ダライアスフォース(タイトー)


…皆さんは、「ダライアス」に何を求めているのですか?

所有批評SFCその3の「ダライアスツイン」を合わせて一読していただくと非常にわかりやすいかもしれないのですが、ともかく「ダライアス」シリーズの移植に関しては色々な問題が付きまとったわけで、大体このシリーズを好んでいる人達がまずよろしいと認めるものはPCエンジンのCDロムロムでリリースされた「スーパーダライアス」くらいのものでしょう。そして家庭用機オリジナルシリーズとなる「ダライアスツイン」やこの「ダライアスフォース」には冷たい視線を向けるわけです。これは上記の通り「ダライアス」というシリーズ及びブランド名に何を求めているのか?ということが問題になるのですが、大体よく聞く意見は「むやみやたらに巨大な海洋生物のボス」とか「母なる星そして海、を根底とする設定」とかそんなところでしょう。そのような観点から当作品「ダライアスフォース」を見てみますと、「恐竜とかバクテリアとかカメレオンとかがいる」という時点でもはやアレッ?と首を傾げるどころか高速回転伝統芸顔くるくるですぅ〜、を発表しかねないインパクトが頭の中に走ってしまい「こんなのダライアスじゃねえよ!」と駄々っ子として世に憚ろうとするわけです。この後に発売されることになる業務用作品の「ダライアス外伝」が1画面にもかかわらず全てが海洋生物をモティーフにしたボスキャラだったこともあいまってより一層酷評を受けたのかと思われますが。ちなみにダラ外を誉める人はあちこちに溢れるものですが、私は「使用した瞬間から無敵になり時々補充できるボンバーが付いた」という時点でかなり悶絶ものでした。ゲームとして面白かったからまだ良かったのですが、それなら「〜フォース」も先入観でなく作品をしっかりプレイして評価すべきなのではッ?といきり立ってみたものの案の定空回りですよ。パッケージにも「今までとは全く違う世界観」と断り書き(というかキャッチコピーなんですが)が入れてあるのに聞き分けのないお子さんには全く困ったものですネ。まあ外伝とかお子さんとかの話は片隅に置いといて。

では説明書の設定(日本語)及びオープニングデモ(英語)を見てみると…(以下抜粋及び要約)。

「ヒトの祖先が獲物である獣の骨を手に取ったときから、ヒトの戦いの歴史は続いている。」
「もはや誰もが、かつての二人の英雄、プロコとティアットの名を伝説と受けとめて久しい。」
「戦うことはおろかなことだと唱える若い世代が大勢を占める時代である。」
「…しかし、歴史は繰り返す。」
「これは、戦争と、人類の生存のための果てしない戦いの伝説である…。」

と最後のベルサー軍との戦闘からかなり長い年月が流れていることを説明しています。デモでは音楽が流れず、そしてタイトル画面に移った時に不気味に脈打つ心臓の鼓動…。何を意味しているのだろうか?と感じずにはいられませんが、これは後々説明します。

さて早速ゲーム内容に移りますと、まず最初に自機であるところのシルバーホークを3種類の攻撃タイプから選択します。1号機は所謂初代の装備(最終的にはウェーブ弾になる)、2号機はダラIIに準拠した装備(地形を貫通しないナパームショット)、3号機はオリジナルの機体(ハイプレスレーザーという長時間照射されるものの幅が狭いショットになる)であり、またサブ兵器であるところのボムとレーザーがボタン1つで切り替えできるという点が嬉しいのか悲しいのかわからないところですが(レーザーが弱すぎるため)、地形を考慮した良いシステムであると言えないことはないでしょう。ただ後半面は地形裏に隠れた敵が多いので2号機は殆ど使い物にならず、ハイプレスレーザーが連射が効かない(そのかわり地形を貫通するしグラディウスよろしくワインダーも可能ですが)3号機もちょっと使いにくいので基本的には1号機で攻略するのがいいでしょう。場所によっては太いレーザーを一定時間撃てる、画面上の敵全滅、などの特殊アイテムが出るところもあるのですが、あまり気にしないでいいです。では「ダライアスツイン」ではひょうたん型とまで揶揄された(主に私方面の批評家気取りの似非ゲーマーに)ゾーンセレクトは?と問われると返答に窮します。実は…アルファベットの「E」の字のような形をしており、3本の棒の右端がそれぞれ最終ゾーンとなっています。左下からスタートして、上及び右に進むことはできるのですが戻ることはできない、というものです。わかりにくいですね。つまり…3つの最終ゾーンまでの通過ゾーン数が異なるのです(最短のLゾーンは計5面、次に短いNゾーンは計6面、最長のOゾーンは計7面)。例年のシリーズにおかれましてはどのルートを選んでも常にステージ数は一緒であったことを鑑みるに今作はかなり不公平でおかしい気がしないでもないですが、これには深い理由があります。それは、このゲームがまず第一に…

