「当たり前のことを喜びましょう!」海神分教会 役員 神殿講話 から



 息子6歳は、大きなウンチが出たときに、それをすぐに流さず私を呼ぶのです。そして「大きなウンチがでたよ!」と言のです。
 私はトイレでそれを見てその大きさに本当に喜び、涙を流してしまいました。
 私の涙を息子が理解するのはまだ先の事かもしれませんが、その当たり前のことが私には本当に喜びだったのであります。
 私は、赤ちゃんのときすぐ入院してしまうほど大変な病気になってしまいました、私自身の力(心臓がかなり強かったそうです)そしてなんといっても両親の力、信仰の力でこの大難を通り抜けたわけですがその後もさまざまな思いがありました。
 親の思いを察すれば、ただ大変なことだけではなく、喜びもあったに違いないと私は思っています。
例えば 病気の回復には年月がかかります、その回復途中で、下着を汚してしまう事がたまにあるのです。でも私の母親はその下着の汚れを見てきっと
「あ〜ここまで出来るようになったんだ、大きくなったんだ、良くなってきたんだ、もしかしたら、生まれてすぐいなくなってしまったかもしれないこの子がここまで出来るようになったんだ」と、きっと母親は喜んでくれた、と私は思わせていただくのです。
当たり前に生まれ、当たり前に育ち、当たり前に学校に行き、そして無事に帰るそこらじゅうに喜びが一杯あるのですね皆さん!