感 動 ・・                  

「・・・会長の弟、OOは主に小学校教育関係で活躍しておりますが、10年ほど前に、船橋支部婦人会総会で講演をした事があります、親会長夫人の勧めで講演会となったと思いますがそのときの資料が見つかりました。そこから 「感動」 というところを紹介させていただきます。・・・・・編集者」

子供の目に輝くその意識はいったい何から生まれるのでしょうか、またなぜ感動できる目、出来ない目があるのか少し考えてみたいと思います。

 感動ということは、どうやら思考活動の一部と考えられるようです。美しい景色を見て心から「あーきれいだな」と思える為にはやはり以前そのような経験をしたかどうかにかかっています。

 幼い頃、お父さん、お母さんに連れられて野山を歩いたりする事もあるでしょう、そのときの子供はどうでしょうか、親子で出かけたという楽しさはあるにしても、さほど歩く事に関しては、街中も山の中も変わりは無いと思います。

 しかしその時一つの感覚が身につく事があります。それはお父さん、お母さんの言葉によって作られるのです。

 「きれいな花だね!」  「澄みきった青空だね!」 「こんなところに住んでみたいね!」 「やっぱりやまはいいなぁ」 

そんな言葉が、後の子供の感動を引き出す大きな比較の対象として無意識の中に組み込まれていくということです。

 過去のある経験 + 他人の感動の言葉、表現 =感動を引き起こす素地

となるようですが感動という意識さえも人から教えられるものであると断定するのは少し寂しい感じもしますが、ちょっと視点を変えれば 「よく遊ぶこと」 「いろいろな所に行く事」 「いろいろな物を見る事」 「いろいろな話を聞くこと」 「親の感動の言葉を聞くこと」 そんなごく普通の日常生活を送っていれば身についていく感覚であるように思います。

 小さい頃の経験が 「考える力」や「感動する心」そういったものを作り上げていく大切な栄養素であることを、今ここで再確認し本当の意味での心豊かな人を育てていかなくてはならないと考えています。

 物事に感動できる人は必ず親孝行な人になると言われます、素晴らしい学歴、素晴らしい会社に入っても、入らせても、親に背を向けるようなそんな人にだけはなってほしくないものです