きうい Houseの謎(笑)

名刺のロゴもコレ^^;

「きういHouse」は、三文絵描き兼もでらー
きづき とものぶ のブランド名です。

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ほとんど忘れられてしまった歴史(笑)

1989年:

北枕 猫 氏との共同同人サークルとして結成。「KIWI館」の名前でComitia等に参加・活動開始。結成当時は少女系の絵柄を持つ少年向け創作漫画サークルであった。
その後数年:


2人とも仕事等の都合で活動は放置状態(爆)。
きづき自身はゲームソフト会社へ入社、グラフィック、キャラデザインやイラスト、ディレクターなどを担当。その後ゲーム会社から大手おもちゃメーカーへ転籍。
1994年: きづき、フリーとして活動開始とともに、サークルとして復活。
モデラーのにゃん☆出現(笑)。実際にはきづきのモデラー名。
北枕氏は結婚のため、KIWI館より離脱。構成人員の変化と、活動内容の転換のため、これより、「Kiwi House」と改名。
1996年: ワンダーフェスティバル等のイベント向けにモデラートしてガレージキットディーラー活動。
本職は漫画描き、ゲームディレクターやグラフィッカー、ゲーム関連の講師など。
1997年: コミケット方面へ、CG集中心の同人活動。
1998年: CG集、ガレージキット等の活動で、同人/プロ共にKiwi Houseの名前をそのまま使用し始める。
2001年: 独自ドメイン名取得の際、某国の公的機関がKHと同名で実在することや、国内の登録商標に同名が存在することが判明。日本語ドメイン名が使用可能になることもあり、「Kiwi House」を改め、「きういHouse」とする。
2003年: 日本語ドメイン名「きういHouse.com」は事実上あまり役に立たないため放棄(苦笑)。
改めて独自ドメインを取得、「kiwihouse.tv」を開設。
主力業務は人形師へ。

構成人員:2004年8月現在:きづき1名だけ(笑)。


きづき とものぶ(別名:にゃん☆)
10月12日、東京生まれ。
B型。
千葉県在住。
職業: 一応独立人形師。たまに三文まんが描き・イラストレーターなど。フリー。
趣味: 車(通称Corrado Carpenter^^;)・バイク(オフロード)・模型・釣り(ルアー他なんでも)
(超)略歴: 某アニメ学校中退後、アニメ制作会社、漫画家アシスタントを経験。その後、ゲームソフト制作会社・WT社に入社。(現在この会社は消滅。)メガドライブ、メガCD、98等のゲームソフトで OP/EDやビジュアルシーンの絵コンテ、原画、演出、パッケージ・取説イラスト等を担当。通称「カントク」。

後、大手玩具メーカーB社、また同系列の企画会社に転籍。ファミコン・スーパーファミコンのゲーム企画、美術デザインの他、キャラクター商品企画、デザイン、制作も担当。イベント等での販売企画なども行う。

95年夏よりフリー。B社系の商品企画用デザイン等を制作。

96年1月、商業漫画デビュー。「機想幻譚メデッサ」を連載開始。(原作:南原順 ソフトバンク刊:スーパー64誌連載)17話まで掲載。同誌休刊(泣)のため未完。 その後はエニックス刊:少年ギャグ王等で漫画掲載。

96年よりフリーゲームデザイナーとして主としてインターネット向けゲーム等の企画活動を始める。また、イラストレーター業も開始。

98年より、これまで趣味でやっていたモデラー業(モデラー名「にゃん☆」)を本職化し、PNを一本化する。

99年よりwebビジネス方面で画像処理やサイト企画などを行う会社を数社渡り歩き、2002年より再度フリーに。

もでらー歴: 高校在学中に、当時、某Bク☆ブ関係でモデラーをしていたH氏と行き付けの模型屋で知り合う。 当時はちょうど「逆襲のシャア」が劇場公開されていた。そのプラモデルを模型屋で展示したときに、 H氏にガレージキットの世界に引きずり込まれる(笑)。

その後、「パトレイバー」が出現。折りからロボットとゆうきまさみ氏のファンであったこともあり、H氏とも意気投合、氏がワンダーフェスティバル(以下WF)にディーラー参加しており、呼び声のままにガレージキット原形を制作。

初作品は91年頃に製作した98式AV(原作版)のフル可動(!)モデル。その原形を固定ポーズ版に直したスタチューキットを15個WFへ出展。これがなんと完売(笑)。

以後、調子に乗って海洋堂さんの第1回アートプラ、JAF-CON等に作品展示、WF等イベントで個人ディーラー活動。一時はでふぉるめ道(今で言う「ぷに」)に転げ、アニメやゲームのキャラをデフォルメしたキットを多発。(すべて完売)

93年頃より、原形を仕事としても始める。始めは会社員として、主として社内企画用の立体物を製作。 「セーラームーン」のマスコット等を製作。
その後、会社を退職、フリーになった後もWFディーラーとして浮遊。時折原形仕事を請け負いつつ現在にいたる。

98年頃公表した着せ替えアクションドールで売込みなどせずに雑誌掲載を達成、予想外の反響を受け、人形師として活動開始。2001年公表した完全オリジナルのドール第二弾はサラリーマンをしている余裕がなくなるほどの反響となり、あらためてフリーとして活動開始。


…今思うとずいぶん右往左往な人生ですな(爆死)。

とりあえず、「自分がやりたいこと」は「モノを作ること」 。

その「モノ」は絵でもゲームでも、人形でも…なんであれ、とにかく自分がなせることで誰かが喜んでくれること。 それが楽しいですね。

こんなことでいろんな人からお金をいただいて、暮らしていけるんだから自分はシアワセです。


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