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Wデイの焦燥
 
                 大沢 純

 
 

「・・・表、裏、裏、縄編み・・くるりとひねってよいこらせっと」

 口の中でぶつぶつ呪文のように呟くのに合わせ、せっせと指を動かす。

「おしっ、これで一段終わり〜っとくらぁ♪」

 景気付けに小さくはしゃいでみるが、編み図と比べてみなくとも、まだこれから編まねばならない量の方が一目瞭然に多い。

「・・・くそう。すくすく育ちやがって・・」

 つい筋違いな罵倒も放ちたくなろうというもの。いや。文句たれてないでここは建設的に。

「情報を集めて戦略をたて直すべきだな。うん」

 気を取り直して、ここ1時間の進捗段数を数え、残り「時間」を数え・・・

「が〜! やっぱり。・・このペースだと・・間に合わねぇ」

 おてあげ〜のポーズをしたついでに、ソファの背に乗り上げて長々と伸びる。
 先に本業の原稿を殊勝に片付け、残りの1週間でなんとかなるとふんだ俺の読みが悪かったのか。

「こういう時に限って、家族が熱だしたり、風呂が壊れたり、買い置き灯油がなくなったり、時計の電池が切れたり。トラブルが起こるのがお約束ってもんだけどよ」

 いわゆるマーフィーさん向け余裕は取っておいたはずだが、こうも団体で押し寄せられては、読みもへったくれもない。
 だが、それを理由に完成できなかった言い訳をあいつにするなんざ、死んでもいやだ。

『・・おやおや。だから腹巻きか花瓶敷でよいと言ったのに』

 唇の端に冷笑をのせて、静かに勝ち誇るのが聞こえるようだ。
 くそくそくそ。
 怒りのアドレナリンを糧に腹筋に力を込め起き上がろうとした時。

「オラトリオ〜。腹巻きできた〜?」

 うれしそうにかけられた声が見事に気合を挫いてくれた。
 
 
 
 

「ちがいます。シグナルくん! はらまきじゃありませんよっ」

「えー? ・・あ。ほんとだ。失敗失敗。編み込み模様入りの腹巻きなんて豪勢すぎるかあ」

「せーたーです」

 苦笑して起き上がると、居間のドアのところで風呂上がりのほこほこパジャマ姿の弟どもがわいわい騒いでいる。

「てっきりちびの腹巻きと思ったんだけどさー」

「だってぼくはもうあります。ふゆのしゅーしんじしつじゅひんですから」

「だよね。あ、でもそーいや、パルスに腹巻きって必需品じゃないのかなあ? 布団なしでどこで寝ても冷えないぞっ! わははは!」

 わいわいが連れ立って楽しそうにテーブルまでやってくる。

「お。きれいな緑色♪」

 言いながらひょいと毛糸の構築物を取り上げ、自分の胸にあててみる三男。

「・・・あれ。大きいや。・・ぼくんじゃないのか」

「おめーのは去年編んだだろ?」

「パルスのは一昨年だっけ。ちび・・なら2人、いや3人入るし」

「ちび3人もいないだろーが」

「あ。オラトリオ大だ。・・なーんだ。自分のなんだ〜」

「俺が自分のもの、しゃかりきなって作るかよ」

「・・・ひょっとして。ラヴェンダーの?」

「・・・もう寝ろ」

「シグナルくーん。あまいですぅ」

「あ! ちび、お前知ってるんだな? 誰のか!」

「おとなのひとはいろいろつきあいがあってたいへんなんですよ〜」

「うーん・・ つきあい?」

「ちび、折角暖まったのに冷めちまうぞ〜」

「おかえしとか。さんばいがえしとか」

「あ〜〜〜〜〜〜っ! ホワイトデイのお返し!」

 末弟の記憶力と理解力には舌を巻いてしまう。これはますますへたなこと教えられねえなあ。

「やっとわかったか。閃かなかったところをみると、お前ぇにゃ無縁の話題だったよーだな?」

「そんなことないよっ! ぼくだって・・ って話そらすなよ! 手編みのセーターでお返しなんて、ちと今時レトロだけど、いよいよ本命だよね?ね? 誰だれダレ?」

 わくわくと目をきらつかせ、見えないしっぽを振りながら詰め寄ってくる、まるきりでかいわんこ。

「ぼくも知ってるヒト? 美人? やさしい? 毎日仕事と家事で忙しいって言ってたのに、いつの間にそんなことに?」

「それはヒミツです」

「ずるいーっ! ちびは知ってるのにっ。あ、ちび教えて?」

「ひみつです〜」

「二人して〜」

「よい子は寝る時間だぞ」

「あい。オラトリオお兄さん、おやすみなさいー」

 心得たものでふかぶか頭を下げて挨拶すると、すてすて退室するちび。

「はい。おやすみ」

「・・・これ返さないぞ。教えてくれるまで」

 心得の悪い方は毛糸を握り締めたままがんばっている。

「仕方ねえな。教えてやるから返しなさい」

「うん! 返してやるから教えなさい」

 えらそーに差し出すのを受け取る。

「お前ぇも知ってる奴だ。まあ美形と言えるだろう。でもやさしくは・・ねえな。絶対にない」

「ほえほえ〜? そこまできっぱりやさしくないぃ? でも本命? 誰だろ・・」

 宙をにらんで懸命に検索している。

「・・最近女のヒトが大き目の着るの流行ってるって聞いたけど、なんたってオラトリオ大だし・・ けっこータッパあるひとだよね?」

「はい。教えたんだからさっさと退場〜。ちびに布団かけてやれや」

「うー。・・今度紹介しろよな〜」

「だから知ってるって」

 あの人でもない、この人でもない、と首をひねりながら部屋を出ていく弟が、最後にドアのところでくるりと振り替える。

「がんばれよっ。たらし♪」

 にやっと拳を振り上げガッツポーズ。そして、何か言い返される前にすたこら逃げていった。
 
 
 
 

 バタンとドアを閉める音。

「・・たく騒ぎやがって」

 落ちて来た前髪を片手でかきあげながら、ぶつくさ言う。が、その調子はどうしても甘くなる。なにしろ今朝から一日「俺に知られぬように」いつも以上にできる範囲の家事をしていた家族なのだ。何を作っているのかよく判っていなかったらしい三男ですら、というのが御愛敬だが。

「・・・・・・応援ありがとな」

 聞こえないように小声で言ってみる。

「誰のために作っているって明かせないところが、ちとナンだけどよ」

 その想いも。経緯も。いつかは話すとしても、それは今ではない。
 とにかく今は、十数時間後に迫っている引き渡しタイムリミットに向けて、全力で驀進するだけだ。
 当初のプランが崩れたのなら、睡眠時間を削ってでも突貫工事するまで! 無論、手抜きはオラトリオ様の名誉にかけてしない。

「なあに。こう見えても、かつて一日で5本のマフラーを編んだ男っ!」

 無意味な根拠で盛り上がってみせる。気分転換もできた。後はココロを込めて、ただ編んで編んで編みまくるだけ。
 カチカチカチカチとリズミカルな編み棒の音が、時計の秒針の音とハモる。
 「怨念と執念」がナチュラルハイと焦燥とともに編み込まれるホワイトデイ前日。
 
 
 
 

 長い夜は、まだまだ始まったばかりだった。