「・・・いかがですか? 私の『想い』の味は」
得意満面、最上級の微笑みでクオータが聞く。
ちょうど口の中の極甘ケーキを飲み込み終わったところを狙ったようにふざけた台詞。いかに当意即妙の俺でも、一瞬むせかけて突っ込み返すタイミングを外してしまう。
そのまま店内に沈黙が続く。
自信満々なようで僅かに不安げな色を目に浮かべて待つ「鬼の」編集。俺の隣には、フォークを皿、口、皿、口と、もくもくと動かしてうれしそうに味わい続けている相棒。カウンターでは、マスターがグラスなぞ磨きながらギャラリーに徹している。
全員が俺の答えを待っているらしい。
仕方がない。「・・・不味かねぇよ」
しぶしぶ答える。
「不味くないだけですか?」
「・・・並みよりは上だな」
「上って、どれくらい?」
食い下がってくる。
「・・・・・・だいぶ」
「とってもおいしい、でしょ?」
俺の代わりに言ってしまったのはオラクル。
「シンプルで、でもゴージャスなしっとり感で。すごくおいしかった〜」
両手を合わせてにこっとごちそうさまをする。
「ありがとうございます。そのように喜んでいただけると、作った甲斐がありますよ。・・いかがですか? もう一切れ」
5分の4は残っているザッハートルテを指差す製作者。脳天がしびれそうに甘いうえ重いケーキだ、小さく切り分けてサーブしたからな。
「うーん。・・どうしよう」
「無理強いはしませんが」
「無理なんかじゃないよ。『こんなにおいしいのに』」
笑みを交わしなーごーやーかーに語らっていた二人が、オラクルのみえみえの強調の後、練習したようなシンクロで俺に目線を移す。
「・・・・・・・・・」
無言の虚しい抵抗を続けてはみるが。
「負けだね。オラトリオの。・・文句ないでしょ?」
相棒殿に、にこやか晴れやかきっぱりと言い渡されてしまった。
ここまで言い切られては最早逃げようがない。
「ったく。どうせ大掃除や植木いじりの時に着て粗末な扱いされるのがミエミエなのによ」
ぶつくさと憎まれ口をきいてみる。
「そんな勿体無い事はしませんよ。折角の勝利の証を。丁寧に大切に何年でも着てさしあげます」
にんまり言葉を継ぐクオータ。
「もっとも、外に着ていけないような『まごころだけはたっぷり』な出来では、植木用でもしかたないでしょうがね」
「俺の腕前を知らないな。家族全員の実用セーター制覇済みだぜ」
「真っ赤なレースのすけすけセーターとか、ピンクに緑の水玉模様も遠慮させていただきますよ」
「・・そりゃ何処のどいつのセンスだよ。俺はそんな素晴らしいの、例え嫌がらせでも作らねえぞ」
「どうでしょう? あなたの絵は『マウスで似非電気ねずみ』くらいしか見る機会がありませんでしたから」
「あんなもんで評価すな」
手を広げて、これ見よがしに大きな溜め息を一つ。
「・・・わかったよ」
ポケットを探って小銭入れを取り出す。
「金で解決を?」
首をかしげて薄い笑みで見下ろすクオータ。
「小銭で解決できるのか?」
「それほど安くはありませんよ」
「だろーな」
立ち上がって、小銭入れに付けていた金属製のメジャーをツーッと引き出して見せる。
「後ろ向け」
「は?」
「サイズ測らなきゃセーター作れねぇだろが」
渋い表情でそれでも格好つけて決めてみる。が。
「やっと言った。長く粘っていたもんだねぇ」
熱い紅茶をちびちび飲みながら、またしても背後からぽそっとオラクルの呆れた声。
「・・・編むのは俺だ」
「約束したのはオラトリオだよ」
そりゃあ正論だけど。・・だけどよ。
「・・・はい。おっしゃるとおりっす」
結局、俺はこいつに勝てないってことで。
でもまあ、なんのかんの言っても、決心してからの行動は素早い。
マスターに借りた鉛筆片手にちゃかちゃか測っては、テーブルの紙ナプキンに数値を書き込んでいく。
