親のペース、子供のペースどちらの都合にあわせるか? 2008年1月14日

どちらのペースにあわせるか?それは子育ての大きなキーワードになるようだ。

詳しく言うと、さんさい心とはよく私たちの中では言われることですが、この世に生まれでてから三歳になるまでは親は子供のペースに合わせていく必要があるのでしょう。 赤ちゃんは腹が減れば泣き、気持が悪ければ泣き、気持ちよければ笑い、眠たい時はどんなに偉い人が前にいても寝る。 なにしろ泣きわめいて真剣に訴えられるのだからこれは仕方がない。それに赤ちゃんは言葉がしゃべれない、ということは親は言葉以外で赤ちゃんとコミュニケーションをとらなければいけないのだ。この表情の時は怒っている、これは喜んでいる等々・・。 親はその悪戦苦闘の三年間で言葉以外のコミュニケーション方法を獲得していくのである。その実績があるからこそそれ以降は、親は子供に親のペース・都合に合わせる躾をする資格と実力を持つ。 親の都合に子供があわせることが出来るようになっていくと、その効果はどうだろうか?

具体的に書いてみよう、例えば正月、親は子供をつれて、御世話になった人の家を回る子供も大変だ、ある家では、優しいお兄ちゃんも遊んでくれるし楽しいゲームも沢山ある。子供はもっと遊びたい、しかし親は次の家へ行かねばならぬ・・・。子供は必死で我慢する、そして親の後についていく。 親だってもっと遊ばせてあげたいのだ、しかしそうしてばかりはいられない、 我慢して素直についてくるその子供を親は見てどう思うだろう、 「申しわけないナァ」と同時に可愛さがましてくる、子供もその親のうれしそうな思いがわかる、 親は子供を誉める「よくゲームをやめられたね」って。 子供は親に誉めてもらってうれしい、そしてまた誉めてもらおうと頑張る。 親は今度はちゃんと遊ばせてあげたいと思う。 そして何よりその親子関係をみている回りの人間が、その子供達をかわいいと思う。 親が子供に対する躾がシッカリしていると、親戚や周りの他人がその子供に対して安心して優しく出来るのです。甘えさせてあげられるのです。

それでは逆に、三歳を過ぎてもいつまでも子供の都合に合わせる親であると、どうなってしまうだろう、 同様の場合、ゲームを続けさせる、親は次の家へいけない、逆恨みで親は子供をしかる、子供は親に不信感を持つ、親は子供に信じられていないという不安感を持ち自信をなくす・・・・・・。 周りの人間が、本来親が言わねばならないことを、その子供達に対して言わなければいけなくなる、 当然無責任な他人の意見など、受け入れる容量はその子達には無く、かえって人に対し恨みをもつようになる。結局それが親への思いに波及する。

親の都合に子供が合わせられるようにすることは大事なことです。一番身近な社会は家庭ですその中のルールを守らせてあげないと、子供達は普通の社会でつまはじきにされてしまうでしょう。 親は踏ん張りましょう、最近ではそのルールさえ決めていない、または作れない親が増えていると聞きます。今が踏ん張り時!