「・・・あ〜あ。どーしようかな」
ぱら、ぱらと投げ遣りにページを繰る手。
「どーせ義理チョコなんだし。あれこれ悩む時間も勿体ない」
本当はゆうに小一時間は楽しく迷い続けているのだけれど。
「どろどろ溶かして、クマかハートの型に流し込めぱ、すてきな手作り」
「・・・おい」
「溶かしてこねてまぶして高そうな箱に並べてしまえば立派なトリュフ♪」
流石に、カウンターの中から静かなトーンの物言いが付く。
「お前。・・・それはあんまりだぞ」
煎れてもらったコーヒーはちょうどいいぬるさ加減で。
「手作りに限る!なんて条件さえ付いていなきゃ、あんなのには、元々チロルチョコで十分なのに」
肩をすくめながら、ずずず・・・・・っと馥郁たる香りと液体を一緒に味わう。
「・・まさか本当にそうは思ってないんだろ?」
かすかな苦笑を浮かべるマスター。ひょっとして、お客サンがいないとよく喋る?
「・・・・じゃ。メンズポッキーくらいには」
仕方がないので、渋々ランクアップ。
「ゴディバくらいにしてやれ」
そのずうずうしいほどの一挙赤丸急上昇ぶりに反論しようと口を開きかけた時。
からころん、とドアベルが鳴る。
「ちわーっす」
「あ、クオータ! 遅昼? もう食べたのかい?」
ずんと店内に日陰を作る2メートル越えの二人連れ。私の担当する作家と画家だ。
「いらっしゃい。オラクルあなたは?」
絵描きの方にのみにこやかな笑みを送って、水のグラスを用意する。
「昨日の昼から食べてないの見付かっちゃって。オラトリオに連れてこられちゃった」
「節分以来、やたらと豆の炒ったのばかり食ってて。メシをくえ。メシを」
てへーと舌をだすふりをする相棒に、こつんと拳固をくらわす文書き。
「それはいけませんね。『遅昼』ったって遅すぎますよ」
「・・・確かに遅いけどよ」
「・・・リゾットかなにか作ろう」
「トマト味の、だったりするとすごくうれしいなあ」
マスターがキッチンに向かうと、2人が私を挟むようにカウンター席におさまる。
「お。さぼっとるね編集クン」
「これはちゃんと仕事の一環です。そちらこそ」
早速ヒトをからかい始めるオラトリオに返している間に、反対側からオラクルが手元を覗き込んで尋ねてくる。
「へえ。また、使い込まれた本だね・・『たのしいおかしづくり:幼児〜小学校低学年向け』? 今度の企画?」
「・・・作るんです」
「本を?」
「チョコを」
「誰が?」
「私が」
「ああ。もうすぐバレンタインデイだものね」
「・・・・・待て。仕事で? お前がチョコ作る?」
「ええ」
折角オラクルが一見納得していたのに。いきなり脇から眉間に縦じわ付きで詰問してくるオラトリオ。
「・・・・・で。・・で、なんだ。その」
「?」
なんだか妙な具合に緊張し、咳払いなぞしながら切り出し方を探っている様子に、いぢ悪くとぼけて待ってみる。
「・・それって、誰のために?」
「あなたがたのために」
御期待に応えて、にっこりと答える。
「わーい。ありがとう〜」
「まてまてまてまてまて〜〜〜い!!」
ぺふっと手を打ちあわせて喜ぶオラクル。スツールから転げ落ちかけて踏みとどまり騒ぐオラトリオ。
「どこをどーすれば、お前ぇが俺らのチョコ作る話になるんだよっ!」
「私が一番聞きたいです」
「へ?」
沈痛に答えるのに、二人とも目が丸くなる。
「そもそも、編集部宛ての自分のチョコが妙に少ないのに駄々をこねた大物がいて、それを大人しくさせるためにダンボール入り義理チョコを経費で買い込んだばか者がいて・・」
「ファンからのチョコ数競い・・少女小説かい」
「・・文芸誌じゃなかったっけ?」
「それを知った編集長が『金で買ってくるとは何事! 君たちオトコの浪漫をなんと心得おる』『例え義理でも真心こもった手作りがいちばんじゃあ』とかなんとか吠えて・・」
「またおっさんかい・・ その義理チョコから愛が芽生えたらどうしてくれるんだよ」
「あはは、目に浮かぶ〜」
「まさか数少ない女性に全部作れなんていうんじゃって抗議に、どうして女性に限るんだね? 全員それぞれ担当作家さんに手作りチョコをプレゼントなさい、当然私も作る、あ、証拠写真も忘れずにななどと嬉しそうに言われては・・」
「正論といえば正論だけど。・・でも、なんでそうなるんだろ?」
「何故かよくわからないうちに、みんな納得させられているんですよね・・・」
「おそるべし。おっさんの秘境異次元魔空間攻撃」
「一種の才能ですよね。私も身に付けたいスキルです」
「つけんでいい。それ以上わけわからんものは」
三人仲良く並んで腕組みして、沈思瞑目。
なぜーなぜーと頭の中がからからから空回りしている音が聞こえてきそうだ。
暫くのち。不毛の輪の呪縛を断ち切ったのは、ほわほわ漂ってきたいいにおい。
「リゾットお待ち」
「ありがとー。やった。卵まで入ってるぅ」
早速ふぅふぅとスプーンで混ぜ始めるオラクル。
「こっちはホット、でよかったな?」
「さんきゅ」
カップを手にしたオラトリオがにやりと笑う。
「にしても。全員手作りだなんて編集長も無茶を言う。釘さしとかなきゃチロルチョコですませるヤツがいるからだろーけど」