測り良いように、手を上げたり下ろしたり、くるくる回されながらクオータが聞いてくる。「いつもそのような物を持ち歩いているのですか?」
「突っ張り棚とか衣装ボックスの安売りがあった時、出遅れずにすむだろ」
「主夫の鏡ですね」
皮肉でなく真面目に感心している風。
「この前わたしも棚作ってもらったんだよ」
オラクルが紅茶のカップを両手に持ちふうふうしながら報告する。途端にクオータが激しい動きで振り向く。
「ま、まさか、新しい本の棚ですか?」
「洗面所の棚だってば」
苦笑するオラクル。
「そ、それならば・・・」
胸をなで下ろしながら元の姿勢に戻る編集。が、すぐにまた、ひゃあ!とか声にならない悲鳴を上げて動く。
「さっきからもそもそして! ちったぁじっとしてろ」
ここぞとばかりに、ぱかんと軽く後ろ頭をはたくと、首をひねってじんわり涙目の抗議が返ってくる。
「・・くすぐったいんです・・」
首廻りを測るためにまわしたメジャーの冷たさに閉口しているようだ。
「人肌に暖めたメジャーの方がいいってか? 信長殿」
「ごめんこうむります」
全身をぷるぷる震わせて即座に拒否された。
「なら、おとなしくするこった。・・もうすぐ終わるから」
「・・・」
唇をひき結んで懸命に耐えている様子。こりゃおもしろい。くすぐったがりか。
と。いきなりそれまで無言だったマスターが口をきく。「・・いいのか?」
「え?」
「いつも気にしていただろう? 担当作家から物を貰ってもいいのか?」
「癒着とか賄賂とか? 逆じゃねえのか」
「大先生ならいざ知らず。良く扱ってもらいたい、と袖の下渡すばか者も、貰う戯け者もいるんですよ」
「生かすも殺すも編集次第、なんていうしねえ」
「でも今回は大丈夫。編集長も承認済みですから。『高価な物は当然受け取り禁止。だが自腹で手作りへのお返しなんだから、ブランド物以外なら申告だけでありがたくいただいてよし。あ、ただし例外が1つ』」
「何?」
「『愛のお返しなら申告しなくてもオッケーさ。結婚式に仲人として呼んでくれればいいからな』って、ウインクつきで・・・」
「すてきなきゅーぴっど・・」
「・・・おっさん。相変わらず全開だな」
遠くに出かけようとする意識を引き摺り戻し、クオータの背中をぽんと叩く。
「よし。終わったぞ」
紙ナプキンのメモに後で見てもわかるように注釈を入れる。後はがしがし製作するだけだ。よっこらせと席に腰を下ろす。
それと交代にオラクルが席を立つ。どうしたんだ?と意識の隅で不思議に思いながら、少しさめたコーヒーをすすっていると。「オラトリオー」
呼ばわるのに視線を動かすと、こちらに背中を向けてテーブルの横にちょんと立っている。
「なんだ?」
不審気に聞くのに、肩越しに振り向いてにっこりと答える。
「私の番〜」
「はあ?」
「測らないとセーター作れないだろ?」
「・・・なんでお前の分まで?」
「慰謝料くれるって言った」
「なに〜?」
「なにをしたんですかっ! オラトリオ」
自分の席に戻りかけていたクオータが身を翻して詰め寄ってくる。
「なにもしてねぇ! そーいうことは」
「もう忘れたんだ。・・ひどい」
「あまつさえ忘れるとは!」
「だから何の慰謝料だ」
「チロルチョコの」
俺もクオータもがっくりとへたり込んでしまう。
「・・あのなあ」
「起きたら食べようと思って置いてたの、勝手に食べちゃって」
「そこらにあるのは適当に食べてもいいって、お前いつも言ってたからだろ」
「見ればわかる、とっときの冬チョコなのに」
不毛な押し問答をしている間に、クオータはさっさと一人席に戻り、コーヒーお願いしますとかやってる。
「たった1個じゃねえか」
「ダースみたいに12個のうちの1個じゃない。1個しかないうちの貴重な1個だよ」
「それは、箱売りしないチロルチョコの勝手だろう」
「箱に入ってたらチロルチョコじゃない」
何を言っても無駄な気はするが、一応言ってはみる。
