今年は戦後60年、しかし戦後70年はもう無いかもしれません、その理由は戦争を伝える力のある人がその時にはもういなくなっているかもしれないからです。そんな事を考えていた7月14日我が家に一本の電話がかかってきました。
・・・約60年前に長作小学校で先生をやられていた、市角先生はそちらにいらっしゃいますか?」
私は一瞬、とまどった、筒井の家で電話帳に掲載しているのは私だけなので、営業や訳のわからない電話は、まず私の所にかかってくるのです。いつものように、変な電話かなと思ったのですが、私は答えた。
「筒井ひさ子のことでしょうか?」 電話の相手は
「そうです、筒井という名前で、お寺にお嫁に行くと市角先生は言ってらっしゃいました、私は高橋OOOと言います、市角先生は小学1・2年生の担任なのです」
私は答えました「市角ひさ子は私の母親です」
高橋さんは聞いた 「先生はお元気ですか?」
私は答えた 「4年前に亡くなりました」
高橋さんはしばらく言葉がでず、
「そうですか、遅すぎましたか・・。私の生涯の中で一番心に残っている先生です、残念です」
今、当時の友人と連絡をする機会があり、市角先生をとにかく探して集まりたいと言う事だったのです。
当時の写真もあるということなので、私と日曜日に会う事になりました。
高橋さんは言っていた「市角(筒井ひさこ)先生の娘さんは先生に似ていらっしゃいますか?」
私は答えました、「最近本当に似てきました」
7月17日 高橋さんの自宅へ訪問 背が高く事業も成功されたようで立派な方でした。
高橋さんは言う
「14日の電話の翌日は、動けませんでした、本当にショックで悲しすぎます、私たちが動くのが遅すぎました」
私は答えた 「母親が早すぎました」
私は聞いた 「母親はどういう先生、人でしたか?」
高橋さんは言う 「一言で言うと 滋味の人です。 いつでもどんな時も、私たちのことを見てくれて、どうしたの?何があったの?なぜなの?と聞いてくれました」 滋味=物事に感じられる深い味わい。
何枚か写真をコピーしてくれたものを頂きました。今後家族で集まる事があれば、その時にツツイの家に招待させていただきますので、友人を誘ってきてくださいと言いました。
65を過ぎた母親ひさ子の教え子の気持を考えると胸が張り裂けるほど、さびしい。 ですが60年前の母親を慕って、探してくれるこの人たちに感謝の想いが溢れてきました。
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