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じぇむ
 
                 大沢 純

 
 

 それは、買い物のお供でついて行ったファッションビルの一角にあった。

 キラキラ静かで鮮やかな光を含んだ色とりどりのさざれ石達。ガラスの小瓶に数十個ずつ入れられ、片側の壁面いっぱいにしつらえられた棚にずらりと並んだその様は、まるで小さなステンドグラス。

 最近はやりのプラスチックではあるまい。貴石? 宝石? いやガラス・・・でもそれにしては深い発色で。
棚の上に説明を見付けて納得。歴史ある由緒正しい高級ガラス製品、ヴェネツィアングラスのビーズ。だそうだ。タラシ風に言うならば、これが地中海の色というものかもしれない。

 その中でも大豆くらいの紫のビーズに目が止まる。瓶ごと手に取りライトにかざす。

 暗闇から日の出へ変わる一瞬の、明け方の空。軽やかな中に荘厳な雰囲気のただよう、よく知っている色。
そっと瓶を揺するとしゃら・・しゃりと音を立てつつ光を弾き飲み込み色合いを変える。ホンモノみたいに。
『あれ』の方が当然何倍もきれいだけれど。唇の端がきゅっと上がる。

 首を軽く振った拍子にもう一つ惹かれる瓶を発見し、手を伸ばす。と。

「いい色でしょう?」

 横合いからいきなりの明るい声が襲い掛かる。

「彼女へのプレゼントにいかがですか? 世界でたった一つ。他には誰も同じ物を持っていないオリジナルのアクセサリー。きっと喜ばれますよ」

 細長い作業机の向こうに腰掛けた若い女性がにこやかに営業を始める。
机にはいくつかの小瓶とビーズ、鎖や皮紐等のパーツが、ペンチのような工具と一緒に整然と準備されている。
あなたの選んだパーツで今すぐこの場でお作りいたします。クールでクリエイティブで素敵な特設実演販売コーナー。
うたい文句は耳に心地よいけど、センスがなければ立派なガラクタ。そして私にはそれがない、とくれば。

「・・いませんから」

 もう少し見ていたかったのに。わずかに不機嫌になりながら硬い声で断る。

「じゃ、ご自分用として作りません?」

「装身具には別に興味が」

 我ながらかなり冷たい『聞く耳持ちません』モードで応えたつもりなのだが、店員は気にせず粘るねばる。

「パーツ次第で携帯ストラップやキーホルダーにもなりますし」

 ついには立ち上がり、机を回り込んでこちらに出てくる。笑顔全開だ。

「なんでしたらお見立てもいたしますよ。ええと。お客様なら例えばこの」

「結構です」

 ちょっとは静かに放置しておいてほしい、と続けようとした時。
 
 
 
 

「気に入ったんだろ? 買っちまえ」

 背後から深い響きの声がかけられ、二百十センチの圧迫感を首筋に感じる。ああ。来てしまった。

「荷物持ちがこんなところで油売っていていいんですか」

 振り向きもせず言い返す。店員は目を丸くして、突如現れた陽気な大男を見上げている。

「のーぷろぶれむ。荷物は梱包中。俺は待機中」

 いくら目ざとくても、肩越しでは私が持っている瓶の中のビーズの色までは気づくまい。と思う間もなく、脇からひょいと腕が伸びて小瓶を掴まれる。

「お、いい色選んでるじゃねぇの。よしよし」

 上機嫌でヒトの肩に顎を乗せて懐いてくるのを、身を軽くよじって振り落とす。僅かに頬に血が上っているのを気取られない様に、瓶に貼られた値札に怒っているふりをする。

「買え、ってそんな簡単に。ガラスのくせにいいお値段過ぎますよ。宝石でもないのに」

「そりゃあもう、ただのガラスとは違いますから! へたな宝石よりも貴重な芸術品、ヴェネツィアングラスですよ?」

 妙に意気込んで割り込んでくる店員。

「歴史を溯ると、そもそも十一世紀の東ローマ帝国の滅亡とともに」

 ゲイジュツだろうがなんだろうが『私は』高いと言っているのに。それに、目の前のパネルに書いてある説明を、何故わざわざ読んで聞かせてくださる?
自称フェミニストの方は傍らで一応ほー、とかふむふむ、などと適当な相づちを打ちながら最後まで拝聴してから、おもむろに値札を指差して発言する。