「あ。私、冬限定のチロルチョコ好きだよ」
「オラクル、あなたにはチロルチョコですますなんてことしませんよ」
自分で言い出しておきながら、オラトリオがむっとする気配。
「ああ。逆ならなあ。俺がすてきなチョコスフレケーキでも作ってやれるのに。・・ま、無理せず、溶かしてクマか何かの型に流し込んだやつでいいぜ」
くすくす勝ち誇ってヒトの肩をぽんぽんとたたく。
「ちゃんと編集長にはデジカメ画像付きで『まごころこもってとってもおいしかったですぅ』てメール送ってやっから」
「えー? 市販のチョコ溶かしただけで『おいしくない』ってことあるの?」
「ないと思うだろ? ところが恐ろしい事に。水がはいったり煮詰まったり分離したり、いくらでもまずくできるんだ。これが」
相棒がつい食事の手を止めて素朴な質問を発するのに、怪談よろしく声をひそめて答えている。
「・・いくらなんでも、失礼ですよ。私だってやればできるんです」
「うーん。じゃ一生懸命徹夜して、溶かして丸めて高い箱に入れてトリュフ、ってとこ?」
マスターがぷっと吹き出しかけたのをこほんと咳払いでごまかしている。
「あ、焦げたケーキをブラウニーって言うのもなしだぜ」
「・・・私の精一杯ってその程度だとお思いなんですか?」
目がすわってくるのが自分でわかる。
「だって。編集の仕事ならともかく」
「これも編集の仕事です。・・少なくとも今回は」
「おいおいー。根性でどーにかなるもんでもあるまい。ゆで卵レンジで爆発させたり、蓋開けて眺めていて全自動洗濯機止めるよーな家事オンチには」
このクマは、ヒトの大過去の些細な失敗をいつまでも覚えて・・。
「それはそれ。これはこれ」
「あれもこれもいっしょだよ」
「できます。やってみせます」
「できねー。ぜってー無理だって」
「できたらどうします。本格ものがおいしくできたら」
「そりゃ、全部おいし〜くいただいてやるよ」
「全部? 私の食べる分もちゃんととっておいておくれよ〜」
「あなたの分はきちんと確保しておきます。いくらオラトリオが食べたがってもね」
「ないない。それほど美味いものなら、おまけにホワイトデイに手編みのセーターでもお返ししちゃる」
にやにやと小馬鹿にしたように肩をすくめるオラトリオ。
「わかりました。その言葉、忘れないようにしていてくださいね。一ヶ月じゃ間に合わないから腹巻きか花瓶敷にしてくれって泣き付いても知りませんからね」
「ヒトの心配してないで、『おいしい溶かしチョコでした』ってメールに書かれないよう心配したらどうだ?」
むむむむーとにらみ合う私達の横で、二人が溜め息ついているのが聞こえる。
「どっちも意地っ張りなんだから」
「身体こわさない程度にな・・」
そして、バレンタイン当日。
「こ、これは・・」
「すごい〜 つやつやー」
息を呑む二人プラスギャラリー。
この顔が見られただでも、あれから連日、スーパーで材料を仕入れて帰宅し、深夜までの数時間を溶かしたりこぼしたり混ぜたりふるったりかぶったり焼いたり焦がしたり火傷したり塗りたくったり、しただけの甲斐はあるというもの。「まさか、兄ちゃんに手伝ってもらったんじゃあるまいな」
「人の手を借りて何の意味があるっていうんです。自分の力で勝ってこその勝利でしょう?」
さらりと言ってみせる。たとえ今日の明け方になって、ようやく1つ完成品を仕上げる事ができただけでも、そんなそぶりは見せない。
「・・それにしても。根性だけでいきなりここまでやれるのか?」
「小学校までは一緒に色々作っていたからな」
「げ〜! 似合わねぇー フェイントや〜」
「丸のままでの記念撮影はすんだよ。次は切ったところね。・・ちょっと切るのは惜しいけど」
「問題は味だよな。いくら外見が凄くても」
ざわめきの中心につやつやと鎮座ましましているのは、チョコケーキの王様、ザッハートルテ。外見はあくまでシンプルでありながら、アーモンドパウダー入りずっしりチョコスポンジに洋酒で溶いたアプリコットジャムを染み込ませ、結晶化寸前のチョコペーストでコーティングした本格物、とくれば、オラトリオも文句の付けようがないだろう。
「ホイップドクリームも、いっぱい用意しましたからね。遠慮なくお代わりしてください」
「見ているだけで寒気するほどに甘そうなのに、この上まだクリーム添えるのか〜」
「普通は砂糖抜きだが・・」
「そもそも美味しくなけりゃおかわりなんてしねーぞ」
「おいしいに決まってます。レシピどおりに作ってあるのだし、多少経緯は妙でも、これだけココロのこもったチョコなんだから」
「怨念てゆーか、執念の間違いだろ」
「では。いただきま〜す」
ぶつぶつ言いながら、うきうき弾みながら、ナイフがケーキに入れられる。
絶対においしいと思う。いや、絶対においしいと言わせてみせる。
私は、らしくもなく珍しくわくわくと浮き立った気持ちで一口目が食べられるのを見守っていた。
二人が飲み込み終わったら聞いてみよう。極上の笑顔といっしょに。
『・・・さて。いかがですか? 私の想いの味は?』