「進化」

をテーマにしていると思われるからです。ではゾーン別のボスキャラを具体的に説明してみますと、

「BIO HAZARD」…ミジンコ
B、C 「MUDY CRYSTAL」…クラゲ
D、F 「SPIRAL SNAIL」…カタツムリ
「THUNDERBOLT FAN」…イソギンチャク
G、I 「DEVIL FISH」…イカ
「PEACE DESTROYER」…?(体の長い魚?)
J、K 「STEALTHER」…カメレオン
「ZANDICK II」…プレシオサウルス
「GREAT FORCE」…イルカ?(グレートシング似)
「MEGALOPROS」…翼竜?
「GALST VIC」…ヒト(ただしまだ不完全の体)

となっています。そしてそれぞれのルートをクリアするために通るゾーンは…

Lゾーンルート…A−C−F−I−L(固定)

Nゾーンルート…A−BC−EF−HI−K−N(Bに上るとC、F、Iには戻れない)

Oゾーンルート…A−BC−DEF−GHI−JK−M−O(Dに上るとその後はG−J−Mで確定)

となります。ここで改めて上のボスキャラのモティーフを見てみますと、Lルートは全てが海洋生物でその最終進化たる海の恐竜になり、Nゾーンの翼竜に行くには途中で陸上生活の爬虫類たるKゾーンのカメレオンを通過しなければならず、そして最も長いOゾーンのヒト科に到達するにはその上に哺乳類のイルカを経由しなければならない…。ゾーンの分岐におけるボスの重複もこの進化形態を崩さないように作られています。…これを見ればイソギンチャク等と並んで「ダライアス」シリーズの最終ゾーンにゲスト出演しなければならない(とファンが信じている)「グレートシング」(クジラ)や「コロナタス」(タツノオトシゴ)や「フォスル」(シーラカンス)が出てこない理由がわかりましたね?つまり哺乳類最大のクジラや深海に生きる特殊な生物タツノオトシゴや生きる化石シーラカンスはそれぞれ「生物の形態上の行き止まり地点」であり、「進化」というステージコンセプト上どこにもあてはまらない(ラスト以外にしか…しかしそこにも置くことはできない)からです。じゃあ無理に腔腸動物たる「イソギンチャク」を入れる必要はなかったのではないか?と疑問の声をお持ちの方も多いことでしょうがこれにはまた理由があります。それは第二のテーマ(と私が思うところの)、

「(適者)生存」

のためであろうと思います。これは全てのルートをクリアした時のエンディングメッセージを見なければわからないのですが、要約しますと、

Lゾーン…水平線から日の出、海上に浮かぶ基地にシルバーホークが着陸するシーン

「再び日は昇ったが、それでも我々は未来を見ることはできない。我々は戦いを続け、母なる地球を監視しなければならない…。」

Nゾーン…青空の中、1羽の鳩が舞うシーン

「平和は避けられないものではないが、人類の心の中には常にそれに対する憧れがある。信じれば、必ずそれは実現する。」

Oゾーン…爆発する敵基地からシルバーホークが脱出、残るのは無限の大宇宙のシーン

「歴史の間じゅうずっと、戦いは必然であった。危機に直面した際、人類は常に抵抗した。戦いを続けるから、戦争はいつも完全に終わることはなかった。…いつの日か、平和は再び戻ってくるだろう…。」

そしてスタッフロールはOゾーンルートのみで流れます。これは明らかにこの「ヒト」を倒すコースこそが真のエンディングであることを示しています。しかも他のコースのエンディングはかなりネガティブなエンディングメッセージになっています。さてこれは何を意味しているのか?その前に一つばかり禅問答的深遠な問いをば。

