私の通う学校では、面白いことに「文化祭(ホントは別のタイトルがあり「文化祭」ではない)」と「体育祭(こちらも「体育大会」といっており、断じて祭ではないそうな)」が、2週間ほど離れているのである。そのせいか、文化祭の浮ついたムードを体育大会に持ち込むことなく挙行することができるのである。もちろん「祭り」ではないから、張りぼてなど存在しない。せいぜい、体育大会用の「クラス旗」制作補助金、5,000円だけである。それでも文化祭の赤字に比べればましだが。
さて、去年から今年にかけて、「学級旗」と「ゼッケン」という新アイテムが登場した。前者は、学年色(赤・藍(青ではない)・緑)の大きな旗に、ステッチでアラビア数字が入っているもの。その数字は、家庭科の先生による手縫い(!)。先生はこのお蔭で、8月から連日午後9時まで残業して縫いつけていたそうである。けっこうお年なのに、大変なことであったに違いない。
後者は、昨年までの購買部で売っている10×17Cm角の「名札」に出席番号、苗字を書くのをやめ、学校側があらかじめ制作したものを身にまとう、ということである。このゼッケン、3年間使いまわして、最後(3年次の体育大会終了時)には貰えるということなのだが、3年次につけていたゼッケンを必ずしも過去も身につけていたわけではないため、はっきり言って「ゴミの押し付け」であろう。
その程度しか改革のない、競技種目も変わらないこの大会、はっきり言って楽しくない。私にはとりあえず、「写真撮影」という大義名分があるため、競技中のトラックやフィールドをウロついていても文句を言われないため、そこそこ間近で見物できるのだが、そうでもない人は、はるかかなたの席でボケ−っと見物しているしかないわけである。普通は応援合戦とかあったりするし、もっと楽しめる種目が多いのだが。(種目については「昨年の体育祭」を記述した第11回をご覧下さい。)
かくして、台風の接近によって大変怪しまれた体育祭も無事挙行されることになった。朝8時に、フィルムを2本頂き(腕がヘタなのを見越されて、昨年より1本の減)、カメラ一式を本部テント横の机上に置き(無言で置くこともすでに容認)、入場行進の待機場所へ。今や、オリンピックの日本選手団の入場行進ですら、フリースタイルになり、さほど堅さを演出されなくなったのにもかかわらず、本校の体育祭の入場行進は「きっちり」。前後左右バラけないように行進し、本部テント前では「かしら、右」。この年にもなってアホらしい。10分にもわたる行進、開会宣言、校長のお話(炎天下の中7分も喋りやがった)、選手代表宣誓、ラジオ体操第2、退場 の後、競技がスタート。私は早々と、ジャージ上下を着て、カメラを持って、あちこちを放浪することになる。50mmレンズのため、はっきり言って疾走シーンとか、かっこいいものをとるには、トラックぎりぎり、ゴールテープぎりぎりなど、常に見に危険が及ぶ所からの撮影をせざるを得ない。そのうち、おせっかい焼きの教員から、「さっきからトラック内をうろつきやがって、邪魔だ」とお小言を頂く。「○○先生から委託を受け、写真撮影をしております。私にはユニフォームがないのでジャージを着ています。それ以外になにか目印をとおっしゃるのであれば、今後は事前にお声をかけてください。」と逆にいってやった。去年もこの格好でウロついていたのにもかかわらず、そのようなお小言を今更出すとは・・・。
私の出番である200m走は、午前9時45分頃に集合がかかり、サクサク終了(もちろん予選敗退)。その後、例の「騎馬戦」があり(いちいち着たり脱いだりが面倒くさいっちゅーのよ)、私の出番は全くなくなる。写真撮影という別個の仕事があっても、はっきり言って「見ていて暇」なのである。よそのクラスに紛れ込んで話し込んだり、トラック内で仕事をさせられている陸上部やハンドボール部の人間と話したり、とにかく時間をつぶすことに専念して、昼食タイム。
昼食時には例によって、構内唯一の自販機は「売切」ランプを続出。それを見越して売店で少し多めに入荷してあったドリンク類も瞬く間に売切れていく・・・本来は「一元さん購入」は禁止のはずだが、熱中症でぶっ倒れられるよりはマシだということで、この日だけは黙認されていた。私もご多分に漏れず恩恵にあずかり、そそくさと昼食を摂り、再び外へ。カメラを悪戯されてはかなわないため、こちらも必死である。テント下(もちろん1番のりである)で惰眠をむさぼっていると、生徒会役員がぞろぞろとやってきて、何とはなしに談笑タイム。ある意味生徒会に近い存在であろう。カメラを持って、しょっちゅうテント下にいるからねえ(実際役員でもないのにそうだと勘違いしている下級生がいた)。
午後1発目は、女子のレクリエーション種目「綱引き」。昨年、25年にわたって使いつづけていた綱が、競技中に切れてしまったため、今年からは新品(昨年度卒業生の記念品です)。無茶苦茶ご丁寧に扱われている。使われて何ぼのものなのに、少しおかしいと思いつつも、カメラを構えて、綱を引っ張るのを撮影。やはり「年の功」。3年〜2年〜1年の順に強いかなあ・・・と思いきやさもあらず。本年入学した1年生は女子の人数が2割ぐらい多いから、1年生が一番強いわけである。すなわち、1〜3〜2年の順に強かったわけである。うちの学年は2年連続で最下位。ある意味屈辱である(このことが翌年にも繋がりますので、よく覚えておいて下さい)。
その後、昼食後にやるにはふさわしくない、女子1000m・男子1500m走が行われ、トラック競技各種の決勝が行われる。この頃になるとさすがに暇な選手が増えるため、自分のクラスの進出選手を熱く応援する羽目に自動的になる。ところが、これを勇み足で、先述の「学級旗」をふりまわし、それを体育課の「おせっかい教師S」に没収される羽目になったクラスが2つほど。振り回していいのは、生徒で作った「クラス旗」だけであり、先生が丹精こめて作った「学級旗」は、振り回すことはおろか、一般競技の間は、学級の控えブースで大人しくたたんでおかねばならないという、徹底のしよう。はっきりいってその程度のものを作らなくてもいいのに。
各種決勝競技終了後は、この年度から新たに加えられた、大縄跳びを15分間開催。中学時代は担任の下で、かなり熱心に練習したものだが、残念ながら初年度ということで、適当に20回ほど飛んで終了。第1位の跳躍回数は、たったの40回であった(中学時代は132回という記録を樹立)。
その後、1年生の「洗礼イベント」組立体操が執り行なわれた。今年は残念ながら、ミュージックにあわせて踊るとかいうものではなく、和太鼓をたたく音にあわせて陣形を変えるという、小学生の組み立て体操と何一つ変わらない有様。内容も昨年の我々のそれとほとんど変わらず、ヘンな音楽が流れないだけ、かなりマシなものだと思われた。残念ながら私は長玉(ズームレンズ)を持ち合わせていなかったのと、体力の観点からクラブハウスの屋根上に上ったりするのは断念し、素直に見学を決め込んだ。
かくして砂まみれになった体育大会は終了した。私のクラスは、さすがは「下のクラス」だけありこのテのイベントは比較的強く、学年2位、総合5位であった。私の貢献度はゼロということで、終礼後早々に部室に篭ってのんびり後の時間を過ごしたのである。