なぜ、良い人も病気にならなくちゃいけないのだろう? 管理人

 講社祭りの時に会長から話しをしていただいたことから書いてみました。

「なぜ、良い人も病気になるのだろう?」
どれだけ良い人も、みんなから好かれる人も病気になってしまうことがある。
なぜなんだろう???
 626日の天理時報にそのヒントはあった。
天理時報と言う表題の下に「おやのことば」というコーナーがあるのですがそこからの紹介です。


 「諭しの中から出けた道」
 善い者に障りつくのはどういうもの。ほこりの者に障り付かんと言う。

一人の為やない。世上救けたいために弘めた道。その道うっかり思て居てはならん。

この道諭しの中から出けた道、ほこりの中から付けた道やない。  

おさしづ 明治33年5月17日


会長曰く
この天理教の教えは、人一人を助けるためだけの教え、諭しではない、世界の人すべてを助ける道、諭しです。だから病気になった時は本人は勿論、その回りの人も心を合わせて、その難を乗り越えるようにがんばることが大切なんです。神様がこの人と見込んだ人だからこそ、身上(体の病気)や事情(災難や困難)をいただく事がある、逃げずに積極的にそれに立ち向かう事が、周りの人をも助けることになるのです。 

私は思った・・・・人を助けて我が身助かる、常に親から言われ続けた言葉です。

(ここだけ読むと無神論者と一般的に言わている方々からは「おかしいぞ〜」なんて言われてしまいそうです、しかし現実にさまざまな事で悩み悲しんでいる人が本当に多いということをそういう方たちは不思議なくらい知らない場合が多いのです、天理教は本人そして回りの人も実際に助かっていただく教えです、口先だけでは先へす進めませんね)
 天理教の教えは時として本当にきびしいと感じることもあります、しかし大きな親心に抱かれていると感じて大変な時にこそ多くの人に喜んでもらえるように進んでいきたいです。

 最近では信仰している人の中でも、または信仰している親を持つ子供たちの中からでも「天理教を信仰しているのに、なんでこんなことになってしまうの?」と不安になったり悩んだり、不足を感じたりしてしまう人がいるかもしれません。そんな時こそ、この「諭しの中から出けた道」の文面を思い出していただきたいと思います