「人類は、己が身を守るために何をしてきた、そして現在でもしている、のだろうか?」

…その答えは「戦い」。

戦って戦って、自分たちに害を成す敵を徹底的に薙ぎ倒すことによって身の安全を確保してきました。そしてまた生きるために他の生物の肉を食べる。人間的食物連鎖(…「文明」とも言えるかもしれない)を築き上げてその頂点に立っています。では他の生物はどうでしょうか?現実世界…つまり我々の生きている世界…での狼と鹿の生存バランス、などというありきたりで陳腐で教科書的な例を出さずともわかるように、宿命であると諦めている(=明らめている…物事の道理、自然の摂理という名の光明・真理をわきまえているという意味の仏教語として捉えてほしい)。勿論親が自分の子供を守るために戦う場合などもありますが、それは常に受動的なものです。そしてこの「ダライアスフォース」におけるボス敵のモティーフのことを考えてみると、ミジンコは多数発生して種を絶やさぬようにし、クラゲやイソギンチャクは自衛のために毒を身につけた。カタツムリは防護壁たる殻を背負い攻撃に耐え、イカはめくらましの墨を吐き(ゲーム中では吐きませんが)身を守り、カメレオンは体の色を地形に同化させて逃げる。プレシオサウルスは体を極端に肥大させることにより威圧感を与えるようになり、鳥類は地上生物の到底及ばぬ空に羽ばたく翼を手に入れた。イルカは超音波…その「大いなる力」で仲間と会話をするという話もあるくらいだから、危険を察知して群れに伝えることもできるのでしょう。…つまり極論を言えば、この「ダライアスフォース」の世界においては人類だけが「積極的」に攻撃を仕掛けて身を守らなければならない生物なのです。だから当然にして他の生物を完全に蹂躙し、進化の行き止まりたる海竜・翼竜を倒すルートはバッドエンドでなければならない。そして「進化」と「適者生存」の提示の裏に見られるこのゲームの真のテーマ、それは…

「人類批判」

というものです。ええ誰が何と言おうとこれに違いありませんよ(思いこみモード発動につき誰も俺を止められやしねえ!)。怪獣映画やロボットの反乱的侵略SFなどでよく見られ語られるところの「文明批判」などという甘っちょろいものではありません。これは「このような方法で生存していかなければならない」人類のあり方自体を強烈に皮肉っているのです。オープニングデモで「これは人類の生存のための果てしない戦いの伝説(サーガ)である…。」などと口(というかストーリー上)では言っているものだから、その有様がいかにも正当であるかのような印象を与えかねないのですが、全てのエンディングを見て初めてわかる、製作者による強烈なアイロニーもしくは人類の自嘲。人類にとっての平和と他の生物にとっての平和の概念の異なり。生まれ出ようとするヒトを「機先を制して、自らの手で、その攻撃の塊になろうとする存在を」倒すことによって初めて迎える真のエンディング…。「我々は、どのように生きていけばいいのだろうか?」こんなあまりにも退廃的な人類の未来の姿と危惧すら抱かせるこの展開に、ある作品がフィードバックしてくるのです…。「最終平和兵器」ブラックフライ…そう、同社の「メタルブラック」。「メタルブラック」では廃墟と化した文明に対するアイロニー、戦争放棄、そして最終ボスの背景に見られる「人類の進化の歴史」などが具体的な説明もなく演出と展開によって語られます(というよりプレイヤーにそれらに対する深い考えを起こさせる要因となる)。勿論スタッフは全く異なるものの、この「ダライアスフォース」は文明を作り出し、戦争を起こす人類に対する(自己)批判を押し出すことで「メタルブラック」、ひいては「ガンフロンティア」の精神を受け継ごうとしたのではないのでしょうか?(完全に個人的感想ですが、音楽もなんとなくメタブラっぽい雰囲気があったりするところもありますし、場所によっては音楽とステージの展開が合っているような気がしますし…ポーズをかけなければ!ただしこれはあくまでも私の思いこみモードによる主観ですのでご注意を…基本的にはダライアス的背景が延々と続きますし、ゲームシステムもメタブラとは全然違いますしね)

「フォース(FORCE)」とは、ありとあらゆる類の「力」…影響力、権力、支配力…そして暴力、攻撃力も…を指し示すものなのです。これはまぎれもない(辞書にも載っている)事実です。…でも、「信じる力」ってのもきっとある種のフォースなんですよね。人類が自分の宿命を理解し明らめて、平和を信じてそのために力を注げば、きっと実現する、というわずかばかりの期待をプレイヤーに感付かせようとするものであると私は思っています。というより信じています。例えそれが思いこみのフォースであったとしても。

…忘れていました。最初の問いに対する私の答えは、

「他の生物…魚介類的機械たる別次元の視点…から見た人類のあり方の提示」

です。その意味では、この「ダライアスフォース」は完全にシリーズ作品たりえるものでありましょう。

でも閉じる壁とかOゾーンの高速スクロール脱出とかの演出はグラディウスっぽい感じが…まあ、気にしない気にしない!


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