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Velvet Christmas
 
                 大沢 純

 
 

部屋に戻ったら不機嫌なネコがいた。
ソファの俺のいた所にでんと丸くなり、組んだ腕で折りたたんだクッションをしっかと押え込んでいる。

「わるい」

大股で近づくが、すわりきった緑の目でちらりと見上げるだけ。

「待たせたな」

温かいミルクのコップをテーブルに置く。自分のロックグラスは、その隣に。

「新しいカートンを開けていた」
『で?』

小首を傾げてコップから立ち上る湯気を見下ろすネコ。

「今日は函館牛乳」
『ふうん?』

気乗りしない無言の返事。
どうやら動く気がないようなので、脇から抱えてひょいとどけ、元の席に滑り込む。

『あ!』

非難の叫びが小さくあがる。が、そのままクッション付きで俺とテーブルの間の床に降ろす。
これでミルクのコップは、ちょうど鼻先になる。

「さて」

書類を広げてペンを取り、作業を再開。と思ったら、ネコはミルクに見向きもしない。
グラスの方をじっと見ている。

「俺だけ酒なのはずるい? …そうだな」

ソファの背越しに腕を伸ばし、サイドボードからカルーアの瓶を取り出す。

「今夜はクリスマスだし」

ほんの少しだけコップにたらしキャップを絞めようとする。その腕に手がかかる。

「…もっとか」

あきらめてコップの縁すれすれまで足してやる。しかし、これでは底ばかりが濃くなる。

「混ぜるぞ」

異存はないらしい。そこで、コップの上の方を持ち、底で大きく円を描く。
やがて、ゆっくりと対流がおこり、ミルクの白が褐色のコーヒーリキュールに染まっていく。

「だいぶぬるくなってしまったな」

こぼれそうなコップを注意して静かに置く。ネコはくふくふと香りを吸い込んでから一口飲む。

『う〜ん?』

もう一口。気に入ったらしい。
少しずつ少しずつ、でも一心に飲み始めたネコの頭をぽふっと撫ぜてから、また身をよじってカルーアを棚に戻す。
 
 
 
 

ネコは半分ほど飲み干したところで飽きてしまったらしい。
時折あごを俺の膝に擦り付けて主張する他は、何をするでなし、ちょこんとクッションの上におさまっている。
先程からペンが紙を擦る音しかしない。外は静かな夜だ。

「?」
『?』

腕が止まったのにネコが気づき、きょろっと見まわす。
おかしい。数字が合わない。

『!』

横から、たしっと手が伸びて書類の一点を押さえる。

「…これか。サンキュ」

ついでに文鎮代わりにネコの手を借り、ページの端の方を押さえていてもらう。

『む』

これはお気に召さなかったようだ。すぐに手を回収される。
そして、狭いところで器用にくるりと身を回しソファに向き合ってから、よじ登ってくる。

『よいしょ』

俺の足に乗り肩に手をかけ、頭をぐしぐしと胸に押し付けてくる。
意外なほど力のこもった頭突きに、少しだけ上体が揺らぐ。

「もう少しで終わる」

ぽんぽんと背中をさすってなだめる。

『う〜』

一応抗議するが、胸に顔をうずめたまま、もそもそ足踏みして居心地のよい体勢を探し始める。
あいている左手をその背に置いたまま、ゆっくりあやし続ける。
しばらくして、身じろぎしていたネコがやっとおとなしくなった。
暖かく心地よい重みが、ずっしりと腿にかかる。
仕事もちょうど区切りが付いた。書類を閉じソファの背もたれに身を預け、ようやく一息つく。

「…今日も少しハードだったな」

時計を見ると日付が変わっている。とつ国ではいざ知らず、ここではクリスマスももう終わりだ。
いや。最近ではボックスデイ:贈り物を開ける日、などと言ってクリスマスの次の日も、まだ商魂逞しくセールを続けているか。

「どのみち… 無縁だが」

くすりと笑いが浮かぶ。
でも。

「お前と過ごせることがプレゼントかもな」

柄にもないことを呟いてしまった、と激しく後悔した瞬間。
まどろんでいたはずのネコがすっと起き上がり、身をひねりざま顔を寄せてくる。
唇をかすめるカルーアミルクの味。間近でいたずらな笑みをたたえた緑の目が燃える。

『ほんとに?』

しばしの逡巡の後、そっと手の甲でその頬に触れる。なめらかなビロードの感触。

「ん。…極上のプレゼントだ」

満足そうにネコが喉を鳴らす。
ほんの少しばかり遅れてやってきたけれど。
こんなクリスマスも悪くないかもしれない。