任の出世の餌か?そのためにおれはこき使われているのか?!そう考えると、私の展示に対する情熱は、ますます萎えていったのであった。
どんなに気持ちが萎えていても、部活の展示は私が責任者な以上(展示は室長が(書類上は)責任者)、放っておくわけも行かない。と、いうわけで日々、合唱終了後、机を元に戻し、やることを指示して(大抵は「牛乳パックの皮むき」。模造紙はギリギリにやることに変更。紙漉きの工具は、結局手付かず。まぁ、一日で何とかなるかなぁ・・・)、部室のほうへ顔を出し、自分の企画「U−CAS」という怪しい磁石ごまの浮かせる実験、溜め込んだ写真の現像、「万」の校正など、大忙しなのである。その為にわざわざ詳細なレジュメを作って学級のほうはお任せにしているのに・・・。だが部長としての責任がある以上、部のほうを見捨てるわけにはいかないし、なにより去年もらった、講評が気にくわないので、今年は例年以上に頑張っていかねばならない。昨日や今日始まった即席展示に、私のかわいい部活動が負けてはならないのである。
このような思いで、17時以降は、部活の展示にものすごい精を出した。学校の「準備作業は18時まで」のお約束を平気で1時間すっ飛ばしたものだ。
9月最初の土曜日、午前中は相変わらず通常授業。午後からはもちろん学校祭の準備である。内のクラスは例によって、13時から合唱の練習をスタート。もう毎日嫌々歌っているので、みんなの元気もない。展示は展示でくだらないパルプ剥がし作業しかやらせないし(といってもこれしかないので仕方がないのだが)、はっきりいって、この時期のクラスの雰囲気は最悪だったと思う。担任のクソ野郎は、あいも変わらず「声がそろわねぇ」だの「それは指揮者が悪い」だの、イチャモンしかつけない。貴様の為の学校祭じゃないんだから、黙ってろ!と、今の私なら吼えたに違いない。そんな最悪な合唱練習を終えたのが15時45分。土曜日の完全下校指示時刻は、17時である。後片付けも済ませて帰る時刻がこれである、何も出来やしない。私は再びキレてしまい(後述するが、キレたのはこのせい1点だけではない)、「文化祭当日までに持ち寄って欲しいもの一覧」を配り(もちろんポケットマネーで印刷)、『このうち最悪でも、新聞紙とミキサーだけは欲しいので、何とか協力してください。』とお願いして、その日は解散としたのである。この一件も、担任の株を下げる結果となったのだが、逆にクラスメイトの株が上がったと、私は認識している。
実はこの日、指揮者(女性ですよ、念のため)にうちのクソ担任が、「こんなやる気のない状態なら、合唱やるな」とのたもうたらしい。で、私の下に相談がきたわけだが、一応「んなこといったって、そもそも文化祭は俺らのためのイベントであって、あいつ(=担任)の出世の材料じゃないんだから、あいつが何言おうとやったらいいんだ。何なら展示の準備しながらだって、ある程度の練習は出来るわけだし。やる気は皆あるみたいだし、今日はあいつの虫の居所が悪いだけなんだよ。気にせずやればいいよ。」とアドバイス。しかし、心の底のの悪魔は、「合唱さえなくなりゃ、俺様大歓迎なんだよ。そのまま無くしやがれ!」と囁いていた。
実はこの土曜日、「万」の原稿締切日だったのである。午後3時30分入稿のため、それように準備するように原稿製作者には申し伝えておいたのだが、編集長の私自らが回収に遅刻してしまうというとんでもない大失態を演じる羽目に陥った。これもあって展示作業を打ち切ったという背景もあるのだが、これは今日まで私の胸のうちに隠していたことである。ともかく、遅れた原稿の回収に、全館を駆けずり回り、部室をのぞき、居ないとなるとこんどは外れの教室まで取りにいった。1年生の子で一人、女の子が書きたいと自ら志願してきたので、その子の分を取りに教室を訪れた時など、そのクラスの連中からなんとも形容しがたい視線を食らわされる。「なんや?!」と口に出したら、爆笑の嵐。俺、何かした?と思ってしまった。結局彼女、今日は原稿完成していないということなので、すごすごと退散したわけなのだが、私の「パパラッチ(←当時流行語)」ぶりがこんなところでもいかんなく発揮されたということだけは実感した。
部活の原稿は翌週〆切なのでさほど集まらなくても気にせず、そのまま展示物の製作に精を出させ、私は17時過ぎに下校。その後自宅をとおらずそのまま千種にある某大手予備校の英語の講義に出席して(よその学校も学祭準備のためか、講義はえらく空いていた)、21時過ぎに帰宅。夕飯を摂り、その後適当に課題をこなし、23時からは、学級展示のシラバス製作(担任を黙らせるために作るという、いわば「護身用」)、誰もやりたがらなかった発表の原稿製作(私がワープロで打ったのを、模造紙に貼り付けるという、とんでもない作戦。4,5人でやるはずの仕事を、わずか2時間で1人でやるという蛮行!)、「万」の校正・ページ振り、私の寄稿の印刷・校正、部展示物であるクイズの製作など、これらをやりながら、どういうわけか当時深夜放送をしていた「機動戦艦ナデシコ」を観て、ふと気づいたら午前4時45分!慌てて布団に入りつかの間の就寝と相成ったのであった。今思えば、若かったなぁ。