天理教の人とお付き合いする事、そして教会に嫁に来ること パート1〜パート3 ある嫁・・。トップへ戻る |
教会長の弟、OOOの妻、OOです。今は教会の敷地内に住まわせていただいております。 夫のOOO君に天理教の人と結婚するまでと、結婚してからについて、何か書いてくれと言われたという事と、青年会の会員の中でも「独身のかた」が結構いるので何か、彼女をゲットする上で参考になる事があればと思いいろいろ願いつつ書かせていただきます。 そもそもOOO君とは、友人の紹介で知り合いました、しかしOOO君個人を紹介された訳ではなく、海神の「フナウラ」という喫茶店でいつも、わいわいがやがやっている楽しい仲間達を紹介されたのです。 私が26歳のときでした、週末はその仲間と私も過ごすようになり、旅行やテニスなどもするようになりました。 リーダーの一人だったのがOOO君でした、半年ぐらいたった頃から、友達も多くて人をよく笑わせるその性格に、なんとなく私は惹かれていったのですが、いつも私たちの周りには人が大勢います、二人きりになることはまずなかったのです、10月です、突然、OOO君から最初のデートの誘いがあったのです! 私はOKしたのです。海にも連れて行ってくれて非常に楽しかったのですが、事件はその後すぐおきました・・・。 勝浦方面のデートから戻り、船橋近辺になったとき、いきなりこう言われました。 「俺んちによっていかないか?」 私は、最初のデートの時に男性の家に寄ってしまうなんて、不謹慎かしら?と正直迷いましたがとり合えず行くことにしたのです。家に着いたらもっとビックリ |
天理教の人とお付き合いする事、そして教会に嫁に来ること パート2 ある嫁・・。 そこは 「天理教の教会でした」 友人から「OOO君の家は天理教だよ」と、噂には聞いていましたが、実際にその教会を見たときは一気に不安になりました、何か勧誘されそうで、どこかに連れ去られそうな気がしたのです。 玄関に入ったらまたビックリ!人が大勢しかも右往左往しているではありませんか! しかもこんな、「か弱きそしてかわいい女性」が入ってきたのに誰も注目してくれないのです・・。みんな気が付かないようです、もうその場から逃げ出したくなりましたが、その時です! 与OO君がいきなり大きな声でお母さんを呼ぶではありませんか! そしたら間もなく、黒いハンテンを着た人がニコニコと近づいてきました、 私は緊張して挨拶をしました 「有 O O 子 と 申 し ま す」そしてゆっくりとお辞儀をしました、その時、頭を下げた私の後頭部の上の方からお母さんの 普通、女性、しかも息子が付き合う事になるかもしれない「人物」と思ってくれたのならば、そして母親ならばもっともっと注目してくれても不思議ではないのに・・なぜ行ってしまうの?と思い、更に不安がつのりました。 与OO君がこう私に言いました。 私、ほんの少しだけ安心しました、毎日こういう状態だったら、私、絶対だめ・・・。 |
帰りの挨拶のときにも、お母さんが来てくれてまた、そしてこう言ってくれました 「ハイ、ハイどうもごくろうさん」 与OO君に家まで送ってもらい「じゃーまたね!」と言われたので私も「今日はありがとう」と答えましたが、私実際はこう思っていました。 「この人と私は住むところが違う・・・」 その後、半年間、私は与OO君からのデートの誘いを様々な理由をつけて断り続けました、その理由を彼はまったくわかっていないようでしたし、私も正直に与OO君には話していませんでした。 翌年4月ごろ、仕事の悩みなどが重なり少し落ち込んでいたときに、久しぶりにデートの誘いを受けました、もちろんグループ交際。6人ぐらいでドライブに行ったのです、久しぶりに凄く楽しかった。 そして当時一人暮らしを始めたばかりの与OO君の公団住宅へみんなで行ったのです。 そのとき、私、与OO君と天理教がセットだという事をすっかり忘れてしまいました、完全に油断していたのかもしれません、その後はデートの誘いも受けるようになり、その年の12月にプロポーズされました、その時ハッと思い出したのです、 「与OO君は天理教だった・・」 悩みました、両親にも勿論相談しました。母親は「いいんじゃない、そのうち慣れるわよー!」 父親はこう言いました、「天理教は良い宗教だよ、私も柔道で ちなみに父親は講道館柔道の5段なのです。私はプロポーズを受ける事にしました。 年が開け、神殿で与OO君の兄弟姉妹全員がいる前で挨拶させていただいた時は、少し不安になりました人数が半端でなかったからです、しかし皆さんとても優しく、そして、なにより普通(すみません)でほっとしました。その中で、今、名古屋にいる、まさ子お姉さんに「本当にこの与OOでいいの〜?」と顔をしっかり見られて念を押されたときは、一瞬恐くなってしまいました、教会に嫁いでいるまさ子お姉さんだからこそ、それだけ心配をしてくれたのだなと、思います。 その年の3月結納となりましたが、そのときに筒井のお母さんが私の父に対して言った言葉が忘れられませんので紹介させていただきます。 「OO(お父さん)さんは一人娘をお嫁に出して寂しいと思っていらっしゃるでしょうが、私だって寂しいのです、息子が独立するという事はうれしい事ですが、母親としては本当に寂しい事なのです、OOさんも一人息子が増えたのですから、お互いに頑張っていきましょう!」父親はその言葉が本当にうれしかったようです。 私たちは2人とも結婚してから「おさずけ」をいただきました、結婚して2年目、与OO君が「おさずけ」を頂くためにおつとめ着を着たときは、訳も分からず不安になりました、私のしらないどこかに、与OO男君が連れて行かれてしまうのではと不安を感じたのです。 そしてとにかく、信者さんの声にも励まされました。例えば「ここに(教会に)いるだけでもO子さんは偉いのよ」なんて言っていただいたり、うれしかったし本当に励みになりました。 私もこういう言葉をかけてあげられる様になりたいと思っています。 結婚して12年目、平成12年10月に筒井OOOOO事務所を新しい場所に移した時に「講社祭」をさせていただきました。与OO君は 「まだ先でいいだろう」 と言っていたのですが、すぐに講社祭をさせていただきますと筒井のご両親に言いましたら凄く喜んで頂きました、おかげでそれから半年間、お母さんに毎月、講社祭に来ていただきました。平成13年4月9日の講社祭にも、おまいり頂き、その翌日に入院されました。4月9日の筒井与OO講社祭が筒井のおかあさんが最後にお参りした講社祭となりました。 私の両親がいつも言っていました、 「筒井のご両親は立派でしっかりしていらっしゃる、だから、与OO君との結婚も安心できたのです、これからも安心して、夫婦仲良く暮していきなさい」 結婚は、本当に本人だけの問題ではありませんね。家族が不安を消してくれる事が沢山あります。 私の両親そして与OO君のご両親に深く深く感謝しています。まだまだ沢山書きたい事はありますが次の機会にいたします、これからも皆さんよろしくお願いいたします。 |