「で、その素晴らしい芸術品を十個いくらって書いてあるけど。一個からのばら売りあり、っすよね?」

 有無を言わせない強引で魅力的な笑みを向けられ、店員が気おされたように答える。

「え、ええ。もちろんです」

「それなら買ってもいい範囲だろ。そうだな。携帯用にどうだ?」

「ケイタイは持ってませんが?」

 知っているはずなのに。怪訝に思って聞くと、得たりとばかりにウインクが返ってくる。

「常備用ってこと。いつでもどこでもごいっしょいたしやしょう」

「まがい物持って歩いても」

 目を逸らして歯切れ悪く呟く。店員は今一つ話が見えない様子で、でも売り込んでくれているみたいなので、にこにこと笑みを浮かべて待っている。

「まがい物でも極上品、だぜ? ・・たく」

 隣で何やら大袈裟に舌打ちしわざとらしい溜め息をついていたのが、よしっ、と頷く。

「わかった。お兄さんが買ってあげよう!」

「何故あなたが? ムダ使いは家計に響きますよ。『笑っちゃうほどの超売れっ子』にはまだなっていないでしょう?」

「じゃ、代わりに俺の分をお前が買ってくれ」

 何を言い出すかとあきれて見返す。

「なにセールスしているんです。この店が儲かるだけじゃないですか」

「俺の分は・・・何色がいいかな」

 真面目な顔で私の目を覗き込んでくる。

「・・・水色? いや。青と紫が入っている?」

 本物のアメジスト色が至近距離で輝く。これには抗えない。視線さえも外せずに捕らえられていると。
 
 
 
 

「あ〜! 荷物持ちがいないと思ったらそんなとこで」

 非難めいた声に一挙に呪縛を解かれる。薄茶の猫っ毛とすわり気味の深緋色の瞳が、二、三個向こうの商品陳列台の上からこちらを見据えていた。すぐさま売り場を抜けてずいずいと近づいてくる。両手両脇にはかなり重そうな包みをいくつも抱えたままで。

「ひどいじゃないか。お前が半分は任せろなんて言うから全色買ったのに、包んでもらっているうちに逃亡するとは」

 到着するなり荷物を続けざまに相棒に押し付け渡す。

「逃げてねえ。ただでさえ手際悪いのに、それは二つに分けて包んでとか取っ手付けてくれないのとか、誰かが梱包長引かせること言うから」

「包装紙の種類までいちいち責任者に聞きに行く店員が悪いんだよ」

「全色・・・また思い切りましたね」

「今日まで改装セールで半額なんだ。一度使ってみたいと狙ってた画材だし」

 持っていた荷物全てを渡し終わり、にっこりと笑いかけてくる。

「お、おい! 俺は半分って」

「あ。ベネチアングラスか。いい色見付けたね」

「一粒でもいいそうなのでキーホルダーか何かに使おうかと」

「うーん。根付けじゃないんだから一つだと寂しくない? せめて同じ大きさのをあと一つ。で端と間に小さいのを入れれば」

「そうなんですか。デザインのことはよくわからないものですから」

「なんで全部!」

「カウンターからここまで私一人が運んだんだから、その分」

「う」

 ぴしと決め付けてから、ふと視線を移す。

「あれ? そっちのは?」

 指摘されるまで私自身も忘れていたもう片方の手に握り込んだ瓶を見せる。夕日の赤よりは透明な暗さを持つ、宵闇の暖かででもどこか寂しげな色。

「これも気にいったので」

「げ。それって」

「・・・いい色だね」

 ガーネットのまなざしが満足そうに頷く。なんだか勝ち誇ったように見えたのは気のせいか。

「よし。これで二つ揃った」

「どうせ色変えるなら二個目は、そこの青っぽい水色とかよー」

「自分用に使えばいいじゃない。この赤とも合うし」

「あのな」

「あとはアクセント用の小さいビーズ。どうせ買ってもらえるんだったらケチらないで、純銀の折り込んであるやつはどうかな?」

「金の方が合うように思うんですけど」

「金のが好きなんだね」

「いや、色の組合わせがしっくりくるような・・。変でしょうか?」

「大丈夫。変じゃない」

「そりゃ紫とくりゃ金だろう」

「はいはい」

 軽くいなしながら、備え付けの小皿に材料を手際よく集めていく。その見事なまでの仕切り様には、先程まで威勢のよかった店員もまったく出番なし。あっけにとられてぽかんと立っている。

「手が塞がっているだろうから、お前の分も用意してあげるよ」

「私が皿を持ちましょう」

「おいおいー。マジで赤入れるのかよ」

「私もお揃いで作ろう。紫と薄縹(うすはなだ)ってとこかなあ」

「なかなか合いますね」

「なんでお前まで!」

「怪しまれるよ」

「う」
 
 
 
 

 延々と続く小声の掛け合いをBGMに、こっそりと皿を傾けて中のビーズを転がしてみる。紫と。金と。ころころじゃれ合っているジェム。世界でたった一つ、私のためだけのきらめき。私だけの大切なもの。

 知らずしらずの間に頬に笑みが浮かぶ。いつもの冷笑ではない。それはきっと。

 恥ずかしいまでに普通の、やわらかな微笑み。