「だからってなんでチョコのお返しがセーターなんだよ」
「クオータもチョコのお返しがセーターじゃないか」
赤緋色の瞳が多少据わり気味に正面からじーっと見上げている。・・・だめだ。
「・・・オラクル。お前もセーター欲しいのな?」
「ほしい」
素直な即答。
「せめてホワイトデイまで、ってのは勘弁してくれ」
「・・・」
「それなら作ってやっから」
「ありがと。待つよ」
ころっと一変して笑顔のお答え。
はあ〜とテーブルに額を付けて溜め息。なんでいつもこうなるんだろう・・・。「やった。おそろいセーター♪ クオータともおそろいだね」
上機嫌の声が耳に入ってくるが、咎める気力もわいてきやしねえ。
「・・・よかったですね」
少し複雑な笑いが混じった声音でクオータが答えている。
俺が哀しく卓上のマグロをやっている間に、オラクルがクオータに話し掛けている。
「やっぱり、おみやげに一切れ貰っていい?」
「勿論。一切れと言わず」
お持ち帰り用の紙箱を兄から受け取り、組み立て始めるクオータ。
「これで今日の晩御飯は確保できた、と」
「ちゃんと飯を食え〜」
力なく文句を言う。
「まだ豆炒ったのもあるし」
「だから。『飯』を食え。主食を」
「一切れって。これくらいですか?」
「もーちょい・・うん。それくらいで」
編集が銀紙をがさがさいわせて無事梱包を終える。
「ありがとう。・・・さ。あとはオラトリオの分ね」
「!」
がば、と跳ね起きてみると凶悪なつやつやはまだ優に4分の3以上残っている。
「なんで・・」
「美味しかったら全部食べるって言ってたじゃない」
当然のように返されてしまう。そりゃ言ったけど・・。けど。
「・・・俺もドギーパッグ希望」
さっさと降参して手をあげる。
「よろしいですが。・・・お宅に持って帰ったら最後、チョコ好きの弟さんが一挙に残さず全部食べてしまうだけなのでは」
「でかい方はまだいい。しかしちびの方は」
「洋酒がたっぷり入ってますから」
「ちょっとかわいそうだけど、ちびちゃんが寝るまで棚の上に隠しておけば?」
「チョコのにおいにゃ殊のほか敏感なんだ。チョコ捜索犬よりすごいぜ」
「トリュフ犬でしょ」
「濃いコーヒー煎れようか?」
マスターがカウンターから声をかけてくる。
「頼んます・・」
と。稲妻のように妙案が閃いた。
「『ボトルキープ』させてくれ。今日食い切れなかった分は、明日来て続きを食う」
ちら、と弟を見て確かめてからの頷き。
「いいぞ。幸い日持ちするケーキだからな」
快く承諾してもらえたので、これでとりあえずはなんとかしのげる。が。
「完食までに何日かかることやら」
「確実に太るね」
「飯抜いてでも喰う」
「『飯を食え』じゃないの?」
「・・・ちびと全力で遊んでカロリー消費する」
「元気有り余っているんですね。それならば次の仕事多めにお願いしてもよろしいですか。実は企画物の・・」
「余ってるのはカロリーだけだっつうの。誰のせいだと思ってる」
「あなたが自主的に全部食べるって言ってくださったからですよね」
再びがーがーともめ始めた俺とクオータの脇で、また二人が溜め息をついている。
「まあ。私も気が向いたら少しはキープくん減らしに来てあげるから。ね?」
「身体・・こわすなよ」
結局。
それから一週間弱、俺はチョコケーキの王様を来る日も来る日も食べ続け、ちびとハードに遊び、原稿の資料を集め、最近食が細いどうしたんだ鬼の霍乱か恋煩いか、などとからかう弟をプロレス技で成敗してすごした。
その弟はちゃっかりこっそりと、オラクルにすっげーオトナなケーキを奢ってもらっちゃった、また誘ってもらえないかなーとか小躍りしていたようだが。
俺はと言えば、1ヶ月くらいはちび並みにチョコのにおいに敏感な体質になり果て、ホワイトデー商戦真っ盛りの町で思わぬ苦労をするはめになっていたのだった。